ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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発達障害の意識障害の重症度・・・げんちゃんは重症だ~!

 > げんちゃんの気持ちは、前向きになってきている、と感じるけれど、じゃあ、前向きなことがすぐさまたくさんできるか、というと、そこはほんとにこれからスタート時点に立ったばかり、という感じです。


表現は、変だけど、わけわからず暴走していたピノキオを、とりあえずおじいさんのところに持ってきた・・・なんか、そういう感じです。
まだまだ、勉強なんかに鋭く気持ちが向かうなんてことも無理だし、当たり前の常識感さえ、ほんとにやっとスタート時点みたいです。

私のピノキオ君は、とりあえず、悪い商人からやっとこっちに戻ってきたけれど、まだまだ人間にはなっていません。そんなピノキオ君が、前向きに、学習にバリバリ取り組むなんて無理なのはしょうがない。まずは最低限人間になんなきゃね。

先日、学校からもらった学習プリントが宿題なのかどうか、げんちゃんは、初めておそるおそる友達に聞いたようです。
「これは、宿題なの?」
友達が 「そうだよ、」と答えたそうです。どきどきした、と言っていました。

じゃあ、宿題なんだったら、それを優先してする、というところ欠落していました。げんちゃんは、帰ってきて、好きなチャレンジタッチの英語だけ熱心にやっていました。

夜になって、私が宿題に気づいて、あわててさせるはめになりました。時間が押していてあせる私と、途中から、完全意識ぬいてくるげんちゃんと、かみあわない気持ち。

それでも、無理にやらせたら、最後は、主客転倒の横柄ぶり。あいかわらず疲れ果てました。げんちゃんの目標は、とりあえず上にあるものの、げんちゃんの各論は、悲惨! 目的意識はでたらめ。 どういう目的で、今何をやるの?? ここは、ほんとに0出発といったところです。

 そして、げんちゃんの感覚のずれは、ほんとに私たちが考える以上で、今日もK先生のマインドマップによると、げんちゃんが、人間ではなく、ほんとに心がずれたピノキオ君だとわかります。

K先生によると、

普通クラスのお子さんに、今回、思いきって話しかけただけで、もう、自分は、友達と話している、という認識になっているようです。
あきれたことに、なぜ、普通クラスの子は、げんちゃんに話しかけてこないのか、という問いも、
「自分がちゃんとできているから。言わなくてもいい、とみんなが思っている。」

こんな珍回答さえ出てきたようです。コンプレックスもあるようですが、それと共存して、自分はえらい、という、信じられないような自己肯定感も共存しているようです。

「少し肯定されたり、ほめられたりするだけで、げんちゃんは、それ以外のところが消えてしまう。すべてができていると勘違いしてしまう。だから、今は、絵画は休ませたほうがいい。」

とS先生に言われて、半信半疑ながら、今だけ絵画を休んでいるげんちゃんですが、K先生のマインドマップから、なるほど、まんざら、うそでもないんだ、と納得がいく次第です。
げんちゃんの認知のずれは、私たちが考えている以上で、毎日、日々起こることを、細かく細かく検証して、説明を加えてやらないと、げんちゃんは、人間になれないピノキオ君のままなんだ、とびっくりします。

 あげればきりがありません。

 いろんなことがあります。たとえば、プリントが散乱していて、げんちゃんに、トレーを渡して、まとめて入れるようにと指示した時も、げんちゃんは、私の指示でとんとんと、テーブルで端をそろえる動作をしたものの、ふとトレーに入れた状態を見たら、なんと、紙が四方八方に飛び出したまんま・・・ということもありました。

トレーにきれいに入るようにまとめる、という目的意識が働かないのでしょう。私にやるように指示されて、そろえる動作だけ、素直にやったのでしょうが、何が目的かつなげていない。きれいに入れるためにやってる行為だととらえれば、はみ出て入れば、ちょっと気持ち悪くなるんじゃないかと思いますが、彼は、そんなことはどうでもいいのでしょう。
彼がやったことは、目的のない無駄な行為でした。

 日常生活には、そういうことがちりばめられていて、ささいなことで、あぜんとさせられる日々なのです。どこまで、一から十まで教えてやらないといけないのでしょうか。あれだけ、いろいろやってきたけれど、この子は、ほんとにまだ人間とはいえないな~・・と感じます。木のピノキオ・・・つくづくそう思います。

こんなこともありました。5歳の女の子が我が家に来た時、げんちゃんは、まったくその子を無視していました。あれこれお兄ちゃんらしいことをさせるのに、いちいちすべて指示してやるしかない。その子に心をぜんぜんかけない。もちろん意地悪もしない。とにかく、どうでもいい・・・そんな感じです。

K先生はそのことを、また検証します。

「え~・・・別に~、小さい子なんて興味ないし。どうでもいい。」

げんちゃんは、めんどくさそうに言います。

あきれたK先生は、
「じゃあ、あなたに対しても、私やまわりの大人たちが同じことをしましょうか! それってどう思うの?」

なんてことを、一つ一つ教えていく・・・なんとまあ、げんちゃんの重症ぶりはどれほどのものなのでしょう! 心のないピノキオ君。いや、Sさんいわく、心がないのではなく、殻の中に入っているような感じなのだとか・・・・確かに、意識ががんと入った時は、多少は、人らしくなりますよね~。でも、なんか、いまいち入っていない時は特に、マインドマップをすればするほど、げんちゃんの不感症は、ここまでひどいのか、と、私もK先生も、あぜんとするばかりです。

S先生が、
「勉強どころじゃないよ。まずは、心を成長させないと・・・まだまだ、勉強まではいきつかないね。」
なんて、おっしゃいますが、ほんとだな~と納得します。かといって、勉強も、すべてほっとくわけにもいかず、少しずつ少しずつ、様子を見ながら進めるという感じです。
中学あと2年間で、どこまで伸びるか、私たちの挑戦は、ほんと、エベレスト登頂みたいな気がします~・・・

ほんと、最近つくづく思います。

 げんちゃんほど意識障害のひどい子は(気持ちを働かせることができにくい。どうしたいという思いさえ持ちにくい。)、そうそういないんじゃないかな~。きっとげんちゃんが改善するんだったら、多くの発達障害のお子さんは、ほとんどの子が、もっともっとスピーディーに伸ばせるんじゃないか、って、感じてしまいます。
 すべての起動力である”思い”がそもそもないのですから、笛吹けど踊らず・・・なのです。

 発達障害を意識障害のレベルで見ると、幼児期多動であばれている子の方が、あの頃、蝋人形のように、ただぼ~っとして何も思いのないげんちゃんより、ずいぶん軽い、ということもありうる、と気づくようになりました。
 僕はこうしたい。たったそれだけのことも、言えなかったげんちゃん。

 だから、お子さんが暴れて困っているようなママも、決してあきらめないでほしいな、と思います。案外、げんちゃんなんかより、ずっと早く改善できることもあると感じます。
 
 最近どの発達の子を見ても、うん、げんちゃんより、意識(気持ち、意志)が外に出てる。すごいな~、なんて思うことばかりです。

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  1. robo_223 より:

    げんちゃんは、友達に話し掛けた時、ドキドキしたりしたんですね。げんちゃんにも深い感情があると思います。

    また、絵心もありますし、音楽に感動も出来るのですから、情緒面は豊かに育っているのだと思います。

    ただ、自分の感情をどう表現したら良いかもつかみにくいですし、相手が何を言ってほしがっているかもつかみにくいために、表現がとぼしく感情が薄いイメージを持たれてしまう部分もあると思います。

    発達の子達は、「やってみたい→やってみる」となるために使う脳の機能に課題がある場合が多いと思います。私が1番roboに伸ばしてほしい能力も、この実行機能の部分です。roboには、実行機能不全があると考えています。

    ですから、1つでも「やってみたい→やってみる」の実現が積み重なり、定着していくように日々働きかけているところですが、これが、なっかなか手強いです~。泣

    ですから、げんちゃんママさんのもどかしいお気持ちはよく分かります。

    やらなきゃいけないって分かってんだから、あとはやるだけでしょー!って毎日思っています。笑

    でも、脳の中を透かして見れば、まだ、その部分(前頭前野)が育ち切っていないように思うので、今それを要求しても無理だと思っています。当分、または、ずっと伴走が必要だと思っています。

    でも、げんちゃんもroboもずっと足踏みしているわけではないので、少しずつは前進していると思います。与えられるハードルが年々上がるので、実質的に見ると、全然出来るようになっていないように見えるだけだと思います。

    おっしゃる通り、小さい頃の状態だけでは、意識の出方は判断しにくいですね。とんでもなく暴れ回っていても、改善が早かったり、逆に大人しくてぼんやりしていると思ったら、急速に成長したりする場合もあると思います。

    そのことについては、あらかじめ、そのようにプログラムされていたのか、または環境がそうさせたのか、はたまた両方なのか、本当に謎ですね。

  2. glow-gen より:

    ロボママさん。
    解説してくださってありがとうございます。
    どうも、自分の心を表現できない、というより、自分がどう思っているか、まだつかめてない、という段階のよのうです。
    マインドマップをしてみると、それがよくわかってきました。もともと発達のお子さんは、自分がどう感じているかということをつかんでいないない。体の感覚さえそんな感じの子も多い、と聞きますが、げんちゃんも、まさにそれなんだな~と思います。
    まずは、自分が感じている違和感のもとは、何なのか、外の情報を結び付けてあげることが大事だな、と感じます。
    しかし、おっしゃるように、水面下で、育っている部分もあって、出力が苦手という部分もあるようです。
     こつこつ心の整理をしたり、つなげてやったりしているうちに、いくつかの層がいっしょにそだつ可能性もあると感じます。

     実行機能・・・なるほど。ロボ君が課題にしているところも、同じなんですね。
    程度の差はあれど、本人が成人するまでには、ある程度のレベルにしてあげたいですね~。
    あらゆる課題がありますね。

    でも、絵はおもしろいです。げんちゃんの心の成長とともに、色使いも変化していて、気を付ける場所も少し変化して、わたしたちが 外から見落としやすいところが、絵ではクリアになっているようです。

  3. ゆうママ より:

    目的からズレた行動、よくあります。その先に何があるのか?意識しないですよね。トレーにプリントを入れる作業の様子、容易に目に浮かびます。いかに息子もやりそうなことですから。

    質問されたら、自分ではよくわからないこと、表現が難しいこと、面倒なこと等に関しては適当に答えますよね。だから普通クラスの子がどうしてげんちゃんに話しかけないか、に対するげんちゃんの答えは、何か答えなくてはいけないから、適当か、答えやすいことを答えたんじゃないでしょうか?うちの子の場合、しつこく答えることを求めると、???となるような返答をよくします。何か答えなくては!とプレッシャーも感じているようです。

    小学校の時の通級の先生がいってました。この子たちは間口がせまいけど、その奥にはちゃんと深くて広い器があるんですって。我が息子は100言って1くらいしか心に届かない、そんな感覚ですよ。

  4. glow-gen より:

    ゆうママさん
    なるほ当ど~、と思って読みました。
    意識が抜けると、適当に状況をつなぎ合わせて、適当なことを言う、というのは納得いきました。
     たしかに、こちらを相当傷つけるようなことをしておいて、あとから、記憶さえない、ようなことも多いです。

     意識 を入れないと、何も覚えられない、ということなんでしょうけど、勉強も何にもやってないかのごとくの時が多いのも同じながれなんでしょうね。

     それにしても、やっかいですよね。
    気持ちを入れた時が、本来この子たちの真の能力なんだと思いますが、入れないので、ずっと低く見えます。
     できないとまわりに思われて、どんどんレベルを落とされたりします。原因は気持ちを入れない、ってことなので、学習指導が上手でも教えることができません。その子の性質を見抜いて、きっちり人間指導ができないとうまくいかないです。
    でも、そこが可能になったら、たしかにすごく伸びるのだと思います。そうなってほしいですよね。

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