ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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思春期、しっかり関係性がつかめるようにしたいけれど・・・

> げんちゃんは、成長していますが、それとともに、彼の人間性が破綻しているようなところが目についてしかたありません。

たくさんの点ができてきたけれど、どうも、うまくつながらないもどかしさを感じます。

今日も、学校に完全遅刻状態だったので、私が車で送りました。自分が寝坊して遅かったのに、後ろで、信号をつっきれとか、急げとか、偉そうに命令したかと思うと、降りる際に、私が、あることを少し注意したら、(といっても、車に注意してドアを開けなさいよ、とかその程度ですけど)
「うるさい、ばか!」
と吐き捨てて行ってしまいました。思春期なら、けっこうこうおこりうることかもですが、げんちゃんの、普段からのちぐはぐな行動とそれをセットにすると、やはり、末恐ろしい感じがします。
(まあ、こういうことは、むしろ、たいしたことではない部類です。もっともっと、私の表現力が足りなくて、書けないちぐはぐなところが多いですから・・・)

げんちゃんを見ていると、過去に出会った発達障害の大人の方との記憶がよみがえってきます。

一人は、仕事の業者さんで、彼は、ちょっとかわっているけれど、親切な方だったので、色々こちらもよくしてあげていました。しかし、ある時から、手のひらを返したようにこちらを攻撃してくるようになりました。ずっとあとになって、彼は、発達障害らしい、と聞きました。でも、彼の豹変ぶりは、晴天の霹靂でびっくりしてしまいました。それでも、あれこれ、何か誤解があるのでは?と、私は穏やかにアプローチしてみましたが、彼は、どんどん攻撃的になっていって、恐ろしかったです。

また、あることで知り合った若い女性の方も、自分はグレーゾーンと言っていました。私は、とくに異常を感じなくて、仲良くさせていただいていたのですが、あるできごとがあってから、突然電話に出なくなり、今までお貸ししていた本を、どさっと宅急便で送りつけてきたりしました。感じ悪い、というより、恐怖でした。

あるできごとというのは、彼女が、自分の主張を私にはげしく押しつけてきたので、私は、困ったな~と思って、やんわり、しばらく距離をおくようにしました。ちょっと時間をおいて、それとなく、お電話したら、受信拒否をされて、そのあと、すごいメールが来たのでびっくり。ちょっとした意見の違いは、普通の友人関係でもよくあることで、なぜそこまで大げさなことになるのか、さっぱりわからずうろたえました。

 そういえば、大学時代、彼女はことごとく仲の良かった友達と大げんかして別れた・・・と言っていたのを思い出しました。なるほど、こう言う感じだったんだ~・・・と、初めてわかりました。

どちらも、けっこう恐怖感のともなうできごとでした。

なんか、普通とは全然違う自分だけの世界観をお持ちで、突然その世界観がすべてを支配するような感じに見えました。


自分の独特の価値観がそこに存在して、それが噴出すると、今まで自分がしてもらってきたこととか、色んな出来事とかすべて、思考の中からは抜け落ちて、自分が何かされた、とか、自分は正しい、とか、そういう自分サイドの理由だけが突っ走るんだろうな、と、今なら納得がいきます。
 もちろん、発達障害の方がすべてそうではなく、マイナス面が、強く出てしまった方もいる、と言うことだと思います。
げんちゃんを見てると、その片鱗がばりばりあって、恐ろしくなってしまいます。

私にいつもやってもらうのがあたりまえ。K先生にさえ、同じような思考で向かいます。多くの人が色々してくださるけれど、彼の中には、それがどういう意味かということもよくつかめません。

とくに、意識が抜け落ちているときは、前述の私にバカと言った時もですが、言ったことさえあまり覚えてないこともあります。

一つ一つの点は、正しくつながらず、感情という自己都合要素の大きい物をてがかりに、自分勝手に、点をつないでいくものだから、ほんとに、まわりはどん引きします。

ここはほんとにやっかいで、私だけでは限界を感じます。
 S先生は、あの手この手で矯めようとしてくれます。自分が、普通じゃない、ということを徹底的に教えています。げんちゃんを普通クラスだけにしないのは、能力も低いけれど、それだけではなく、自分の立ち位置をつかむためでもあります。君は、ぜんぜん正しい行動がとれてないんだよ。正しい思いを持ててないんだよ・・・・

支援クラスにいることで、ある程度差別化されていることは、げんちゃんの、とてつもなく横柄な考え方が一人歩きしない、最低限の歯止めだと思っています。正しいコンプレックスを持ってもらわないと、暴走してしまうリスクは、いつもつきまとっています。

お子さんにもよりますから、普遍的なことではないのですが、げんちゃんに関して言えば、大げさなくらい、自分がおかしいんだよ・・・ということを入れ続けてあげてないと、ちょっとでも油断すると、自分は、ただしい、とか、これで何が悪いの? というようなふてぶてしい行動や、思考パターンになるようです。

色んなことがおこっても、すべて、鈍感力で素通りするげんちゃんは、強さも備えている反面、暴走すると、ほんとに怖いな~と、感じています。


思春期を迎える前に、発達障害の育児は、ある程度のところまで持っていきたい物だと思いますが、なかなか手強いです。

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  1. robo_223 より:

    こういったことは、roboもしょっちゅうなので、よく分かります。

    時間に間に合わないと焦っている時は、当然冷静ではありませんから、意識レベルはいつにも増して下がっています。

    ですから、このような筋違いな言動が発生してしまうようです。roboも自分の責任で遅れたはずなのに、急に偉そうに「早く早く!」とか言い出すので、「そもそも誰のせいで遅れたんだよ!偉そうな口をきくな!」と一喝しなければなりません。

    そうすると、ハッと我に帰って(=意識レベルが上がって)、まともな態度が取れるようになります。

    やはり、世間では反抗期という年頃だということで、このような態度を認めてしまうことは、私も危険なことだと思い、普段から気をつけています。

    焦っている時だけでなく、相手に拒絶されたと思った時なども、そのショックから意識レベルが下がり、常識では考えられない行動に出ることも考えられます。

    しかも、それが発達障害のある子の場合は、甘えの許される親だけではなく、他人にまで同じような態度を取ってしまう可能性が高いからこそ、親にだからいいか、と流してはいけないと思うのです。

    本当にその都度その都度、自分の置かれた状況がどういうもので、助けてくれる人に対してどのような態度を取るべきかを、考えさせていかなければならないと思います。

  2. robo_223 より:

    個別支援スタートのお子さんは、自然に自分が同年代の子とは何かが違っているということを感じることが出来るという面があると思います。

    ですから、学習面の手厚さだけではなく、精神面の成長においても、お子さんによっては良い点があるとも言えると思います。

    だからこそ、高等支援学校に進学希望の場合は、中学の時点から個別支援級に在籍しなければならないとする地域もあるのです。自分の置かれた状況に納得しないまま進学して、皆が入りたがっている学校にせっかく入っても、辞めてしまったりすることがあるからです。

    また、中には、中学の途中くらいまで一般級に所属して、必死で勉強について行こうと、来る日も来る日も頑張り続け、ほとほと勉強に疲れてしまって、もう自分は高校にまで行って勉強を続ける気持ちにはなれないと深く納得して高等支援学校を選ぶ場合もあります。

    その子によって、どちらが良いかは本当に違いますね。

    でも、個人的には後者の子供のことを思うと、私はなんだかとてもせつない気持ちになり、胸が苦しくなります。

    ですから、私などは個別支援スタートにして、もし可能なら一般級に中学あたりから転籍して、難しそうなら、ずっと個別支援級や養護学校のお世話になれればな、と思っていました。でも、中学までは支援級で高校からサポート校も良かったな、と今更ながらに思ったりもしています。

    つまり、げんちゃんの進むかもしれないコースはなかなか魅力的だと思います。

  3. ゆうママ より:

    発達障害の大人の方を何人かご存知なんですね。エピソードを読んで、間違った思い込みや、被害者意識を持ちやすい人たちなのかな、と感じました。

    げんちゃんの発した言葉は、その言葉が相手に与える意味を考えず口に出たのでしょうね。その時は余裕もなく、今の「遅刻しそう」という状況が全てなのでしょう。行動と状況が結びついていないというか…

    ちぐはぐな行動は息子にもよくあります。思考も言動も、点なんですよ。それらがつながっていったら、ちぐはぐさは減って行くのではないかとおもっているのですが…。精神年齢が幼い私たちの子、まだまだ発達途中です。幼い子特有のちぐはぐさもまだまだあるのでしょうね。その上認知の歪みもあるので、なかなか難しいですが、やはり凛とした態度で正して行かなくてはならないですよね。

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
    そうなんですね~。げんちゃんだけでなく、こういうことはロボ君もあるんですね。

    げんちゃんのレポートを書くと、なんか、良い部分では、素直でがんばりやさん、というイメージを持ってもらえることもあるかと思いますが、通奏低音のように、どんな時でも、なんかこう、とても疲れる部分が並行しています。

    私は、そこをほんとに治したいのですが、まあ、ほんとにやっかいだな~と思います。
    悪気はないのかもしれないけれど、世間ではそれを自己中というのだよ! という性質は、まわりをとても疲れさせますね。
    げんちゃんは、意識が入っているとき、まったく抜けてひどい状態の時、はっきり言って二重人格です。S先生的には、意識が抜けると、感情のみが支配するので、あとから、自分のやったご乱行を覚えてすらないことも多いげんちゃんのようです。
    ちなみに、K先生のレッスンの時に、朝の暴言を検証していってた時、
    「僕は、そんなこと言ってない。」
    とずっと言い張っていたようです。ほんとに、記憶に残ってないようでびっくりでした。
    まさに人格が破たんしている瞬間。怖いな~と思いました。なんとか、治していかないと、将来とんでもないことになると、危機感を持っています。
    支援クラスは、中学に上がるとき、げんちゃんの横柄さがすごいので、いっそ、すべて、支援クラスに落として、自分の立ち位置をしっかりつかませた方がいいかな、とS先生と言ったものです。
    6年のときは、全部普通クラスに行ったので、彼は、自分は、普通だ、と変なプライドがついて困ってしまいました。自分がおかしいのに、これでいいのだ、と思ってくりひろげる行動は、ほんとに、はた迷惑です。

    以前、まっとうなコンプレックスは歯止めになる・・・とS先生に言われた言葉の意味が、今は、すとんと胸に落ちています。

    いろいろ伸びているし、姿も、青年になって、こちらも、それなりの見方をしてくると、そこのギャップが異様になってきます。

    ここを矯めようとするのは、ほんとにエネルギーがいりますが、やはり、気を抜くわけにはいきませんね~。

  5. glow-gen より:

    ゆうママさん
    発達障害の方は、基本ピュアな方ばかりだと思います。だから、決して、初対面では悪い印象の方とは限りません。私が出会った方二人も、最初は好印象でした。女性の方の方など、なんて、ピュアで心がきれいな方だろう、と感動したくらいでした。
    今は、もうお付き合いはありませんが、彼女のそばに今もかかわっている共通の友人の話を聞くと、
    「私は、すごく頭がいい、」とか、ひけらかしたり、驚くような判断でまわりを振り回したりしているようです。近所の方としょっちゅうトラブルをおこしてもいるとか・・・・
    げんちゃんも、自分の立ち位置をつかめずにこのまま行ってしまえば、平気で自分が一番正しい、とか、人が悪い、とかになるだろうな、と思います。しつけとか、そういうものをこえています。

    たまに、ニュースである発達障害の方の犯罪なども、そこのポイントに、たくさんの悪い条件が重なった悲劇的な例だと感じます。
    発達障害の方はは、意識障害を克服していけば、普通の人より、はるかにまさった高邁な人生がありあります。自分を見つめて、客観的に判断しようとする冷静さをもてば、謙虚にもなることができるし、基本は、素直でピュアですから、好感も持たれます。

    自分ができてもできなくても、良いことは良いこと、悪いことは悪いこと、これは、しっかり入れなくちゃ、と、心引き締まる思いがしています。大変な子の親になったものだ、と思います。

  6. glow-gen より:

    Kさん
    おっしゃっていることわかります。
    なんか、こう、違うんですよね。感じ方とか、レスポンスとか・・・
    たとえば、前のブログで、テストが帰ってきてからの反応とかも、普通に人に言うと、げんちゃん、悪い点数で怒られると思っていたからじゃない・・・とか、そういう判断をされてあたりまえなんだけど・・
    う~~ん。そうじゃないんですよね~。この違和感わかってもらえないだろうな・・・
    そんな感じです。この違和感は、発達障害児の親にならないと、わからない違和感です。
    ここをなんとかしないと、やはり、将来は、行く先々で、色んなトラブルが発生するな~と思うのです。

    そして、もっとも治しにくいところです。
    私の挑戦しているところでもあるのです。
    何かができない、というような能力は一つ一つがんばれば、ある程度治せると思います。
    だから、みんな取り組んでほしい。でも、この本質の違和感は、私も、まだ未解決なんですよね。トライしてますけどね・・

  7. glow-gen より:

    Hさん
    コメントしてくださってほんとにありがとうございます。
    思考回路は、それぞれ、皆くせがあり、自分のそれを変えようとするのは、ほんとに大変なことです。それは、発達障害の方とはかぎらず、私たち一人一人もみなありますよね。

    げんちゃん教育に取り組んでみて、私自身、自分を振り返ることも多いです。自分の思考パターンをしっかり見つめる必要にせまられることもあり、げんちゃんとともに成長している、そんな感じです。

     昔おつきあいした発達障害の方や、げんちゃん、すべてにおいて言えることですが、接点が少ないのが生きにくさにつながってると思っています。
     たとえば、ある時、私は、こんなことを言われたことがありました。
    「げんちゃんが大きくなったとき、こんな風に、ブログに自分のことを書かれて、反発するようになるんじゃない?」
    普通の人の考えってそんな感じなのかもしれません。それは、一つの接点です。その時、私は、もう一つの接点を思い浮かべました。
    「げんちゃんが、もし、すっかり普通っぽくなって、社会でちゃんとがんばれるようになっていたら、このブログのご縁で、もしかしたら、誰からか講演を頼まれるかもよ。そうなったら、げんちゃんまた素敵な出会いがあるじゃない。何事も、そのできごとを良いように持っていくのも、悪いようにもっていくのも、自分の視点ひとつだよ。」

    げんちゃんには、どんなことも、色んな視点を持って、しかも、楽観的で前向き、明るい方へ向かう視点・・・そういう視点をたくさん与えていきたいと思います。
    とにかく広げてあげる・・・私自身、愉快で前向きな接点をたくさん持っていくように努力したいな、と思います。

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