ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
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算数に言語を

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げんちゃんと算数の問題をやっていて、げんちゃんの究極の問題点がわかってきました。

 何度も繰り返してできていた、台形の面積の問題になったとき、げんちゃんは、もうあぜんとするようなでたらめをやってのけました。
(上底 + 下底)× 高さ ÷ 2
という公式を覚えて、ただそこにあてはめて答えを出していただけのげんちゃんは、少しやらない間に、まったくできなくなっていたのです。もちろん、何度も、意味を教えています。。

 こういう日常的におこる、あぜんとするできごとは、げんちゃんが、一見算数ができるように見えても、まったく理解していないのだ、とわかります。

 底辺と高さが同じ四角形の面積は同じ・・・だから、この平行四辺形と長方形は、面積は同じ・・・なんてことを、一から絵を描いて説明します。

「あ~そうか~・・」

とほんとにわかったようなレスポンスをするげんちゃんですが、私は、何もわかっていないことを知っています。彼は嘘をついて、適当なことを言ってるのではなく、いつも、暗記で入れることを習慣化しているから、それがわかったということなのだ、と矛盾がないのだと思います。もちろん、その場しのぎの言葉のこともあるでしょうけど。

げんちゃんは、自分の言葉でその事象を説明できません。

「平行四辺形はね、この二組の辺が平行な四角形だよ。」

と図を指して説明して、それをヒントに、じゃあ、隣の台形はどんな形? と聞きますが、え~っと、え~っと・・・と何度も繰り返すだけです。

忍耐強く、ヒントを出して行って、無理やり口を開かせたら、

「・・・ひとつが~違う台形・・」

とか、意味不明なことを連発します。しかも、図を見ながら言うのではなく、視線を宙にうろうろさせながら、絞り出すように言います。
「台形は、一つが違う台形? どういう意味? 」

図を見て、台形の特徴はなんとなくわかっているのに、それを言葉に落とせません。悲壮なやり取りをしながら、何とか台形の特徴を言葉にさせたものの、台形の面積の出し方に入ると、この子は、言葉がここまでだめな子だったっけ・・・というありさまです。
それはもうすさまじかったです。

何度も考えながら言えるようになったかな、と思っても、数分後またまったく言えません。そして、
「ぼく、おぼえられないよ~。無理! まったくわからない!」
と泣き出しました。

そう、げんちゃんは、台形の面積の出し方を説明した図を見ながら、言葉を紡ぎだすのではなく、そのこととはまったく違う次元で、空に暗記をしたことを思い出そうとするのです。書いてやったヒントの図を見ずに。
たとえば、

「同じ形の台形を二つ用意して、その片方をひっくり返してもう一つの台形とくっつけて、平行四辺形を作る。その面積を計算して、二つに割って台形の面積を求める。」

こういう説明に使う
、「同じ形の二つ」 「その片方」 「もう一つの」 「その面積を計算して、」「二つに割って」

なんていう言語が、そう、算数を考える上では必要な言語が、まったく彼の中には取り出せる位置にないのです。

一見国語が算数よりは得意なげんちゃんだから、当然、そういう言葉も扱えると思っていたら、まったくだめで、彼の中にある言葉が、実際の算数の世界にまったくリンクされていないのです。

つまり、算数でやっている事象については、すべて、なんとなく覚えてやっているだけで、自らの言語でそれを切り取っていないというか、言葉の貼り付けが行われていないのです。

ちょっとうまく説明しにくいのだけど、”算数”になると、彼は言語を失うのです。
いつも、算数の時間は、ほかの科目にまして、質問もしないし、聞いても言葉で説明できない。それは感じていたのだけど、この場におよんでも、まったくそれができないげんちゃんにあぜんとします。

 少し、以前より賢くなっているげんちゃんだから、もう一度はじめから、算数に言葉を与える作業をする必要があるな、と感じました。自分の言葉で説明できるようになってはじめて理解できたということだと思います。ぼんやりした霧のかかったような、算数の世界に、言語を与えて、もう一度すっきりおさめる。これは、今なら、案外スムーズに進んでいくようにも思います。

 げんちゃんが言えないところを一つ一つ拾って、どこがわからないの? と問い詰めて、決してさらっと流すことをせず、台形の面積の出し方をたどっていきました。すると、
「え~、全部わからない!」
と癇癪おこしていたのが、
「どうして÷2、になるの? 」
という言葉が出てきました。たったこれだけのことでも、げんちゃんにとっては、すごいことです。

げんちゃんは、二つ合わせていたのだから、一つがなくなるのだから、引き算だと感じたようです。同じものだったら、一つをのけるではなく、半分に分ける・・・というニュアンスになる。そのこともわかっていないようでした。

でも、数時間かけて、そこを言語化して、たどっていったあとに、げんちゃんはすっきりした顔になって、

「なんか、わかった・・・」
と言いました。そして、夕食後また、説明させてみたら、稚拙な言い方だったけど、今度は、言葉だけ宙に出そうとするのではなく、考えながらそれから言葉をはりつけて出しているようなかんじがありました。

そう、今からやることはこれなんだ、と思いました。

そして、そのことすなわち、教室での先生の言った意味が、現実の行動と結びついて考えられる、ということにもつながります。

そう考えると、やはりすべては言語なのかもしれません。

こういうこと、学校では無理だよね~。やはり、個別に特別教育をする必要があるな~と、しみじみ思う今日でした。

最後はこんな言葉のシャワーでしめくくり。もちろん文章はママが手をいれてます。「置き換える」なんて、言葉の使い方もこんな風に最後に教えました。この時のげんちゃんのすっきりした顔

言葉がはりついてない感情だけの世界って不安だらけなのかもしれないね。

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  1. ゆうママ より:

    げんちゃん、めちゃくちゃ頑張ってますよ!!わかっていても言葉で説明することって本当に難しいです。
    例えば、ママは英語で説明できますか?理解とは別な能力が必要ですよね?彼らは外国人(宇宙人??)と思っておいた方がいい気がします。

    算数(数学)は数学者にでもならない限り、暗記科目だという人もいらっしゃいます。算数の面白さは考えることにあると思いますが、でも多くの秀才は暗記してる部分も多いと思いますよ。公式は暗記する必要はない、自分で導き出すものだ!という算数の先生もいらっしゃいますが、それは一部の子に対して有効なのだと思います。

  2. みかんまま より:

    げんままさーん、私も台形を言葉でなんて説明できません^^;

    学生時代の公式ももちろん暗記です。

    とても高度なことをされてるんですね‼︎

  3. glow-gen より:

    ゆうママさん
    そうですか~。確かに計算とか覚え込ませてきているので、げんちゃんもほぼ暗記です。しかし、問題のニュアンスが伝わりにくいのですが、げんちゃんの理解は異常なことが多いです。
     台形の問題はおいておいても、何でも、彼は、わかった~と言うのだけど、何もわかっていなくて、え??ということばかりなんです。
     台形の問題も、忘れるのはしかたないけど、たとえば底辺と上底辺を平気でかけたり、とにかく、普通の子なら、なるほど、こういう風に間違ったんだな、と思う間違いをするんだけど、でたらめなのです。
     
     言葉で復唱させると、普通の生活の指示も、こんなことさえわかってないの?と唖然とすることが続出。

     だから、問題も、言葉で言えるほど、理解できないと、ただ、うわすべりな暗記(この暗記でやってる、という意味が、たぶん、普通の人と、まったく違うように感じてます。)だけで、言ってしまうと、結局、先でおおごとするな、という危機感を感じてます。

     とにかく、暗記でやってる、という、その”暗記”のところの意味が、普通のお子さんと意味が違うのです。そして、確かに、しっかり自分の言葉で言えるようにしたら、やっぱり、入っていたりします。
     まあ、今からそういう時期なのかな? 生活の指示も同じですが・・・。この違和感、・・うまく伝えにくいのだけど・・

  4. glow-gen より:

    みかんままさん
    そうですか~。私は、台形は、意味で覚えてました。笑
    でも、確かに、認識する方法って人それぞれのところがありますよね。
     げんちゃんの先生に、カリキュラムを伝えていたら、まったく違うアプローチでやられていたりして、あとからしゃべって、え?と思うことがあります。
    たとえば、私は、視覚優位がとても強いので、計算もすべて図形化
    して認識してますが、K先生はそうではないみたいでした。
     げんちゃんの”わかった~”も、私が思うわかったではなく、まったく違う世界なので、もう、言葉にして彼が説明できなければ、わかった気になってるだけだ、と、最近しすごく思います。

     翌日、台形のことを話したら、平行四辺形にしてから出すんだよ。と言いました。翌日にでも、まだこれが言える。やっと彼は、少しわかった・・・そういう判断です。

    なんせ、信じられないくらい、わかった、にずれがありますよ~。泣

  5. とんまま より:

    自分の言葉で説明することができる=理解したという事はよく言われますね。
    それが、先生の言った意味が現実の行動として結びついて考えられるようになるというところまで、私は考えていませんでした。
    言われてみれば、その通りなのですが。
    さすがげんままさんです。

    当然とんちゃんは、自分の言葉で表現することが出来ません。
    全て「わかんない」と言います。
    言葉をつむぎ出せないんですよね。
    当然、作文も出来ません。

    今のとんちゃんは、問題文を読んだ後、何を聞かれているのか確認させています。
    これですら、言葉にするのが難しいときが殆どですよ。
    ですので、母の爆弾が投下!!
    「だからーー、何て言われているのよ!!」と。

    ちょうど、今、しちだの作文プリント系一式をやらせようかなと思っているところです。(まだ買っていません 汗)
    げんままさんが仰るようなステージを踏んでいます。
    視写から始まり、最終的には文章を書くところまで持って行きます。
    (とんちゃんでも持っていけるのか?わが子たちは複数回やることが必須と思われます)

    これも、最後には自分で言葉をつむぎ出すということの練習になりますもんね。

    個別特別教育の必要性、うちもかなり思います。
    ラッキーなことに??(ただ、とんちゃんが邪魔なだけとも取れますが)通級が週5(つまり毎日1回)となりました。
    親に確認もせず、学校側が勝手に回数を増やしていました。
    ありがたく受けさせていただくことにします。

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