ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

トップページ

自分の心を少し自覚し始めたげんちゃん

>

発達障害のコアな改善?

発達障害とは意識障害・・・・


 これは、不思議なメンタリストSさんに、いろいろ教えてもらって納得するに至りました。

げんちゃんは、意識障害がかなりひどい。
自分の世界観の中で、意識を眠らせて、時々自分の興味が働くところだけ、身勝手な意識のベクトルを出す。そういういう習性から、抜け出せないので、こっちは、ほんとにやりきれませんでした。

 さらに、外からいろいろ圧がかかっても、気にならない性格が災いして、なっかなか改善しない!
 それで、私たちは、ありとあらゆる働きかけをしてきたわけです。

 小学校の上学年になってくると、その状態に加えて、へんてこりんな反抗期らしきものがかぶってきたりして、手に負えない。・・・私のこの何年間は、ず~っとそれとの格闘でした。 

げんちゃんの特質をもっと端的にいえば、空っぽ人間です。動物の分部だけインプットされているけど、心はずれていて、表面に出てこない。
 親として、心の交流を感じることがほんとになかったです。

 私は、作業所などの障害者施設で、日がなぼ~っと宙を見て、魂がぬけたみたいになっている障害者の方を見たことがあります。ふと、興味のあることがよぎると、いっきに目の色をかえ、突然しゃべったり行動したりすることもありました。
 認知症のご老人にも、同様の雰囲気の方を見ます。

 げんちゃんは、もし、何もしなかったら、間違いなく、あんな感じの今が到来していたのではないか、と思っています。
 それほど、彼の人格は、つかむことさえできなかったし、こちらへからむことがなく、自己世界に生きていました。母親としては、それは、とてもつらいことです。

 でも、この頃や~っと、げんちゃんは、意識を外に出すことをちょこっと覚えてきたようです。ほんとに、浜辺のマテ貝の水管みたいに、ひょこっと出しては引っ込める。そして、めんどくさい時は、平気でずるして、砂の中に深く潜ろうとする、そういう感じではありますが。 

(ここで言ってる「意識を出す」とは、「思う」とか、「どういうことか捉えようとする」とか、「それって何だろう」とか「意味を考える」とか、そういう感触のことだと思いますが。)

 

意識が外に向かってくると、彼の人格というものも、少し垣間見えるようになってきて、たまにですが、多少はましな会話も到来してきました。
これは、Sさんに言わせれば、奇跡にも近い大きな一歩だといいます。

 去年は、確か、少し捉えよう、気持ちを動かすように後押しすると、すぐにぐったり疲れていました。無理無理その状態を続けさせようとこっちががんばったら、げんちゃんは、そのあと疲れすぎて、1週間くらい、幽体離脱してしまってました。いや、もっと長い期間かもしれない・・・・

 が、ここんとこは、意識の体力がついたというか、長持ちするようになってきています。

でも、残念ながら、意識をしっかり出すには、心からがんばるぞ~っていうモチベーションが必要なようで、そこに関しては、まだまだ逃げたい、楽したい、表面だけ適当にごまかしたい・・・・そういう負の心に逃げ込むげんちゃんです。それゆえに、できうるはずのことがまったくできない、ということがおこってきます。

 私への反抗は、ほんとになくなってきました。それって、たぶん、自分が少しずれているのかも? 少しは、人並のことができたほうがいいじゃないか?そううことを感じることが、少しでき始めてきたということなのではないか、と期待します。メタ認知へのかすかなきざしだとうれしいです。


今朝こんなことがありました。水泳のバックが下に放り投げられて、中にバスタオルが使ったままで入れてありました。
「げんちゃん。これどういうこと?」
私が注意すると、げんちゃんは、ぱっと取って、洗濯機の上のものほしにかけました。うちでは、洗いたてのバスタオルは、水泳のあと拭いて、汚れてなければ、一度はそのままかけてもいいよ、と言っています。
 しかし、そのバスタオルはもう2回目で、しかも、何日もほったらかしているものです。

 当然洗濯機の中に入れるべきものです。 
 
「何やってるの?このバスタオルは、二回使っているし、何日もほったらかしているものだよね。洗濯機に入れないといけないでしょ。」
すると、げんちゃんは、すっとぼけた顔して

「え~?そうなの~?」

とぽかんとした顔で言います。
あきれ果てましたが、私は、すぐさま、

「あなた、わかってるんでしょ。なぜそうわからないふりするの? 私に言われたら、あ、そうか~、この場合、洗濯機だ! って思ったんでしょ。
自分が気持ち抜いて、適当にやったってわかってるんでしょ! わかってるけど、知らんふりして逃げたんでしょ!」

すると、げんちゃんは、たじたじとして、苦笑いしてます。ほらやっぱり!


げんちゃんは、自分が何も考えないで行動した、という自覚があったようです。
今までと違うのは、自覚です。自分がずるした、スキップした、っていいう自覚です。オンとオフの違いをつかめるということなのです!

逃げずに、自分の思いをどんな時にもつかむこと。げんちゃんに今から仕掛けていかねばならないのはここだな~と思った私でした。          
                          

公開コメント 承認後公開

  1. nikon_leica より:

    お母様の頑張りでげんちゃんの「意識を出す」ができるようになっている事。本当にすごくて、これからもっと自覚をもって前へ進める内容に、拝読していて嬉しく感じています。
    私の息子もそうですが、発達障害の子の「意識を出す」は、空気に話しかけているような感じがしますので、気力と精神力の継続による疲労と辛さ…理解できます。
    「自覚」を掴んでいく事。私たちにとっても大きな課題です。。。 1

  2. glow-gen より:

    Naoさん
    ありがとうございます。
    Naoさんのお子さんは、まだ小さく、思い出すと、げんちゃんが同じ年のころ、今よりずっと苦しくて、今よりずっと手をとられていて、今よりずっと、お人形のようでした。

     げんちゃんには何一つできることもなく、気持ちもぜんぜん通わず、つらかったです~。

     意識がしっかり入って、目的をしっかりつかめるようになる。そうなると、どんなに広がりがでてくることでしょう。 1

  3. robo_223 より:

    確かにroboも小さい頃は、昔飼っていた柴犬よりも気持ちが通わないので、これはおかしいぞ、と感じました。ただ虫のようにカサカサ動いているような状態でした。

    それで、このままではroboの将来が心配だと思い、仕事を辞めて子育てに専念することにしたわけです。

    それから、roboもだんだん感情を表に出すようになって来ると、当時も実は色々なことを感じていたことが分かって来ました。あの時は、こんな風に感じていたんだ、と今になって教えてくれます。

    げんちゃんは、日常生活の中で、自覚を持つことが出来るようになったのですね。本当に子供は変わりますよね。
    1

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
    今は、とても豊かな感情表現をするロボ君も、かさかさ動く虫のように感じるほど、気持ちがかんじられなかったなんて、ちょっと意外ですね。
     もともとの性格が、繊細だということが、ロボママさんの働きかけが、入りやすかったのでしょうかね~。共通点もあるけれど、一見全く違う発達障害のお子さんたちですよね。
     ロボ君も、確か2年生くらいから、自分のことがぐっとでき始めておられましたよね。げんちゃん、来年そんなふうになるのかな~と、ぜんぜんぴんとこないでいました。
     でも、先生から、ここ1週間、忘れ物が少なくなり、学校生活の基盤の基礎が、できてきました。と連絡帳にメモがありました。
     げんちゃんも、多少かわってきたようです。
     ただ、まだまだ安定性がなく、落ちるときは、かなり落ちます。幽体離脱・・・というとこまでは、落ちず、下げ止まりはする感じです。

     意識が外に出て、思う、捉えようとする、ということが彼の中で行われると、パフォーマンスが格段にあがります。

    げんちゃんは、もともとIQが低い子ですが、IQも、意識次第なんだ、というS先生の意見も、まんざらうそじゃないんだろうな、と思います。

     朝、発達障害の特集をアサイチでやっていました。この子たちの苦手・・・・苦手だからそこをどうサポートするか。いつものような記事でした。
     るい君が出ていて、自分はここが苦手だから・・・と発言していました。でも、自分はこうだから、と言える発達障害は、ある意味優等生・・・・自分を感じたり、知ったり、メタ認知までなかなかいきませんよね~。そこで苦。労しているわけですよ。
    自覚のわずかでも出てきたことは、とても大きな進歩です。 1

  5. robo_223 より:

    お忙しい中、いつも濃い内容の返信をありがとうございます。

    実は私も全く同じことを考えていました。るい君の話しですが、自分はこうだから…と分析できる発達障害の方は、もうそこで克服への道がはっきりと見えて来ていると思います。つまり、自己を認識して、修正する点は修正し、そのままでいい点はそのままにして、という風に自分を世間に受け入れられる形に整えたり、自分を活かす方法を見出だしたり出来るわけですからね。

    本人が自覚的に自分を作っていくことが出来るようになれば、なんやかんや苦労をしながらも、社会の中でやっていける可能性が生まれて来ると思います。逆にそれが出来なければ、そこを指摘し導いてくれる存在のいる場所に身を置く必要があると思います。

    自己と周囲を客観的に見つめ、分析し、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら自己改革に努めて行ける人物になれるかどうかがポイントですよね。

    げんちゃんも、その兆しが見え始めているのですね。大きな一歩ですね。 1

  6. glow-gen より:

    ロボママさん
    いつもコメントありがとうございます。
     ほんとに、共感してくださってありがたいです。
     なんせ、発達障害といっても、気持ちを使える子もたくさんいて、そういう子とげんちゃんは、そもそもが違うと思っています。
     支援クラスを見渡しても、げんちゃんほど、気持ちが動かない子はあまりいなくて、げんちゃんは、まるで出来が悪い初期のAIみたいな子だな、と思います。
     私への気持ちも、普通のお子さんが母を慕う気持ちとは別物だな、と感じます。どこか、物に対する気持ちと同等な感じさえあります。
     AIが、お母さんとは、こういうもので、愛を感じなきゃいけないよ、と教えられると、その通り、動いたりしてみるけれど、なんか、どっか違う。なんかへんなんですよ。
     ここがわかってもらえるのはうれしいです。多くのひとはわかりません。げんちゃんの表面にだまされるというか、AIだって、進化したら、そこそこ同じような外面になったりするわけで、そこしか見ません。
     でも、違うんですよ。気持ちを使わないです。だからメタ認知なんてなかなか、簡単な善悪さえ、しっくり心に落ちていません。
     だから、人間としての真ん中がまったくできていない、という表現はぴったりなんですよ。そこを悪戦苦闘しているわけですが、まわりには、ただ厳しいとか、うちの子だって、そういうとこがあるよ、とか、とんちんかんな見方になってしまって、なかなか理解されません。
     るい君は、ほんとそもそもが違う。逆に、勉強ができなくても、るい君は、しっかり社会でやっていける素地がある、と思うのです。
     げんちゃんのような発達障害は、ほんとに、むつかしいんだな~と、ここへきて、つくづく思い知っている今日この頃です。

非公開コメントはこちら

コメントを非公開にしたい方はフォームで直接メッセージください。お返事はコメント欄にいたします。

    タイトルとURLをコピーしました