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げんちゃんは、小学生になっても、音楽に合わせて、手拍子が打てませんでした。
そんなげんちゃんなのに、藁にもすがる思いで、5歳の終わりから、ピアノを習わせました。
最初の先生は、げんちゃんにピアノを教えることはできませんでした。げんちゃんが、ピアノの前に座らないからです。30分のレッスンは、教室を動きまわるげんちゃんを、先生がおもりをしているようなあんばいでした。
小学校に上がる前になって、前の先生の事情で、今の先生にかわりました。
新しい先生は、かなりしたたかにげんちゃんを扱ってくれたのと、げんちゃん自体が成長したのとで、やがて、10分ほど、ピアノの前に座ることができ始めました。
1時間のレッスンの半分は、私がお願いして、点つなぎとか、音楽とは関係ないようなことをして、埋めてもらっていました。
とにかく、ある時期までのげんちゃんは、ピアノの練習をさせるのも、猛獣を調教しているような、すさまじいエネルギーを要しました。たった20分練習させるのに、私は消耗しきってしまいました。
さて、そんなげんちゃんについて、ピアノの先生がある時、こう報告してきました。
「げんちゃん、自分が間違っているのを、気づけるようになったんです~!」
いつだったでしょうか。たぶんずっと大きくなってからです。
それまでは、私が、間違って弾いたのを指摘しても、げんちゃんは、一向に無視でした。
「え~?間違ってないよ~。」
と、ふてぶてしく言ってたように思います。その時は、なんて、おおちゃくなやつ! と思っていたのですが、最近、その意味がよくわかります。
意識がぼんやりとして、何もつかもうとしないげんちゃんは、自分が弾いた音さえ、意識の中に入ってこなかったのだ、と思います。
音をしっかりとらえようとする思いがなく、ただなんとなく弾いているだけなので、自分が間違っても、まったく聞き取れないのです。
いわば、すべて出しっぱなしのやりっぱなし!なのです。フィードバックはしないのです。
的が絞れない、ということにも通じます。常になんとなく、ぼんやりやっているだけ・・・
しかし、ある時から、げんちゃんは、自分の音をフィードバックするようになりました。意識のレベルが、前よりクリアになってきたのと、音楽番組がきっかけで、ピアノに興味が出てきたからでしょう。
自分で自分の出した音を聞こうと、少し思いを出すようになったようです。
そして、さらに、最近げんちゃんは、カラオケにはまりました。
過去カラオケどころか、ちょっとした歌さえ歌えませんでした。
無理やり歌わせると、もはや、原型をとどめない歌になってしまいます。音もリズムもまったく合いません。
これも、また、音を合わせようとする意識がないと、歌は歌えない、ということなんだとわかりました。
ところが、最近はまったのです。ピアノに送り迎えする車の中で、スマホのアプリで、地上の星を歌っています。
何度も何度も歌って、少しずつ合う音が増えてきました。
ピアノ、歌・・・げんちゃんが興味を持ったのと、彼の意識が少しまともに成長したのとで、だんだんできるようになったんだな、とわかりました。
(もちろん平均的なとこまでもいきませんが。)
こつこつ、できないことが、少しずつできてくる。心・・つまり意識をしっかり焦点に合わせることができてくれば、今までできなかったことが、一つ一つプラス転換するんだと思います。
この子たちは、できないのではない、エンジンを動かす、キーがないようなものなんじゃないか、て、つくづく思います。そして、動かさないうちに、やがて、エンジンまで不具合をきたしてくる。
あるレベルまでは、必死で、こっちがエンジンを動かしてやらないといけないのかもしれません。でも、ある時自分で動かし始めると、できないとあきらめていたことが、すっとできてくるのかもしれません。
歌もピアノも、自分の出した音に、意識を集中するという訓練にいいです。思いを出す、ということが具体的にわかりやすいので、体感することができるのではないでしょうか。
長い道のりでした~。
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