ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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なつかしい、昔買ったソロバンのおけいこ(算数が楽になるカラーそろばん)

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げんちゃんの算数地獄、棚から取り出したこれは、小2年生だったかな~。買ったのは。
私は、算数障害を治せるなら、何でもやってみる覚悟でのぞんでいたよね。

コロナも少し収束して、やっと学校が始まります。政府のやってることは、たくさん矛盾をかかえて、現場の仕事にもいろいろ弊害が出てきています。知り合いの関係者で、職場をたたんだ人もいて、気の毒になります。ていの良い自粛を叫ぶ政府のやり口は、結局、自己責任で国民に自粛をさせて、保証はせずに逃げ切るという、いつもの手口が見え見えです。

 私は、医学的にしっかり予防のできるコロナの予防法を徹底することが大事であって、マスクの徹底などもせずに、いきなり経済活動停止、と来ることに違和感を覚えます。

ま、発達ブログなので、ボヤキはその辺にして・・・
げんちゃんは、この休みを終えたら、やっぱり、次のステージに進んでいるようです。まだまだ、勉強に対する逃げはあるものの、自分で、机につき、自ら勉強するようになりました。
内容がひどいときもありますが、横にずっとついていないとだめ・・ということは、少なくなりました。

それは、げんちゃんの心が、私やK先生の目があるからやる、させられるからやる、と言う段階をやっと終えはじめ、自分でやらないといけない・・・という気持ちが大きくなったことの表れだと思っています。意識が抜けていたら、腑抜けになって、横柄になったりもするものの、昔のような、無意味な反抗はほとんどなくなっています。

 学校の宿題は、基本的なワークブックで、そのレベルなら、一人で丸つけもしながら進めて行ってます。(数学はやってない。)私は、横についたりつかなかったりして、自分のことも多少はやれるようになりました。
 とは言え、意識をしっかり入れて捉えようとするときは少なく、意味不明なでたらめな回答も多いから油断はなりません。

 やらなきゃいけない! でも、きついと逃げる。ある境界線あたりで行ったり来たり、というのが今のげんちゃんです。時々、Sさんにものすごくカツを入れられたりして、果てしなく落ちるのをなんとか食い止めたりする場面もしょっちゅうです。

 私は日曜くらいしか教えることはありませんが、良かったり悪かったりです。

でも、気持ちをある程度入れているときは、疲れかたも半端ないみたいで、カリキュラムの間にいろいろ差し込んで、ガス抜きをさせています。

 今日は、むか~し買ってぜんぜん使えなかったそろばんをやってみました。まず、1から100まで入れる。 こんなことでも、昔はあんまりできなくて、そろばんで数を体験させるなんてこともなかなか難しかったです。さすがに、100まではすらすら入れました。繰り上がりのない足し算の指使いを教える、という基礎編をやらせてみたら、なんか、相当気持ちを使ったのか、すごく疲れていました。普通の子がするより、ずっと遅くて、結果として出来たものの、どんくささは否めません。

体をうまく自分でコントロールするというのは、げんちゃんには、普通の子よりずっとエネルギーを使うのかもしれません。

そういえば、意識の中に落とす、というのは、体が無意識に動くということでもある、と、なんだか、難しいことをS先生が言っておられましたね。

つまり、数というものが、ちゃんとコアなところに落ちていないので、まだまだそろばんの超簡単な玉運びも、スピーディーにできないのかもしれませんね。

でも、やればやるほど早くなっていく気配はあるので、これは、数を意識の中に定着させるのにいいのかもしれません。

私たちが無意識にやっていることなども、S先生の解説を聞いていると、何事も、心との相関関係があるようです。あきらかに、げんちゃんより、私の方が玉運びが早いのも、数の捉え方の違いがそこに出ていたり、心の奥の状態の違いが表面に現れているのでしょう。げんちゃんは、まだまだ意識の奥で成熟しないといけないことがたっぷり残っているのだと思います。

無意識でもしっかりやれること、というのは、つまり、表面でわかっていることではなく、心の奥で、しっかりとらえている、意味や目的をしっかりつかんでいる、と言うことでもあるのかもしれません。

でも、このそろばんのおけいこは、買ってから、7~8年経ってやっと活用できるようになっていることは確か。長い道のりでした~。

 

公開コメント 承認後公開

  1. robo_223 より:

    げんちゃん、相当ステップアップしましたね!つきっきりじゃない状態で勉強できるなんて相当の前進じゃないでしょうか。

    つきっきりでご褒美ありで取り組む→つきっきりでご褒美なしで取り組む→チェックされながら1人で取り組む→チェックの回数を減らして行く→チェックなしで取り組む

    となるわけですが、第3ステップに進んだわけですから、このコロナ休みには意味があったのではないでしょうか。

    ここまで来れば、中学を卒業しても勉強を続ける意味があると思います。中学3年生の段階で学習態度がきちんと取れるようになっていない子は、働く準備に入った方がいい場合も多いのですが、げんちゃんは学ぶ姿勢が取れていますものね。

    高校から中学の内容の復習の出きる環境なら、なおさらいいのですが、今は色々な学校があっていいですよね。

    まぁ、あくまでも、学校は枠でしかないので、あまり関係ないと思います。どの学校でも、この調子でげんちゃんは伸びて行けると思います。

  2. robo_223 より:

    ところで、自粛だけ要請して補償をしない政府の対応は私も残念に感じています。

    しかも、データを見ると3月27日辺りに日本の新規感染はピークアウトしていたので、4月8日の緊急事態宣言は必要なかったのかもしれないんですよね。新規感染者数のピークは4月11日辺りの700人ぐらいですから、その2週間前の3月27日辺りを境に実は感染は沈静化し始めていたわけですから、緊急事態宣言がなくても大丈夫だったか、または、もっと早く出していれば被害を最小限に防げたのかもしれません。

    もしかしたら、げんちゃんママさんがおっしゃる通り、うがい・手洗いとマスク、ソーシャルディスタンスだけで乗り切れたかもしれないんですよ。データ上では。

    結果論でしかないのですが、こう補償がない状況だと文句も言いたくなりますよね。私などは、今は損害がないけれど、今後不況になれば、様々な被害が出て来ると思います。roboの就職問題や年金などで。

  3. glow-gen より:

    ロボママさん
    ありがとうございます。
    >つきっきりでご褒美ありで取り組む→つきっきりでご褒美なしで取り組む→チェックされながら1人で取り組む→チェックの回数を減らして行く→チェックなしで取り組む

    なるほど、確かに一段階上がっているかもしれませんね。
    しっかり目の前のことをとらえていない・・・ということにおいては、まだまだやばいですけど、程度は少し上昇しているのでしょうね。
     今日も明日登校の用意をさせましたが、あきれました。たくさんの宿題、提出物、新しい教科書やノート。
    これらの整理や分類、そして、次の日何をすべきか・・・
    そういうことは、ほんとにまだ今からです。
    普通のお子さんは、こういう大量の事柄の処理を、一人でてきぱきとやるんでしょうね~。すごいとしか言いようがありません。
     ファイルや袋をたくさん用意して、整理整頓。そして、提出物をノートに書く。
     やっとスタート時点です。
    メモは昔よりずっと取れるようになっています。しかし、きたな~いですけどね。
    とにかく書く、ファイリングする。そういうことをこつこつやっていって、目の前のことをしっかりとらえるようにさせたいと思います。
     同級生に比べれば、ほんとに大きく差がありますが、後ろから、一生懸命大きく差をあけているものの、ついて言っている、そんな感じはします。
     社会の予習は、教科書を見なが一人でやっていました。小学校の時に、歴史は少しやっているから、なんとかできたのでしょうね。好きなのも手伝っていますね。
     やっと今勉強のスタートライン近くにやってきたので、中学1年生からもう一度入れてほしいですね~。普通クラスで、今なら、ぼ~ちぼ~ちやれるような気もします。もちろん、支援所属中学1年生ですよね。
     コロナ後の世界は、そういう一人一人にあった学年を選べる世界になったらいいな~と思います。
     でもまあ、来年からは、私と一緒のジムに通って、体を鍛えて、学習も、ユニークな某高校に入れてもらって、世間の枠にはめる部分と、独自の部分を組みあわせて、劇伸びしてくれないかな~と思います。
     まあ、いつもこつこつのげんちゃんですから、そうはいかないかな~。

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
    それから、緊急事態宣言の分析、確かにそうですね。たぶん、政治家のブレインの医者が残念なんでしょうね。
     権威というものの下にいる医者って、うちの大学でもそうだけど、ほんと使えない人多いですもんね~。名誉欲だけつよかったりして。
    もっと、まともなことがすっと通世の中になるといいですね~。コロナ後の世界は。  

  5. とんまま より:

    こんにちは。
    すっかり夏のような暑さになっていますね。

    げんちゃん、一人で学習が可能なんて、立派です。
    そのレベル、憧れますね。
    これまでのママさんとこれまで関わってこられた先生方、げんちゃんの努力の賜物ですね。

    ちょうど昨日、私が病院に行っている間、算数の体積問題(凹凸あり。分割して考えるパターン)をやるよう指示しておきました。
    さて、帰宅するととんちゃんテレビを見ていました。
    「終わったよ~」と余裕。
    中身を見ると、めちゃくちゃ。酷いなってもんじゃないです。
    速攻やり直しです。
    結局、私の見張りの下、解き始めました。
    分割し、片方を計算した後、いつの間にかそれが全体の答えになってしまったり…
    結局そこで「今、何を求めたの?」と合いの手を入れないと気が付かないんですね。
    まず、分割して片方ずつ求めて、それを合計するといった解法の全体図を頭の中に置いておきながら、今何を求めているのかという意識がまるでない。
    まあ、この子たちにはとても高度な事であるのは事実なのですが、この次元迄できないと、この先生きていけませんものね。

    今朝、自主登校にランドセルで行きたいと言うとんちゃん。
    せっかく私がリュックに荷物を詰めた後なのですが(自分でやらせないといけないのは重々承知です)自分でランドセルに詰め替えていました。
    が、、、、、やはりきっちりすべての物を入れませんでしたね。
    自分の意識の中にあるものだけを移し替えていました。

    朝、支度をせず、テレビを見ているとんちゃん。
    出がけに思いっきり私の雷が落ち(笑)これは本当に危険だと思ったのでしょう。
    ハンカチ、マスクの用意、カバンをさっさと背負い玄関に行って靴を履いていました。

    これら二つのエピソードは思いっきり意識のあるなしがわかりますよね。
    怒鳴らなくても意識がオンの状態になってくれないものなのでしょうかね…

  6. glow-gen より:

    とんままさん
    よ~くわかりますよ。一般の発達障害の専門家は、症状に名前をつけるだけのことが多いので、注意欠陥とか、ワーキングメリーが少ないとか・・・外側の症状で、山ほど診断がつくでしょうね~。
    でも、単純なことなんですよ。とらえたい、と思って、エネルギーを出すかどうか、それだけなんですよね。
    普通の人でも、頭がいいとされる人は、捉えようと思うパワーがたくさんで、ぱっとしない人は、目的を捉えるパワーが小さい。
    げんちゃんたちは、さらにさらに小さい。

    そこに着目すればとてもシンプルですが、そこが発達障害の世界では論議されていないように思います。
    私は、げんちゃんのことが発覚し、発達障害を調べ始めた時に、すべて外側ばかりの情報だな~と感じました。
    世のお医者さんとか、専門家は、症状に名前をつけて終わってる。そんな感じがしますよね。

  7. glow-gen より:

    とんままさん
    でも、捉えようとする気持ちが入ると、ほんとにけっこういろいろできるんですよね。
    げんちゃんは、算数地獄の小学校低学年でも、たま~に、あ、できるじゃん、という時がありました。今でも、算数は、きらいなので、からっきしですが、やはり、捉える気持ちが出ているときは、教える時も、そこまでストレスじゃないですからね~。

    ほんと、そこを改善できたらいいですね~。げんちゃんは、今では、出来るときも昔より多くなったのですが、なんせ持続できません。いいな~と思っていると、果てしなく落ちたりしてびっくりします。この不安定さがある以上は、できる、ということにはならないですからね。
     ほんと、克服してほしいです。

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