最近ユーチューブで、知的障害単独、あるいは、身体障害も併せ持つ、成人したお子さんと、その老齢の親ごさんのドキュメンタリー動画をよく見ます。
そこでは、親が亡くなったあとに、子供さんがどうなるのか、親の心配は大変なものだということがわかります。
そこで繰り広げられている生活を見るときに、あることが気になりました
。
障害を負って生まれてくると、それがひどければひどいほど、障害は、初期の段階で、固定化されてとらえられがちだということです。
たとえば、硬いものは食べられない、と判定されると、その日から、硬いものを食べるようになるためのプログラムはされません。
ひたすら柔食を与えられます。
しかし、人間は、どんな人でも、成長する可能性があります。たとえ、病気でできない、とされたものでさえ、変わることがよくある。
実際、認知症になったご老人、脳梗塞で体が不自由になった方、医学が無理と認めた人でさえ、こつこつ取り組んだ結果、現状をベターにできる例は枚挙にいとまがありません。
人は、今のちょっとだけ上をめざして、努力を怠らず暮らすものなのだ、と思っています。
これは、障害の有無に関係ないと思っています。
現状維持でいいと思っていても、残念ながら、人は現状維持と言うものは、存在しない生き物だと思っています。現状維持でいいと思って何もしないと、たいていは、落ちます。少しの努力を続けることは、現状維持を続けるための最低限の投資で、その継続をやめなければ、ちょっとずつでも、上に進んでいく可能性もあるのです。
ですから、げんちゃんも、もし、この子は障害があるから、できる範囲でのんびりと、サポートありきですごしてきたら、絶対に今のげんちゃんはありえなかったでしょう。
げんちゃんは、幼児のころより、さらに問題は深刻化し、家族の負担も膨大になっていたに違いありません。
げんちゃんは、最近では、かなりできることも増えています。幼児のころに、できるようになる気さえしなかったことの多くができるようになっています。
しかし、進化とともに、副作用のように、ずるがしこさも強くなり、上手に表面だけを作って、うわべだけやってごまかす、と言う技も使います。
やるべきことに、気持ちを入れてやらないので、一見うわべはやっているように見えても、中身がとんちんかんだったり、何も身にならなかったりするのです。
認知症を患っている人が、自分は認知症だからしっかり覚えないと、と自覚しても、どうしても忘れてしまう、ということがあるなら、げんちゃんの場合、しっかり覚えないと、という自覚を持とうとしないところが問題なのです。自覚を持てば、少しずつでもできてくることなのに、そもそも、自分には関係ないでしょ、というスタンスでいるものだから、なんでもスルーしてしまう。
やろうとしてもなかなか難しい認知症の人からすれば、ずいぶん傲慢な失態だと思っています。
それがわかるので、自覚を促すために、前出のユーチューブを時々見せています。自分のリアル、になりうる。
今の日本は、知的障害の方が、親亡き後、入れる施設の数も足りないし、金銭的なサポートも十分ではありません。
実際、げんちゃんの持つ手帳は、金銭的支援は全くないだけではなく、生命保険、休業補償、あらゆる保険に入れないというペナルティーさえ存在します。
少しでもできることを増やしていないと、きわめて不安をかかえていくことになるし、依存ありきの暮らしになるのです。
「障害はなおりません。お母さん、あなたが背負っていくんですよ・・・」
こういう考え方を、病院や療育ですりこまれてしまうケースが多いと思います。ひたすら、どうサポートするか、どう自分たちが背負っていくか、という話になり、その子自身にどうトライさせるか、という考えは乏しいと感じます。
親が、子供の人生すべてを背負って、その子がすべき努力まで、親のものにしてしまうのは、お子さんの可能性を奪うものかもと思います。
前出の障害を持ったお子さんをかかえるご高齢の両親のドキュメンタリ―などを見るたびに、もう少し、背負うだけでなく、本人に自立に向けた訓練をしてあげられなかったのかな~と思ってしまいます。
将来、人の手を借りて暮らしていくとしても、できることが増えれば、自分も楽しいはずです。
私は、げんちゃんができることをふやし、人としての道を可能な限り身に着けて、できれば自立してほしいとおもいます。彼には、死ぬまで努力し続けてほしいと思います。普通の人だって努力しなければ下降、げんちゃんのような子は、それがはなはだ激しいのです。
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Mさん
お久しぶりです。
お元気でしたか~。とうとう、義務教育が終わり、高校になんとか行けたか~、って感じです。
ほんと、精神年齢は、小学生か、幼児なんじゃ・・・と思う時ばかり。
そのくせ、逃げたり、パラサイトしたりする感覚だけは、とぎすませてきやがって・・・てな具合ですよ。その頭のめぐりを、なぜ、前向きな方向に使わないか、と日々格闘です。
それにしても、下のお子さんもトラブル発見なんて、ほんと落ち込みましたね。一人でも大変なのに、エネルギー半端ないですよね。でも、やるっきゃないです。ほんと。前に進むしかない。
今、日本は、どんどん弱者切り捨てばかりやっていってます。将来が、ほんとに不安になりますよ。
とにかく前向きに前進していたら、道は開けます。そう信じてやるしかない。
このばかげた政権に微力ながらも働きかけなきゃ、と、ググって、がんばっている政治家やオピニオンリーダーにいいね押したり・・・ささやかな、スマホ活動もやっております。ほんとに先のことを思うと、心配だらけですから。心配していてもしょうがない。がんばって突き進みましょうね~。
書いてあることがよくわかりません…どこかで知的障害などあるのを認めきれてない気がします。
こんにちは。
親亡き後の問題、明日の我が身です。
昨日学校から「知的障碍者の就労支援説明会」(市主催)というチラシをもらってきました。
着々と時は迫ってきています。
就職、就労…
言葉がズシリと重く感じます。
成人した障害のある方とその親御さん、病院でよく出会います。
自分の将来と重ねてじっと見てしまいます。
重くどんよりした気持ちになってしまいます。
仰る通り、障害判定を受けた頃、病院や療育で「治らない、諦めて背負っていきなさい」
という事を言われてしまうことが大きいですよね。
昔は今のように情報を簡単に手に入れられないので、医者に言われてしまうとそのまま受け止めるしかないですよね。
親御さんの性格もあるのかもしれませんが…
障害判定の時点で、このようなことは言わず、何でもトライさせていくような話をしていくようになると少しは違った未来になるのかなと思います。
現状維持も大変ですよね。
頑張って頑張って、現状維持ぐらいですもの。
落ちるスピードは人並み以上ですものね。
こんなところが人並み以上って嫌ですが…
げんちゃんにYouTube画像を見せているのですね。
私は見せた事はないですが、将来働かないとどうなるのかは話をしています。
今水道や電気を使えていて、雨風しのげる家に住み、ご飯を食べることが出来ている。
大好きな電車にも乗れる。
なぜ、こうやって生活が出来ているのか。
社会に出て働いているからだ。
お父さんお母さんがいなくなったら、とんちゃんは自分で働かないと今の生活が出来なくなる。
というのをこんこんと話しています。
まあ、全く響いていないようですが…
実感がわかないというのが本当のところのようです。
通りすがりさん
そうですか、書いてあることがわからない・・・。そうなんですね。としか言いようがないです。
すみません。認め切れていない・・・う~ん。現実をうけとめて、改善させよう。と思っています。
とんままさん
福祉は、年々よくなっている、と思いたかったですが、国は、とにかく30年緊縮財政あるのみ、で突っ走ってきたようです。
バブルの頃の日本の勢いはなく、とにかく庶民は重税に苦しみ、後進国化してきています。もちろんそんな中で、手厚い福祉などあるわけもなく、良くなった面もあるかもしれませんが、予算で見たら、確実に後退しています。
そんな中で、他力本願、パラサイト、をあたりまえとしているげんちゃんを見ていると、ほんとにはらはらしますよ。こっちにしなだれかかることは、凄く知恵が働く、ごまかして、今の環境で自分に圧がかからないようにするノウハウですね。
ほんとに考えることが無理なら、そういうことさえできません。自分がやりたい、とか、やろう、と思っているそういうことはちゃんとできるわけだから、自分の将来におこりうる、厳しい現実を見て、知恵を働かせよう、とすることは可能です。
なのに、めんどくさいことはやらないです。わが子ですから、できる限りの力は貸してやりたいけれど、彼のやるべきところをこえて、助けてはやれません。
第一、私が死ねば、誰も、彼を助けてはくれないのです。目先甘やかすだけで、将来は、ほんとに寂しくつらい現実があるのなら、今、できるかぎり、がんばっていくところに、力を最大限貸す。
そうして、自分でちゃんと考えて動ける人間になってくれればな~と思います。
まあしかし、なかなかですね。進化はしてますが、遅い。だけど、現状維持だけでも立派かも、と思えば、こういうものなのかもですね。
育児とともに、ちゃんと政治を監視することもやらなければ、この子たちは幸せになれないな~と思います。なにしろ、今は、普通のお子さんさえ、なかなか仕事につけなかったり、大変な時代です。
それと、長生きもしなくちゃ、と健康管理に気を付けております。泣
日々やることが多すぎて、将来のことまで考える余裕もないのですが、動画を見ると、どんよりなってしまいます。
げんんちゃんには、現実にしっかり目をやってほしいと思います。
これからの世の中、いわゆる平均以上の人でも生き抜くことが難しい気がしています。そんな中、息子にどれだけ手をかけて身にけたとしても、それでやって行けるのだろうか?と思ってしまいます。
今まで息子のためにやってきたことは本当によかったと思っています。けれどもこれから先、今までのようにガリガリと息子にエネルギーをかけることはできないなぁと思うようになりました。コロナ禍の中、死を現実味を持って考えるようになりました。今楽しく過ごす時間もやはり大切だなと。仮に将来困らないように今やれることをやったとしても、しれてる気がして…。
とても難しいです。あきらめたわけではないけど、今を楽しく過ごすことも大切。哲学的になりますが、今を生きたいって思います。息子も私も。
ゆうママさん
ほんとに、わかります。義務教育を終えて、今までみたいに、日常生活さえままならない子でもなくなって、ちょっと踊り場なのかな、と思います。
今を楽しく、というのも、あまりしてこなかったですよ。
それというのも、例えば旅行にげんちゃんを連れて行っても、げんちゃんは何にも感じず、ペットの猫みたいだから、せいがない。たまにうかれるときは、うかれすぎて、暴走したり。
家族サービスみたいな時でも、彼の異常のおかげで、こっちもしっかり楽しめない、という感じでした。
認知と言う点で異常をもつげんちゃんは、いつもどこか壁がありました。共感ということができないし、興味もないかんじ。
それでも、時は刻々と流れて、発達育児の季節もかわってきていますよね。本人がどれだ自覚を持って、自分の人生を歩いていけるかな~・・・
今、大切にしましょう 3