前半あっているのに、後半は、気持ちぬけて殆ど間違う。
発達障害の本質について、げんちゃんと長く付き合ってきたら、なんとなくわかります。一言でいえば、彼は、「目的意識障害」です。なぜ、何のために、どうして、そのように・・・・
物事の本質に関する、そのような捉え方を、平気で省略します。運転にたとえるなら、運転のやり方は覚えようとするけど、運転してどこに行くのか、と言うことに関しては無頓着。そんな感じです傍で見ると、とりあえず、車は動いているから、普通に運転しているように見えかもしれないけれど、よく見れば、車は、ずっと迷走しながら走っています。いつまでたっても、どこにもたどりつけません。なぜ、そのようなことがおこるのか。脳を動かすための心の動きが、とてもにぶいからだ、と少なくともげんちゃんに関しては感じています。
普通なら、目的の行き先もわからず、運転するのは、気持ち悪いと思いますが、げんちゃんはへっちゃらです。運転すること自体が目的になってしまっているから、車が動いていれば、ストレスはないのでしょう。まあ、車の運転なら、ただ動かしていても楽しいかもしれませんが、実際は、目的把握が弱い行動は、常に破たんとの背中合わせです。
ぼ~っと寝おきのよう意識でやる日常は、その場の状況からは乖離して、ただ、ルーティンに近いようなことを、なんとなくやっている。
漢字の練習をすれば、ただ漫然と、覚えてないところに印を入れて、再度やろうなんていうこともなく、放置していたら、ただ空欄を埋めている。また、そろばんをすると、おもしろいようなことがおこります。もともと、計算、暗算、数が鬼門となっているげんちゃんは、そろばんでの計算には、気持ちをぐっと入れる必要があります。入れた時と、そうでない時には、信じられないくらいの差があります。
30問プリントをやらせます。気持ちを入れて、かなり頑張った時は、9割くらいあっているのに、抜けてしまえば、1割しか合わない、という奇妙なことがおこるのです。ある時、実験してみました。2段目に入った時に、げんちゃんがだんだん抜けてきて、正答率がガタ落ちしてきたので、S先生が、なんとかまた立て直しました。すると、3段目は、また全問正解になりました。
ほんと、論文がかけそうなくらい、見事な精神とのリンク。これが発達障害の厄介さなんだと受け止めています。しかし、こういうめりはりも、ここへきてやっと、表面化させるのが楽になっていて、昔は、気持ちが入っているとき自体が、レアすぎて、比較もできなかったと思います。入っているときも、結構出てきた、という状況になったのだと思います。
しかし、そのオンとオフは、ほんとに、数分ごとに繰り返してみたり、オンと思って見ている中でも、相当にアップダウンがあると感じます。また、オンと思っても、きわめて表面だけ作っているときもあり、指導する方は、気を抜かず、げんちゃんを観察して、その場その場に変化させた、言葉かけやカリキュラムを出していくように、がんばっているつもりではあります。そうはいっても、こっちだって、そんなに暇じゃなく、長時間かかわり続けられるわけでもないので、えっちらおっちらという感じです。今、小学校の4年生くらいに入れられたら、ちょうどいいくらいのペースなのかもしれません。
ゆるい高校のゆとりの中で、げんちゃんに今必要なメニューを、がつがつやらせている感じです。中身を重視してやらせているので、こっちはかなりコアな気がしているけれど、はたからは、こなしている量は、ほんとに少なく、中学時代にくらべれば、ゆる~いのんびりムードに見えるかもしれません。たった一枚のプリントでも、本質をとらえてやらせるということが大事で、量を言うなら、中学時代の方が詰め込んでいたに違いありません。本質の改善、今のゆとりは、そのために、ほんとに大事なんだと思っています。自ら考え、物事の本質をとらえようとする努力。己に圧をかけ、脳を心が動かす努力。まあ、普通の人が普通にすることなんですが、できるようになってほしいです。
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スキルとしては身につけても実践として使えないという感じなんでしょうね。うちの息子も割合の計算はパターンでできても、買い物するときに◯割引きと書かれててもすっと計算することができません。あとは概算とかできないですね。パターン通りしかできないんです。この辺りは意識というよりも脳の使い方が不器用なんだろうなと思っています。
げんちゃんは声をかけると意識が戻るんですね。自分で気づけるようになって自分で意識を入れれるようになるといいですよね。息子は嫌なことには意図的に意識を入れないか、わたしの声かけでシャキッとはなかなかならないです。
中学の頃は今から思えば、わかっていなくてもとにかくやらせるといった感じでした。今は少し主体的にやってる感じになってきてるように思います。内容はゆるいけど、提出期限や約束事に関しては指導してくれるのがありがたいです。ペナルティ(掃除等)もあるんですよ。
ゆうママさん
そうですよね~。勉強したことを、実際の生活につなげていくためには、気持ちが大事なんですが、つなげようとする気持ちの一歩を踏み出さない子だ、と感じています。
S先生は、こんな風に言う。
認知症の人は、自分が認知症だから、忘れないように、とか思って行動しても、どうしても忘れてしまったりする。
それに対して、げちゃんは、そもそも、忘れないように、なんていう心の圧をかけない。
そういう圧をかけていけば、できないわけじゃないのに。そういうことがめんどくさい、自分には関係ない、そんな無責任でずるい気持ちが根底にある。と。
たしかにそうだな、と思います。
たとえば、カーテンが汚れている、ということをある時言いだして、洗濯しました。でも、それに気づけるなら、ここも感じるはずでしょ。というところはスルー。とても気まぐれで、自分中心です。
また、空間認知もまだまだおそまつで、概数計算ができないのも、自分で枠を作ったりするのがとても苦手、どのあたりで線引きしたらいいか、なんてことが、感覚的にわからない。
一つのことを何通りにも、角度をかえて、とらえさせるように、言葉をかけていったり、学習の角度を変えたり、細々とやっています。
ゆうママさん
スケッチもとても大事なカリキュラムで、細々やっています。彼の内部、コアなところをかえるには、自分自身が、これでは、世間では通用しないんだ、自分はずれてるんだ、と認識する必要があります。
夏休み、短期の単純作業のアルバイトに応募してみました。どうせ落ちるでしょうけど、履歴書を自ら書いて、打診するだけでも、彼にとって、世間というものを感じるきっかけになるかな、と思います。たまたま時給が内容のわりにいいので、もちろん書類審査までも行かないと思いますが、申し込んだから、というセリフだけでも、彼はの心はちょっと動きました。
家で、私がいくら突き放しても、やはり、限界があります。
それと、ユーチューブで、親が死んで、施設の空きをまつ、障害を持つ方のドキュメンタリーを見せたりするのもちょいちょいやっています。げんちゃんが、ぬるま湯で甘えているなら、自分のしょうらいはどうなるのか、ちゃんと向き合わせるのがいいと思っています。
最近は、適度に気持ちを抜いて、表面だけなんとかつくろえば、ルーティンな生活がなりたっていくと勘違いしているようで、高校ショックも、そろそろ慣れてきて、効果が減っています。
ゆうママさんのお子さんの学校は、生活指導がちゃんとされていていいですね。