ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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げんちゃんの指導の本質。普通の指導者では無理

> げんちゃんの本質はそう簡単にはかわりません。

でも、コツコツ、指導し続けます。

たとえば、昨日こんなことがありました。
休みになったので、二人でジムに行きました。着替えてスタジオに上がると、げんちゃんは、なんとセーターを着て突っ立っていました。
下はスウェットでしたが、上のTシャツを用意してこなかったのでしょう。

「何やってるの?」
げんちゃんは、大して顔色もかえません。しかも、下着のシャツは脱いでいました。素肌に襟のつまった分厚いセーターです。異様です!!

げんちゃんは。何度も何度も、シャツや、ズボンを忘れています。そのたびに、自分の普段着のまんまやっています。もちろん、指導して次につなげてきましたが、完ぺきにすることは少なく、とうとう、今回はセーターといういで立ちになりました。

なにしろ、適当でいいだろう、という根本的な、なめた気持ちがあります。これではいけない、という思いが希薄なので、言われれば、その時だけ気をくばるけれど、本質からかわろうという気持ちはありません。

入会した当初にいたっては、カバンの中に、使ったトレーナーや、液体が残ったペットボトルやらが、放り込んだままになっていました。そういうところに何の価値観も持とうとしないので、行くごとにカバンが重くなっても、別にへっちゃらです。

それらを、ひとつづつ指導しながら今に至っているわけですが、今回もまたこういう事態がおこりました。

私がほんとに頭にくるのは、そもそも、セーターでやってもべつにいいじゃん、という、おおちゃくさです。そもそも、周りのことなんて眼中にありませんから、自分が別にそれでよければ、別に何も感じようとしないことです。周りから、よっぽど恥をかかされない限り、何もこたえないし、ちょっと考えればわかるようなことでも、考えること自体放棄です。

げんちゃんは、あらゆる私たちの働きかけで、すでに、感じようとすれば感じることができるし、そのことについて、私に相談もできるようになっています。しかし、そういうめんどくさいことは、すべてばっさり切り捨て、セーターしかないのか、あ、じゃあべつにいいか~・・・

また以前に、汗びっしょりになるので、下着は脱いで、ジム用のTシャツを着る、ということを考えさせました。そのため、今は、下着は脱いで、Tシャツに着替えます。
しかし、それをルーティンにはめると、今回、セーターだけ素肌に着用という珍スタイルになったわけです。

悪びれることもなく、忘れたことを私に相談することもなく、それがどれほど、フロアーで異様なことなのか、感じようともしません。
普通のお子さんなら、忘れたことも悪いけれど、まず私に相談すると思います。結局、私の着てきた、大きめのTシャツを彼に貸しました。

相談すれば、アイデアも提供できるのです。しかし、彼のひどいところは、そもそも勝手にやる、ということです。自分の思い付きがおかしいかも、と考えてみる思考をめんどくさがります。毎回、失敗しているにもかかわらず、こりずに、これでいいだろう、と自己判断を下すのです。

これがげんちゃんの困った傲慢さです。

多くの人は、Tシャツを忘れたことが悪いのね。今度から、忘れないようにね。という指導で終わります。

この指導しかしない指導者を、絶対にげんちゃんにつけられないのです。

問題の本質がそこじゃないからです。

今回もげんちゃんは、指導したら、案の定、
「もう、次から気を付けるから。」

といつものセリフでごまかします。

ことの本質は、そんなことではありません。自分をしっかり見つめて、何がおかしいのか、何が悪いのか、というところまで自分と対峙しようとしないことなのです。
指導は、そこまで、徹底的に持っていく必要があるのです。

自分から逃げて、自分の世界観から出ようとせず、周りさえ見る必要がない、と傲慢に決め込んでいるげんちゃんの、ずるい本質を矯めなければならないのです。

ジムから早々に立ち去ることにしました。

げんちゃんは、
もっといたい、と私に言ってきました。そのために、表面的な言葉をつくし、反省言葉を並べます。自分の思いを遂げるためには、気持ちを使い、私がなんとか思い通りになるように、考えをめぐらせます。

その手には乗らない。表っつらの反省言葉に目もくれず、さっさと家に連れ帰り、途中、車から放り出しました。500メートルくらいの道のりを歩いて帰って、頭を冷やさせました。

「いいね、ただ、あ、寒いな~とか、歩くの大変だ~とか、そういうことを考えて歩くんじゃなく、なぜ、私から指導されているのか、考えなさい。帰って、聞くから、しっかり自分と向き合いなさい、気持ちを入れないのなら、承知しないからね!」

げんちゃんが帰ってくると、ただいまも言わず、ぼ~っとしてます。
「げんちゃん、考えてきたことを言いなさい!」

「あ、今日はごめんなさい。○○◇◇○○・・・・・・」

やはり、本質からずれたことを適当にしゃべる。本質から離れていることと言ったら・・・


その日1時間以上かけて、げんちゃんを徹底的にしぼりました。鉄壁のメンタルのげんちゃんには、全エネルギーが必要です。たたきもします。心が全く動かないからです。

すぐに心が動くお子さんには、そういうことは必要ないですから、ほんとにうらやましいです。
げんちゃんには、それが通用しません。泣きさえしません。心が全く動かないのがよくわかります。
彼の鉄壁の負の力に勝つためには、こちらに、相当なエネルギーがいります。すさまじいプラスのエネルギーで不動の立ち位置をゆずらないようにしなければなりません。
少しでも、ゆらげば、ぐいぐい負のエネルギーがこちらを巻き込んできます。
大袈裟ですが、命はってる覚悟です。
ここで引けば、げんちゃんは、表面だけ適当に作り、自分と永遠に向き合おうとしませんから。

とうとう、夜遅くなって、げんちゃんの目に涙が出てきました。一生のうちこの子は何回泣いたのだろうと思います。かつて、彼の泣く姿を、ほとんど見たことはありません。すべてのベクトルは、中に入ることなく、跳ね返されていたのだと思います。おいこめば、泣ける、というのは、彼にとっては成長なのです。

涙がやっと出てくると、げんちゃんがやっと心の奥底にベクトルを向けたということがわかります。

こんな指導、やはり、他人ができるはずもない。(S先生は別ですが・・・)私は休みになっても、本質を指導していくことにおいては、全く休まらないのです。

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  1. とんまま より:

    こんにちは。
    子供たち、冬休みに入りましたね。
    宿題が進んでいません…恐ろしいです。
    「明日やるから」というセリフを何度聞いたことか。
    そうやって逃げまくっている冬休みです。

    >「もう、次から気を付けるから。」
    とんちゃんも一緒です。
    こう言えば、その場を逃れられるって思っています。
    同じように何故ということが分かっておりませんので、同じことを何度もするのですよね。

    クリスマスイブの日、私と夫は仕事、だれもとんちゃんの面倒を見れません。
    一人鍵をかけて家を出て、学童に行き、帰りは一人歩いて帰ってくることをしました。
    (職場からGPSで行動確認できます)
    夏休みも何度かやっています。

    とんちゃんの帰宅より私のほうが早かったので、ベランダから帰宅の様子を見ていました。
    なんと、ジャンパー着ていません。(過去、何度か同じことをしています)
    そして、のらりくらり意識が抜けたような状態で(わかりますよね、この感じ)
    ふらふらと歩いています。
    朝もきっとこんな感じで歩いていたと思います。(到着までの時間が長かったです)

    やっぱり、何も刺激がないと意識を入れていないんだなというのがありありとわかりました。
    ホント、何度指導しても意識を入れて自分に落とし込めないと、まったく意味のないことになっています。

    今日、これから帰省しますが、私がみっちりついていられるのはこの期間だけです。
    ビシバシやりますが、逃げられる環境が揃っていますのでね、手ごわいです。

  2. とんまま より:

    ジャガイモの皮むきの動画、拝見しました。
    すごいじゃないですか。
    家事って手先をたくさん使いますものね。
    げんちゃん、いろいろな家事をこなしますから、その成果かな?(特に練習をしたわけではないとのことでしたので)

    とんちゃん、風呂掃除に興味が出てきたようで、ボチボチやっていますが、力が入っていない…
    隅々までできないなど、問題点は山ほどあります。
    やはり全体を捉えられていませんね。
    私にダメだしされています。
    うちも徐々に家事をさせて、生活力をつけていかねば将来生きていけませんからね。
    とんちゃんの場合、やりたくないことから逃げるのが家事という状態です。
    家事やりたいといえば、咎められませんからね。
    奴もなかなか賢くなってきています。(そんなところに頭を使うなと思いますが…)

    今年も発達話をさせていただけて、大変ありがたかったです。
    また来年もよろしくお願いします。
    良い年をお迎えください!

  3. glow-gen より:

    とんままさん
    お子さんも、タイプから言うと、げんちゃんタイプかもですね。
    そうなると、とにかく、気持ちが外に出ていないので、とにかく出させる出させる・・・そんな感じになりますよね。
    お人形のように、外側だけつなぎ合わせるようなことをしてくるでしょうから、意識を出して、自分と対峙させることはほんとに大変なことだと思います。

    お風呂そうじ、げんちゃんの場合は、ばかみたいに洗剤をぶちかけていました。隅々洗うのはなかなかで、よくゆすがれていないときは、なんか洗剤が残っているようなありさまでした。
    今でも気の利いたことはできていません。気の利いたことをするためには、自分がやってることを、言語化できないとだめかな、と思って、コツは?とか、どこがいけなかった? とか、何のためにやるの?とか、ママの手があるときは、焦点合わせrをしてあげるといいのかもしれません。
    まあ、やっていて、あまりにできなかったりするので、こっちの精神はちょっとやられてきますが。
    最初やらせてみて、ほとほと疲れ、しばらくやらせないで、時間が経った後やらせると、なぜか前よりましになっていたりしますね。
    全体に上がっていくと、そういうものも引っ張ってくれるんでしょうね。

    家事力はつけたいですよね。どこに行っても、嫌われないし、重宝がられます。S先生の所に行くと、おk弱酸が来ているときに、げんちゃんは、皿洗いをしたりします。自分も人の役に立って、満足感もあるのだと思います。
    能力も上がるし、一石二鳥ですね。

    今年も、コメント書いてくださって、たくさんはげまされました。また来年もよろしくお願いします。がんばりましょうね~。

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