心を使わないという、困った習性
げんちゃんのテストが終わりました。最終日の前日はほんとにひどかった~!
げんちゃんが”ずるをする、逃げてる”・・・” と書くと、普通の感覚では、確信犯で、何かから逃げることを意味してるかもしれません。
心を使って、必死に何かから逃げる。というニュアンスです。
しかし私がげんちゃんに指摘する ”逃げる”、というのは、心を使わず、寝起きのように、ぼ~っと、表面だけで、物事を流す、という感じです。
人として生きて、心を使わず、蝋人形のように、適当に、ものごとを流して生きる、これは、ちょっと問題ですよ。
でも、心を使うことがめんどくさくて、逃げてる! と私が指導しても、自分では、その”逃げてる”っていう認識は、ないと思います。
心を使わずに勉強したことは、まったく残っていない
週末に、英語の試験勉強をさせてみて、今まで出た助動詞やhave to~ をしっかりまとめて、意味や使い方の違いを勉強させました。 これは、過去も何度もやっています。さらに復習を重ねたので、げんちゃんもけっこうわかってきたんだな~という手ごたえがあります。
ところが、試験前日にまったく同じパターンの問題をしたら、げんちゃんは、まったく習ったこともない、と言うレスポンスをしました。
ありえない!
もう、今までも何度も何度もこのパターンに辟易です!私の時間を返せ!と言いたい。
げんちゃんの逃げとずる! げんちゃんは、意識をオンにせず、ただシャッターをおろして、表面だけ勉強するのです。
彼のことをよく知らない人なら、
「あら、わからないのね。じゃあ、もう一遍おしえるわよ。」
となります。
しかし、何度教えても、同じことです。げんちゃんのパフォーマンスは、本人が意識をオンするか、オフにしてしまうか、この二つにかかっていて、どう教えるかとか、そういうことではなくなっているのです。
まだまだ能力がすべてにおいて低かった昔なら、それでも、根気よく、あらゆる方向から入力する必要があったかもしれません。意識を入れるということが、ほとんど奇跡的にしかできなかった時代なら。
今は、シンプルに、がんばろう、わかろう、わかりたい! と本人が思えば意識が入ります。それが本人にとって、けっこうエネルギーのいることだから、やろうとしないだけなのです。
Sさんは、そう言います。きついからやらない、ただそれだけだと。
そうすると、逃げパターンのすべてが出てきます。
1、適当なことをでっちあげて、その場をつくろう。回答はどんどんそれていく。
2、それも、私に見抜かれて手厳しくやられると、「わからんもん!」 と開き直る。
3、そんなことはありません。気持ち入れてやりなさい。と言えば、最後は「無理だから、僕には。」
となる。私はすべての逃げ場を断とうとします。しかし、考えつくすべての逃げ路に入り込むげんちゃんです。
精神科に連れて行く演出で、心を動かす。
その日は、どうやっても、逃げまくる。しかたないので、一計を講じて、
「げんちゃん、そうやって、逃げてばかりいるんなら、・・・すっかりわかったことさえ、思い出そうとしないのなら、それは精神病だから、精神病院に行きましょう。今は夜だから、○○病院の急患窓口しかないね。さあ、行こう!」
と私は言いました。
げんちゃんは、すっかり自分の世界観の中に逃げ込んでいましたが、その言葉にびくんとしました。
「いやだ!」
げんちゃんの手を引きずります。もちろん、動かないので、私は車で、一人外に出ていきました。
「お母さんは、とりあえず、精神病院に車で行って、受付してくるから。あとから、救急車が連れに来るようにしましょう!」
さて、しばらくしたら、げんちゃんから、車の中の私に、おどおどと電話がかかってきました。
「ぼくは、精神病院はいやだから。」
そこで電話がかかってくることも、今までのげんちゃんだったらなかったでしょう。
たとえば、私がいないので、ぼ~っと、好きなことをする、とか・・
大胆な演出は、彼の心をやっと動かした様子です。
「げんちゃん、あなたがちゃんとまともなら、しっかり考えられるはずでしょう。さっきの問題だって。」
それを皮切りに、何度もげんちゃんから電話がかかり、彼は、一生懸命問題を考えている様子です。
やがて、
「ぼくは、こ、混乱するんだよ。・・・お母さんが言おうとしたの、どういうこと?」
どもりどもり、こういう質問が出ることもすごいことです・・
「問題を、ノートに分類して書いたり、まとめたりするの。みんな、そうやってやってるの。あなたは、そんなことしないでしょう!」
するとげんちゃんは、電話の向こうで、あ~!と納得した声を出しました。
「あ、普通クラスの勉強法はそうなんだ~。なるほど~!!」
やれやれ、すごい、1年に数回あるかないかのような、心に落ちたリアクション。
しばらくして家にもどってみると、超稚拙ですが、私の教えたことが、自分なりにまとめてありました。そして、なんか、憑き物が落ちたように、
「あ~~!そうか~。ぼく、みんなが逃げてるって言う意味がわかった~! そういうことか~。」
と、言い出すではありませんか。顔はすっきりしています。
どうも、げんちゃんは、逃げてる意識状態と、逃げずにオンしている意識状態の違いを、初めて感覚でとらえたようでした。結局、試験勉強はまったくできませんでしたが、オーバーな演出が、はまってくれて、小さな穴から、初めてわずかな日か光がさしたかのようでした。
ほんとにほんとに、小さな峰
Sさんは、この日のことを、ママが、追い込んで追い込んでがんばったから、やっとちょっと光がさしてきた。と言いました。
げんちゃんとは、全然違う指導法
ところが、げんちゃんのお友達の中3の子が、やはり、とてつもなく逃げて、ママがSさんに相談したところ、
「彼は、トラウマとつながっているから、励まして、自信を持たせて、って言われたそうです。」
げんちゃんとは、真逆な指導だったので、びっくりしました。
どちらにしても、逃げる、ということは、絶対に良くないです。親は、負けずにやっていかないと、一生そこに逃げ込んで、改善は程遠くなってしまいます。
それにしても疲れますね~。
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ママさんの熱心なアプローチによって、げんちゃんは着実に前進して行っているんですね。ママの努力なくして、げんちゃんの成長はなし、という感じですね。
そして、おっしゃる通り、今の時期は以前と違って本人にその気がなければ、何も始まりませんから、こうして、げんちゃんの自覚が高まっていくことの意味は大きいですよね。
しかし、今後の学習の進め方は時間に制限があるだけに難しいですよね。
充分な準備をしないで試験に臨んでしまっては、意識を入れずにテストを受けるというスタイルが強化されてしまうので、そういう教科は受けないか、または、独自のテストを作ってもらった方がいいと思います。
理科・社会・技能教科は今まで通りでいいと思いますが、特に数学・国語は要検討だと思います。
英語は、げんちゃんの進度にもよりますが、3年生の内容は比較級とあと一つぐらいしか新しい内容が出て来ないので、2年生の復習が3年生で出来ます。だから、このまま学齢通りでも大丈夫かもしれませんよね。
数学は、確か正負の数や方程式などはマスター出来ていたように思いますので、全く中学校の勉強を止めてしまうのはもったいないと思います。中1の途中からと小学校の復習が並行して出来るといいのですが。
国語はどうなんでしょうね。漢字や言葉の意味の理解、イメージ力がどこまでついて行けているかによると思います。
全教科一律で進められれば楽なのでしょうが、せっかく出来ていることまで後戻りさせてしまうのは、もったいないですし、かと言って復習の時間も多く取りたいですし、本当に時間がいくらあっても足りませんね。
どのように組み立てるか頭を悩ますところだと思います。
ロボママさん
アドバイスありがとうございます。
確かに言われる通りですよ。
小学校のまとめ問題集を見渡すと、それだけやるのは違う気がします。かといって、今までのペースでは、げんちゃんのやる気をそぎでしょうね~。どうしたものか・・・
毎日学校で担当する支援の先生は、日ごろの手応えからどう感じるか、ミーティングできればな~と思います。
でも、げんちゃんと言う子は、数学の問題や、理科の実験問題など、文章を絵に起こすことができないです。問題を絵におこしてごらん、というと、どこまで単純化した絵を描かないといけない、ということもわかりません。困った挙句、美術の時間に早変わりしたかのように、問題を解くための絵ではなく、”絵”をかこうとして四苦八苦してみたりします。
模式図ということが感覚に入っていないのでしょう。ほんと、すかすかの能力感覚なんだな~と思います。
意識が少し入ってきたら、また一から、それらを入れなおすことになるのだと思います。
でも、意識が入っていたら、新幹線並みにいかないかん~と、願うところです。まあ、そうは問屋がおろさないって言われそうですね~。
返信をありがとうございます。
模式図が、まだかけないということは、模式図を見ても、その意味がすぐには理解できないということでもあると思います。ということは、おっしゃる通り、げんちゃんは、教科書やドリルなど紙を見て学ぶだけでなく、本物を見て触って、という学び方も多く必要としているのでしょうね。
私などは、苦手なことに関しては、いくら意識が入っても新幹線なみに進んで、一般的な進度に追い付くということがあるなんて、なかなかないよな、と思ってしまいます。苦手なことは、追い付くことを考えるよりも、少しでも効率よく進めることを考え、得意なことや好きなことの方で主に力を発揮してもらおう!と思います。
げんちゃんの場合は、文章を書くのが上手ですよね。詩や随筆などは、意識が入っていれば、同年代の子と同じか、それ以上に書けていますよね。
凸凹さんですから、全分野で高いパフォーマンスを示すことは、なかなか難しいと思います。
もちろん、脳の状態は摩訶不思議なものですから、どうなるか分かりませんが、とりあえず、苦手なことは、本人の中でのマックス・スピードを出せるようにサポートするしかないと思います。
奇跡的に伸びてほしい!朝起きたら全てが変わっていてほしい!と願うのは、どの親御さんも同じなのですよね。
学習をみていて、ここはマスターできたと思ったのに、頓珍漢なことをされると本当に平常心ではいられません。私も何度もそんな思いをしました。エネルギー奪われますよね。何だそんな思いをしても、また頑張ってる私たちって偉いですよね!(自分で褒めないとやってられません)
S先生がおっしゃるように、げんちゃんにあったやり方が他のお子さんに会うとは限らないのですね。私もげんちゃんママのやり方をいつも参考にさせていただいているのですが、息子には全逃げ道をふさいでしまう方法はぴったりではないようです。かといって自由すぎるのは論外。逃げ道をふさぎつつも、ほんのすこ〜しの逃げ道を残してやらなければなりません。でもそれに慣れるとなし崩し的に逃げてしまうので、油断なりません。ほんと難しいですよ。
でもroboママさんがおっしゃるように、本人の自覚がないと、この先の成長は期待できないと思うので、心の成長を促したいところです。
ロボママさん
ありがとうございます。げんちゃんは、文章が得意ということはぜんぜんなくて、ただ、時々、ぱっとすごい表現をしたりする、というだけなんですよ。文章全体は、つながりがなく、何を書いているのかよくわからないことが多いです。てにをはもいまいちですし~。
相手の立ち位置になって、状況を考えたりが難しいので、自分がわかっていることは、前提なしに書いてしまうので、読んでて意味不明です。結局、まだげんちゃんは、すべてにおいて、広がりがないな、ということだと判断しています。
でも、無視して閉ざしていた意識が開いてきたら、そのあたりも、順調にとらえていってくれないかな、と思います。模式図にしても、とらえようとしたら、捉えられていくと思うのです。
まあ、しかし、げんちゃんという子は、そうそううまく問屋が卸さない子で・・・・それはいやというほど味わっていますよ。
げんちゃんは、このブログのあと、そこそこいい感じでしたが、疲れてくると、まあ、この辺でいいんじゃないかい! みたいな感じでフェードアウトしようとしています。
そこをまた、追加で圧をかけたり、持ち上げたり、今はいろいろやっています。
PTAで私がいなければ、夜帰ってきたら、何にもやってない・・・・ほんと困ったものです。
ゆうママさん
PTAの会合で、先生方と世間話していても、発達障害がなんたることか、ということを、まったく知らないんだな、という感じです。
できたりできなかったり、この子たちは、気分次第。入れたり抜いたり、わがまま放題。(本人たちにとってはいたしかたないことなのかもしれないけれど、世間一般では、わがままととられてもしかたのない、変化ですよ~)
そういう先生方に丸投げは、やはりとても怖いことだと思います。ほんと、一生懸命かかわっている私たちは、えらいです。笑 だって、子供を愛している故ですから。 こんなめんどくさいこと、自分の子じゃなかったらしないよね。
お子さんは、げんちゃんと違う。むしろ、ブログで紹介したお友達のタイプなのでしょうか。どの子も、一人として同じパターンじゃなないから、試行錯誤するしかありません。
でも、やはりいえることは、自分が、自分を見つめて、これじゃだめだ、やろう!って立ち上がらないと何も始まりません。げんちゃんも、あと一歩の感があるのですが、その一歩がずいぶんでかいな~って感じです。笑