ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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意識の暴走、自分勝手な情報収集と情報判断 卒業式その1

> 毎日、幼虫が変態していくみたいに、げんちゃんは、日々、なんとなく変化しているようでもあります。いろんな気づきがありながら、忙しくて、なかなかブログに向かえませんでした。

とうとう、昨日は、卒業式でした。
 「とうとうげんちゃんは小学校から旅立つ」、と思うと、人生は、ところてんみたいに、先へ先へとしか転がっていかないことを思い知ります。

 げんちゃんみたいな子をさずかって、なすすべなく過ごしていっても、いつのまにか人生は先に進んでどこかにたどりついていくだろうし、私のようにがつがつやっても、やっぱり、どこかに押し進められていく、一時として止まっていることはないのだな、と感じました。

 普段は、同じような日々が連続してるので、あまり意識しないことですが、私たち人間は、激しい流れの中にいるのです。変えられないマクロの流れの中で、私たちは、たくさんの自分だけのミクロの流れを作っているのかな。私は、ここんとこ、その中で、格闘しながら、小さな波を作っていたのかもしれません。

 ここ10日間、私が格闘していたのは、げんちゃんが、まったく言うことを聞こうとしないということでした。特に、生活全般のことです。洋服を脱げば、ほっぽり。風呂に入れば、風呂場は散らかりまくり。水筒にお茶をつげば、まわりは水浸し。
 一つ一つ注意するけれど。「めんどうくさい!」とか、「もう、うるさいな~。」「別に、しなくていい。」・・・・
今までは、できなかった、というベースがあってやらなかった。でも、今は、やりたくない、やらない、という意識のもとでやらない。同じように見えても違う。

そして、今の状態はとても危険だということを、私は感じてました。

それと相対するように、今までやらなかったプラスの行動も目につくようになってきました。たとえば、3月に入ると、K先生のところでし残した宿題を、寝る前に、誰にうながされることもなく、みずから取り組んだり、今日のスケジュールを聞いて、
「じゃあ、カギは持っていくの?」
なんて、聞いてきたり。かつて、そういうことはなかったので、へ~・・・と見つめる私。でも、どこかずれていて、

夜、間に合わなかった宿題を一人で取り組んでいるときに、

「ねえねえ、わかんないんだったら、本見てごらん。」
なんて、わからず手元が止まっているげんちゃんに、私が声をかけると、
「あー。もう、うるさい。宿題全部やらなきゃいけないんだよ。そんな暇ないの!わかる?こっちが大事でしょ。」
とか、意味不明なことを言う。

「いやいや、だからさー、宿題なんのためにするの? げんちゃんがわかるようになるためじゃないの?適当にするより、きちんと理解しながらやる方がいいじゃない」

「あーもう、ぼくは、普通クラスに行きたいの!」

意識は出てきたけれど、なんか、自分勝手な判断と方向性にひたすら暴走し始めているような危うさに満ちています。バランスに欠いている発達障害の行動のもとにあるのは、自分の偏った方向性にだけ、意識のベクトルが出て、そこから、自分の切り取りたい情報だけ切り取ってくる。それをまた偏った組み立て方で組み立てて、結論を導きだすものだから、最終的な自己の行動決定は、普通からはかけ離れた身勝手なものになる。

今のげんちゃんは、まさに、そういう方程式が出来上がりそうな勢いです。

やれやれ困ったな~・・・
手を焼いているのは、私だけではなく、いつも勉強を教えてもらうK先生も同じようで、しょっちゅう激怒させられ、時間の多くを、お説教にあてる、というのも多くなってました。

もちろん、学習の理解や、集中は、以前とはくらべものにならないほど、良いパターンも出たりしてます。

今までの方法論ではなかなかうまくいかないのかもしれません。ましてや、私の言うことは、”聞かない”と、どこか決めているようなところがあって、親一人でも、きわめて乗り越えにくいところのような気もします。

そして、そんな中で卒業式を迎えました。卒業式の一連の非日常的な学校のカリキュラムの中で、げんちゃんは、ひとつのきっかけをつかんだようでした。
長くなるので、続きはまた次の記事にしたいと思います。

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  1. ゆうママ より:

    げんちゃんママさん!
    まずは、げんちゃん、ご卒業おめでとうございます。
    こちらは来週が卒業式で、残り3日、名残惜しく、大切に過ごしたいと思っています。小学生ではなくなること、とても重たく感じています。

    ママさんのおっしゃっててること、とってもよくわかります。大きな流れの中で、もがいている私と息子。そんなことには関係なく流れていく時間。なんだかとても切ない気持ちになる時があります。

    うちと似たような状況ですよね。
    今まで課題が多すぎて、目をつぶってきたことが悪かったのかな〜?なんて思ってしまいます。
    私のお小言(本人は、そう捉えてます)は、もはやBGMに過ぎないようです。次に繋がらなくて…何度も注意したら、できるようになる!っていう気がしないですもんね。言ってもらうことが当たり前の状態になっていて、私も危機感感じてます。

    私も大切な時間なのに、お説教に費やしてしまうことも多々あって、自己嫌悪に陥ったり…
    本当に困ってしまいますよね。

    中学生活が不安で仕方ありません。全教科、お尻叩いて頑張らせるのか、凸に絞って頑張らせるのか、いまだにスタンスが固まっていないです。

    卒業&入学…おめでたいことなのに、なんだかいつも節目はしんどいです。

    でも!頑張っていきましょうね。

  2. glow-gen より:

    ゆうママさん
    大きな時間の流れは、私たちが忘れて、日々奮闘しているときでも、どんどんうねって流れて行ってるんですよね。卒業式は、流れに目がいきます。
     必死で声かけすれど、ほんとに聞いてない時が多いですよね。でも、卒業式は、げんちゃんの心が動いていたので、言葉の多くが入ったように思いました。たぶん、数日後の式では、お子さんにいつもとは違う意識の流れがありますよ。お説教のしどきです。笑

     意識が出てきたのは、6年の後半でした。出てきたらだんだん違う部分が大変になって、ある部分は楽になりました。ここからは、さらに、さとしや教えが大切で、心を動かす経験とともに、それらは入っていくように思います。
    だから、良い方向性の時は、ほんとに、ほめる、ということが必要になるんでしょうね。私は、最近、わざとらしくできたらほめてます。右か左か、どちらかに進まなくてはならず、良い生き方、良い人間としての方向性の時は、手放しにほめて、わからせる、ということがいいのかな、と思います。
    そして、だめな方に行こうとするときは、注意しますが、言葉だけだとなかなか入らなくて・・・だから、体験の中で、他者とかかわる中で、要所に、言葉をそえられるといいな、と思います。

     卒業式のあと、S先生K先生家族と食事をしましたが、S先生に、色々言ってもらったのもよかったです。
     げんちゃんをかわいがってくださる教会の友人たちでも、げんちゃんの危機的な状態は理解してもらえません。成長したね~。心配いらないよ~、って感じです。
     でも、今、どっちに転ぶかの、とても大事なところにいることがわかります。決して負の方向に定着させないように、げんちゃんの心にはたらきかけることを探っています。
    ゆうママさんも、たぶん、そういう方向性なんじゃないかな~。

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