ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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外だけをとりつくろうことに、ご執心

げんちゃん高校二年生になりました。

◇とうとう、あっという間に、4月です。桜が満開。また新しい学年が始まります。げんちゃんの学校は、単位制なので、卒業段階で、既定の科目をとっていなかったら留年になりますが、学年で留年はありません。前に書いたかもしれませんが、げんちゃんは、前期試験の追試を受け忘れ、そのリカバリーのために、いくつかやらないといけないことがあるようですが、全く把握していません・・・だいたい、追試なんて事も、無頓着でいたのでしょうね。

げんちゃんは、いまだにスケジュール管理が抜け落ちます。やる気がない、と言った方がいいです。そこに気持ちをもっていかない。あきれることに。できない時代は終わっています。そこに気持ちをもっていけばいいだけなのに。しかし、この春休み、いろんなことがあって、春休み前より自覚はアップしています。

問題は、ただ埋めればいい

どんなにメモをとるように言っても、まったくしようとしなかったのですが、少しはやろうとしています。それというのも、あまりに、甘え、ずる、がひどくて、私がとうとう怒って、

「げんちゃんは、支援学校に行かせる!」

と本気でげんちゃんに通達したのもあります。
彼は、”熱心にやっているように見える”、とか、”普通に見える”・・・ということには、とても熱心です。
しかし、本気で成長したい、というところからは程遠い。
春休み、英語の提出物があったのですが、きわめて簡単な基本問題でした。量はそこそこあって、げんちゃんは例によって、まじめにやっています。
げんちゃんと言う子は、そもそも、心の底からやる気などなく、適当にやって、結果が出ればいい、とずるい心持ちでいます。

その気持ちは、問題について、私に全く聞かないし、合っているかどうか、見せもしない、という行動でもわかります。彼にとって、大切なのは、空欄を埋める、ノルマをこなしたという達成感であって、内容を理解したかどうかなんて、いっこうにかまわないのです。

「ちゃんとやったら、答え合わせをしてあげるから見せなさい。」

そう言ってるにもかかわらず、言わなければ私に見せようともしません。
しかたなく、いちいち、私に見せなさい、と言って、出させる。
そんなことを繰り返していたのですが、しばらくして、私が忙しくなって、ちょっと気持ちをはなしてしまいました。
すると、げんちゃんは、なんと、答えを書き、自ら勝手に赤丸をどんどんつけて、宿題を終わらせました。
もちろん内容はでたらめです。解答用紙はもらっていませんでした。
ったら、そのずうずうしさに驚きます。

彼にとって、丸がちりばめられた問題集が目の前にできれば、それでいいのです。
私は、ほんとにあきれかえりました。
この場に及んで、こいつは腐ってる・・・

できないわけではありません。その証拠にのちに、相当しぼられて気持ちが入ってやった時には、でたらめな回答はぐっと減りました。確信犯です。
ただやればいいだろう。という、完全抜きまくった精神が支配していたのです。
普通の感覚では理解不能です。狂っています。

しかし、げんちゃんはへっちゃら。それで通用すると思っています。
だれが見ても、狂ってるし、異常です。あってるかもわからない回答に、迷わず丸をどんどんつけていくなんて。
げんちゃんという子は、自分は普通高校に行けている、とか、自分は普通だ、なんていうずうずうしい思い上がりがむんむんです。勝手にそういう感覚になるようです。
この図々しさに関しては、げんちゃんにかかわっているS先生や、数か月前から通いだした週1の塾の先生なども、手を焼く所です。

そもそも、自分は努力せず、(努力するふりはする)私たちが引き上げてやった様々な結果(たとえば、とりあえず普通高校に行っているとか、家でちゃんと勉強しているとか・・・こっちがつけてやったあらゆる能力)そういうものを、増幅して、自分はえらい、くらいに思いあがっているところがあります。正確に言うと、思っているというより、そういう感覚になる、という感じです。これぞ、いつも、げんちゃんに、手を焼く所です。

そもそも、げんちゃんは、手をかけてやらなければ、間違いなく、支援学校に行くのが妥当な子だったと思うし、今でも、げんちゃんのような、ずるい心持ちでいるなら、すぐにでも、支援学校で、手取り足取りサポートされた方が、本人楽ちんでしょう。そこまでずるいんだったら、こっちはもう手を引く。そもそもの実力である支援学校に行きなさい。
希望の、自分でやらなくてもいい、というところはかなうに違いない。

私が下駄をはかせてやることで、めんぼくは保てる、だけど、本気の努力はしなくていい。そうなるなら、下駄をむしり取ればいいわけです。「おかあさん、ぼく、絶対にがんばるから、○○高校に行かせてください。」珍しくげんちゃんがあわてふためいて、懇願してきます。努力はいやだけど、結果だけは良く見せたい、というのがげんちゃん。「支援学校に行かせるかどうか、それは今からしばらくの、あなたが出す結果を見ます。いいわね!」

私は、相当げんちゃんに激怒して、こんな1週間をすごしていました。
もうここまで来たら、上がるしかないでしょ。行くしかないでしょ。というところになっても、げんちゃんと言う子は、逃げる。本気でがんばるぞ、という気持ちを出せばいいだけなのに、そこに関しては、高ようじくわえて、寝っ転がって、めんどくさがるといったスタイルです。私は本気だからね。

私はあなたの肩書よりも、人としての真剣さが大事。支援学校だろうが普通高校だろうが、ちゃんと本気で努力する人間になればいい。
げんちゃんは、いつになく、ちょっとびびっているようです。どうなることやら~。真剣にがんばろう、と心から取り組めよ。と思う。自分の人生だろうが・・・

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  1. ゆうママ より:

    日の経つのがおそろしく早いですね。ほんと高2ですよ!どうしましょうって感じです。
    うちも取り繕うのがうまくなりました。ズルしてるだろうなと思いながらも、もう私の気力が追いつかないのが現状です。
    とにかく自分の食いぶちを稼げるようになってほしい。
    規則正しく生きて、社会とつながりをもってほしい。
    そんな気持ちです。それが実現できるなら普通高校でも支援学校でもいいと思ってます。
    でも悲しいかなこんな混沌とした世の中です。一般の子たちもどうなるかわからない。
    こんな中で生まれてきてよかったと思えるのは何なのかなと思う日々です。
    賢い人たちが作り上げたのが今の日本であり世界です。核兵器、生物化学兵器、こんなものを作りあっという間に人類を滅亡できてしまうような世の中。どれだけ優れていて能力があってもそれだけでは意味がない。かといって息子のようや子たちが努力しなくていいとは思いませんが…いろいろ考えるこの頃です。

    ちなみに息子も少ない春休みの課題をいまだにできてなくて、どうするつもりなのか、静観しています。

  2. glow-gen より:

    ゆうママさん
    高校になってきたら、けっこう、伸びるところは伸びてきて、それなりに評価できるのですが、その力を、表面的にごまかすことに使ってきますね。
    知恵がついたと言えばそうなんですが、そこで終わったら、飛躍は無理だな、と感じます。
    そういうへんな踊り場で立ち止まるのではなく、真に成長するところまで行ってほしいです。
     たぶん、げんちゃんが、発達障害ということは関係ないんじゃないかな~と思います。彼がもし普通の子でも、彼はなかなかずるく、伸び悩む性質だったと思います。げんちゃんの良いところは打たれ強く、折れないところ。しかし、その反対に、なかなかしたたかでしぶとい。
    どの子も、そういう明暗があって、親として、子供によって、かけなくてはいけないエネルギーの大きさが、違うんだろうと思います。
    げんちゃんは、たぶんマックス・・・・
    お姉ちゃんなどは、ほとんどエネルギーがいらなかったです。
    障害があるから、といって、別の物差しがあるのではないと思っています。障害も一つの彼の条件ではあるけれど、人として正しくというところは、お姉ちゃんもげんちゃんも同じ。
    高校も、別にどこでも、彼をのばすところであればこだわりはないです。支援学校がすぐれているのであれば、行かせたと思います。
    しかし、近くの支援学校の評判はけっしてよくないです。障害児を障害児としてあつかい、サポートすることが軸。彼らに負荷を与え、伸ばす、ということはあまり力を入れてないように感じました。
     おっしゃるように、勉強だけできても、今の財務省のように、びた一文国民のために使いたくない、なんていう官僚になるなら、寂しい限り。
    頭で考えるのではなく、考えと言うのは、意識の下に位置する。心で頭を動かすものなんだ。げんちゃんたちの教育は、まさに、それを示唆しているんだな~とわかりました。
     彼らが、本質的なところを克服すれば、すばらしいものを発揮するに違いないと思っています。
     めんどくさいとか、適当にやって大丈夫とか、そういう思考はシャットアウトです。
    宿題も、把握できていなかったようです。今頃になって、違うのも出てきました。
    そういうことを苦にしてほしいです。少しずつです。

  3. とんまま より:

    こんにちは。

    勝手に丸付け、とんちゃんもやります。
    勿論、合っているかどうかなど確認もせずに。
    同じように適当な答えで埋められた用紙に赤丸がついていることが目的。
    それさえ済めば、やったことになる。
    何なのでしょうかね、この神経は。
    全く意味のなさないことに時間を費やしていることが勿体ないです。

    春休み中の今、義実家に通っています。(電車乗車時間20分ほど。実家最寄駅までおじいちゃんが迎えに来てくれる)
    勉強を持たせていますが、まあ適当です。
    小1の内容(しかし文章を読み意味が分からなければ正答できない)がめちゃくちゃですよ。
    今日は「すべてやり直し」と書いて持たせましたが、どうなっていることやら。
    おじいちゃんも気持ちを入れてやっているのかまでは見ていないのですよね。
    ただ座って鉛筆持って、何かやっていれば問題ないと思っているようです。
    義理の親ですし、そこまでは要求できませんね…(自分の親なら言えますが…)
    同じように圧がないと、できないということが露呈しています。
    春休み、思ったように進んでいませんね…

    昨日、通っている放課後デイ(勉強系のデイです)で高等特別支援の入試問題の一部をやりました。
    勉強程考えなくていい問題(商品と値段が書いてある表があり、自分の解答用紙に商品名だけが書いてあるので、値段を表から探して値段シールを貼る)をやりました。
    殆ど頭を使わないので、今のとんちゃんでもさっさとできて、楽しかった~と言っていました。
    こういう所なんですよね、こういう子の多くが将来行くところは。
    何だか考えてしまいました…

    さて、中学校で落とされるような環境であることは間違いないです。
    家庭の力が試されているなとヒシヒシと感じます。

  4. ゆうママ より:

    心の中のどろどろとしたどす黒い思いを話したくて、非公開コメで失礼します。
    正直最近は息子にこれ以上私の人生を費やしたくないそんな気持ちです。
    春休みの課題を半分以上残してました。でももう私の知っとことではありません。私は充分やってきたと思っているし、これから先自分の人生も大切です。息子のせいで私はたくさんのことを諦めたと思っています。
    げんちゃんママさんは歯科医師として活躍されてきて、自己実現されたと思います。
    一方私は公認会計士でしたが、復帰することなく今に至ります。大学は畑違いのことを学んでいたので、一度社会に出てから取った資格です。あの時間とお金はなんだったんだろうという思いがどうしても出てきてしまいます。

    息子はなぜこんなに努力をしないのか?こんなに適当な生き方をするのか?障害ゆえ仕方ないのか?と納得させようとしていますが、やはり許し難い気持ちがあります。けれども私の人生の残り時間を考えると、もう息子にかける時間がもったいないと思えてきました。
    げんちゃんママさんが頑張ってる姿に、まだまだ!と奮い立たせていますが、モチベーションをどうやってキープしていけるのかなと思っています。高校卒業後の進路もなんだか投げやりな気持ちなんです。

    娘さんも歯科医師になるのですよね?うちの娘は京大理系女子ですが大学院に進学する予定です。息子も何かやりたいことがあるのならそれに費やすエネルギーはいとわないのですが、そんなこと息子にはなさそうです。

    げんちゃんママならわかってくれると思ってコメントしましたが嫌な気分になられたら本当にスミマセン。家族構成も似ているし、上の娘さんがしっかりされてるところも似ていて、ついつい本音を話してしまいました。

  5. glow-gen より:

    とんままさん
    先日、長く職場に来ている知的障害の大人の方が再来しました。
    彼女は、10代から定期的なチェックで受診している方なのですが、今は30代。
    まさに、支援と言う名の下で育って、大人になっていて、昔より、できることが減っていました。ルーティンなことはできますが、そこからまったく世界が広がっていないくて、家と作業所の行き来で日々が終わる。家では、あいかわらず、ほとんどサポートされ、家事もほとんどやらないようです。
    運動もあまりやらないので、なんか、筋肉が硬くなってて、昔より、体の動きがにぶいな、と感じました。
     できないからやらせなくていい、ではなくて、できないから、少しでも、できることを増やしていこう。という発想にならないと、現状維持さえままならなくなるんだな、と思いました。
     世の中の支援教育があたりまえ、と思っていると、わが子はやばいことになる。
     こうやって、できてないことをブログに良く書きますが、げんちゃんのスタート時点では、できることさえ、イメージすらできないことが、たくさんできるようになっています。できてしまえばあたりまえ、昔からできていたかのような錯覚をおこしてしまうので、記事にしてなかったりします。
     やはり、コツコツ継続してやり続けること大事ですね。中学は、なかなかきついところです。
    でも、そのギャップを埋めるために努力していくと、数段の階段をのぼっていたりします。
    とんままさん、がんばってください。
    気持ちを入れる、ということは、ほんとに壮大なテーマです。多くの演出を必要とします。普通のお子さんでもたくさんの子が落ちこぼれる、いびつな中学校時代。
    とにかく、できることのすべてをやるしかありません。がんばってくださいね。

  6. glow-gen より:

    yさん
    よくわかります。
    高校になってくると、それなりに世界も広がっていて、その中から、自分の都合のいいところだけ選ぶこともできてくるかもしれません。
    親が関与できないところも出てくるだろうし。
    げんちゃんは、精神年齢はまだ小学生程度。
    だから、まだまだ勝手にできる世界は作らないようにしています。
    精神年齢にあった環境、指導・・・それができて初めてうまく指導できます。
    たまたま、なんとか、あった高校があって入れてよかったです。
    勉強はまだまだ小学生レベルを自力でしっかりできる、なんてことが目標になっていますが、それとは別に生活力は付けて行こうと思います。

    マルチタスクの料理も、最初は、一品さえうまく段取りできなかったのが、少しは、ましになってたりします。
    初めての場所に、自分で電車などを乗り継いで行けたり。
    伸びているところをはげみに、少しずつです。
    高校生と思うとくらくらしますが、彼らの精神年齢に合わせて伸ばしていけばと思います。
    まあ、ときどき、本と投げ出したくなりますけど、・・・上手に人に任せてみたり、放置して、自立を促したり、自分のコントロールもなかなか難しいとこですね~。
    今度から時々日曜は、デッサン教室に行くことになったので、ハッピーサンデーも生まれそうです~・・・

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