> 今日もげんちゃんと格闘しました。
ふ~・・・ほんと疲れる。何が疲れるかって・・・げんちゃんはまるで、脳みそのないかかしみたい・・・確かオズの魔法使いでそういうキャラクターが出てきたっけ・・・・・
いやいや、あの子は、心はあったよね~。
げんちゃんは、家に帰ってから、文句も言わず、熱心に机についてチャレンジタッチの英語問題をやっています。自学ノートを開いて、ひたすら、問題とその答えをノートに書きます。
if の構文です。If it is rainy,……と前に来るときは、カンマ、後ろならカンマなし。
また、形容詞のrainy なら、be動詞がいるけれど、動詞のrain なら、be 動詞はいらない。
まあ、いくつかポイントがあるわけですよね。
げんちゃんは、まことしやかに、うまいことノートに問題と答えを書いていくのですが、要点を聞けば、まったく何もない!
ポイントも上手に書き込んでまとめたりしてる雰囲気なのに・・・
しかたないので、全部説明してやりました。その直後、質問しましたよ~。アウトプットってやつですね。
がしかし、な~んにも出てこないどころか、自分でカンマに蛍光ペンで色塗っているにもかかわらず、な~んにも説明できない。さらに、形容詞などは、適当に形容動詞とか言ってみたり、意味不明。もちろん、内容も無!
ま、とにかく、まったくやったことがゼロなのですよね。写経でもしてた方がましじゃん!
勉強する前と後とでは、何かわかったことがあったの?
nothing! ただノートを埋めただけ! あほらしい。
「え~、ノートに書いてないからわからないんだよ~。書けばいいんだよ~。え~?」
何言ってんの、蛍光ペンでマークまでしてますけど!
すごいな~。よくもそこまで目的のない表面だけのことができるもんだ。
「僕はべんきょうするために勉強しているんだ!」
あなたは、まるでそう言っているみたい。
あまりにもスルーするから、メモにすべて書きなさい、と言ったら、メモに書くことが勉強だと決めてかかる。単に手段にすぎないことを、目的だと思う。おそろしいばかり。
しかし、げんちゃんは、わかりたい、とか、捉えたい、と思えば、目的だってとらえられるし、問題だって、答えられるようになってきてます。。
もう、こいつのたまらないところは、平気で、厚い皮をかぶって中には何にも入れず、表面だけつくろい、適当に手段にすぎないことを目的であるかの如くやり続けることです。
そして、おまけに、そのことを、正しいと思い込んで平然としている。俺はやっているんだ、だから普通なんだ!とふてぶてしいくらい思い込んでいる。
外見は一見素晴らしい。だから、お稽古ごとの先生だって、時々教えてくれたりする先生方(支援に時々入る数学の先生とかいろいろ・・・)だって、平気でだまされる。
「がんばってるよね。でも、障害児だからできないのはしかたないね!」
と思う。でも私にはわかっています。やつが、気持ちを入れれば、まったく違う結果になることを。結局げんちゃんは、まったくやる気がないわけ。自分ではやる気がある、がんばってる、と思っているかもしれないけどね。
ここまでお膳立てしてやって、まだズルばかりするのね!
絶対に許さない!
粘りました。
「Ifが前に来たら、何が違うの?」
どんどん脱線していく。 自分でつけた蛍光ペンのあとを見ても、何も気づけない、なんて、どこまで表面だけで勉強しているの? ほんとにあきれるわ!
「何度も言ったし、わからないはずないじゃん。自分でマーカーまで引いてるでしょ。もう何回も何回も言ったし。わかんなかったら、おじいちゃんになるまで考えなさいよ。勉強は、ただ写すことじゃないからね。どういうことなの? 気持ち入れりゃわかること。」
私は絶対にゆずらないし、あんたのズルを見逃さないからね!
すると、いつものように、さあさあ始まった。ありとあらゆる逃げのオンパレード。
「僕は、普通になれないから、学校へは行かない!」
あらての逃げか~。(このパターンは初めて!)
次は、こんなことを言い出して逃げました。
「ノートに問題まで書けって、K先生が言ったから! お母さんの言ったことはノートに書いてないからわからない。」
「あほか!書いてるやん! あのね。勉強ってのはね、.自分がちゃんと理解するってことなの。理解しやすいようにするために、ノートに書いているだけで、ノートに書くことが勉強ではないでしょ。ノートに書いただけで、頭に入れてないから、勉強しても、良い点が取れないし、ずっと支援クラスなんでしょ。わかんないの?」
ほんとに、どこまで逃げる気か!
結局、自分で考えさせて、アウトプットするまで絶対に許さず、追い込んだら、夜になって、(食事はしたけどね)
10時過ぎて、やっと涙が出てきたころに、ほら見てごらんなさい。
私の質問にちゃんと答えるわけですよ。そして、涙とともに、やっと降参したようで、自分が逃げていたことを理解したようです。
こういうことを、しょっちゅう繰り返しています。勉強は、彼の逃げをあぶりだす手段。今まで通りの学習をしてたって、なんの意味もない。ある意味勉強はどうでもいいのですよ。ヤツが自分で逃げてるってことを感じて、自ら深く方向転換する気になることが大事なのです。
賞味4時間近く、げんちゃんと私のさしの勝負って感じです。
4時間が、3時間になり、2時間になり、すっと心を入れて、学べるようになれば、すべてにおいて、目的だって意味だって捉えられるようになる。
なんせ、”目的””意味”、ごく普通の人が、なんということもなく感じ取ることが、難易度が高いというおそろしいげんちゃんは、Sさんの指導で、辞書を読む、ってことを始めることにしました。辞書には、”意味”や言葉の目的ってもんがありますからね~。
そこからやらなきゃダメなんだそうですよ。言葉の奥にある目的、意味・・・・そういうとこで感触を味わうんでしょうかね。地球人とは思えないげんちゃんです。
まあ、でも、昔と確実に違うのは、最後は涙が出てくること。そのころになると、気持ちが入っています。涙とともに、心のかんぬきがぬけるようなあんばいなのでしょ。それにしても、すごい硬いかんぬきだよね~。圧をかけるのも、ほとほと疲れ果てます。
追伸
ここまで圧をかけないと、げんちゃんって子は、心が動かないわけですが、はたで見てる姑は、母親が厳しすぎると映るようで、すぐにかばいたがる。
すでに、パパも娘も、げんちゃんを教え始めて、ぜんぜんげんちゃんに同情しなくなりましたよ。つねに逃げて言い訳をし続けるげんちゃんが、人間として許されないでしょって、わかってきたのでしょう。
最近、このサイトで、休みの予定を立てています。まだ予定だけですが、げんちゃんが体験できる”焼き物ろくろ”とか、ガラス細工とか、日帰りでできるところを探しています。
公開コメント 承認後公開
昨日のコメントにお返事ありがとうございます。
昨日は国語の文を作る問題に取り組もうと思っていたのだけど、テーマが「本を買うのは、書店がいいか?ネットがいいか?」でした。書く前に「どっちがいいと思う?」もいう話をしてたんです。まぁ、テーマ関係なくドラえもんの漫画を買った話や、図書室は5冊まで借りれるんだとか、何度か軌道修正しようとしたら、耳を塞いだり、暴言はいたり…私が泣けてきました。なんにも考えられないんだって思いましたよ。
学習も処理みたいな感じです。脳の省エネ?とにかく脳をつかわない。反射みたいな感じです。なぜ考えようとしないのか?息子の場合は言語能力の低さが根本にあるのかもしれません。心の問題で言語能力もあがるでしょうか?とにかく言語能力を上げたくて、いろいろ話そうとすると、脳が疲れるのか、逃げて行ってしまいます。私たちが英語圏で過ごすような疲れでもあるのかもしれないです。
楽したい、しんどいことが嫌い、もちろんこれもあるのですが、他にも逃げの原因を探らなくては…と思ってみたりしています。
それにしても4時間もさしで勝負したのはすごいです。げんちゃんもすごい。もう私には4時間は無理。忍耐力が足りないです涙 1
ゆうママさん
わかってくださいます~。このしんどさ。
人間を相手にしてる感じがしないのがげんちゃんなんですよ。
たまに、い~感じで、私の息子~って時も、最近は、ごくまれに出てきたのですが、まだまだぜんぜん・・・
思春期は、認められてしまう、ということをさけなければなりませんよね。常識感もない、ずれのオンパレード、そのくせ、それがおかしいと認識しようとせず、何が悪いんだ。お母さんが変なんだよ~、となる。
だから、それを助長する環境はことごとく排除です。学校の先生がおうおうにして、助長の方向に行きやすいですよね。
支援の先生はそのあたりがわかってきておられますが、たまにかかわる先生は、どうしても、「げんちゃん、がんばってるね~。」となりやすいです。
気持ちをいれずに、表面だけつくろっているのは、がんばっている、ことにはなりません。ただ人生を浪費しているだけ。
人が人として、正しく心をつくして生きていけるように、何が何でもなおしたいです。
それでも、横柄さをつらぬくなら、一度精神病院にでも入院させる覚悟ですよ~。笑
げんちゃんママさんは、げんちゃんに対して、しっかり働きかけていますが、やはり、げんちゃんの良さでもある強さが、げんちゃんの心の変化をゆっくりにしているところがあると思います。
周囲の思惑によって信念を曲げにくいということは素晴らしいことだと思います。
げんちゃんママさんがおばあちゃん方など、誰に「母親が厳しすぎる!」と言われても、信念を曲げないところと、実は似ていると思います。
でも、その信念が正しければ、ガンジーのような素晴らしいリーダーになれますが、信念が間違っていれば、ヒトラーのようなひどいリーダーになるという極端な結果になると思います。発達障害はプラスかマイナスかしかない、というのは、そういうことだと思います。
げんちゃんママさんとげんちゃんは、信念と信念のぶつかり合いを日々繰り広げていますから、そりゃあ、大変な格闘の日々になると思います。
ただ、本来げんちゃんは信念を曲げにくいタイプですから、心に変化をもたらすのには一定の時間を要すると思います。また、その働きかけの仕方も、あの手この手でバリエーションが必要だと思います。押したり引いたり、アメやらムチやら。
そうすれば、時間はかかっても、少しずつ変化は見えて来ると思います。
例えば、ピアノのような得意とする分野から表れて来るのだと思います。
そうは言っても、親の望むような分野、ペース、パターンで変化が見られるわけではないので、焦ったりくさったり腹が立ったりもすると思います。
でも、親の方も今世のチャレンジ・レベルを自分で決めて来ていますから、例えば、待つことが苦手な人は永遠に待つような気持ちのするシチュエーションを選んで来ているのかもしれませんから、それも自分のステージを上げることにつながるものだと思います。
努力はなんらかの形で報われると思いますが、必ずしも当初目指していた分野とは違う分野で報われたりすることも多いと思います。
私達は、特別な子育てを選んで、今世に挑んで来ていると思いますが、この努力が、どこに向かって花開き、終結するのか、いつか見極める日が来るのだと思います。 1
あと、余計なことだったら申し訳ありませんが、何回か前のコメント欄に素敵な返信を書いてらっしゃる方がいらっしゃるのですが、お読みになりましたでしょうか。念のため。
ロボママさん
げんちゃんは、ほんとになかなか変えていくのに難儀する子です。
信念というには、まだまだ確立したものがありませんが、げんちゃんのめんどくさい、は相当なもので、なかなかつきくずせませんね。
それでも、少しずつ少しずつ溶けて行っていると思います。
この部分は、手ごわいけれど、障害の根本のところで、そこを見据えてアタックできてきたことは、ある意味すごいことだと思っています。
チャレンジ! 大変だけど、やっぱり、おもしろいと思います。それは、やはりわが子だからでしょうね。手ごわいけれど、いつまでにと決まったわけではないですから、あの手この手、私がやれるうちは、がんばるし、研究する。
おもしろい育児だと思います。それによって、私の世界がどんどん広がっていくのが、とてもおもしろいです。
げんちゃんのためにやる、というより、彼への愛と、おもしろさでやってるのかもしれませんね~。・・・
でも、改善がまったくないと感じたら、とても苦しいですが、すこしずつでもかわっていってるので、やはりやめられないな~と思います。
ロボ君は、ある程度、射程域に入っているような楽しさがあるんじゃないでしょうか。すばらしいことですね。 1
こんにちは〜
とうとうサッカーのほうで拒絶がでてしまいましたー⤵︎
せっかく勝ち上がってるのに、夏からFWにかわりそこが嫌みたいで💧
FWなのに、思うように点が取れず、結構コーチからも厳しく言われたのが嫌だったのか?
泣いちゃうし、やりたくない、試合でたくない、チーム辞めたいなどなど、練習もボイコットしてしまい、チームの子達や父コーチなど、慰めたり励ましてくれたりしたんですが、変わらず(ーー;)
家ではしょっちゅうだし(勉強関連が多い)、こーなるともう難しいことも私はよくわかっているのですが、チームの親子、コーチ、監督は初めて見るみたいで、一生懸命言ってくれるんですが、全く折れず。
みんなに驚かれました。
息子、家と外で違うので😓
私は慣れてるんですけどねー
その後も嫌々練習行ったなーと思ったら、ほかの子たちに辞めるって言いまくったみたいで、また心配メールが。
チーム練習は、雨と台風で中止になり、準決勝トーナメントも延期になったので、とりあえずよかったです。
まさかあんなに好きだったサッカーを拒絶しちゃうなんて😵
6年でもう卒業なんですけどね。
もー本当難しいです。
みかんママさん
大好きなサッカーでも、そういうことがあるんですねー。
そういえば、作家の百田尚樹さんが、はまると、ものすごいのに、あと少しというとこで、ぱっとやめちゃったりする、と奥さんが書いてるのを読んだことがあります。
彼の行動は、でこぼこが極端で、おくさんが、かなりサポートしているようです。
奥さんは、永遠の0 という作品を書き出した夫に、はらはらしたようてす。ここまで、時間や労力をつぎこんでいるので、いきなりやめるという行為が出るんじゃないかって。
なんか、そのエピソード思い出しました。
奥さんは、とにかく、続けるように、結果とかどうでもいいから、とにかく、最後まで、やらなくちゃ、結果が出ることない、あとおししたそうです。
かれの作品は大当たりしたけど、自分だけの力ではなかったんてしょうねー、
お子さんも、なんとか、まわりで続けていけるようにサポートする必要があるのでしょうね。
そこをなんとか将来的にも、克服すれば、天才的なものを発揮する可能性がありますからねー。
百田さんのほうは、奥さんと結婚するとき、この人は、自分のマイナスを補ってくれると直感して、もうアタックしたそうですよ。
彼の若い頃は、成績とかはふるわず、しかも、ちょっとアウトローな感じです。
型にはめることなく、でも、そこそこ、流れにも乗れるように、まわりのサポート命って感じてすね。
ここ、乗りきれるとよいてすねー。
げんちゃんとは、まったく違うタイプですよねー。
最後の、げんちゃん自身が気づいた涙が心に沁みます。
我が子は文字が書けませんので、同じように練習して書けなくなると、泣きはじめます。
心を鬼にして、練習を続けますが、頑張って、頑張った結果の涙なのだと感じると、心が痛むときもありますが、げんちゃんママさんの決意が素晴らしく、逆に勇気をもらえた気がしました。
Naoさん
タイでの発達育児はほんとに大変でしょうね・・・アメリカでやっていたお友達とはわけが違いますね~。自閉症が知られてないなんて・・・
げんちゃんは、今まで涙が出ない子だったんです。小さい頃は、たまに泣いていましたが、それもまれです。かなり、きびしく叱っても、ただぼ~っと固まるだけ。
こんな年になればなおさら・・・・それが、やっとじわっとでも、涙が出ることがある。うれしいですよ。こころがあるってことだから。
この子たちは、自分の感情でさえ、自分のものでないようなところがあります。
でも、この時は、自分の何時間もやってきたあほな行動が少しわかったようでした。
普通の子にとっては、当たり前の泣く、ということさえ、普通にできないげんちゃんですよ~。
お子さんにいろんなことを教えるのは、大変なことです。でも、がんばってください。げんちゃんも、もし何もしていなかったら、今のげんちゃんはありませんでした。 1