ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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発達障害の本質かも、自己意識の出方、大きさ。

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運動会のクラスの旗をデザインしました。聖火の火の部分は、何か描こうとして描けないでいたので、とりあえず、絵柄を聖火に見立てて、火を描いてやったんだけど、描かない方がよかった。とほほ それにしても、色といい、栄光をつかみ取れ、なんていう、素敵なキャッチ。逃げがつきまとうけれど、前向きな気持ちになっているのかもしれませんね~。

最近になって、ようやく少し見えてきたこともあります。


先日、職場に発達障害の1年生の男の子が来ました。その子は、4歳の時から交流がありました。
発達検査表があったので、5歳の時に記入してもらったら、げんちゃんとたいして変わらなかった、と言っていました。そのころ、彼は、言葉も少なく、体幹もよわよわしく、げんちゃんの昔とあまりかわらないように見えました。

ところが、彼は小学校進級を前に、今回IQ検査をしたら90台、支援に所属しながら、普通クラスで毎日過ごしていると聞きました。
そして、私がもっともびっくりしたのは、その子が、待合室にある破れた絵本を、お母さんに言われて持ってきて、

「読みたいからなおしてください。」

と言ったことです。さらに、その子は、
「今日、治療って何時間かかるの?」
と言い、
ちょっとじゃれている間、「それは何円?」というセリフまで飛び出してきました。

1~2年前は、言葉数も少なくて、目も合わないような感じだったその子が、目を見て、げんちゃんが言ったこともないような、意志の伝え方をした。

”この本を読みたいから、なおして。”

おまけに、時間という概念も生まれているし、物がお金で等価におきかえられる、という感覚を持っている。

これは、げんちゃんではありえないことでした。
スタートは、あまりかわらないように見えたこの子とげんちゃんの違いは何なのか。私は、即座になるほどと思いました。これはすべての原因ではないかもしれませんが、このお子さんには、げんちゃんにはなかった自己意識というものがあるのではないか。

げんちゃんとその子は、最初は似たように見えただけで、自己意識のあるなしで、時を追うごとに、IQに代表される外側の成長に差がついてきたんだろうな、と感じました。
その子のお母さんより、私はたぶん、たくさんあれこれやっていたと思います。なんせ、やれることのすべてをやったと断言してはばからないほど、私は、そのころ、げんちゃんの改善に全精力を費やしていました。(今もか・・・笑)

しかし、自己意識がまったくないげんちゃんは、私の努力を、すべてざるで受け止めるかのごとく、げんちゃんの前を素通りして、かなり非効率にしか成果をあげていかなかったんだろうな、と思いました。

 言ってみれば、げんちゃんは、必死で入力したパソコンのキー操作が、次に何も指令をつなげないようなもので、意識が希薄すぎて膨大なアクションを捨て去っていたのででしょうね。
 ”これは何だろう?””あれ?””なぜ?”” なるほど~・・””そうか~。・・・”
人が心で無意識に行う自分への機動力がぜんぜんないげんちゃんは、目の前でおこるすべての事象は、ただ過ぎ去るだけ。彼に少ししか作用しなかった。

それに対して、友達のお子さんは、最初に会ってから今まで、げんちゃんより、ずっと外からの刺激を自分のものにしてきたのではないかなと思いました。もちろん、普通のお子さんより、それは、希薄だったのかもしれないけれど、少なくとも、げんちゃんよりは、はるかにできていた。

つくづく、Sさんが、
「ある意味、げんちゃんのような子が、ここまでこれたのは、奇跡だとも言える。」

と、よく言いますが、げんちゃんのような子とは、まさにこういうことだったんだな、と感じました。げんちゃんは、今でもその傾向は強いですが、自分がこうしたい、どう感じるといったことを、ほとんど言ったことのない子でした。たぶん、自分がどう感じるか、わからなかったのでしょう。そんなことがありえるのか、と思うけれど、自己というものがぼんやりしていて、何をやらせても、自分の中をただ通り過ぎていく感覚しかなかったのだと思います。

学習も覚えるためには、心で覚えようという意思がなければ絶対覚えられない、とSさんは言います。脳が動くには、意識のエネルギーがいるのだそうです。

これを理解するのにとても役立つのは、前回のブログで書いた感情が爆発しやすいお子さんの話です。自己意識のエネルギーが強く、そのエネルギーは脳にアクションを促す。脳は、強いエネルギーを受けて、どんどん動く。
 アクションをおこすエネルギーが強ければ、脳は、過剰に働き、それと同様に、感情も過剰に動くというわけです。
 前のブログで書いた子は、小さなことにも過敏に反応し考え、同じレベルで、感情も過敏に発動してしまうというのではないでしょうか。

 そう考えると、げんちゃんが正反対、と言うのもうなずけます。自己意識がまったくというほど出ていないげんちゃんだったとしたら、それによって動かされる脳の働きも低く、感情も当然静的になるのです。つまり、IQだって、ちっともぱっとしなくなるのではないか。

 しかし、6年生からS先生にお任せすることになって、げんちゃんは、やっと自己意識を外に出してもらった。もともとそれがないわけではなく、出方が誰よりも少なかった、という状態だったのだそうです。

 そして、自己意識が外に出てくると、最初は、赤ちゃんに毛が生えたようなありさまで、好き勝手に感情が爆発するような感じになる。やっと脳にも、指令が出されるようになってくる。(だとすると、ほんとは学習も、もう少し簡単で、考えるためのエネルギーが小さいものの方がいいのかもしれません。)

感情が爆発するだけのげんちゃんは、やがて、やらなきゃいけないけれどやりたくない。と、把握するようになる。(この段階の長いこと・・・)

 一方、げんちゃんは、今までまったく自己意識がとらえたこともないことを、初めてとらえているわけで、処理の仕方もわからず、不安感と疲れと、相当なストレスを感じてしまう。
 
今のげんちゃんを端的に言うと、行く方向はわかるものの、具体的にやるべきことと結びつかず、もがき出た自我だけが、自分を認めてほしいと願っている。そんな感じなんでしょうかね。

 ”ちゃんとやるのはきつい。”だから逃げる。でも、ちゃんとやってるポーズは作って、それを認めてほしいとあがき続けている。私にはそう映ります。

 げんちゃんがS先生に指導を受けるようになってからの歩みは、まるで、人間が、自己を確立するステージを、一つ一つ分解して構築するようです。興味深いと言えなくはないけど、ほんとにじれったい。

一見突き抜けなくていらいらするけれど、実は、水面下では進化していってることも確かなんでしょう。
ただ、水面下で上っている階段があまりにも高いから、一つ登れば、そこで、もういいや、となるげんちゃん。じれったいじれったい・・・・

 今思えば、昔、様々なトレーニングなり学習を、トップダウン方式に、クオリティーは低くても、なんとかやってこれたのも、いやだ、とかめんどくさいという気持ちさえ、認識できなかったからなのかもしれません。

今、げんちゃんは、自己意識が出てきたために、昔トップダウンでやったことが、むしろできなくなっていて、どうしちゃったのと、当惑することもあります。

自己意識エネルギーの出方、大きさ・・・そういうものを見つめたら、発達障害の本質が見えてくるのかもしれない。そう感じるこの頃です。

公開コメント 承認後公開

  1. robo_223 より:

    げんちゃんみたいなタイプのお子さんも伸びていないわけではなく、適切な環境で適切な働きかけがあれば、伸びているのだと思います。

    でも、小さい頃、あまり問題行動がなくて、実際よりも軽く見えたので、実はげんちゃんママさんがおっしゃっていたように、空の箱があって、そこを埋める作業をずっとしているので、実質的には成長しているけれど、表面的には伸びて行っている実感がないだけだと思います。水面下では、着々と力をつけていると思います。

    逆にアスペルガーの子などは、早くから問題が表面化していて重く見えるので、改善が見えやすいということだと思います。高機能自閉症の子は、その中間なのかなと私は勝手に考えています。

    だから、私は自閉症スペクトラムとまとめてしまう良さもあるけれど、実態がより見えにくくなるので、良くない面もあるなと思っています。

    でも、その一つ一つの診断の中にも多様性があるので、やはり1番いいのは、S先生がされるように意識を見ることなんですが、それが誰にも出来ないから困るんですよねー。

    とても考えさせられ、そして、自分の考えを明確にまとめられました。本当に素晴らしい記事をありがとうございました。

  2. glow-gen より:

    ロボママさん
     確かに言われる通りかもしれませんね。
    げんちゃんは、ほんとに、空っぽの箱を埋める作業をひたすらしてきた育児でした。
     小さなころの記憶は薄れてしまっているけれど、静かににこにこしているので、育てやすい子だと思っていました。
     だから、5歳の半ばまで、しかも、先生に指摘されるまで、異常にまったく気づきもしなかった。
     ただ、少し成長がゆっくりで、男の子はそういうものだ、とか、勝手に思っていました。
    でも、どこかで、変だな~と感じてはいたと思いますが。

     S先生はずっと身近にいたのに、空っぽの箱になんとかアイテムを満たせば治る、と思っていたので、意識のことを言われてもまったくぴんとこなくて、6年生になって初めてお願いするようになってしまいました。でも、心を育てよう、的なアドバイスをされても、育てる手段がないように思われました。なんせ、すべてができないような子だったので。
     でも、げんちゃんに何年も本気でかかわってきたので、おぼろげながらでも、発達障害の本質がつかめてきたのかな、と思います。でも、Sさんに出会ってなければ、何をやっても本質がかわらないげんちゃんを見て、発狂していたかもです。笑
    あまりにも手ごわくて・・・
    ロボママさんも、発達の本質をずっと探っておられたんでしょうね~。世の中にあるのは、たんに分類。分類がなされるために、その本質はなんなのか、という情報は、見たことがありません。
     でも、Sさんの教えて下さることは、実に本質だと思います。
     論文にでもするといいんだろうな~と思います。ほんと。・・・療育の現場が変わるかもしれませんよね。
    しかし、意識をどうやって見て、扱うのか、なかなか難しいですよ。人間とは何なのか・
    そういうたいそうなテーマにさえなりかねないですよ。深いです!

  3. glow-gen より:

    Sさん
    このたびのブログは、ほんとにげんちゃんみたいな子をもっていなければ、あまりわからないかもしれないな~、と思って書きました。私にしては、発達障害の本質がわかってきた、と感じてきていて、なるほどな~と腑に落ちている部分なんですけどね。
    でも、それを読んで。わかります、と言ってくださってうれしいです。とともに、お子さんの大変さが目に浮かびます。
    何にも感じていない子供と、心の交流をするのはむつかしく、子供への愛が、からまわりするようなところがありませんか。私は、ずっとそうでしたよ。
    最近、少し、ほんとに最近、かわいいな、と感じるときがあります。もちろん、いつもかわいいと思うときはあったのですが、自己が出てきたら、ずっと、反抗期みたいなかんじで、なかなかかわいいと思えない時期が続いていました。
    継続しているわけではないですけど。すぐに憎たらしい行動をします。笑

    しかし、意識のを出すのは並大抵ではありません。げんちゃんはそういうタイプの中でもほんとにひどいとSさんに言われています。
    たしかに、この子は、げんちゃんより、意識が出ていない、と思える子は、重度の身体障碍のある子だったりするのですが、その子さえ、Sさんによると、しゃべれないとか、動けないとか、あるけど、この子は、気持ちはげんちゃんよりあるよ・・・なんて言われるしまつ。

     気持ちがどんどん外に出てきたらいいですね。

  4. ゆうママ より:

    素晴らしい考察だと思います。おっしゃる通り、スタートは同じようでも成長の仕方はそれぞれです。なるほど自己意識の有無なんですね。

    息子はまだまだ意識をコントロールできていないし、感情に支配されていると思います。やらなくちゃいけないけどやりたくない。だから逃げる。逃げる手段を考えることに意識を使う。そんな状態です。上手く依存する方法も覚えているような…。
    意識の方向が間違って伸びてる気がしています。

    トップダウンはうちも無理ですね〜。どんな風に舵取りしていったらいいでしょうね。上手くできなくても、どんくさくても、真っ直ぐに向き合ってくれたら、いくらでもサポートして応援したいんですけどね。頑張らずに逃げてるように見えますもんね。実は本人なりに頑張ってるのかなぁ?本人は頑張ってる(つもり)なのに親に「頑張ってない」と思われるのは嫌だろうな、と思ってみたり…。
    中2、やれる範囲でコツコツとやっていくしかないのでしょうね。

  5. glow-gen より:

    ゆうママさん
     お友達の支援クラスの同級生の子のお母さんも、やりたくないことはやらない、どうしたらやってくれるのかな~・・・と嘆いていました。
    普通の子でも思春期でいうことを聞かない時期ですが、発達の子は、それと同じに考えて対応すべきではないこともあるだろうな、と思います。げんちゃんは、自己意識が出てきて、ある時期から、好きなことは禁止。というステージがありました。今もその流れです。感情が好きなことだけに走りたがるので、すべてとりあえず切って、やるべきことをやるようになったら、もどす、という目標です。とにかく、自分の世界に行っちゃわないように、傍からは、ちょっと厳しいステージかもです。

    そのかわり、休憩代わりのことはさせたりしてますが、それも、時間を切って、自己世界にひたらせないようにしています。
    そして、やたらに肯定しない。とか・・・・ここは、ほんと、自分だけの判断ではむつかしすぎて、わからないときは、すぐにSさんに電話して指導してもらいました。

     清塚さんのサイン会も×だった、というのも、感情世界につっぱしらせてしまったのでしょう。せっかく良いことをしていたのに、もったいなかったです。
     とにかく、正しく冷静な行動、それを導く、そんな感じです。自己意識の中心にある、感情に支配されない、麗しい部分を動かす、ということらしいです。

    ほんと、この時期、とんでもなくむつかしいな、と思います。

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