ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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子供を障害児の枠にはめて考えている

> げんちゃんといっしょに、何年前からか体操を習っている大ちゃんは、げんちゃんより1歳年下です。

時々げんちゃんといっしょに勉強をさせることがあります。

大ちゃんは、知的クラスに所属しているようで、理科も社会も習っていないそうです。
(大ちゃんは、お母さんがいないので、おばあちゃんとお父さんが育てています。)

小さな頃からおばあちゃんと親しくしていた縁で、大ちゃんの幼稚園時代から、知っています。
そのころ、彼は、多動がひどくて、動き回ったりしないげんちゃんを、おばあちゃんはうらやましがっていました。
いっしょに遊ばせた時には、部屋にあるルンバが気になって、ルンバばかり触って遊べませんでした。

その後も、彼も絵が描けないとか、机にじっとしてない、とか、げんちゃんと同じような悩みを持っていました。
私は勝手に、げんちゃんよりも、障害の程度が強いのかな、なんてことを思った時もありました。(あの頃は、げんちゃんのことを、現実以上にましだと思っていたふしがありますからね~。笑)

中学時代、げんちゃんはなんとか情緒のクラスにいて、一応は、普通クラスと同じカリキュラムをしてもらっていたけれど、大ちゃんは、勉強のかわりに、畑仕事みたいな体験授業が多かったようです。

彼は、今では昔のような落ち着きのなさは消え、幼い感じが前面に押し出されているものの、決して人から嫌われるような行動をすることもなくなっています。
体操教室では、体の硬いげんちゃんにくらべ、柔軟に、比較的覚えも早いと先生は言います。(ただ、すぐに逃げるとも)

ここんとこ、七田の4年生の算数を二人にやらせていました。大ちゃんは、計算は溝にはなっていないらしく、げんちゃんより素早く式を解きます。(普通より早いというわけではないけれど。)

文章題は、げんちゃんと同じく、解く前から放棄するようなところがありますが、ちょっと圧をかけて、厳しくすると、まじめに取り組んで、解けるときも多いです。
一方のげんちゃんは、大ちゃんが2枚する時間に、抜いている日は、1枚もできていないことさえあります。やれやれ・・・

国語はなかなか苦戦するものの、しこんでいけば、できてくるだろうな、と感じる部分があります。なぜなら、げんちゃんより、昔から、気の利いたしゃべりができているからです。

先日は、初めて英語をやってみました。中1の最初、be動詞の使い方や三人称単数の扱い。doやdoesで変換させる一般動詞の文章なども入れ込みました。
大ちゃんは、英語なんてあまりやらせてもらっていないように言っていたけれど、きれいなアルファベットを書きました。はっきり言って、普通のお子さんの平均以上です。

三人称単数、動詞にsがつくなんてことは、わかっていませんでしたが、最初教えれば、次からは、前の問題を参照に考える、という高度なことをやってのけてきました。

普段は、全く圧がかけられていないのに、私が、かなり厳しく大ちゃんとげんちゃんを、しかり飛ばしながらやったので、大ちゃんは、びびってばりっと集中したようでした。
げんちゃんときたら、もう何年も英語をやっているのに、ありえないようなぶざまな回答・・・

「あなたたち、なにやってんの。さっきなんて言った?げんちゃんにいたっては、もうそういうところ、何百回やったっていうの? あほ!」

「大ちゃんはたいしてやらされてないのに、げんちゃんより、ぜんぜんできるじゃないの。げんちゃん何やってるんじゃ!」
「大ちゃん、げんちゃんよりできるったってねー、全然普通じゃないんだからね! 今どき、小学校から英語やってるんだから、そんなん、小学校でもできますよ~!さっきやったでしょ。しっかり見なさい!」

まあ、ばりばり叱咤激励、互いをライバルに、びしばしと圧をかけていきます。
めったに叱られもしない大ちゃんの心がしっかり動くのを感じます。あえて、侮辱するような言葉もどんどん入れてみると、大ちゃんは、それにしっかり反応して、
「う・・・侮辱された~。」
なんて、言うこともできます。心を動かすために、かなりの罵詈雑言あびせかけても、心がみじんも動かなかった、げんちゃんとは大違いでびっくりします。

なぜ大ちゃんが知的クラスか、いつもながら、私はさっぱりわかりません。

そのたびに、電話でおばあちゃんに、
「大ちゃんは、げんちゃんなんかより、障害が軽いですよ。なぜ、障害児という枠の中に入れちゃうんですか? 」
と言ってしまいます。そのたびに
「そうですかね~。私が言っても、そんな風にはならんのですが~。」
とおばあちゃん。

私に言わせれば、おばあちゃんは、逃げ場そのものになっているのでしょう。それに、ずっとこの子は障害児だから、ということで、一般の枠の中で、自分を客観視するチャンスを持たなかった大ちゃんは、自分の立ち位置すら確認することもできなかったと思います。
彼の所属している社会は、障害者と言う枠のついた世界。家でも、その枠に入れられ、学校でもその通り。

最近私が言うまで、体操教室に、家族が送り迎えしていたのですからびっくりです。電車を使わせるように説得したら、あっというまにできるようになったのは言うまでもありません!

つまり、彼に期待して、彼の能力をしっかり見て、鍛えようなんていう環境はなかったと思われます。

私が叱咤激励するのを、大ちゃんは、最初は、すぐに帰りたがっていたけれど、最近ではいやではない様子です。

質問もします。私に対して、おばちゃんじゃなくて、びしっとした感じで、勝手に先生と呼びます。
彼の持っている本来の能力が、私の前でうずうずしているのがわかるようです。

げんちゃんも、自分より低く見ていた大ちゃんが、自分を軽々超えていきそうな雰囲気にあせって、気合が入っています。

それにしても、この大ちゃんを、障害者として教育し、障害者枠で就職させることに特化した、専修学校に入れるという家族。もったいないことです。
大ちゃんこそ、げんちゃんの高校を受験させて、とりあえず、最低限の普通という世界で、自分を見つめ、これではいけない、がんばろう。と思わせてやることが大事なんじゃないか、と思います。

おばあちゃんは、自分が言っても、やらない、と言いますが、それは、保護区以外を知らないからであって、自分の置かれている現実も、一般の基準さえも知らないからだと思います。

このまま、障害者と言う枠に閉じ込めて、大ちゃんの能力を低く設定して伸ばしてやらないのは、なんとも残念です。

私が強くすすめて、このたびくもんの国語と算数を習い始めた大ちゃんは、最初はとつとつとしたものから、案の定、だんだんくもんの課題をこなしていっているようです。
彼にとっては、初めて普通の子供たちと机を並べて勉強する環境です。

げんちゃんは、かつてくもんを首になったのですから、やはり、大ちゃんの潜在能力は私の感じた通りだと思います。
なんたって、大ちゃんは、げんちゃんの苦労している意識障害の部分が軽いです。私がいやなことを言えば、その通り怒ってみたり、ちゃんと感じてくれます。心があるのです。(しっかり気持ちが外に出ているというか・・・)

そこがなくて、どれほどげんちゃんに苦労したかを思えば、大ちゃんの教育は、私にとっては、ほんとにやりやすいのです。
でも、彼は、長年そうやって枠の中にいることで、めいっぱいがんばることを強いられず、逃げ場に入ったまんま、障害者と言う枠の中の選択肢から、自分の人生を選ぶ。ほんとにもったいないと思います。


しかし、支援クラスで出会ったお母さんの多くは、わが子の能力を、障害児という枠の中で捉えている人が多かったのは確かです。げんちゃんより、できるお子さんが多かったので、私はもったいないな~、と思うことがほんとによくあったな~と思います。

げんちゃんではなく、大ちゃんが私のところに来てほしかったな~、もっと楽だったに違いないよな~・・・(笑) なんて、思わず、言っちゃいました。
ほんとげんちゃん手ごわし!

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  1. natumikan_123 より:

    げんちゃんママさんから見たら歯痒さが滲み出るでしょうね。能力を最大限、引き出して、伸ばしていってやりたい!と思わず強く願ってしまいますね。
    発達育児、多角的に見つめて、柔軟に対応できることが求められるのかもしれませんね。

    うちの息子は反対に障害があるという視点で考えたりすることがあります。
    グレーだから障害ではないと普通枠に当てはめて、そこに押し込め続けても良い方向へは進まないと思っています。

    枠をとっぱらって、その時、1番適した環境に身を置くことができるとベストですね。

  2. とんまま より:

    こんにちは。

    大ちゃん、学ぶことが楽しくなってきたのでしょうね。
    今まで与えられてこなかった学びってこんなにも楽しくてわくわくするのかと初めて気が付いたように感じました。
    げんままさんに数年預けたら(笑)見違えるような成長を遂げそうですよね。

    げんちゃんといい、とんちゃんといい、嫌というほど学びを受けてきたはずなのに、大ちゃんのようには思わない。
    何なんでしょう、わが子たちは…
    考えるのは面倒だ、楽していたいという所に固執したまま、外の世界に行こうとはしないのですよね。

    大ちゃん、くもんの課題をこなせるようになってきたとのこと。
    凄いですよ!!
    私の中でくもんは自律の気持ちや貪欲に学ぶ子でないと向かないと思っています。

    出来ると思われる子なのに、障害のある枠の中で生活させられている子を見ると、本当にもったいないです。
    こんなに出来ないのにガンガンやられているとんちゃんって一体…って思ってしまいます。
    無理させているよね、あの親って感じですかね。

    こういう子たちの進学先は、非常に狭いです。
    多岐にわたる選択肢があればいいのに。
    そんな日はやってくるのか??
    やって来ても遠い未来なのだろうなと感じています。

  3. glow-gen より:

    夏みかんさん
    普通の枠とか、障害の枠とか、書くと、その枠自体、それぞれ考えるところがあるかもしれないので、誤解をうんでしまいそうなのですが。
    結局のところ、可能性に枠をつけない、ということなのでしょうかね~。
    その子の可能性に枠をつけない、と言っても、げんちゃんがすぐすぐ普通になって、ばりっと社会人になれる、と思っているわけではないです。しかし、今あるところの一歩上、というところは常に思っているわけですよね~。
    しかし、大ちゃんのおばあちゃんは、電車に乗せて自分で教室に行かせることさえ、枠つけてチャレンジさせていなかったわけです。この子は無理だろう・・・って。
    それは違うんじゃないかな、と思います。
    じゃあ、あそこまで行くのがやっと、と何歩か先のゴールで終わりの枠もおかしい。とにかく、現状よりちょっと上を死ぬまで重ねていく。
    これって、別に障害児だけでなく、私自身も同じなんですよね。
    しかし、目の前の一歩上がなかなかですから、そういうときは、ちょっとまてよ、これって、枠があるんかな~とあきらめそうになったりするわけですよね。
     それでも、あきらめず、やってきたのが今のげんちゃん。
    ここで交流しているお母さんたちは、みなそういう人たちなのかもしれませんね。
    いっしゅんあきらめたり、また進みだしたり、人生そのものなのかもしれませんね。 2

  4. glow-gen より:

    とんままさん
    ほんとほんと、くもんにちゃっちゃか行ける支援クラスの子なんて、少数派なんじゃないかと思います。
    しかも、つきそいもなく、いきなりです。囲いの中から一気に・・・
    勉強ができても、メンタル面で、そういう塾が難しい子もいるし、そもそも、勉強したがらなかったりもするでしょう。
    やはり、もったいないですよね。
    それに、几帳面なところがあって、字もきれいに書いています。
    私が厳しく指導しても、素直に、がんばろうとします。
    つまり、メンタル面がすこぶる普通なんですよ。ほんとに発達なのかびっくりします。
    気も使いますし。
    げんちゃんなど、人間にするまで、まだまだ長い一歩というかんじ。心がもともと異常をきたしているような感じですから、その部分が、最初からしっかりあるのは、指導がやりやすいです。しかも、変にひきこもるとか、協調性がない、とかいうこともあまりありません。
    会話も小学生と普通に話しているような感じです。
    なんか、それにひきかえ、げんちゃんは、何をやっても、できないというより、捨てる。人の努力も自分がつかんできたことも、ある程度すると、さっさと捨てます。普通なら、それに対して少しうしろめたさとかあるでしょうに、げんちゃんは、何のくびきもなく、平然と切る。
    まさに精神の欠落との戦いなんですよ。
    ただ勉強ができない、頭が悪いとかいうことではない、恐ろしい敵ですよ。魂の破たんです。げんちゃんの場合。
    げんちゃんはあまりに例外なのかな~と頭をかかえます。それほど、どの発達のお子さんより、欠落の穴の深さを背筋が寒くなる思いで見ることばかりです。

    とんままさんも、大ちゃんを教えたら、ため息が出るのかも・・・日ごろ私たちは、不毛な戦いを強いられてるな~なんて。
    疲れますね。ほんと

    発達障害とくくっても、げんちゃんみたいに自分の魂さえ、切ってしまうような子って、いるのかな~。
    K先生は実は、小学校の先生として就職なさったのですが、発達の子を教えて、げんちゃんより相当楽だ、と言っていました。げんちゃんにくらべれば、ほんとにやりやすいんだとか。
    やっぱりって感じです。
    げんちゃんのケースなんて、普通の発達の子には参考にならないんじゃないかな~なんて、つい思ってしまいます。笑

  5. とんまま より:

    こんにちは。

    メンタル面が普通というのは、こんなにも凄いのですね。
    普通に会話が出来るというのは、大きいです。
    ここが抜けていると確かに人間ではなく、人間に仕立て上げていく作業が付いてきますね。
    それが厄介です…
    本当に不毛な戦いです。

    今朝のとんちゃん、いつもより起床が遅いのに、のんびり朝食、テレビ(見たい番組が開始されると定刻にチャンネル替えます)見ていました。
    とうとう登校の時間になって「行ってきま~す」と行く気になったのはいいものの、ジャンバー着てない、ハンカチ、マスクなし。
    タブレット、計算ドリル、漢字ドリルも持っていない。
    そして「あれ?筆箱どこいった??」とか言う始末。
    ハンカチマスクだけ指摘しましたが、後は知らんぷりしました。
    班に遅れる事3~5分、走って出ていきましたね。
    ええ、この寒いのに上着も着ずに。

    でも、何も感じないのですよ。
    普通なら、マズいなって感覚ありますよね。
    困っていないのですよね、これが。
    何も感じていないこの神経、どうしたらいいのでしょうかね。
    頭の中が、年中お花畑なのかもしれません…

    K先生、最初にとんでもなく凄い子を教えてので、今後どんな子が出てきてもびくともしないでしょうね。
    先生にとって、ものすごく力になったでしょうね。
    げんちゃんのケースが参考にならないという事はないと思いますよ。
    現にうちは、ずっと参考にさせて頂いています。
    タイプが似ているという前提があるからかもしれませんがね。

  6. ゆうママ より:

    普通とは全然違うのに、息子のことを障害という枠で考えてはいなかったです。障害を受け入れないというのとは違うのですが、障害の枠の中が息子の世界になってほしくなかったのかなぁ。
    息子はやっぱり普通とは違います。高校生になって、風変わりなところが目立ってきたような気がします。ただそこは周りの子たちも大人になってきてるので、必要以上に指摘されることはなく、付かず離れずでやっているようです。
    普通の世界を知った上で、社会に出て行くにはやはりサポートが必要かもしれないなと思っています。社会は複雑ですから。
    勉強はダメです。本当の意味で身についていないです。けれども、とりあえず小テストがあれば自分なりに勉強しているようです。偏差値の低い学校なので、ほぼ事前のプリントから出されるので、理解してなくてもある程度の点数がとれてしまうようです。テストがあることを把握して自分なりに準備しています。身についてるわけではないですが。
    この先、学力を伸ばしてもしれてるし、無理矢理進学させても意味がないし(今の時代、その気になれば大学進学もできるようです)何に力点を置いたらいいのかなぁと考えてます。 1

  7. glow-gen より:

    とんままさん
    ほんとにそうですね。げんちゃんは、少し人間になってきたのに、どか~んと抜くんですよ。そうすると、びっくりするようなありえな~い!がおこります。
    それが出たら、私の方がパニック、トラウマ・・・PTSDですよ(笑)
    そして、再起不能~と思ったら、また持ち直して、ちょっと人間が出てくる。
    あの、人としてのものをことごとく欠落させている子を育てているときのストレスが、自分にとって、どれほどトラウマになってるか、そのたびに確認します。
    あれが出ると、ほんと、私の方がパニックですよ。もう耐えられませんから。
    一度やっとそこを抜け出したような気分になってから、あそこの時点にもどると、それがどれほど、こちらを傷つけ、ふりまわされていたのか、ほんとに認識できます。
    まさに、カサンドラ状態が理解できます。
    発達育児は、恐ろしくこちらのメンタルをこわしかねない。
    彼らは全く自覚せず、当然のようにしなだれかかってきます。
    そこは、きっちり線引き。親子といっても、背負いません。メンタルの距離を置いておかねば、と思います。
    そう思っていても、まきこまれますから。

    大ちゃんは、意識障害の部分が弱いです。いわゆるADHDだ、と友達が言ってました。注意欠陥多動は、自閉が少ないから、一番軽いのだと。
    そうなのかもしれません。
    とんちゃんの朝の状況よくわかります。
    だって、げんちゃん、試験が終わった今朝、抜けまくって、遅刻する時間になって、いつもの朝ご飯作り始めていました。
    びっくりして注意したら、出かけて行ってセーフでしたが、抜けたら、時間さえない世界にまいもどるんだな、とあきれました。

  8. glow-gen より:

    とんままさん
    体感覚が弱いのもよくわかります。支援のお友達は、冬も半袖の子がいました。そして、先のことを考えないので、曇っていても、雨が降ってなければ、用意しないという有様。
    その場だけしかないのでしょうね。最近は、考えようとすれば見えるのに、それをオミットしますから、たちが悪いです。
    K先生が赴任した学校も、けっこう多くの発達ちゃんがいて、学級崩壊で先生がダウンしたそうです。親も、どうも発達のような感じの人も多いらしく、収集がつかなくて、先生がメンタルを病んでいってるそうです。
    お気の毒です。K先生はその中にあって、新人なのに、なんと6年生の担任抜擢・・・げんちゃん教えてたから、少々のことは対応できるのでしょう。
    (笑)

    しかし、げんちゃんは、
    命がけで、そこから救い出したのに、自分のおおちゃくさで、またそこにもどっていくのなら、それは許されないことだな、と、最近落ちるとそう思います。

  9. glow-gen より:

    ゆうママさん
    障害があるということは、しっかり等身大で受け入れますが、成長はここまでとかいうような、可能性を人間が決めるのは、違うんじゃないかな、と思います。なんというのかな~。それは、神のすることだと思っています。
    どんな人にも、神様は可能性を持たせてこの世に送り出していると思います。限界はありません。限界を決めることができるとしたら、それは神様だけでしょう。しかし、神様は、チャレンジするようにって、送り出しています。やはり、こつこつ今のちょっと上を目指し続ける必要があります。死ぬまで。
    とはいえ、普通の人も、そういう努力をしている人は少数派なのかもしれません。障害がなければ、それで普通にやってると思っているかもしれませんが、落ちて行ってることを自分できづいていない人も多いと思います。
    旧友に久しぶりに会ったら、成長していないな、と思う経験をしたりします。昔はもっと違っていたのではなんて・・・自分はどうだろうと振り返ります。一生成長し続けたいな、と思います。
    息子もそう生きてほしいです。正しく生きる。人として向上し続けることを、当たり前とする生き方、そこに力点をおくのかな、と、コメントを読んで思いました。

    テストも勉強も、人としての向上に役立ちます。謙虚に、こつこつチャレンジし続けてほしいです。その姿勢をしっかり身に着けてくれたら、社会に出ても、なんとか、神様に助けてもらえると思っています。なかなか難しいことですけどね・・・ 2

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