ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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認知させるために、作文にする。

ふ~!やっとお休みになりました。

げんちゃんとの日々は、ほんとに想像を絶するものがあります。妖怪君はたまた、ずるいカメレオン君との暮らしは、壮絶ですよ~。

げんちゃんは、あいかわらず、人の話なんて聞いていません。たった今言ったことも、平気でスルーしていますし、ハイなんて返事をうかつに信じたら、あとから手痛いしっぺ返しがあります。

12時半に家を出て、こっちに来てね。(12時40分には来る予定)
うん・・・

が、1時になっても来ない。
とか、
電話を持っているにもかかわらず、行き先案内がよくわからなかったと言って、バス停から、くるりと踵を返して、わざわざ聞きにもどってくる。とか・・・

AとBとCと、関連あることを言えば、当然関連付けるだろう、と思う。しかし、げんちゃんは、・・・つなげたいようにつなげる。

そうそう、電話のトラブルで、こんなこともありました。

「○○先生に、もう少しそこで待っててもらうように言ってちょうだい。」
「うん、わかった。」

しかし、急いでついてみたら、先生はいない。
「待っててもらってって言ったでしょう・・・」
「うん・・・」
しかたないので、先生に電話すると
「あ、もう、ずいぶん前に帰ってきてました。」

え??ということは、私が電話をしたときは、○○先生はいなかったってこと??」

げんちゃんに問い詰めると、うんと返事した時、先生はもう去ったあとだったと言いました。あきれ果てます。そんな無責任な返事を何故するの?と聞けは、

「うん、と言ったけど、先生いないから、もういいや、と思った。」

と言いました。もう、意味不明すぎて、頭がくらくらします。目の前にいる人間が、まともと思って対応してる自分がばかだった、こいつは、ほんとに狂っている・・・

そういうことが一日中続いています。

それで、今は、とにかく、彼は反省文を書いています。

というのも、げんちゃんと言う子は、文字おこしさせないと、焦点を合わせようとしないのです。
昔から反省のできない子ということは、感じていたけれど、正座させて黙とうするくらいでは、何がだめだったのか、なぜ叱られたのか、なかなかつかもうとしません。ぼんやりとしか見ようとしないのです。

やっと小学生3~4年生レベルの作文が書けるようになったので、作文にして、みずからそこに焦点を合わせさせる。ということをしているのです。物事にしっかり焦点をあてようとしないので、書かせることで、認識させる、
(もちろん、S先生のアドバイスです。)

なぜ、先生がいないのに、伝える約束なんてしてはいけないか。
あの時、先生いないよ、と言うべきだった。 今頃そんなことを教えるなんて、バカげていると思うけど、私たちが当然と考えるほど、彼は認識していないのでびっくりします。

彼は、気ままに、自分がとらえたいようにとらえ、それを自己中心的につなぎあわせて、自己中心的に行動する。もしくは、すべき行動を全くスルーする。
驚くべきずれと常識感です。

結果、想像もしていないような、すさまじいことがおこる。

ですから、作文にして、添削して、彼の認知の大ずれを修正して、根気よく、正しい入力をしてやる。こんなことを毎日毎日繰り返しています。

確かに昔としたら、認知のずれがある、ということを、出力させることで、かなり突き止められるようになってるわけです。なぜ?と聞けば、なんとか、自分の感じたことなどを少しは言えるようになっている。
唖然とするばかりですが、前進はしている・・・。

昔は、どう考えているか、なぜこういう風におかしなことになっちゃってるか、なんて、会話すらうまくかみませんでした。

げんちゃんの認知の狂いというのは、そもそも、”捉えようとしない”、”めんどくさい”、”これくらいでいいか。”などという、おおちゃくな性分によって、さらに大きく増幅されています。

げんちゃんが、ごくたまに、しっかりとらえようとしているときは、ずれがあっても、謙虚に聞いてきたり、教えれば、深く納得し、簡潔に自分の理解したことを説明したりします。

違いははっきりです。よい時は、しっかり気持ちを入れているのでしょう。

その時の、気持ちと脳みそは、ちゃんとマッチングしている・・・

ですが、多くの場合は、あ~めんどくさ!これくらいでいいや。 というのが、げんちゃんの行動規範です。
「うるさいな~。別にこれでいいだろう。何が問題なんだ!」

自分がずれているなんて、みじんも思っていないげんちゃんがいます。だから、こっちは、どれだけ君がずれているか、あほなのか、ということを教えるのに、性も根こんも尽き果ててしまうのです。

しかし、努力してわからせた、と思っている指導さえ、翌日になれば、すっと流していることも多い。
ですから、何度も何度もまた一から教えたり、同じことをもう一度文章に書かせてみたりします。恐ろしく忍耐を要求される。。。

私が根負けしてダウンするか、げんちゃんが、自己開発していくか、恐ろしく根気ゲーム。

GWは、ヤツをアラジンの魔法のランプにでも閉じ込めておいて、少し休みたいわ!

公開コメント 承認後公開

  1. 夏みかん より:

    終わりなき攻防戦のようですよね。
    げんちゃん、面倒くさいか否かが行動の判断のベースになっているのでしょうか。
    興味の範囲が狭い+興味のあることしかしないが合わさると本当に厄介ですよね。
    作文にして第三者目線で事実を振り返り、フィードバックするのはとても良いですね。
    うちは書字に問題ありなので、そのまま同じことは出来ませんので…ひたすら対話です。
    たまーに新聞などに載ってた発達系の4コマ漫画を読ませて、意見交換したり指導に使ってました。
    漫画がわかりやすく、入りやすいので、でもその時にピッタリのシチュエーションのものなどなかなかないですから、なんかもう自分で描こうかななんて思っちゃいます。

    先延ばしとか嫌なこと興味のないことをスルーするとか大人の発達障害と言われる方たちも苦労している部分ですよね。片付けられないとか…はたからみれば惰性で怠けてるだけ、面倒くさがりだと言われてしまいやすいけど、根っこには脳の機能障害が原因にあるから本人の性格だけではないところなのだと思います。知的な面で問題が無く、自己分析できる大人の発達障害当事者でもそんな自分の特性に苦労して振り回されているのを思えば、まだ10代の子供たちには難しい課題なのかもしれませんね。
    そう考えると、やはりコツコツと小さなことの積み重ねしかないのでしょうね。
    小さな小さなさじで砂をすくって入れて、砂場に砂を満杯にしようとしているような気持ちです。

  2. ゆうママ より:

    説明しなくてはならないことがでてきたら、とりあえず適当な返事をしてその場をやり過ごすというのはうちの息子もよくやります。とにかく適当な返事をしないように言ってますがなかなか直りませんね。なんと言うか、相手に伝えたい、わかってもらいたい、という意識が希薄なんですよね。やはり違うベースをもっているんだなぁと思わざるを得ないです。なので真正面から向き合うと本当にしんどいし疲弊するし傷つきます。言うことは言って、そのあと息子がどう捉えてどう身につけていくかはもう息子次第。たんたんとしてないと身が持ちませんよね。うちもまだまだ、まだまだです涙 1

  3. ゆうママ より:

    目の前で怠けてるだけの姿を見ていると本当にやりきれない気持ちです。親子の縁って時としてつらくなりますね。
    思っても仕方のないことですが、なんでも器用にこなしてくれる頼もしい息子だったら穏やかな気持ちで生きていけるのに…やっぱりしんどいです。でもそれぞれに課題を与えられてるんですよね。

  4. glow-gen より:

    夏みかんさん
    漫画が入りやすいんですね。ママの作品ができたら、ぜひ、出版してください!
    発達障害ではない知的障害の子がいるのですが、その子は、もともと常識感がしっかりありました。
    IQだけやや低い。いっしょに勉強を教えたりしたりしたことがあるのですが、ほんとに教えやすかったです。
    何も教えなくても、当たり前のことを当たり前にやる。
    それに比べて、発達障害という障害は、人格に破たんが出ていると感じます。げんちゃんの場合は、IQも低いし、常識感もつきにくい、まあ、三重苦なんですよね~。
    しかし、人格の破たんの原因、それが脳というより、まだ人類が解明できていない、魂というか、心の部分にある。それをS先生に教えてもらいました。私たちがアプローチできるのは、せいぜい脳・・・なんか、いきづまってしまいますよ。ほんと。
    でも、進化がないか、というと、やっぱり進化している。ほんと、スプーンで砂をこつこつですよね。
    親の忍耐力は、とんでもないものがあります。 1

  5. glow-gen より:

    ゆうママさん
    S先生によると、この子たちは、レーダーのスイッチを常時入れていないんだとか。
    聞いても、心にいれようとしなければ、レーダーは切られているのと同じで、まったくスルーになってしまうようです。
    普通の人は、常にスイッチが入っていて、聞こうとしなくても、情報がとどまる。それと同じ状態にするには、常に、自分で、聞こう、という心を動かし続け、スイッチを切らないようにしなければならないそうです。
    本人にとっては、なかなかめんどくさく、楽な方に逃げるためには、適当につくろうことを覚えるのでしょうね。
    しかし、それでは人として生きていくには、あまりにも悲しい。だから、スイッチの入れ方も体得させ、ちょっときつくても、ちゃんとできるようになるようしむけてきたんですよね~。
    わかっているのに、逃げる逃げる・・・楽だったらなんでもいいんか~い、と言いたくなります。

    もし、私が、げんちゃんをあきらめ、障害だからと放置して、ただサポートするだけの道を選んで来たら、今頃、確実に支援学校に行っています。さらに言えば、支援学校には、げんちゃんより、ずっと上の常識感がついているお子さんもずいぶんいるんではないでしょうか。実際、お友達の支援学校に行ったひさし君などは、できることはげんちゃんより少ないかもしれないけれど、かなり高邁な精神の持ち主です。げんちゃんは、何もせずにすごしていたら、年をかさねるごとに、どんどんさらにひどくなって、会話もかまない爬虫類のような人間になっていたと確信します。
    ただIQが低いとか言うだけでない恐ろしさが、発達障害にはあります。

    ほんとに油断ができない。
    それゆえ、発達のママは、かなりのストレスを強いられていると思います。

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