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ほんとに、この先生方の報告で、
前ブログから引き続き、
「あ!、そういうことか~。」と、いろんなことが府に落ちました。
実は、見る力も、聞く力も、以前から、何度か気づかされていたげんママです。支援クラスのもと教師だった上嶋恵さんの著書、「3ステップ、聞くトレーニング」 「1分間集中トレーニング」も、何年も前に取り寄せて、なるほど~と、思った記憶があります。
いつの時も、もれなく、げんちゃんの会話や生活に、普通とは違うストレスがつきまとっていて、それは、聞く見るという能力の乏しさだと、おりにつけて気づかされてはいました。
3年生になると、少し教室でおとなしく、勉強に取り組めるようにもなったので、「きくきくドリル」、というCDつきの聞く力をアップする問題集を買ってきて、時々ですが、やらせてもいました。
最初は、簡単なレベルでも四苦八苦してました。聞きながら、右、左、右、と左右を聞き分け、進んでいくような問題も、左右が必ずシャッフルしたりして、苦戦しました。3年の時点で、なんか、こう、うまく進まず、今これをするのが、時期ではないな、と感じたものです。
それから、思い出したように、その後も、時々取り出してはやり、訓練するというより、げんちゃんの能力の確認作業のようにしてぽつりぽつりとやりました。
最近はちょっと、ほかの勉強が忙しくて、あまり聞くことに集中した能力について考えることが少なかったようです。
いつも、算数に追われ、漢字に追われ、していたので、こういうトレーニングは、どうしても、すぐに忘れ去ってしまいます。しかし、ほかの能力を上げれば、ここも、ちゃんと進化するようで、ぼちぼちですが、その時よりはましになってます。
聞く力には、単に耳の問題だけではなく、脳で処理する高度な能力が付随しなければなりません。聞いたことを、ためておく、という重要な次の処理が必要です。たぶん、これが、ワーキングメモリーとか言われる部分なんだと思います。あとに入ってくることが優先され、最初のことは、すっかりぬけてしまうんでは、話の内容はつかめないのです。普通のお子さんなら、情報が、心のメモにすべて刻まれる頃には、最初のほうの情報は、すでに、加工にまわされているでしょう。
これらの作業が、なめらかに脳の中で行われるから、普通のお子さんは、とぎれることなく、いろんな会話や、指示のあとの作業がスムーズにいきますが、げんちゃんのような子は、残念ながら、どれもこれも、ぶつ切りで、断片的だと思います。
以前に、上嶋恵さんの 上にアップした著書を手にとって、少しトレーニングに取り入れたりしたものの、また本棚のすみっこにおいやってしまっていたのは、結局、この聞く力というのが、いろんな下支えする能力が相当アップしてからじゃないと、上がってこないことを、感じてのことだったんだと思います。この本に紹介されていることだけ、取り出してやったとしても、教室でちゃんと聞ける子にはなりません。
やはり、総合的にすべての脳の機能を上げていく必要があります。
こういう取り出してきなとレーニングは、それを理解したうえで、総合的な能力アップの一つのアイテムと位置付けて、やるのが良いと思います。また、難易度が高いと感じるときは、総合的にアップできる能力をあげて、時々、確認作業的にやってみる。そういう使い方も有効です。
ワーキングメモリーを鍛えるというトレーニングもよく目にしてきました。そういうことを有料でやる団体もあります。
そういうところに、わざわざオファーしなかったのも、私はその時は直感で取捨選択してたのですが、今なら言葉にできます。そういうトレーニングが、ほとんど視覚によるトレーニングに限られていたこと、単純化されたゲームのような感じのことを少しやるくらいでは、げんちゃんに求めている、この聞くという一連の複雑で高度なスキルが、そう簡単につくものではない、と私は感じたのだと思います。まあ、そういうこと抜きに、そもそもそれにかける時間がなかったことが一番かもしれないけど・・・
勝手な想像ですが、ワーキングメモリーのトレーニングと称する一般的によくある、認知症予防的なトレーニングが、すぐに、生活に反映されていくとは限らないのは、それだけ、聞く力というのが、複雑な能力の集合体だからではないでしょうか。
もちろん、トレーニング自体は、やれば、絶対に何らかの効果を生むものと思います。時間とお金がたくさんあれば、どんどんやるといいと思いますが、発達育児は、遅れている時刻表を、普通列車でとにかくとばして、急行列車においつくような側面があります。できるだけ有効な戦略をたて、時間対効果、費用対効果の高いものを探していきたい。
どんなトレーニングも、”これさえやれば”、的な効果はありません。脳とは、相当複雑な働きをする臓器で、ありとあらゆるところからせめなければ成長していかないのだと思います。聞く力と、私が考えている、教室でちゃんとみなについていける能力というのは、そうそう単純ではないのです。
ですから、そういう意味では、逆に有名な先生のところに、タイマイはたいて、交通費使っていかなくても、十分、ママの愛情とあれこれやる働きかけで、いろんなことができるとも言えるのでしょう。
やってると、目の前のチョイスから母親の第六感で瞬間的に選別して、あとから、その根拠を言葉にできることがあります。あとからそういうことだったのか~と、腑に落ちるわけです。
今回、先生方の報告で、ヒントをいただき、上嶋恵さんの本を再読したことで、聞くということ、わかるということ、作業記憶ということ・・・・単純なトレーニングだけでは、そういう一連の聞く力は、すぐにはついていかないということを感じました。また、ある程度能力がついてこなければ、上嶋さんの本のようなトレーニングも、空回りするだけで、時期が早すぎることもあるでしょう。
しかし、単純なトレーニングも、時にはその子の能力の確認作業として役立ち、そこそこ能力がついてきた頃なら、能力の強化と整理、という意味で、ちゃんと役立つだろうということ。そういうことが、頭で整理できました。つまり、学校で能力のある普通の子にこういうトレーニングをするなら、即効性もあるということです。
そういうことを考えると、今、とりあえず、ついていけてもいけなくても、普通クラスに楽しそうに通うようになったげんちゃんに、一連の聞く力をつけるために、どういうプログラムが良いのでしょう。
前より、ずいぶん、総合力も上がっているげんちゃん。聞くことに特化したトレーニングは、前よりも効果をあげるかもしれないですね。
げんママ流に、日ごろの学習の中に取り入れやすくするトレーニング法を、考えてみることにしました。
より実践的で、日ごろの学習とは切り離さずにできること・・・
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聞く力ですか。うーん。うちもそうですね、聴覚が弱いのかあ。うちの場合は私が話す内容に限ってはかなり深く理解するので実は盲点になっていました。が今回げんちゃんママさんがげんちゃんの今の状況を事細かに書いて下さってげんちゃんの問題はうちにとっても問題である、と思えました。私が話す内容はそれなりの内容でも理解するし、難しい文章でも私が音読すると理解できるのですが確かに二つの用事を頼むと一つは忘れることが多々あります・・・。
能力と能力をつなぐ情報処理がうまくいかないのがネック、というのは時々ネットでWISCの結果が項目ごとはかなり高いのに生きづらさを感じて自分は発達障害ではないか、という書き込みを見るたびに思っていたことでした。
うちも日々の学習に気も時間も取られていましたがいろいろと考えてみてみます。ラジオとか聞かせてみようかと思ったり。
tさん
そうですか~。目がうるっとなりつつ読ませていただきました。私のブログが人様のお役にやっているなんてうれしいかぎりです。
私は、発達育児にのめりこむまで、診断をもらってから切り替えは早かったのですが、まわりを見ると、ママの心の問題が大きく、先に行けない人も多いですよね。
子供の脳は、早ければ早いほど、トレーニングも効果が出やすいのに、もったいないな~と思います。
でも、tさんは、研究してがんばっておられて素敵なことですね~。
それから福岡にいらっしゃるのですね。いつかぜひお会いしましょうね。
小学校1年生は、悩み多き時代です。子供もまだまだ落ち着いてないし、まだその時期に到達してないのに、学習づけにしなければならないし・・・私も、1年生の頃は、目をつりあげてやっていたような気がします。
でも、今考えても、あれ以上のことはできんかったな~と思ってます。たぶん、いつも、できる限りのことはしてきた気がしてます。
それで、まだまだこんな結果だから、う~ん、発達障害とは難儀なもんだね~。
ロッタさん
能力と能力をつなぐ力・・・まさにそうですね。
それは、たぶん、前頭葉なんじゃないかな、と思います。もっとも人間が人間らしい能力を発揮する部分です。
こういうあたりが欠落するので、高次脳機能障害、とリンクする症状なのでしょうね。
話を深く理解する・・・素敵ですね。うちは、もともと男の子特有の脳にもってきて、発達障害が入っているから、この子との会話はストレスフルです。
おねえちゃんと話すと、まったく感触が違うのにびっくりします。げんちゃんだけと話してると、こんなもんかな~、と思ってくるからね。
こっちが質問しても、こっちの意図をぜんぜん理解しないときもあります。おねえちゃんの国語の本とか、挿絵に引き寄せられて、熱心に拾い読みしたりするか、と思うと、単純な会話をとんちんかんな理解ですすめることもある。
もう、意味不明なガキですよね~。つかれる~と言いながらやめられない母です。笑
Yさん
ほう!上嶋先生の教室に通われているんですか~。すご~いですね。聞くトレーニングや見るトレーニング、基礎をみっちりやられているんですね。でもたぶん、その教室では、しっかりできるようになっても、いきなり普通クラスで見たら、うまくいかない・・・
よくわかります。パターン化されてないことがおこるのが現場ですからね。げんちゃんも、決まったお稽古事のパターンの中ではなんでもよくできますよ。だから、先生方も、普通クラスでの問題を言うと、へ~、そうなんかな~、という感じの時もあります。
でも、学校で見る姿こと、子供の本当の能力のとこなんでしょうね。
げんちゃんは、支援クラスでは、自習とマンツー指導かわりばんこでやってます。
先生が何人かをいっぺんに教えるので、がっつりマンツーではなく、指示して、次の子へ行って、みたいなことをしてます。でも、カリキュラムは、同学年の教科書にそってます。
先生によっても、毎年、やりかたがかわったり、支援クラスもその時々でかわっているようですね。日本の制度では、先生に丸投げ、というのが現状のようです。
良い先生にあたれば、どんどんみんなで考えて、子供のためになるカリキュラムをやっていくように意見を出したり、教材を学校に提供したりしたらいいと思いますね。
少し弱気になっているというのが気になったので(あるいは気に入ったので(笑い))書きたくなり書きます。聞く力の良い方法が見つからず、げんままさんは弱気になっている、という事でしょうか?げんちゃんの聞く能力はゲンママさんの評価よりは高いです。関心のある事にはより深くまで理解できるから。ようは愚にもつかない雑談とか、会話のラリーとかは苦手、組体操の支持。支持とか命令とかそういうのも嫌い。言われたことが上手くできたら楽しくはあるのですけれど。
話はそれますが、定型枠で働いていると、テレビのバラエティ化、お笑い番組の横行なのか、とにかく面白くいって上司の機嫌をとらなきゃみたいな風潮が嫌です。ただ孤独とか寂しいというのは当事者会で聞くので、げんちゃんも会話はしたいと思っているはずです。会話のラリーつまり会話のピンポンみたいなものは練習しかない、当事者会などで振り返りができる場所で、勿論練習の場で上手くなったといったって実際はうまくいかない時も多いけれど。
聞く練習を態々トレーニングしなきゃというよりかは、そちらだと思います、往々にして自分の事ばかり話してしまう傾向が多いかもですけど、にしてもげんちゃんの聞く能力が低いということは、ゲンママの聞く能力が低いともいえます。
ブログを読んでいてげんちゃんの話に耳を傾けたい、固唾を飲んで次に何をおっしゃるのかに聞き耳を立てたいと思いました。
二つ要件を言うと一つ忘れるというのは定型にもよくあることだと思います。対策はメモをとる、細かい指示が伝わらないは伝え方も下手。げんちゃんの準拠枠とゲンママさんの準拠枠にずれが生じている、
会話とは準拠枠のすり合わせだと、自分の気持ちをきちんと伝える技術という本に書いてありました。 娘さんとの会話にはストレスを感じないというのは、そこらへんがうまくいっているのでしょう。
確かに自分も準拠枠は狭いのか上手くいかないけど、当事者会の中だと誰が何を言ったかまでだいたい理解して覚えているので、場とか雰囲気も関係しているのでしょうね。
今のままだとげんちゃん自分から話さなくなるかもって気になったのでコメントしました。
ゲンママさんの欲しいものと全然違うコメントですみません。
無くて七癖さん
いつも、アドバイスありがとうございました。
弱気になっているというのは、げんちゃんの地頭がさっぱりよくなっていないからです。ひとつひとつの能力があがっているものの、それを連携させて推理したりする能力は、多少はあがっていますが、普通にくらべると、まったくです。
聞く能力、話す能力もふくめ、そういう力は、能力の連携です。だから、トレーニングしても、そもそもの頭が悪いまんまじゃだめだろうな~と、勝算が見込めないのです。
注意欠陥もあいかわらずだし、少しくらい伸びても、ぜんぜんおいつかないとこを見ると、もともとの能力が、私が考えるより、ず~っと低かったということなんだな、と思い知ってるこのごろです。げんちゃんは、そもそも知的能力がとても低いな~と思います。
確かに、ユニークなものを持ってると思います。だから、彼の興味ある分野を話させて、合いの手を入れれば、話は続きます。
でも、母親として、いろんなところで、バランスよく、会話できたり、今何をすべきか、を会話から優先順位をつけられなければ、結局、自分が社会の中で苦しみます。そこをつけてあげたいのですが、なかなか苦戦しますよね~。
何か良い手段ってないですかね~。
娘との会話では、確かに、もともとの安心感信頼感がありますが、げんちゃんに対しては、そもそも安心感とか、信頼感がないんでしょうね。やれやれ、まただ~・・・ということばから生まれてから続いているので、信頼感ははっきり言ってないです。
Sさん
ひえ~、そうだったんですね。薬ですか~。まるで佐賀方式ですね。佐賀は、とにかく薬を飲ませろ、という方針だと、お聞きしました。
私も、根本的に、頭がよくなる薬なら、げんちゃんにも飲ませたいですが、対症療法といって、ただ症状をおさえるだけの薬なら、あまり飲ませたくないですね。
とにかく、頭よくしたいですもの。根本的に治したいです。
本の内容はとても、参考になるものがありますよね。でも、それだけやっても、私が到達したいとこにはいかないな、と思います。やはり、もっと現場は複雑です。
この本のトレーニングは、学習の導入とかに使えるな、と思います。
なんでも、良いとこどりで、参考にさせていただいたらいいですよね。情報ありがとうございました。
でも、そういうしんどい経験もばねに、どんどんがんばっていきましょうね~。良い先生に出会うのも、発達には重要な要素ですね。ママが、頑張って取り組んでると、すぐに、先生の本質も見抜けるようになりますよね~。発達は素人でも、すばらしい先生はたくさんいますね。
専門家に出会えなくても、ママの愛のカンが働きますね。ママはしっかり選択できてすばらしいです。
なんか、変なコメですみませ~ん・・・
Sさん
先生の教室は関東ですか~。死んでもいけない距離だから、別にそうなんか~で終わりますが、近かったら、私でも覗きにいきますよね。
なんか、セミナーに参加した教室をされている友達は、しごくもっともなことを言われるセンセイで、勉強になったように言われてましたが、実際の教え方は、薬を服用することをすすめて、どなって子供を静かにさせるような方だったのですか~。
まあ、こういう子教えてると、どなりたくもなりたくなるけどね。笑
やはり、聞く力をつけるのは、並大抵のことではできないということでしょうね。
総合的な、すべてのわざが発達にはいります。たとえば、アレルギーで発達の症状が出てる子なら、それをやめるだけで治りますが、げんちゃんをはじめ、脳そのものの機能不全なら、ありとあらゆる取り組みが必要です。
それがわかっているから、これだけで、治ります~、的なことには、もうとびつきません。すべて、自分の采配で、どこに、そのメソッドを配置するか、アレンジするだけで、優先順位も見極めます。
こういうことができてくるのは、やはり、子供に対する愛情から、長年とりくんできてるからだと思うのです。
母は強いのです。笑
Sさん その2
佐賀方式というのだそうです。なんでも、薬を飲ませなかった親が虐待扱いされて、子供を児童相談所にとりあげられた、という話を聞きました。うそでしょう。と思うのですが、佐賀の先生が言ってました。
薬とは、コンサータのようなものなのでしょうかね。
確かに、暴れまわったりする子供さんもいるので、薬薬となったりすることもあると思うけど、安易すぎます。
私は、高次脳機能障害の症状に一番近いと思っていて、本質的になおせないか、常に取り組み、あれこれ考察してます。実際手ごわいですよね~。でも、すくなくとも、何もしてなかったら、今のげんちゃんはいません。それだけは確かですよね。また、参考になることがあったら、ぜひコメしてくださいね。
sさん
あ、大阪でしたか。すみません。聞いたことあると思った・・私は福岡なので行くのは無理かな。
sさんのコメでさらに、考えが深まりました。
本文も少しかえてみたのですが、こういうことなんだな、と思います。
つまり、聞くトレーニングがすぐに効果を生む子というのは、ある程度、聞く力ができてきた子だと思います。
つまり、”聞く”(広い意味で)ことの力が少しはあるけど、なんか、まだぱっとしない、そういう子です。
そういう子は、トレーニングがすぐに効果を生むのです・
その証拠に、きくきくトレーニングを学校で実施すると、生徒たちの聞く力があがり、クラスがぐんとまとまる。
しかし、わが子たちは、まだまだその下の能力をのばしているところだったりするわけで、教室に行っても、すぐには、入り込めません。
その、子供たちの能力のみきわめなく、全員に同じ指導を集団ですることは、やはり無理なんだと思います。
そこそこ、能力ができてきた子は、さらにぐっと伸ばされますが、そうでなければ、場合によってはトラウマになる。
すなわち、発達障害の現場でおちいりやすい、ステージをみきわめない、やり方重視のものになってしまうんだと思うのです。
そして、そのやりかたを全員にあてはめようとすると、薬であるレベルまでとりあえず、質をそろえるしかない(おりこうに座っておけるとか)・・・そういうことかな、と思いました。
ほんとこの子たちは、あるレベルまでは、ほんとに、マンツーマンで個別指導でしかやっていけないんですよね~。
sさん
う~ん。よ~くわかります。私も知らない人が見たら虐待じゃん、と思われるような場面しょっちゅうです。
先日、テレビで、学習虐待という言葉で、子供に鬼のように、学習をさせたり、ののしったりする親が出てました。暴力じゃない虐待、という特集だったんだけど。
それをげんちゃん見ながら、私の顔を見てしてやったりという顔をしましたよ。
「うるせ~。あたしがここまでせんかったら、あんたは、ただぼ~っと生きてただけdしょ。感謝しなさいよ~。」
と言いました~。まあ、そういうことを客観的に見れてる、ってことは、成長だと思いましたけど。
おだやかに、やれませんって。だって、この子たちのこっちの気持ちをさかなでするような行動パターンは、そりゃあすさまじいですもの。
でも、だからといって、やりすぎたら、やはり、メンタルくるでしょうから、やっぱり、少し、アウトソーシングもする、というのがいいと思っています。お金はかかるから、その時間働く。そんなシナリオでしょうか。我が家の教育費は、くらくらするほどかかってます。泣
げんちゃんを見ると、根性があると思います。もしかしたら、それは全員には求められないことなのでしょうか。私も、そこはわかりません。
「きみは、このままでいいの? ずっと頭悪くて、ずっと支援クラスで、ずっとみんなにサポートされる。そんな人生でいいの? だったら、私は、もうあなたに何もしない!」
とよくどなってしまいます。げんちゃんは、いやだ! となります。(上学年くらいからですけど。)
でも、そこで、ふら~っと逃げちゃう子もいるのかもしれないですよね。
でも、根性論だけでもだめですね。お子さんがまだ低学年なら、そういう作戦はむつかしいかもしれません。
やはり、できないことの下支えしている能力を探して、そこをピックアップするのがいいです。
sさん その2
げんちゃんの今は、普通に勉強に取り組めますが、3年生までは、きょときょときょときょと・・・勉強する体制に入るだけで、すさまじいエネルギーを使っていました。漢字だって、1ぺージ書こうと思ったら、その日の半日を使うくらいくたくたになっていました。
まず、漢字は、スマホの手書き漢字アプリを使うといいです。書字のエネルギーを使わずに、おぼえさせることだけに特化します。チャレンジタッチ(3年以上だったら)もいいです。書字がだめなうちは、タブレットも多用したら楽になります。それと並行して、書字の能力をつける。これは、やはり、手と目と協調。指先の能力に関することなので、体作りがかかせません。もう、ほんとに少しずつ少しずつ、なんとなく、改善していきます。いっきにはいかないので、改善にきづかないくらいです。
とにかく、いっきにはいかないのです。残念ながら・・・だから、とにかく、日々、たんたんと修行するようにやっていくしかないです。人生って、結局それが勝利に導くんでしょうね~。