> げんちゃんの教室での様子はなかなか興味深かったです。
一番前に座らされて、先生が、なにくれとなく、目をかけていただいているようです。担任の先生は、スポーティーな若い先生で、なかなか気の回る賢そうな明るい先生です。げんちゃんが大好きになるのもわかります。
休み時間に、隣のかわいい女の子と、ハイタッチみたいなことや、グーで互いにリズムを取り合って手をぶつけあったりする不思議な手遊びをしてます。げんちゃんなんか、誰にも相手にされないのかしら、と思っていたけれど、けっこうかわいがってくれる女子や男子がいる模様です。4年の初めのころまでは、教室に入るといきなり、げんちゃんのうっとうしさが鼻につくようなありさまだったけど、けっこう平和な感じになってるので、成長したな~と感じました。席を合わせて給食をとっている様子も、にこにこと周りに溶け込んでいます。
やわら、 前でお当番がクイズを始めました。
ほかの子は、顔がそっちをむいていなくても、クイズの声に集中している様子がわかります。でも、げんちゃんは、なんか、表情が違います。目が違うのです。うまく言えないけれど話を聞いてない目。ほかのこと考えている目です。
当番さんが、
「答えが1番と思う人手を挙げてください。・・・・2番と思う人・・・」
と挙手を求めても、げんちゃんは、さっぱり手を挙げません。
やれやれ、聞いてねえじゃん!
「げんちゃん、ほら、何番と思うの?」
と私がうながすと、
「う~ん、ぼく、よくわからないから手を挙げなかった。」
と言いました。
ふん、聞いてたんかい。ほんとかよ・・・って感です。なんか、目が違う。でもまあ、まったく耳に入ってないわけじゃないのかもしれません。少なくとも、手悪さもせず、じっとしていたからね。
次に、友達とのからみ。友達がしている会話に、うまく相槌を打つより、自分の話を始めるげんちゃんです。ただ、そのタイミングが、前よりうっとおしくなくはなっている。そうだね~。もちつきで言うと、杵でついている相手から、無理やり杵を奪い取るかわりに、優しくとってる感じくらいになってる。うまく言えないけれど・・・
ごくたまに、合いの手を入れることもある。
「え~、そうなん・・・」
とか・・・。穏やかで好ましい、というまでにはいかないけれど、クラスでの浮き具合は、かなりマイルドになっていて、落ち着いてるな、という感じは受けました。成長!。
そして、理科社会より授業についていくのがむつかしいと言われる国語は、ノートをとれていないことが多いです。
なんで?
と聞いたら、
「今日は、先生の話がおもしろかったから、ノート取るの忘れてた・・・」
と言いました。
ほう!もしかして、ノートとる理科社会は、逆に先生の話聞かず、ノートに没頭している可能性もある・・・いやきっとそうに違いないと思いました。
私との会話も、餅つきの”きね”と”合いの手”で言えば、すぐに、杵をとられる。まったく違う話にもっていって、話をとってしまうこともあるけれど、関連の話の時もあるので、少しは進歩しているといえるのでしょうけど。。
げんちゃんが話しているときに、
「あ、げんちゃん水筒を袋から出しといて。」
みたいな声掛けをするとき、げんちゃんは、ぜんぜん聞いてないようなありさまで、話をやめないときがまだまだ多いです。
でも、
「げんちゃん、聞いてよ、今なんて言ったの?」
っていうと、
「水筒でしょ。わかった。」
と答えます。こういうシチュエーションでも、一つの単純な内容なら、聞いて覚えていることが多くなりました。
でも、
「げんちゃん、K先生のところに行ったら、今日は、5時までに返してください、って言って、お月謝の袋をもらってきてね。」
なんてことだと、
「あ、K先生に・・・・」
と口ごもってしまう。
なるほどね~・・・こういうところを総合すると、げんちゃんには聞く力がはなはだしく欠けているわけです。
じゃあ聞く力とは何なのか、と言うと、
まずは、相手がしゃべり始めたら、注意がそちらに喚起されます。そして、その内容を聞いて、頭のメモ帳に書き記すことをします。たとえ、少し複雑な内容を言われても、抽出してまとめて、何が表現されたかということを把握します。
その入力が頭の中にできあがると、それから、自分の行動が決定されるまで、また回路が働き、会話と行動のスムーズな出力が行われるんじゃないかな、と思います。
げんちゃんを見てると、まず、注意喚起ができない。自分が話していたりすると、そのまま切り替えずどんどんしゃべっていたりする。
そしてさらに、相手の会話に注意が向けられても、いくつかの内容が話されると、自分の中で集約できにくいようです。多くのポイントがあったりする話になると、聞いているようでも、一つも聞けてない、もしくは、理解してない、ことさえあります。
その原因の一つに、話が長くなると、最初の方はわすれちゃうのかもしれませんね。
一連の、この注意喚起、話を最初から、ざっと覚えている、内容をまとめたり、加工していくことができる。自分が話したりしているときでも、話すことと、聞くことが、同時処理できる。
まあ、聞く力とは、こんな感じかなと思います。げんちゃんには残念ながら欠落しているようですね。
いつも、なんで、げんちゃんとしゃべると、こうまで疲れるんかな・・と、もやもやしてましたが、結局一言で言うと、彼に聞く力が欠落しているからだ、と、先生方のレポートでやっと言葉にできました。
先生あありがと。
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Kさん
う~ん。普通クラスに、普通についていける、というのは、脳が相当完璧ですよね。笑
げんちゃんの、なんか、こいつ、疲れるな~と思う部分は、いつまでも残りますね。最近、私自身が、年のせいで、覚えがすごく悪くなったり、混乱しやすかったりします。
仕事の段取りが抜けてみたり、いままで普通にやってることが、あれ?これでよかったっけ・・・みたいだったり・・
娘の話半分・・「お母さん昨日言ったでしょ。」
とかなったりね。自分の中で、ちょっとげんちゃんのことが理解できるときがあります。(あぶない、あぶない・・・汗)
この感触がもっとひどくなった状態なんだろうな、と思います。次の記事で書こうと思ったのですが、単に、聞く、とか、作業記憶をきたえるとか、ばらばらではなくて、かなり、総合力だと思うのです。BBA的に言うと、左右の統合の部分の脳の使い方です。だから、そこに至ってないときは、少し訓練してもすぐに、成果が見えにくいような気がします。
もっと下の部分をしっかり鍛える必要があります。それでも、聞くトレーニングは、単独でやって継続すれば、やはり効果があるみたいです。意識してやるだけでやらないより、いいと思うのです。
支援では、見る力を養えても、どうしても、聞く力がはぐくみにくいと思われます。まんつーですからね。
次の記事も、よかったら参考にしてみてください。
早く、子供と楽しい会話を楽しみたいですね~。ほんと。
運動会おつかれでした。お互い、ショートカットだけはしてほしくないですよね~。笑
身体のぎこちなさと脳のぎこちなさがリンクしてるような気がしています。
体操教室に通っているので、跳び箱が8段飛べたり、逆上がりや壁倒立…運動はそこそこ。でも上の娘はな〜んにも教えなくてもできるようになってましたよね。上手な人を参考にしたり、先生にコツを聞いたり、環境から必要な情報を取り出して加工できてるってことだと思います。
聴くチカラはもちろん、読むチカラもいまいち。長い文章を読んで、そこからポイントを選べず、だら〜っと読むから内容が入っていかないんですよね。
息子に向かってお話しをして、「今、お母さん何て言った?」と聞くと、要約ではなく忠実に文章を言おうとするんです(短期記憶?)情報を処理してないな〜って思うんです。どうやったらそこを鍛えられるのか模索中です。部分的に働いてないぞ!って感じるんですよね。
身体と違って見えないので、どうやって鍛えたらいいのか…でも教えたら体操もいろんなことができるようになったのだから、上手な脳の使い方を教えたら使えるようになるんじゃないかと思ってるのですが…。手強いです。
知的な能力というよりも、情報処理能力が劣ってるって感じです。純粋な?知的な遅れとはなんか違う気がしてますが、いかがでしょう?だから諦められず、いろいろやりたくなるんです。でもやりきれなくなる時もしょっちゅうです。
ゆうママさん
知的な遅れ、情報処理能力の遅れ・・・確かに、どこがどうで、・・・あなたはこうなの?って感じがしますよね。
いろんなお子さんがいますが、げんちゃんは、いわゆるお勉強系が、すべてぱっとせず、それに比べたら、少しは生活能力はある感じなのかな~。
勉強のこの部分はすぐれている、というところが皆無です。中には、一点豪華なものをもっておられるお子さんもいますよね~。ちょっとうらやましいですね。
今、聞く力を養うために、学習の方法をかえました。たとえば、算数の問題なら、ドリルの問題を写させてましたが、口頭で読み上げて書かせるような時間も作りました。
また、2年生くらいの簡単な文章題を、読んで口頭で回答させる。暗唱もいいと思いました。
とにかく、今やってる学習のやりかたに、一工夫するだけで、聞くトレーニングができると思います。
それにしても、私も、まだまだ、脳そのものが、あまりにおそまつなのを感じます。ハードに対するアプローチももっとやっていくべきなのかな~と思うこの頃ですよ。やれやれです。
お久しぶりです。小学3年生のきんたろうの母です。
私は,げんちゃんが隣の女の子とリズムを取り合って遊ぶくだり,感動しました。定型の子って遊ぼうよって言わないで,なんとなくそういう遊びを始めますよね。グーを突き合わせるのは単純だけど,げんちゃんがお友達に魅力を感じたからこそ,その遊びがしたいって思うところが素敵です。
今回は聞くことと見ることの関係で思うことを。
こちらを見て話しかけてくる時には応じる。私が話しているときによそを向いていたら私が話を止める。私が話したそうにしているのがわかるかやってみる。こちらを見るように,かくれんぼしたり,鬼ごっこしたり,視線を合ったらくすぐったり,私の視線の先を追うようにさせるなど,視線をスイッチにして苦節2年あまり。
最近の息子ですが,進化のきざしがキター。げんちゃんママのおっしゃる通り,それは,最初は気のせい?って感じでやってきて,少しずつ増えてくるって感じです。
例えば,人に気づいて私に甘えるのを止めるとか,スイミングコーチの顔が見えなかったら体を乗り出して,顔を見て話を聞いていたり。本当に自分の息子か2度見しました。私のカバンにお菓子の包み紙のゴミを入れる前に私の顔をうかがってから入れたり,私の物言いたげな表情がわかって「何?」って聞いてきたり,私が誰かと話している内容を聞いていて,うまく話しに入ってきたり。つまり,今,どこを見たらいいかのスポットライトがわかりかけてきたのでしょう。その結果,今,誰の話を聞いたらいいかがわかるようになってきたのだと思います。きんたろうは目で見て雰囲気がわからない分,とてもおしゃべりだったんですが,見れば聞かなくてもわかるということがわかって,私のストレスが少し減りました。これで,こっちを見なさいと言われることも少なくなるのではないかと思ってます。ちょっと普通っぽくてうれしいです。定型のお子さんに比べたらまだまだ普通とは言えませんよ。
次は,体がゴソゴソ動かなくなったら集中力が上がって,またもう少し聞く力が上がるのではと見込んでます。電車で切符を持たせると視線が下がって,ゴソゴソ。コンサートでプログラムを渡すと遊びだす。気が散る要素を取り除いてみる。こんな感じでどうかなと思ってます。
きんたろうの母さん
すごいな~。根気勝負でお子さんにトレーニングして、効果が少しでも出てきたらうれしいですよね。
しかも、コミュニケーションの部分は、なかなか手ごわいところだからね。たぶんいろいろほかにもされていることが、総合的に実を結んだんじゃないのかなあ、と思います。
先日、こんなことがありました。クラスで賢い男の子を見たら、立ち姿だけで、もう賢いことがわかってびっくりしました。そして、あの子すごいね~。とげんちゃんに言ったら、
「T君は、頭いいよ・・・」
と先に答えました。まあ、今までなら、
「ふん、どうせ、僕とはちがうんでしょう。」とひがんでたのに・・・
そして、その子は、少し太っていて、
「げんちゃんの次の目標は、T君だね。」
と言ったら、
「ぼくに、太れっていうんかい?」
と落ちをつけたので、びっくり・・・ユーモアなんて、けっこう高度な技でしょ。進歩してるな~って・・・
ごくたまに出る峰ですが、小さな驚きもありますよね~。
相手の言わんとするところをさっする。めったにないので、こういうことが出てくるとわくわくしますね~。ママのうれしそうな顔が浮かびます。
げんちゃんママにコメントもらうと、モーチベーションあがります。ありがとうございます。
げんちゃんのユーモアのセンスいいですね。げんちゃんの楽しいエピソードまた教えて下さいね。
賢い子ってわかりますよね。学校音楽会で歌っている様子がしっかりした子だなと思っていたら、案の定、全国代表でスピーチしました。
反対に、話を聞いてないのもわかりますよね。あれ、なんなんでしょう。
きんたろうはここに来て、やっと先生が指示して、子どもが従うという形態に入って学ぶことができる段階に来ました。理解力、体力に限界はあっても、話は以前より聞けてるはず。
野球やみんなで話し合いするとかは 高いスキルが必要ですね。
全国代表→全校代表 の間違いですm(__)m