ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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常識的な教育指導方法が、発達障害児をだめにすることがある

  > PTAの会合に行くと、試験前でも、保護者は、子供のテストの内容などぜんぜん知らない人ばかりです。あたりまえですよね~。子供自身でみんなやってるわけですからね。塾を利用している子がいたとしても、つきっきりで母親が見てる子なんているはずもない。


 テストとは、なんぞや! 宿題とはなんぞや! テストの成績とはなんぞや!

今日は、K先生が、意識ぬけぬけのげんちゃんに、マインドマップをして教えたそうです。試験前の時間のない時に、そういうことをしないといけない最悪の状況だった様子。やれやれ・・・

「俺、今回は、テストめちゃ悪かったわ~・・・ぜんぜん勉強してなかったもんね。」

学生の間でかわされる、ごく普通の会話も、げんちゃんにとって遠い世界です。私たちが、テストを見て、
「なんじゃこりゃ~」って叫んだりするから、(ほんと、こっちサイドのエネルギーロスといったらない!)

そういう雰囲気を読んで、げんちゃんも、

「テスト悪かった~。」
なんて言うかもしれませんが、それはあくまで口先だけ、適当に追従しているにすぎません。

支援クラスのお友達の、性格がげんちゃんと正反対の、繊細なゆうすけ君は、テストの結果とか気にしそうです。彼は、とても劣等感が強くて、すぐひよってしまうようです。
 彼と対比するとげんちゃんと言う子がよくわかります。

げんちゃんには劣等感というのが、あるようであまりありません。それは、
「あ~そう。しかたないね。」「べ~つに~。」
という発言にも見て取れるように、自分というものを見つめる、ということがきわめて苦手で、自己を確認するということが、ほんとにできていないのです。何かがおこっても、めんどくさいと思って、ぶつっと切るので、自己考察のところに、つながりません。
 恐ろしいほどの強さに感じるくらいです。

自分というものが、まだないと言ってもいいのかもしれません。それゆえに、電信柱みたいに、自分を出すこともないので、集団の中で、とくに邪魔にもされず、ただ存在することができるようです。
 それに比べて、ゆうすけ君は、げんちゃんより、自分を捉えることができると思っています。そのために集団の中では、いずらくなったり、自分はだめだから、みんなとは一線を隔したい、とかいう感情が生まれてくるのだと思います。

 げんちゃんという子を把握できていないと、
「げんちゃんの気持ちを考えてあげて。」とか、「尊重して。」「聞いてあげて」

なんていう、教育現場で当たり前に使われる手段が、げんちゃんを、スポイルしてしまいます。。

発達障害でも、自分のことをけっこう確認することができるお子さんと、げんちゃんのように、まったくスルーしてしまう子では、指導のしかたが全く違うと思っています。
 ゆうすけ君になら、彼の気持ちを考えつつ、その方向性をぐいっとプラスの方向に向けてあげるような手法も用いれるでしょうけど、げんちゃんには、それは難しいと思っています。

先ほどのテストの結果の話ですが、げんちゃんに、

「テスト悪かったけど、次頑張ればいいよ。今度は、もっと気持ちを入れようね。」

なんて指導をすれば、おおごとです。だって、げんちゃんは、本気で悪かった~なんて、認識しているわけではなく、ただ口先でそれらしいことを言ってみてるだけなので、

”あ、そう。別になんということもないんだな。”
と、平気で思ってしまうのです。

「あなた、普通の子は、ぜんぜんお母さんに手伝ってもらってないのよ。それなのに、あなたより、みんな良い点数を取れるの。どれだけ、げんちゃんは、やる気ないの? 気持ち入れずに、適当にやってるから、勉強したこともぜんぜん答えられないのよ。成績が悪かったら、中学卒業しても、どっこも行くとこないからね。」

いちいち、強い口調で、現実をダメ押ししてやる必要があるのです。

そうしないと、テストの意味さえ捉えられず、さらに悪かったという大前提さえつかめずに、ポーズだけ作ることを覚える結果になるのです。


そこを押さえていない指導者を近づけるのは、ほんとに危険。こっちが必死で引っ張り上げたものを、一気に落としかねないです。そのため、学校の先生には、必死で説明し、げんちゃんを対等に扱うことがないように頼み込んでいく必要があります。気持ちを聞いてあげる、とか、寄り添うとかいうのは、それなりに、人格ができあがりつつある子にすることで、げんちゃんのように、まだあやふやな子には、ひたすら、こちらから、ベクトルを出して、枠を作ってやることに専念する必要があるのです。

極端な言い方をすれば、

「この場合は、こういう風に感じるべきで、げんちゃんは、まったくできてないよ!」
と、感じ方さえ、一から入力してやる。アウトプットを尊重したりする必要はないのです。せいぜいしたとしても、参考程度、で、それを主軸に展開してはいけないのです。

げんちゃんの取説は、かなり難しいと思っています。

そのため、残念ながら、いまだに絵画教室も復活できません。ピアノと体操の先生は、もともとかなり厳しいタイプで、げんちゃんを自分と同じ立ち位置にもっていったりしないので、細々と続けさせてもらっています。

PTAの勉強会などで、子供を尊重し、聞いてあげる。受け入れる。といった教育・・・そんな感じの講座があって、PTAの友達が、感動した~なんて言ってるのを聞いて、ふ~ん、なんてしらけている自分がいます。

そういう、誰にもあてはまるような指導要綱が、まったくはまらない、げんちゃんのような発達障害は、ほんとに気をつけないと、教育者にだめにされるということが、起こりうるということです。

まだまだ、ほんとに手が抜けないげんちゃんです。

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  1. robo_223 より:

    げんちゃんはまだ自分の感情をとらえることがあまり出来ていないのですね。これは悔しいという感情だよ、これは寂しいという感情だよ、と色々体験させながら教えて行く必要がありますね。

    でも、人の中にトラブルも起こさずサラリと存在できるのはうらやましいです。最近はほぼなくなりましたが、roboはなんだかんだとケンカしたりもしますからね。

    それに、感情が豊かな場合、感じることがズレているという現象があるのがやっかいです。

    例えば、テストで酷い点数を取った時、通常なら「今回は手を抜きすぎたな。次はもう少し勉強しよう!」と前向きになるべきところを、自分の努力不足は省みずに、ただ「僕なんて、どうせダメなんだ。」とネガティブな方向に感情が流れ、自力では失敗から何かを学ぶことが出来ないことがあります。

    感情が豊かだと、導きやすい面もありますが、余計な感情に走って、面倒なことも多いです。

    どっちみち、手がかかることには違いがないようです。

  2. nikon_leica より:

    先生や、他の保護者の方もそうですが、発達障害の子の理解、導き方、接し方、選ぶ言葉など、理解して対応して頂かないと、これまでの頑張りが無になりかねないですよね。
    テストの意味を理解するのは本当に難しくて、げんちゃんママさんのお気持ちお察しします。
    タイでは、幼稚園年少からテストがあって、我が子は鉛筆が持てませんので、常に学年最下位です。
    この為、留年することになるのですが、知能が2−3歳の息子にテストの意味を理解させる事自体が難しく、現時点では、理解できるところまで到達させることが目標になっています。

  3. ゆうママ より:

    息子を見ていると、宿題やテストに照準を合わせることができないんだなと思うようになりました。
    意識を入れることができないのはやはり興味のない分野、つまり勉強です。好きなことに関しては自然に意識がはいるようです。クオリティは低いですが、物を作るのが好きです。意識をいれたところで大したものはできないのですが、目の輝きがちがっています。
    息子はテストの点数が悪いのは気にするものの、ではどうしたらいいか、についてはまるで考えません。もう今は勉強はいいかなと思っています。息子みたいなタイプは勉強よりも働く方が向いてるんだろうなぁと思います。

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
    なるほどね~。気持ちが出ていても、ずれている。わかるような気がします。
     子供さんの時、多動というかけっこう激しく自分を出すお子さんは、かなり育児が大変ですが、自分から外へのベクトルが出ているので、思春期くらいから、けっこう修正されたりするんじゃないか、って思うようになりました。
     でも、その方向修正は、そう簡単なことではないですよね。
    だとすると、げんちゃんは、やっとちょこっと出てきたばかり、まだまだ山あり谷ありってことですか~。は~。わかっていても、どっと疲れますよ。(泣)

     小さい頃は、とにかく、一分のすきもおしんで、トレーニングって感じで、息つく暇もなく、電話にさえ出れないような状況でした。
     今は、そのころのように、私が外側を必死で作ってやる、というステージは終わりました。(というか、そのころは、意識について、何もできなかったので、ただ外側のできることを増やすようにがんばるしかなかったのですけどね~。)
     今は、とにかくげんちゃんの中から、やる気、逃げる気持ちに立ち向かう気持ち・・・そういうものが出てこないと話になりません。
     それなのに、幽体離脱してしまうことも多い。ほんと疲れます。
     げんちゃんが、いろんなところで、問題を起こしにくい理由を、Sさんはこう言っていました。
     自分に対しては、ぜんぜんつかもうとしないくせに、周りにたいしては、ベクトルを出すのだとか。雰囲気を読む、というのはやってのけて、他人のことも、自分で勝手にジャッジしたりするらしいです。
     自分にベクトルが向かないから、自分ははこうだから、という主張をしないから、なんとなく電信柱みたいにそこにいるんだそうです。
     自分へのベクトルが強くて、周りへのベクトルが弱い子は、俺が俺が、になりやすいようです。

  5. glow-gen より:

    Mさん
     お嬢さんの成長はすごいですね。
    げんちゃんのように、感情がないのか?というような状況から、一変、自分の意見を言えたり、思いを伝えたりできるようになるなんて、なかなかないことではないでしょうか。
     支援のお子さんでも、女の子の方が、横広がりがあって、感情を言える子が多いような気がします。
     性差もあるのでしょうかね・・
     いや、それに加えて、学校があっていて、心がぐぐぐっと動いたんでしょうね。
     ほんとにうらやましいです。
    げんちゃんも、昔に比べたら、ほんとに気持ちを言えるようになっている方なんだと思いますが、なんせ、レベルが低い・・・昔に比べたら、というだけで、絶対値から言うと、まだまだひどいですよ。
     でも、はたらきかけが、目に見えずとも、蓄積しているのであれば、ほんとに救われます。

  6. glow-gen より:

    ゆうママさん
     今、期末試験で、あいかわらず、うちも、試験範囲がどこ、とか、試験のプリントは足りてるか・・・・とか、考えることはまったくありません。
     言えば、あ~・・そうなの?って感じです。
     でも思うのですよ。まだまだ中学の試験対策など、オーバースペックなんですよ。私の試験になってしまっていて、私が大変なだけです。 
     内申とかどうでもいいわけだから、適当にやろう、と思っています。あほらしすぎて。
     ほっとけば、実技科目なんて。20点どまりじゃないかと思います。
     次は、バッハのトッカータが範囲なのです。げんちゃんは、何度もパイプオルガンのコンサートの行っているのに、たぶん、な~んも心動いてないんじゃないでしょうか。
     50点くらいは取れよ~と思います。普通の人の感覚や生活の規範を教えるための試験にしては、こっちの負担大きすぎです。
     高校は、落第しながら、5年以上行ったらいいのかもです~。

  7. glow-gen より:

    Naoさん
     タイでは年小さんからテストなんですか~?
     は~、国をあげて、学問に突進しているのでしょうか。
     げんちゃんなどは、5年生の終わりくらいから、やっと、テスト、というスタイルがぼちぼちはまるようになりました。
     それまでは、あれ、なんか、紙がおかれた、これって、読んでみよ・・・あ、なんか書いてみようかな~。
     そういう状態で、先生がつきっきりで、やらせていましたよ。
     それでも、簡単だったので、なんとなく、少しは埋めたりできるものもありました。もちろん、算数はまったくだめです。

     くもんも、6年生ではビッグチャレンジだったし・・・
     いや~。どの子を見ても、げんちゃんより、だめな子って、たくさんはいなかったな~なんて思います。

     そんな調子ですから、お子さんは、きっとげんちゃんより、ずっと行けると思いますよ。そうそう、年小さんの時、げんちゃん、鉛筆で何か書けただろうか・・・
     保育園の製作物は、先生が作ってしまっていましたよね。
     真ん中に、筆圧のない、意識のぬけた筆跡が、ひと描きしてあるだけ。
     わ~、よく私は、あの頃のんびりしていたものだと思います。なんせ、気づいたの、5歳ですから・・・ 1

  8. ここあ より:

    娘は中間試験が終わりました。中学になっても結局私がマンツーマンで生意気な娘と格闘しての試験です。娘は怒鳴らないと本気にならないので、学習に意識を集中させるのに疲れます。元々穏やかに教えていたらこんな風にならなかったのかも。。。と反省もしていますが。。。本当に息子の時は中学の勉強なんて何をしてるかも知りませんでしたが、今では私が計画を立て、私も一緒に学習しています(泣)
    げんちゃんは公立高校にこだわらないのでしたら、5教科は支援学級でげんちゃんが学んだことを試験にしてもらうことはできないのですか?娘の学校は理科と社会は簡潔な問題集をベースに学習を進めているらしく、そのまま予想問題として試験2週間前にもらってきて、ほぼその問題が試験として出ています。なので6割以上はとれます。普通の教科書のワークに比べると本当に簡潔ですが、とりあえず知っておいた方がいいことはまとまっているので、娘にはたまにチャレンジで補充していれば十分かなと思っています。副教科は授業は受けていますが、試験は支援学級で受けています(が時間がなくて冬休みにうちに持って帰って復習問感じでやることになりそうですけど)通知表も言葉での評価なので副教科もみんなと同じ空間でやることは大切と思いますが、試験にはそれほどこだわりはないので受けなくてもいいかなと思っています。私は中学校までの5教科はやはり組教育なので娘に知識としていれてあげたいと思っています。他の地区の中学校では知的クラスは『理科や社会はしません。』という学校もあるようなので、有難いと思っています。数学、国語、理科、理科は教科の先生が週に1時間ですが授業をしてくれて、理科は実験もしてくれています。個別の塾で国語と英語をしていましたが、何度も先生に『楽しいだけでは困ります。それから先生にタメ口で話していたら注意してください。』と言うのですが、迎えに行くたびに様子を見ていると娘はタメ口で楽しそうに笑って話しますし、先生も毎回『今日も楽しくできました。』と言われる先生で、まだ私が見れるし何より単語を覚える技をあみ出さないといけないので、英語は辞めました。その塾は勉強が嫌いな子供さんや、情緒の発達障害を持った子供さんが多いので、塾の雰囲気もアットホームで先生も優しいのですが、娘にはダメなんですよね。そのユルい雰囲気にだけ飲まれてしまって。。。学習が何も入らないです。

  9. glow-gen より:

    ここあさん
     試験がんばってますね~。親が・・・なんちゃってね。
    ほんと、試験でがんばってるのがこっちだけ、という状況があほらしくなって、最近やめました。
    今回、自分でコピーとらせたり、いろいろさせています。

     国数は、支援の先生が初めて作るオリジナルテストになってます。
     ま。でも、私の予想じゃたいして変わんないと思います。毎回、国数は、試験勉強しませんからね~。数学やってると、タイムロスだし、モチベーション下がるし・・・
     テストは、自分が普通からどれだけ離れているか、がっつり感じるためのものだと思っています。妙に、下駄はかせてもらって取れたりすると、げんちゃんは、すぐに勘違いするので、冷たい風でいいかな、と思います
     でも、そこに、私のスケベ心が出て、ついいい点をとってほしいな~なんて気持ちが働いて、がんばってしまうので、反省します。
     試験の目的がぶれちゃうからだめだな、って。
     少しずつしか上がんないんですよね~。そこをいっきに行かせたいとあせっちゃう。試験のとき、ためされるのはこっちかな~なんて、笑っちゃいます。
     塾の話よくわかります。甘すぎるんですよ。一般のどれも。
     障害児、とか、できない子とか、ほめて伸ばす、とか、ちょっとずれた視点の教育者が多いです。しかたもないです。発達障害をしっかり理解していないですからね。
     でも、中に、がつっと、ヒトとしての部分をしっかり育てる、という観点の先生がいたりして、そういう人は当たりです。
     K先生は稀有な一人かもしれません。それに、相性もありますよね~。なかなか、誰でもというわけにいかないので、ママの負担は大きくなりますよね。ご苦労さまです!

     うちの学校も、支援の子に、特にカリキュラムの差別はないように思います。あるとこはありますよね。

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