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げんちゃんは、たぶん、意識が少し目覚めたのだと思いますが、彼の行動は、あいかわらず、すさまじい注意欠陥との戦いです。注意欠陥という言葉は、あまり好きではありません。医学の世界でよく見られるように、単純に症状だけ診断名にしたような類で、何の広がりも、すくいもない言い方だと思うからです。
注意欠陥は、意識障害ゆえにおこるもので、時間軸がとらえられず、目の前の瞬間瞬間だけに意識が向いてしまう現象の結果にすぎません。それとともに、かたずけられない、やりっぱなし、という行動も、しつこいカビのように、ほんとにやっかいです。
げんちゃんの行く先々で、持ち物や衣服が散乱します。靴もそろえることがなかなかできません。鍵も何度も無くしては、危ういところで出てきたことは、数知れません。
何度言っても、同じことが繰り返されます。ずっと注意し続けると、たまに、できたりするものの、こっちが気をゆるめれば、また同じようになります。
宿題も、あいかわらずです。
「今日の宿題はやったの?」
と日曜に聞くと、
「やったよ。」
と言うので?まさか。と思って調べたら、その前の日の宿題と混乱していたこともあります。連絡帳に宿題を書いてきても、ページが書き入れてない、とか、聞いても、どのプリントかわかってない。とか、もう、悲惨としか言いようのないありさまです。
明日の日課をそろえても、さっきまで必死にやっていた宿題プリントを、平気で入れ忘れていたり、ということも、日常茶飯事です。
「もう、こいつ、まともじゃね~! 」と絶叫したい日常です。
それから、あいかわらずの算数障害にも手をやいています。先日順列の単元で、20点というひどい点数をとってました。4つのうち2つのものを選ぶのは何通りありますか? とか、赤青黄の並べ方は何通りありますか? といったような問題です。何度か教えたのですが、そもそも意味がわからないようです。
人生で並べ方なんてことを一度も意識したことがないのでしょうね~|。
計算もあいかわらずひどくて、今日訓練のために、駄菓子屋さんで500円分買う、という実践をやってみましたが、390円に40円をたすと、700円とか意味不明な暗算をしてました。桁どりが混乱するようです。何度か修正させながら買い物をしたら、500円分なのに、1時間近くかかってしまいました。
こういう部分は、意識障害もあるけれど、本人が、そこに何の価値観も感じていない、ということも原因するんでしょうね。かたづけるの、めんどくさい。計算、やりたくない・・・だから、余計に厄介になる。
先日は、初めて自分でバスに乗って、福岡市内から、郊外の我が家まで一人で帰らせました。さすがにはじめてだから、私が、バスに乗せてやるところまでやって、あとは、別れました。
そんな計算障害をかかえているので、最も心配なのは、バスに迷惑がかかるほど料金のところで、もたもとすることです。
なんとか家についたときは、思ったとおり、1000円札をぽんと出したようです。運転手さんが両替しなさい、と言ってくれたようです。ちゃんと、小銭を用意していたのですが、クリアできなかったようです。まあ、でも、彼にとっては緊張する初めてのレッスンでした。
こういう、注意力をフルに働かせないとだめな体験は、意識をゆさぶるのに良いです。私とバスに乗れば、ぼ~っとしていても、なんとかなるけれど、一人なら、できるできないかまわず、とにかく、注意を向けて、頭を働かせる必要があります。
たぶん、Sさんとの、夏のイルカ合宿も、こういう体験型の2泊3日だったんでしょうね。あえて、親から離し、普段とはまったく別の場所に切り取られて来て、彼の意識は、色んなものをおっかける。意識が目覚めて、いろんなことを意識せざる得ない。
そして、次は、意識が動き出したら、正しく、認識することをしなくてはなりません。今は、意識は動き出したけど、周りの状況を正確にとらえることはむつかしいし、自分を客観的にとらえることもできていません。そこができれば、まわりのことに広げていける能力につながるのでしょうね。
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roboも注意欠陥がありますので、状況の厳しさはよくわかります。「目の前の瞬間瞬間だけに意識が向いてしまう」ということは、正にroboの状況です。
しかも、その目の前のことだって、興味がなければ、意識は向きませんから、ほとほと疲れますよね。お気持ちお察しします。私は最近これは、「ダブル意識障害」だと感じています。その場その場も適切に意識を向けられず、しかも、時間軸で過去と未来とをつなげて意識することもできないんですよね💧
でも、げんちゃんママさんは、500円の買い物に1時間も付き合う根気と熱心さがあるんですね。確かに体験を通すことが1番の早道ですから、必要なことですが、なかなかそうはいかないと思います。
また、それにねをあげずに付き合うげんちゃんも偉いですよね。ママさんの気迫のおかげでしょうが、もうすぐ中学生の男の子ですからね。これまた、なかなかそうもいきませんよ。
きっと、お二人の地道な努力が実を結ぶ日が来ると思います。表面上の成長は行きつ戻りつしているように見えて、じわじわ前に進んでいると思います。
ところで、私が「ダブル意識障害」だと感じるようになったのは、最近roboの「その場その場の意識障害」が少し改善して来たからなんです。「今はここに集中してほしい!」ということに、少し意識が向くようになってみると、逆にダブルで意識障害があったんだなと気付きました。
つまり、時間軸の方の意識障害はまだ完璧に残っているということでもあります💦
でも、まずはその瞬間瞬間、何に注目して、何を抽出するべきかがある程度分かってこなければ、時間軸で必要な情報をつなぎ合わせることはできないな、と思いました。まずは、先読みをした計画性のある行動よりも、その場で必要なことに意識を向けて、情報を抽出する練習の方が先だったのだと気付きました。
そして、意識が向いてみると、今まで出来なかったようなことがすっと出来たりしています。だから、「これくらい出来そうなのに、何で出来ないんだろう?」と思っていたことは、「やっぱり本当は出来たんだな!」と分かって来ましたよ😅
今までは、興味のないことには、意識が向かなかったけれど、興味のないことに取り組む意味を見出したのか何なのかわかりませんが、少しだけですが変わって来ました。
たぶん、精神年齢が上がって来たからなんでしょうね。正直、なんで急にほんの少しとはいえ、変わって来たのかわかりません。単なる精神年齢の成長で、それを周囲が邪魔しなかったというだけのような気がしています。
ですから、げんちゃんもまだまだ変化していくと思います!
たくさん共感するところがありました。
診断名…本当に広がりが無くてすくわれないですよね。あきらめてしまう親もいらっしゃると思います。なんとかもがいている私も、時々諦めそうになる時があります。
そして、たまにできたりするものの、こちらが気をゆるめれば、また同じようになる…これは学習面でも同じです。え?これ理解してたのに??と思う時が何度もありました。その時じつは理解できてなかったのか?すぐに忘れてしまうのか?どちらなのぇしょうね?
宿題プリントは、やる、持っていく、提出する、といういくつかの段階があって、うちもどこかでひっかかってしまいます。でも大量のプリント全てを把握できてません。提出しても返却されてるのかどうかまで把握しようとすると、ずっと気を張ってなくてはならなくて…正直無理なんです。
意識障害もあるけれど、本人がそこに何の価値観も感じていない、というのも原因する…その通りだと思います。一般の子は、やること自体に価値観を感じてなくても、評価だったり、いい学校に行くためだったり、をモチベーションにいろんなことに取り組めますが、そこが働かないので、自分の価値基準だけで行動するんですよね。そこを変えて行くのは本当に難しいですよね。むしろ、それが正解とも言い切れないですしね。
難しいです。
ロボママさん
またまた、なるほど~とうなってしまうコメントありがとうございます。
二つの意識障害と分けて考えるとよくわかりますよね~。
確かに、その場の意識障害の改善のあとに、時間軸の意識障害が改善するような気がします。
げんちゃんも、昨日、とほうもなくがっかりする場面があったけれど、47都道府県を書き込む宿題があって、一生懸命、休まずに全部書き込めてました。へ~・・・そんな根気は、昔はなかったな、と思いました。とくに社会は好きなので、できたのでしょうが、その場の集中をさまたげる意識障害は、明らかに改善しているわけですよね。
この積み上げの上に、次なるは、時間軸の意識が高まってくればうれしいですね。高校生になるときは、自分で組み立ててテスト勉強ができる、というのが目標です。
でなければ、親元からはなせませんものね~・・・
バスの初体験をはじめ、あらゆることを自分でやらせるように、今、もっていこうとしています。
買い物もそうだし、問い合わせ、とか、他人への説明とか・・
そういうことを、やらせようかな、という気持ちが私におこっているということは、それだけ、いけるという気持ちが出てきたんでしょうね。それを考えると、やはり、進歩しているのでしょうね~。
ロボ君の後ろをついていきますね~。
ゆうママさん
やっぱりいっしょなんですね~。
鍵はなくすから、ここに置くんだよ、と、もう何回言ったことか・・・・
チェアーにほうりっぱなしとか、たったそれだけのことをしませんからね~。
脳の機能おかしいんだね、と、認識せざるえないですよね。
宿題も、クラスの先生にノートに書いてもらいたいくらいだけど、そこまでしてフォローしなくてもいいか、と思って、7割主義にしてます。先生は先生で、げんちゃんの言ってることがわからず、ノートで確認し合って、はじめて、そういうこと~、とわかったりします。
だから、中学、まったく他の子と同じステージで学校生活を送るなんて、まだまだ無理ですよね。
でも、ほんにんは、なんか、その気になっていて、いかに、自分のことを把握できないかわかります。
でも、私は、ここに挑戦するぞ~~・・・と思います。
ここを治して、はじめて発達障害は、問題がなくなるのです。がんばりましょう。ファイトです~。
もう日々どっと疲れてますが・・・
しかし、ゆるい歩みだけど、進化してないか、というとやっぱりしてるわけで、あきらめそうになるのをふるいたたせて、がんばるしかないかな~・・・
ここで愚痴りながら、がんばっていきましょうね~。泣
げんちゃんママさま
いつもありがとうございます。
げんちゃんのように自立にむけて動き出せたらこんな嬉しいことはないな~と毎回楽しみにブログを拝見しています。
確かに息子は低次の脳の時と高次の脳をつかっている時がありますね。低次の脳の時は完全に自分の世界です。楽しそうに穏やかには過ごせ傍目には良い時間の過ごし方に見えますが、なるべく低次の時間は少なくしなければ脳がそれに慣れてしまうと思っています。常に無理しすぎない付加を与えないといけないです。
本日はまた違う病院での主治医に診察してもらいましたが、いつもより人との関わり方を気にされて診察をされていらっしゃいました。
同じような先生の問いかけに対して、健常児の子供らしく反応するときと、自分の世界の中で答えているときとありました。マイワールドの時も私たち親がフォローすると先生とやり取りをはじめます。そのような個別対応をしなければいけないことが弱いところなんですよね。家庭ではある意味,
個別対応ばかりで済ませているので、すごく成長したとか、普通の子と変わらないまでになったとか思うときもありますが、こうした普段とは違う人と場所では明らかに彼の障害がわかりますね。
幼稚園も今はまだ個別対応も大切にしてくださっているので何とかついていけるんでしょうね。先日の先生は普通級かな~ということでしたが、今回は支援級かな~という判断でした。それぞれの先生が一生懸命考えてくださっているのでこの1年私たちも息子に対してのベストを見つけ、またそれが違っていくようでしたら変更することも当然と考え、彼が元気に楽しく成長できる居場所を見つけてあげたいと思います。それが難しいんですけどね(+o+)
itoさん
色々お医者さんの意見を参考にされているんですね~。
ドクターをぜんぜん利用していない私とは対照的です。私は、お医者さんの意見をあまり聞いたことがなかったので、よくわかりませんが、たくさんみている先生なら、客観的なことはわかるかもですね。
確かに、我が子を、いつもの環境において見ていると、一見普通に近づいた、と見えることも多いですよね。でも、まったく初めての環境、初めての人を前にしたら、え?と思う場面に遭遇するのもよくわかります。
意識障害という面で考えれば、意識をしっかり働かせて、どこに焦点をあてるか、しっかり持っていないと、能力があっても、初めての場面は対応できません。意識を働かせなくても、ルーティンにできることは、あまり目立った欠点が見えないのです。
げんちゃんも、いまだに、普段とはちょっと違ったスケジュールとか、変化があると、ぜんぜん対応できません。
普通クラスか支援クラスか、というのは悩みますよね。私もなやみましたが、ここは、いっぱい発達障害児を診ている専門家のアドバイスに従いました。
結果、支援クラスがなくて、1年生は普通クラスでしたけどね。
私の考えは、普通クラスに入れるのなら、やはり、ホームスクールをするのがいいかな、と思ってます。何かしら、特別プログラムを取り出してやるのが効率がいいです。
普通クラスの刺激が、普通の子は、どんどん肥やしになるのですが、げんちゃんの昔は、ただ、ぼ~っと過ごすだけで、時間のロスだったからです。
itoさんは、私より、熱心に取り組まれているので、どっちのクラスになっても、ちゃんと導いていけると思います。
注意欠陥は意識障害…
本当にその通り、上手い表現ですね。
とんちゃんもウイスク検査員から、意識を合わせる事ができれば伸びると思うんだけどね~と言われました。
が、そう簡単に意識を合わせられないんですよね。
こちらも苦戦しています。
テストの様子、日常の様子、同じですね。
彼の周りは物が散乱。
しかし、靴だけは揃えられる(笑)
(興味のない事以外)何の価値観も感じていないという表現、全くその通りだなと思いました。
バスの件、いい経験でしたね。
とんちゃんはICカードを使っている(手帳で地下鉄、バス無料)ので、支払っていません。
私鉄に乗るときだけ、切符を買いますが、切符買うときは楽しそうです。
ただ、まだ一人では買えないですね…
運賃表を見て、目的地を探すところからですね。
この子達が大人になるときは、もっとIC化が進んでいるでしょうね。
「計算なんかしなくても生きていける」と言われそうです。
とんちゃんは電車好きですので、道中ぼーっとしていることはないです。
覚醒しているのでしょうね。
いつもこうならいいのに。
ですので、私が寝ていても、降車駅で起こしてくれます(笑)
冬休みには、ぼーっとする時間がないよう、取り組まねばと意気込んでいます。
余談ですが、お友達の小学校(私立カトリック)の聖歌隊の歌を聴きに行きました。
心洗われました。
とんままさん
コメントありがとうございます。
意識障害、って言葉をもらってからは、発達障害の本質が見つめられるようになりました。とはいえ、なかなか手強いです。
興味のあることは、意識が揺り動かされるので、ましな方向性になるんですよね。心が揺り動かされて、それによって、意識が揺り動かされる。
じゃあ、興味のないものはどうするか・・・やはり、心に働きかけることをしないといけないんでしょうね。
算数なら、数字のられつではなく、生活に密接にかかわるテーマにおきかえるとか・・・
バスの経験も、心が揺り動かされて、やらなくちゃ、という意識が発動する。
各論で、知っていて、各論で取り組んでいたことも、本質がわかることで、なるほど、という気づきが生まれてます。
聖歌隊・・いいですね。私も、クリスマス礼拝では、たんまり、賛美歌を歌いましたよ~・・