>げんちゃんは、3月のSさんとの合宿でフルに心を使ったようで、すっかりくたびれています。げんちゃんのような子は、新しい心の動きを経験したり、今までスルーしてることに、、価値観をおいて、”思いを抱く”、なんてことをすると、ぐったり疲れてしまうのだそうです。関連性を考えたりすることも同じだそうです。
表面的な自分中心な気持ちだけ動かすのであれば、そう疲れず、いつもの慣れた道を歩むごとくなのだけれど、正しい思いを学び実行すると、新しい初めての道にチャレンジするような状態になるのだと思います。脳のシナプスだって、使っていない新しい道を使うので、苦しいのだと思います。
だから、げんちゃんの、合宿翌日のマインドマップは、へとへとでまったく出力できませんでした。K先生が担当してくださったのですが、ささいなことも、絞り出すような感じで、疲れ方が半端なく、勉強にまでエネルギーが残っていないようでした。
でも、学校の春休みの宿題は膨大で、普通のお子さんだって、必死でやらなくちゃ終わらなそうです。
「宿題はもうあきらめて。今は、心が優先。」
Sさんに言われているけれど、やっぱり、宿題、未提出、ってのは、にっぽんのお母さんには、ちょっとしんどいですね~。
K先生のところから帰ると、げんちゃんは、玄関先から、気持ちを切り替えます。きつくてパンクしそうだから、完全に抜くのです。靴は、玄関で飛びまくり、泥棒が入ったようなリビングになっても、ぜんぜん平気。そもそも、目の前の自分のやりたいこと以外は、まるで、闇の中で見えないんじゃんないか、とさえ思います。
家で、ここまで気持ちを抜いてしまうなら、意味がない。だって、そこを今訓練しているのだから。私はため息が出ます。そしてあれこれ指導します。頭が剥げそう!
そして、今日またK先生のところで、マインドマップ。先生が電話で私に報告します。
K「信じられないです。げんちゃんの考えていること。ずれまくってます。」
「やっぱり・・・」
K「特にお母さんに対する横柄な考え方は、自分が間違っているなんてみじんも思ってないようです。お母さんが、死んでもお墓まいりなんか行かないよ。挙句の果てにこんな言ってはならないことまで平気で出てくるんです。げんちゃんの本質から出てくるものではないとしても、何を言っていいか、悪いか、そんなことさえ、わかっていません。」
「でしょう・・・発達障害の子がみなそうとは言わないけれど、心の欠落はほんとにひどいですよね~。発達障害、なんて、名前がうそくさい。心の欠落症とでも名前替えしてほしい・・・そうすれば、どう取り組めばいいか、もっと見えてくる。」
K「一つ一つ考えを、つぶしていって、正しい考えに導いています。コンプレックスどころか、自分が一番正しくて、一番えらいと思っているんじゃないかとあきれますよ。」
知人の父親が亡くなった時に、発達障害の息子さんが、お葬式にも出なかったことを思い出します。なんて、ひどい、と思うけれど、お父さんを惜しむ心が全く芽生えないんだと思います。自分の心の深い部分がとらえられないできてしまったその彼は、何を感じるべきなのか、何をすべきなのか、まったくつながらないのでしょう。私たちは、ひどい、と思うけれど、感じないものは感じない・・・
げんちゃんも、たぶん、何もしなければ、同じような路線の人間になるんだろうと思います。たくさん、そういう人に関係してきているSさんは、何もしない時のげんちゃんの行く末も、はっきりわかるのでしょうね。今、ここでふんばらないと、社会に出すどころか、ドロップアウトして、家族みんなに迷惑をかけるような生き方になってしまう、とわかっているのでしょう。
逃げ場を用意してはだめ、というのもしかりです。
今げんちゃんは、母親が口うるさく指導して、うっとおしく思っても、どこかに逃げて、自分を肯定することはできません。K先生に指導され、Sさんに指導される。毎日K先生と情報を共有して、絶対にダメなことはダメだ、と教え込んでいく。そこに向き合うことは、本人的には、すごくエネルギーを使って逃げたいけれど、逃げれば、自分の人生はだいなしになる。少しがんばれば、ちゃんと突き抜けられる。どこに行っても、同じ価値観でげんちゃんに迫ることが大事だと思っています。
ところで、野球教室を3月でやめようと思っていました。見に行くと、げんちゃんは、ここは完全に抜く場所、と決めていたのです。先生と何度もお話させていただいて、少し厳しく抜かないように圧をかけたり、本来の能力を出すように指導してもらって、気持ちを入れて臨むのであれば、やる意味があるけれど・・・ということをお伝えしました。
小学校チームの教室は、げんちゃんにとって、上手く活用できれば実になるけれど、圧をかけず、上手に抜く場所にしているなら、成長の糧にはなりません。いまや、気持ちを入れることができるようになってきているのだから、周りの圧のかけ方次第で、明暗が分かれるのです。
しばらくして、先生がお電話くださいました。まったく新しいやりかたをげんちゃんにやってみる、とチャレンジを宣言してくださいました。それで、続けさせることにしました。私も、これからは、できるだけ見に行って、野球教室のあと、その日のできごと、先生の指導を検証をしてやろうと思います。うまく活用できるとまったく違うげんちゃんの野球教室になるでしょう。Sさんも、時々は行って下さることになりました。
たぶん、この野球教室の若い先生も、げんちゃんに取り組むと、育っていくんだろうね。K先生のように。この子たちに逃げずに格闘すると、親も教師も育っていきます。皮肉なことに・・・笑
それが、この子たちの神様からの、一つの役割なのかも~・・・
まったく勉強は進みませんが、げんちゃんの心を総ざらい、そんな感じの春休みになってます。
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なるほど~。分かりましたよ。すご~く分かりました。
要するに、げんちゃんには、roboが中学1年生の10月まで、私がやって来た基礎トレーニングを今しなければならないんですね。
roboの場合は、そこが、ほぼ終了しているから、次の段階として、自分で何かをする、というところに、駒を進められているのだと思います。
げんちゃんは自分で、まだ意識を入れて、何かをする、ということが出来ない状態だと思います。roboもまだ怪しいので、観察が必要なんですが、半分近くは出来るようになったので、出来る部分は少しずつ手を離しています。
でも、roboも自分ではほとんど意識を入れられない時代が中学1年生の10月ぐらいまで続きました。
ですから、それまでは、意識を抜かないように、常に私が声掛けをしていました。
例えば、習い事の専門的な技術は、先生に教えていただかなければなりませんが、先生におまかせしてしまうと、roboは意識を抜きます。ですから、私は全ての習い事に付いて行って、roboに手でサインを出したり、時にはそばまで行って、なんだかんだと声を掛けていました。または、レッスンの始まる前や後に注意事項を伝えて意識を高い状態に保って参加できるようにしていました。
また、家で勉強やピアノをさせる時も、終わった後に「は~っ💨」と大きく長いため息が出るくらいに追い込みました。roboにとって、意識を入れるということは、しんどいことなのでしょう。
つまり、ただ単に1人でやれることがいいわけではないんです。1人で意識を入れてやれるようになって、初めて「やれる」という状態になったと評価出来るわけです。
それまでは、親がついて回って意識を上げ続けなければ、どんどん意識を下げる癖がつく一方です。
ですが、げんちゃんママさんのように働いてらっしゃる場合は、ついて回れないのですから、習い事の先生自体にそれをやっていただかなければならないということになります。
それが出来ない先生の習い事にには通わない方が今のげんちゃんにとってはプラスに働くことになると思います。公文も絵画も野球も同じですし、学校も同じです。
その上で、自分で意識を多少入れられるようになれば、自分で凸を伸ばし、凹を埋め始めると思いますが、そこは、単なるスタート地点であって、突き抜ける、という段階はまだまだ先だと思います。
roboもまだまだ、というか、ずっと突き抜けないままの可能性があります。
ちなみに、この基礎トレーニングを親が私のように1人でやる場合、反抗期になる前にだいたいのメドをつけておかなければなりません。
でも、げんちゃんのように反抗期が始まっている場合は、親以外の方に協力してやっていただくしかないので、げんちゃんママさんのやり方はげんちゃんに適していると思います。ちゃんと学校の先生や習い事の先生に理解と協力を仰いで進めてらっしゃるからです。
それから、家での様子なのですが、完全に意識が抜けている時は、どんな状態でも、もう仕方ないです。今は無理なんだとあきらめてらして大丈夫だと思います。ハゲるほどストレスに感じなくていいですよね。笑
ロボママさん
なるほど、テキストみたいですね~。
またまた言葉おにしていただいて、ものすごく、自分のやろうとしていることがわかりました。
そうなんです。そうなんですよ。げんちゃんは、意識をオンする持続時間を長くし、自分でどんな時も、抜かずに、完全オフにしてはいけないんですよ。
気持ちを入れ続けるのは、相当きついようですが、それをがんばっていかなければ、いつまでたっても、ゆうれいのようなとらえどころのないげんちゃんのままなんです。
でも、昔より入れることはできるものだから、自分の好き勝手に、やりたいとこだけ入れる。だから厄介なんですよね。それをゆるしてしまうと、ほんとに、一生つねに、誰かのお世話にならなければならないし、周りからも受け入れられません。今は、上手にぬいて、やってる感だけの行動は、極力排除なんです。
野球もそうなれば、やる意味はありません。おっしゃるように、意識を入れてやれるようになる、ということが目標なので、なんとなくやってるふりをしているのをしているだけなのは、やらないよりむしろ弊害があります。
それでいいと勘違いしてしまうからです。
2年生は、確かに、ロボ君の一つ前のステージなのかもしれません。
教えてくださってありがとうございます。
でも、ロボ君は、自分の意志で、一生懸命意識をいれようとがんばるようになった、ということですね。
持続時間を長くしても、前より疲れなくなった。入れたくないときでも、入れなくちゃ、とがんばれる。
発達障害の本質の改善ですよ。
私も、本質を改善させたいのです。そして、彼の中身のコアな素敵な部分を外に出したいです。
それができた時は、絵画も、音楽も、思う存分やらせたら楽しいだろうな、と思います。
発達障害の本質の改善はそこですよね。
意識の持続時間が伸び、自分の興味のないことにも、自力でオンすることが出来るようになると、意識を入れても疲れにくくなるので、自分の興味のあることに対して意識をオンした時のパワーが通常では考えられないレベルになるのかもしれません。
そうなってらっしゃる発達障害の方は確かにいらっしゃると思います。
げんちゃんの学校は春休みに宿題があるんですね。こちらはないんですよ。すごく楽です。やはりその子にちょうどよい学習内容と量をさせてあげるのが一番なのだと思います。すべての子に同じ内容、同じ量の宿題を出すの、なんとかならないのでしょうね。
意識を入れ続けさせるには、こちらの労力も相当なものですよね。へとへとになるし、私自身が無理な時もあったりで、どうしたものかと思っています。
親に対する横柄な態度、頭にきますよね。ただ他人に対しては全くないんですよね。親への甘えなのか、なめられてるのか??
それから、芸術的な発想や創造的な発想は、意識が抜けた時に湧いて来るものなので、意識が抜けてぼんやりすることの多い発達障害の人はすごいインスピレーションをがおりて来やすいと思うんですよね。
だから、やっぱり意識のオンオフが自力で出来るようになるのが理想ですね~。
頑張りましょー✊
春休みに宿題がでるんですね
春休みは長めだし、宿題もなく、さらに怪我で半月ほどサッカーができず(よーやく治りそうです)、家に長い時間います。
あんなに以前夢中になってたゲームには全く見向きもせず、アマゾン?でマイナーな漫画を大量に見続けていました。
その中で、主人公がサッカーがめちゃくちゃ上手いけど、潔癖症の漫画がとても気に入ってしまい、潔癖症になる!とここ最近毎日部屋の掃除、トイレ掃除をしてます💦
息子は興味があると、とことんのめり込むタイプで、ユーチューブでも掃除のやり方や掃除グッズを見て、これがほしいと買わされたりして、掃除にのめり込んでいます。
手洗いもかなりしっかりやるようになりました。
サッカーを今後もやり続けるし、潔癖症にだけはなってほしくなく、今までは潔癖につながりそうなテレビを見せないように気をつけていたのですが、まさか漫画でそんなものがあるなんてって感じです。
当分掃除ばかりしそうです💦
意識を入れてほしい勉強は、時間たっぷりある今、全くといっていいほどやらず、意識入れてほしくないところに入れまくり、本当難しいです💦
ご無沙汰しております。
みんな一年が終わり、新年度が始まりましたね。
とんちゃんも4年生。
小学校折り返しなんて、信じられません…(汗)
皆さんが仰っているように、興味のないことに対しても意識を向けて取り組めるようにというのが、最大の目標ですね。
本当に意識を抜いているときは酷いものです。
放課後の学童が一番意識を抜いていますね。
3学期ぐらいから、親の言う事を全く聞かなくなりました。
(学童で宿題やってきなさい)
働いている以上、学童には行ってもらわねばならないのですが、極力滞在時間を短くできるようにしています。
春休みなんて丸一日。
恐ろしくて行かせられません。
ということで、また私の実家に放り込みました…
丁度旦那も長期出張中で、私は11日間おひとりさま。
もう、何と素晴らしいのでしょう(笑)
とんちゃんから解放されただけでこんなにも違うなんて。
友人は子供と一日でも離れるのが寂しい、よく平気だね?と…
とんちゃんいなくて寂しいなんて微塵も感じません。
金曜日に帰ってくると思っただけでぞっとする程です。
子供を好きという気持ちより、毎日振り回されたり、あのできなさ加減にうんざりしたり、(まだ暴言は吐きませんが)マイナス要素ばかりが蓄積しているからなのだろうと自己分析しています。
ホント、剥げそうですよね。
小学校に入ってから白髪出てきたし…(涙)
4年生の学習内容見ましたが、わかっちゃいますがかなり難易度上がりますね…
(普通の子もバラバラと落ちてきますもんね)
よくげんちゃんやってきたなと思いました。
しかも、確か5年生ぐらいからは、ほぼ普通級にいて、テストも受けていましたよね。
うわーー。
新年度から交流授業に学習系(算数とか)入れてもらおうとしましたが、やっぱり無理かなと怯んでいます。
部屋の整理をしていたら、げんままさんの2011年の記事をプリントアウトしたものが出てきて、読みふけっていました。
改めてうんうんとうなずくばかりです。
当時、げんちゃんは幼稚園ぐらいでしょうかね。
絵が描けなくて…
描いてみても大きさバラバラ、顔もパーツの位置が変だったり…とのことでしたね。
数年後の現在、あんなに凄い絵を描くようになるなんて。
改めて見てみると、素晴らしい進歩ですね。
とんちゃん、大分マシになりましたが、全体像を把握して絵を描く事が出来ていないですね。
まだまだ先は長いです…
ゆうママさん
宿題ないなんていいですね~。
学校の先生も、個別に宿題出して、またチェックなんてことは無理なので、どうしても、出すか、出さないか、ということになってしまいますよね。
フィンランドなんて、宿題出してやりたい人だけやる、とか聞きました。個人の自覚がしっかりしている場合、それが理想です。でも、そうなると、やらない、それで終わり、という子も出てくるからむつかしい
やはり、教育は個別ということなんでしょうね。
げんちゃんは、社会は好きみたいで、自分で教科書見てやってますが、意識レベルはどうなのかよくわかりません。まだまだ一人勉強は危険です。
私への反抗もひどいですが、良い言葉だけを使って、指導するとまあまあうまくいきます。
「あなたはいい子でしょ。」
同じことを言うのも、これをつけると、多少いい。笑
いい子でもないのに、言うのは、ちょっと酷ですが、枕詞とでも思って・・・・
他人の力も借りないと、なかなか私は無理ですが、ゆうママさんは、なんやかんやいっても、しっかりやっていらっしゃるのですごいですよ。
他人にはいいというのも、親への甘え、と他人には、上手につくろうことを覚えた、ということと、両方なのかな、と思います。
他人にぼろを出さないのなら、かなりすごいです。普通の子と同じような部分もあるのではないですか?
うちは、すぐにぼろが出ますよ・・・笑
そこまで賢く立ち回れないんじゃないかな?
でも、少しだけのかかわりなら、素直でいい子、となります。
2年生から、また新しい良い局面になるといいですよね~。発達育児、花見するひまもなく、何年たったことでしょう。って感じです。
ロボママさん
発達障害が意識障害・・・ということは、S先生が初めて言葉にしてくださいましたが、今は、その意味がすご~く重たく理解できます。
あまりになんでもができなかった息子なので、知的なことがあがれば、すべては解決する、と思っていた時代がなつかしい。
知的なことがもとからできているお子さんのお母さんは、は、もっと早くに、それらしきことを感じていたでしょうね~
意識が抜けると、人格さえ自分じゃなくなるところがあるので、いつも、しっかり自分をつかんでくる、ということかな、と思います。
それができると、ほんとに、素晴らしい子になるのも、夢じゃないと思います。
みかんママさん
すご~い。部屋の掃除、トイレ掃除・・・・しかも、奥深く追及・・・・まったくすごすぎてくらくらです。
でも、極端に一本突き抜けないようにしないといけないのでしょうね。
そのエネルギーがもっとほかの方にいかなくてはもったいない。
げんちゃんも、はまると、けっこう追求しますが、お子さんのような深み、高さ、はありませんからね~。ほんとタイプはさまざまですね。
でも、部屋の掃除は、うまくなってほんとにうらやましいです。うちは、すべてがやりっぱなし。お子さんの勉強に対する意識のように、生活全般、すべて、何にも興味をしめさず、ふらふらして、電気なども、すべてつけっぱなし。
しかし、意識をいれない、と決め込んでいるところの頑固さ、という点では似たようなところがあるのかもしれません。げんちゃんも、とことん頑固です。やらせようとすると、なんでもしぶしぶでもしますが、意識をいれる、ということになると、頑として動きません。
今は、やるからといって、安心できないのですよね~。ほんとの意味でまったくやっていないので。だから、同じだと思います。
そして、その頑固さは、筋金いり。強すぎます。とほほ・・・
げんちゃんは、お子さんと、まったく似てない、とおもっていたけれど、最近、同じところも感じます。
まあ、それだけ、少しはのびたってことなのかな~・・・
とんままさん
4年生ですか~。げんちゃん、や~っと、友達といさかいをおこさなくなったときです。
友達とかかわる、ということがあの頃できていたわけではなく、自己中炸裂だったという感じです。
5年になって、普通クラスのカリキュラム、ってこともないです。なんとか、5年の終わりに社会理科だけ、普通クラスでテストを,試験的に受けさせてみるようになったと記憶しています。
ほんとに、げんちゃんは、大変でした。いや、まだほんとに大変です。
意識レベルは、はいっているときはありませんでした。入ってない状態でいきていのが普通。入ることをごくまれに体験する。え?あれ?なんか、こっちの世界にいてる。
あ、一瞬だったけど、あれは何?
あの時からすると、今は、入っているときがありますよね。たしかに。
意識レベルが落ちる学童は、あまりよくない、というのは正しいと思います。でも、入るときが少ない時期は、ひたすら、声掛けするしかない。いや、げんちゃんは今もですよね。
声掛けできる環境下に置くことは大事ですね。
一見できることが少ないように見えても、意識レベルは高い障害の子はたくさんいます。はっきり言って、げんちゃんより、ひどい子を、あまり知りません。それほど、げんちゃんは意識レベルが低い。意識入ってなくて、長時間やらされることをやり続けることができるのも、あまり知りません。ほんとに、不思議な子・・・その子その子、意識で見ると、問題点がよくわかりますよね~。
しかし、絵は、ほんとに奇跡みたいなものですね~。私もそれは思います。こつこつトレーニングしていた日々、情けない気分満点です。
やる気もないし、捉えようとしない子に、やらせるのもほんとに大変です。
でも、絵は大事です。場所の空間認知につながります。場所、時、人・・・空間認知ははばひろく、絵は、そのとっかかりのはじめです。
絵、がんばってください。とんちゃんは、げんちゃんに似ているとこがある、って前に書かれていたように思います。
げんちゃんほど、ひどかったら、ストレスはほんとに大変なものですよ。
ゆっくり休んでくださいね~。
とんままさん
4年生ですか~。げんちゃん、や~っと、友達といさかいをおこさなくなったときです。
友達とかかわる、ということがあの頃できていたわけではなく、自己中炸裂だったという感じです。
5年になって、普通クラスのカリキュラム、ってこともないです。なんとか、5年の終わりに社会理科だけ、普通クラスでテストを,試験的に受けさせてみるようになったと記憶しています。
ほんとに、げんちゃんは、大変でした。いや、まだほんとに大変です。
意識レベルは、かんがえてみれば、5年くらいまでは、はいっているときなんて、あったのかな~・・・入ってない状態で生きているのが普通。入ることをごくまれに体験する。え?あれ?なんか、こっちの世界にいる。
あ、一瞬だったけど、あれは何?そんなかんじだったのかな~。過ぎてしまえば、私はぜんぜん覚えていません。
あの時からすると、今は、入っているときがありますよね。たしかに。
意識レベルが落ちる学童は、あまりよくない、というのは正しいと思います。入るときが少ない時期は、ひたすら、声掛けするしかない。いや、げんちゃんは今もですよね。
声掛けできる環境下に置くことは大事ですね。
一見できることが少ないように見えても、意識レベルが高い障害の子はたくさんいます。はっきり言って、げんちゃんより、ひどい子を、あまり知りません。それほど、げんちゃんは意識レベルが低い。
それなのに、意識入ってなくて、長時間やらされることをやり続けることができるのも、あまり知りません。意識が入ってないから、きつくなくて、長時間やれていたのか。ほんとに、不思議な子・・・いや、学習は、3時間やっても、普通の子の20分くらいの内容だったと思いますよ~。それでも、そういう無駄をたくさんやってきたから、なんとか今のげんちゃんがいるんだと思います。
とんママさん
Sさんは、新車に乗って、すぐにこわし、また新車・・・そういうことを延々続けてきた、と言われます。でも、それをしないとはじまらない・・・だって・・・泣
その子その子、意識で見ると、問題点がよくわかりますよね~。
しかし、絵は、ほんとに奇跡みたいなものですね~。私もそれは思います。こつこつトレーニングしていた日々、情けない気分満点です。
やる気もないし、捉えようとしない子に、やらせるのもほんとに大変です。
でも、絵は大事です。場所の空間認知につながります。場所、時、人・・・空間認知ははばひろく、絵は、そのとっかかりのはじめです。
絵、がんばってください。とんちゃんは、げんちゃんに似ているとこがある、って前に書かれていたように思います。
げんちゃんほど、ひどかったら、ストレスはほんとに大変なものですよ。
ゆっくり休んでくださいね~。気力をやしなって、また立ち上がらなきゃいけないですものね~。がんばりましょうね~。
ところで、ブログをプリントしてくださったのですか~。びっくりです~・・・
とんままさん
意識レベル・・・にくわえて、物事を切り捨ててしまう、という悪い意味での執着のなさ・・・これが、あいまっているのです。
すべてを切り捨て、すべてを考えないようにする。げんちゃんの究極の障害です。
げんちゃんは物事を切り捨てるとのこと。
確かにブログを拝見していても、そういう感じはします。
一部、とんちゃんも切り捨てるというよりは、考えないようにしているといった表現が合うなぁと思うことがあります。
それは、自分に対してマイナス(不得意、おもしろくない)なこと。
ブログのプリントはたくさんありますよ(笑)
ファイリングしています。
とんちゃんと似ているなと思ったところやヒントになるところを抜粋していて、究極の(私目線が入った)バイブルです。
時々見返すときに便利です。
そこにアインシュタインは暗算ができないけど、紙の上では計算できるとありました。
これはお絵描き空間認知の記事の中に記されており、まさか今引っかかるとは。
(プリントした当時はお絵描きや空間認知の部分のみヒット。この文章を覚えていなかったです)
そう、とんちゃんがまさにこれです。
ですので、3年3学期掛け算のひっ算(2桁×2桁などで途中計算が繰り上がる)でひっかかっています。
ワーキングメモリー(前頭葉が働いていない)がないんだなと思っていましたが…
記事によるとアインシュタインは頭頂部が働いていなかったとありました。
頭頂部は運動野では?
どうして計算と関係あるのかな?と謎です。
(今度調べてみますが答えが出るのだろうか??)
聞いてください…
4年生からの学習予定というか、おおまかなプランを立てていたのですが、3日前の昼、何ととんちゃんの担任が異動との情報が。
もう青天の霹靂です。
私の動揺っぷりは半端なかったです。
その後、仕事は手につかず、翌日もミスばかり…
散々お世話になったのでお礼のご挨拶をしたいと思ったのですが、すでに異動後。
残ったもう一人の支援級の先生に相談。
離任式(来週です)にしか来ず、式典が済むと子供たちとも会わずに(支援級の先生は大抵顔を出すそうですが)すぐに新しい学校へ戻るとのことです。
先生にご挨拶したい旨を伝えてくれましたが、お気持ちだけで十分ですとのお返事でした。
前担任らしいといえば、それまでです…。
でもそれが普通ですね((;^_^A)きっと。
何と赴任先はとんちゃんの個別塾から徒歩3分の学校。
週一で行っているので、落ち着いたころ、その学校へご挨拶に行こうとも思いましたが、先生も新しい子供たちのことを考えて、(とんちゃんにしてくれたように)お仕事をされているのかなと思うとご迷惑だなとも思ったり。
なんだかモヤモヤしてます。
支援級の先生なんて毎年変わり、半ば島流しのような話ばかり聞いていたのですが、前担任(後から知りましたが市の上限MAXの8年いました)のような素晴らしい先生(本当に発達の事よくご存じです)がいると感動し、安心して支援級へ入級したのです。
意識の事もお願いしていて、ちゃんとやってくださっていました。
出会いがあれば別れもつきものですが、まさかまさかの事態に未だ動揺しています。
補足です。
3,4年生の間、前担任にみっちり基礎を叩き込んでもらい、5,6年生でげんちゃんのように普通級へ行く頻度を上げるという構想でした。
とんちゃんはまだ実家ですので(今晩戻ります…涙)異動騒動は知りませんが、帰ってきたら話をしておくつもりです。
その事実が知識として頭ではわかっていても、始業式に学校に行ったら先生がいないという現実とちゃんと結びつくのだろうか?
先生がいない(厳しい先生でしたが、愛に溢れる厳しさでとんちゃんは先生が大好きでした)という一大事??に心が揺さぶられないような気がしてならないのです。
げんままさんが書かれている、「お父さんが亡くなっても惜しむ心が芽生えない」まさにこれが起こる(先生を惜しむ気持ちが芽生えない)のではないか?と思うのです。
何も感じないのかな?過敏に感じすぎても困るのですが…
とんちゃんもこの路線をひた走って行っている気がします。
「先生がいなくなってしまって、どう思う?」と聞くと、多分、「悲しい」と言いそうですが、心ではそう感じていないような気がしてならないのです。
母親の勘といいますか。
切り替えがさっとできるという風にも取れますが、でも心ではしっかり悲しみを感じ取って欲しいのです。
大好きな電車の事などは、しっかり引きずりますがね…
やはり人間関係についてはそこまで意識が入っていない(電車は猛烈に意識が入っている)という事になりますね。
とんままさん
とんちゃんは、げんちゃんに似ているとすると、なかなか大変ですよ~・・・
計算のことは、ほんとに大変でした。今でも20までの計算間違いますよ。今やSさん曰く、場所の空間認知は、けっこういけてるから、もっと7できるはずだけど、気持ち入らないから、なかなかできない、そうです。それでも、昔からしたら奇跡ですけどね~・・・
やはり意識・・・そして、げんちゃんは、そこが、ほんとに重症なんだとか~・・・
げんママだからこの子はなんとかなってるけど、普通のお母さんじゃ無理だよ・・・なんて、ちょっとうれしいことも言ってくれてSさんは励ましてくださいますが、やはり、難儀です。
げんちゃんは、何年もいっしょに遊んだお子さんに会えなくなった時も、一言も何も言わない、何も気にならないですし、一年習った先生の名前さえ、昔は覚えなかったです。
とにかく、自分がこだわること以外は、なんの執着もなく、祖母祖父に対してさえ、なんの思いれもしていないようなありさまです。
もしかしたら、お母さんさえ、いなくなっても、それなりに心は始末してるのかも・・・・そんなおそろしさがあります。
でも、Sさんによって、そこは、少しずつ改善されてきているようではあります。まだまだ一筋なわじゃいかないけれど・・・
でも、それは+転換すると、器の大きさでもある、とSさんに言われました。確かに、こまやかに気づいて、傷つきやすいお子さんよりも、でんとしているかもしれません。
しかし、そこまでもっていくのは並大抵ではありません。
とんままさん
先生方がお別れの時は、ほんとあっさりしていますよね~。あれって教育上どうかな、と思います。
礼節を教えるなら、もっとちゃんとお別れの儀式をやるべきかな、と思います。
でも、不安が残りますよね。
でもきっと大丈夫ですよ。また良い出会いがありますよ。
私のプリントアウト・・・私自身、過ぎたら、ぜんぜん覚えていません。とほほ・・・って感じです。なんか参考になることがあったら、おしえてください。泣