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げんちゃんと言う子は、ほんとに厄介。そもそも魂が抜けたような状態でこの世に生を受けているようで、普通の人が自然と持つ感情や、情感というのが、ほとんどゼロに近い。実の母親さえ、慕わしい、とか、いなくなったら寂しいとか、そういうしごく当たり前の感覚さえ乏しく、いつも、
「私が死んでも、この子は泣かないだろう。」
と私に思わせる状態でした。
本来、そういうものがまったくないのではなく、Sさんによると、どうも、それが深い洞穴の中にでも入れられて、重たい鉄の板でもはめられたような状態だったそうです。
Sさんがかかわりだして、少しずつ鉄の板はのけられてきたものの、自分が穴から出ようとしないという問題が、立ちはだかるようになって、最近にいたってました。
捉えようとすれば、そこそこ捉えられる、でも、やらない。
げんちゃんに言わせれば、捉えようと意識を働かせることは、エネルギーのいることで、めんどくさい。今までのように、鉄板の下にいたほうが楽。
そんな感じらしいです。
でも、やっと、湿った日のかたつむりのように、時々つのを出しては引っ込める・・・その程度のステージに来ました。
たまには、げんちゃんの”つの”(意識)は、出しっぱなしの時もあって、そういう時は、とても人間的でかわいいです。
がしかし、それが出続けるときは、あまりにもまだらで、とん挫することがほとんど! あらたなステージの幕開けです。
意識が出てきたら、周りへの広がりが出て、先日のように、お友達とちょっとしたトラブルを起こしたりもしました。そしてさらに昨日は、こういうこともありました。
ノート勝手に書く事件
げんちゃんの社会のノートを見たら、げんちゃんは黒板を写していないことがわかりました。なんと、げんちゃんは、ここんとこ、自分が書きたいようにノートを書いていたようです。
「ぼくは、自分で書くんだ!」
と自信をもって言い張ります。聞いてみると、先日学習した際に、げんちゃんは、
「普通クラスの勉強法は、自分が理解したようにノートにまとめることなんだ。」、
という気づきを手に入れた。それで、社会もそうするんだ、とマイルール炸裂で決めてしまったようです。
もちろん、普通の子なら、板書も見つつ、自分なりの理解を入れながら、見事なノートを作り上げたかもしれませんが、そういうことではありません。
「普通クラスの勉強法イコール、自分で勝手にノートを書く。」
げんちゃんが作った決まりは、なんか、変です。
そういうきわめてずれた等式ができあがってしまうげんちゃんのノートは、板書は無視。
K先生があきれて指摘すると、げんちゃんはふてぶてしく、自分の意味不明な理論を展開します。(まあ、理論ともいえないレベルですが。)
さらに、その事件があった日は、ほんとに意識が抜けていて、すべてにおいて、マイルールのオンパレード。K先生は頭痛がしたほど、辟易したようです。
げんちゃんは”守破離”(しゅはり)の”守”(正しいことを、教えられたとおりにやること)の段階をすっ飛ばして、いきなり、めちゃくちゃな”離”(自らの独自ラインを確立するステージ)に飛んでしまって、おおごとこいてしまう、という感じです。
K先生の一生懸命な説教も、「ふん!」とばかりに蹴散らします。まあ、このモードが出てきたら、お化けでもとりついているかのごとく、扱いにくい!
S先生が、先日私に行った言葉がよみがえります。
「意識に広がりが出てきたのはいいけれど、広がりだけが暴走してきた場合、物事を傲慢にやろうとしたりするよ。なんせ、ちゃんと捉えられていないわけだからね。」
私はその時、何気に聞いていたのですが、なるほど~、と納得しました。げんちゃんの認知は、100パーセントずれている、そう考えたほうが危なくない。そういう彼が、捉えようとして広げているわけで、そこから生まれてくるのは、かなりやばいものになる、ってことなんだね、と思い知ります。
頭、心、常識、その位置がどれもいい感じで、全部均等に働く・・・・まあ、むつかしい。わかったようなわからないような・・・・Sさんんが言うことは、むつかしいけれど、なんとなくわかる気もします。発達障害とは、つまり、頭、心、常識、のバラバラ感なのかもしれません。
そして、生きる上での基準というものがまったくない、とも言えるでしょう。まだまだ、社会のノートの話で、ちっちゃなことかもしれないけれど、成人して社会とかかわるようになっていけば、ことは大きくなる。
ほんと、今は、彼から目が離せない。(まあ、目を離してよかった時期なんて、もちろん、なかったんだけどね!)
さてさて、次なるやばさが始まってますよ~~。笑
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げんちゃんは、意識が外に出て来たので、意識が早く出ている子の小さい頃のように、問題行動が多発する時期に突入したのかもしれませんね。
周囲の方々は大変かもしれませんが、成長の過程として必要なものだと思います。
おっしゃる通り、ここでみ
続きです。
ここで目を離したら、とんでもない方向に暴走してしまうと思いますので、しっかり導いて上げる必要がありますね。
本当にお疲れ様です。
K先生の一生懸命な説教も、「ふん!」とばかりに蹴散らします。
これこれ、この態度をわたしにとるんです。げんちゃんママさんにはこんな態度をとることはないんでしょうか?
中学の社会の授業は、今はほとんど板書をしないようですね。重要語句を各自調べたり、グループ学習で課題を解決して自分なりにノートをまとめるようです。テスト前にノート提出があって、これもものすごい負担です。息子がまとめられるはずないです涙
息子も傲慢な態度をとることがあります。
息子は世の中を甘くみています。現状把握のできなさ、自分を客観的にとらえることができない、これが傲慢な態度に繋がってる気がします。ほんと目が離せないのですが、ずっとお説教し続けるのも疲れてきますよ。
ロボママさん
ほんと、げんちゃんという子はすさまじいな~と思ってしまいます。もし、私が何もしなかったら、福祉施設にずっと生活するか、ある場合は精神病院にお世話になるか、どっちかだと思います。認知症のひどい老人と同じになってしまうように思います。
今でもまだまだですが、やはりやってきたので、こうやって次のステージに行けるんだな、と思います。
まあ、それにしても、すさまじいですね~。
魂が抜けたり入ったりしているようです。笑
ロボ君は反対に過剰に反応したりするんですね~。それも大変です。でも、ちゃんと人間としての気持ちがあるので、かわいいですよね~。
ゆうママさん
げんちゃんは、基本横柄ですよ~。なんたって、こっちの立ち位置なんてわかろうとはしませんからね~。
何度言っても、ぜんぜん聞いてない、ということがあっても、そのあと、怒り狂ってる私を前に、
「いいから、教えて。」
とか平気で言いますよ。ほんと、首絞めたろか~と思います。
人間とは思えない心ですよ。ヤツは。K先生はほんとに頭痛がしてくるようですよ。
たぶん、なんか憑依しているに違いない、なんて、こと真顔で言いたくなってしまう、と言ってました。
ただの知的障害ではなく、人格障害・・・げんちゃんはまさにそうですよ~。思春期の舵取りになんとか成功しないと、人格欠損の大人ができあがってしまいます。ほんと目が離せないです。
同じく、人間の心を持ってないと感じることがあります。憑依している…その通りです。
定期テストも終わったので、勉強以前の気になるところにアタックしました。あなたはどう思う?という話し合いです。今日は私にあまりにひどい態度をとったので、(私に、ばぁさんと呼んだり、お前といったり、手を銃の形にして撃つ真似をしたり)中学卒業したら家を出なさいと言いました。
我が子ながら、ちょっと理解できないです。いろいろ考えたりするのが本当にできないようです。暗記ならAIでいいですもんね。人間らしい思考をできないって、これから先どうやって生きていくのでしょうね?
ゆうママさん
そうですか~。似たりよったりなのでしょうか。げんちゃんは、ほんとにひどい。これは、人間とはいえない・・・そう思うことしきりですが、げんちゃんが特別というわけでもないのかな~。
今日も、5時過ぎから10時まで格闘。何を格闘したかというと、私が教えた時間はすべて無駄にしたということです。な~にんも入ってない。しかも、ただ、写すだけのような勉強をして、俺はやってると思い込んでいます。
投げ出したくなりますよね~。あまりにひどい。義母、実母、私がきびしすぎるから、げんちゃんがひねくれる・・・とかそういう単純なとらえかたしかしなくて、こまります。
背筋が寒くなるような恐ろしさを、表面だけではこの子たちに感じないのでしょうね。
おそろしいことです。そういうことが、げんちゃんを助長して、自分がおかしくない、と思い込むのです。だから、誰にでもまかせられないです。逃げ場になってしまうから。
家族でさえ理解しない場合があります。ほんと質の悪いAI以下、そんなげんちゃんですよ。