ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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抽象的なことを理解するための言葉

> げんちゃんの不思議なところって、たくさんあります。

その一つに、普通の生活の時は、けっこう色々会話していて、かなり普通になってきたと感じる時があるのに、いざ、プリント類をやるときになると、なぜ、こんなことが理解できないの?ということが多いです。
特に、算数の問題をやるときは、自分一人で全部テストプリントを解けることは少なく、わからないと、じ~っとフリーズして、質問さえもできません。

わからないのはいいとしても、なぜ問題について、いまだに質問さえしてこないのか?
とても不思議です。彼の能力をわきまえて、充分適度な難易度の問題を与えているのに、なぜ質問さえできないのだろう???

普通の子なら、質問くらいはできると思います。
「これってどういうこと?」

なんて、文章題の一文をさして言ったりするんじゃないかと思います。

たまに、質問らしいつぶやきが出たら、お~・・・げんちゃんすごい。と思うほど、彼は、沈黙します。これは、彼が、いつも、受け身であるから、と言うわけでもなさそうです。

現実の生活に密着したことは、彼らの言語は、なめらかに出てくるけれど、プリントの上にある自分とは何の関係もない問題、つまり”抽象” に関しては言語を持っていないのではないか、というようなことをある人に言われて、なるほど~と感じているげんママです。

それと関係するかどうかわかりませんが、敬語、謙譲語、丁寧語・・これも、げんちゃんは、なかなか理解できずにいます。

彼は幼児のように、自分の生活に密着した言葉と、彼の好きな本の世界の話は言語を持つけれど、興味のない、”抽象”は、出力させる手だてがないのかもしれません。

そう考えると、結局、この子は、国語が算数よりできる、とか言っても、”言葉” がだめなんだ・・・と思わずにはいられなくなりました。

言葉で考えるための言葉・・・・げんちゃんには、やっぱり、言葉が必要なのかもしれない。

なんかこう、うまく言えないのだけど、ヘレンケラーが、始めて「ウオーター!」 と叫んだ時のように、目の前で繰り広げられている”抽象”に言葉を関連づけることがもっと必要なのかもしれない。単語を関連づけるだけではなく、その物事に、的確な文章を与えてあげることが必要なのかもしれない・・・

たとえば、げんちゃんは、ピアノを5年もやっているのに、楽譜のおたまじゃくしが上にあがるほど、鍵盤は右に行く、ということがわかっていませんでした。ピアノの先生と二人で絶句しました。

だから、もう一度、彼にそれを誇示して、言葉にさせながら理解させました。今までは、ほら、こうなるんだよ、とこっちが言葉を与えていましたが、はてしなく、誘導しながら、げんちゃんに言葉をつむがせていきます。

「楽譜がこうだったら~。ピアノは~、こっちで~。」

とか言ってるのを、
「楽譜の音符が高い方に書いてあるほど、ピアノの鍵盤は、右の方へ進んで行く。」

と、修正しながら、彼に、もう一度出力させるわけです。彼に出力させながら、修正するというのが正しいかもしれません。具体的な経験に、まずは的確な表現を与えてやり、それを体に落とし込む。
言葉、言葉、言葉・・・

特に、算数における言葉は、げんちゃんには乏しいようです。具体的な算数の事象にもっともっと言葉をつけてやる。

げんママ、まだうまく言えないけれど、最近手探りでやっていることの1つです。

 時々、げんちゃんに、しつこい! とか怒られたりするのだけど、まあ、嫌気がささない程度に・・

それから、げんちゃんに、トランプのスピードをさせてます。目の前の数字を見ながらカードを出すことと、カードを補充すること。げんちゃんは、必死です。パニックならず、一生懸命やっているので、ほんとに進化してるのです。
 
 家族で、トランプに取り組みながら、ふと、DSなどのゲームは、なんて、単調なのだろう、と感じます。相手からの声、手の動き、視線の奥行き、すべて、リアルゲームの方が、脳にがんがん刺激が来る感じがあります。

 情報の処理量は、こんな単純なトランプゲームでも、随分多いと感じます。げんちゃんには、できるだけ、ゲームを与えたくないな、と思います

公開コメント 承認後公開

  1. ゆうママ より:

    うちは算数、特に計算は遅いながらもましだと思ってたのですが、機械的にやってただけなんでしょうね。同じ割り算でも、
    ①商を整数で求めて余りをだす
    ②商を小数第1位まで求めて余りをだす
    ③商を小数第1位までの概数で出す
    こういう指示でことごとくひっかかります。

    23.56×1.2と同じ答えになるのを選びなさい。
    ①235.6×12
    ②2.356×12
    ③2.356×1.2

    はい、全て計算して出してました😱
    これではいくら時間があっても足りないですよね。小数点の位置だけが問題ということが読めないのです。いろいろ本当にいろいろなことがそうなのです。
    情報が入らないわけではない気がするのですが(贔屓目かもしれません)なんといってももってる情報を活用できない…これでは勉強嫌になって当たり前なんだけど、でもどうしたらいいものか???

  2. ゆうママ より:

    言葉の抽象、具体の置き換えを、福嶋先生の問題集でやってます。正月、こどもの日、春分の日、つまり祝日。祝日、例えば、正月…など。

    ピアノの事象は頭の中で、A=B、B=C、だからA=C という操作がしにくいのかな〜と感じます。

  3. robo223 より:

    我が子はスペシャルな存在で、その他大勢に合わせて上げる必要なんてない!独自路線を歩めば良い!という考え方を私は持っているのですが、げんちゃんママさんもそういったお気持ちでげんちゃんというダイアモンドの原石を磨き上げていらっしゃるのではないか、と共感しています。

    特に、私もゲームのやり過ぎは能力開発の足を引っ張るものと考えています。以前読んだ本にも、ゲームはゲームからどんどん刺激を与えてくれるから、集中しているように見えて、ただぼんやりしているだけで、何も頭を使っていないとありました💧つまり、ゲームは受動的な活動でしかないそうです。それに対して、本を読んだり、何かを作ったりすることは、能動的な活動で、脳を鍛えることになるそうです。

    ところで、効果のある治療法でもその前につながれていなかった神経をつないでいかなければならないなんて、気が遠くなりそうですね。でも、酸素カプセルって集中力に効くそうですね。げんちゃんは利用できていいですね。たぶんroboは感覚過敏がひどいので無理かなと思います(泣)

    しかし、親がこんなに散財したり手を掛けて頑張っているのに、公的な支援や研究が遅れているのが、やはり残念でなりません💧せめて、アメリカみたいにABAを公的な療育に取り入れてほしいです。

    roboの主治医の先生はとても親切で的確なアドバイスもして下さったり励ましてくださるので、ありがたいのです。しかし、roboが小さい頃の基本的なスタンスは無理をさせない、という消極的なアドバイスが中心で、私が仕事を辞めてまで、必死で教育して成果が出たから、roboへの評価や期待値が上がっただけなのです。

  4. robo223 より:

    スミマセン続きです。

    主治医は正直な人なので、roboのことを「僕は初め、軽度知的障害か、境界知能の下の方だと思ったよ~。」なんて言ってるんですよ!

    今じゃあ、「この子なら、一般就労できるよ。しかも自分のやりたいことを仕事にできる子だよ。大学院まで行かせて、就職させるといいね。お母さんが仕事を辞めてまで、教育に専念した成果は出ていると言えるんじゃないか!」なんて、言っています💧

    初めの評価は過小評価で、後の評価は過大評価だと私は思っています。

    要するに医者は正しい診断も本人の能力を充分に伸ばすアドバイスもできないということです。私は親の責任として出来る限りのことはやろうと思ってやってきただけですが、おかげで仕事は辞めたし、散在して、療育貧乏状態です。

    発達障害のお子さんは、力はあるのに出せないことがほとんどなので、療育はまさにダイヤモンドの原石を磨くような作業だと思います。

    医学が進歩して、完全な治療方法が見つかる日まで、他と比べることなく(参考にはしますが)、本人の「昨日より今日、今日より明日」の進歩に目を向けて、日々この特別な子育てを頑張っていきたいと思っています。

  5. ゆうママ より:

    何度もスミマセン。ずっと感じているもやもやの正体。私たち親の目標と関わってくれてる第三者の目標がズレてることなんだわって気づきました。障害があるっていうと、意識的にせよ無意識にせよ、「ここはできなくて仕方ないよね」ってきめつけらられてしまう。いやいやそうではなくて、だから教え方を工夫しようよって思うのが親です。

    日々生活する上で、ほとんど障害であることなんて意識しないのに、いざ学校や学習場面になるとそれを伝えなければならないという事実。認めていないわけではないけど、わざわざ再認識しなければならないのが本当にしんどいです。
    我が子を育てるしんどさ以上にエネルギーをそそがなければならない居場所作り。なんだかやっぱり年度変わりは疲れますね。

  6. glow-gen より:

    ゆうママさん
    笑っちゃいました。うちもしました。計算し出そうとしたので、やめさせてしまいましたが・・・
    結局、桁の仕組みがよくわかっていないようでした。それから、また、いちいち桁を四角のお部屋にして、桁のイメージトレーニングしました。結局これって、2~3年の所だと思います。いつまでたっても、しっくりきていないんでしょうね。
    60×0.1とかいうのを、マジに筆算しようとしたり・・・
    でも、それも、この春休み、多少はましになってました。格闘の成果は出てきています。
    しかし、ふと、100から逆唱させてみたら。91.90....はちじゅう~~・・・きゅう!汗、となったりして、どっと疲れました。数出使うところの脳がちょっといかれてるようです。
     でも投げ出すわけにもいかず、がんばっています。
    しかし、去年の問題をやったものを出してみたら、やっぱり、かなり進んでいるんですよね。いつか、スパートがかかります。そう信じてやっていきましょう。

  7. glow-gen より:

    robo223さん
     お仕事やめて取り組まれていらっしゃるんですね。えらいな~。しかし、やめると、経済が気になるし、発達のママたちは、けっこうぎりぎりの選択をせまられますよね~。

     お医者さんは、ほんとに彼らのことを表面しかわかってないですね。何もしないで、ただ定期検診だけなら、病院行かなくてもいいのでは、と思えるお子さんもたくさん知ってます。そんな時間あれば、トレーニングにあてた方がましですね。
     でも、しかたないのでしょうね。学校で、習わないのだし。もともとエリート集団だから、知的障害の子にあまり興味がわく人は少ないかもですね。
    でも、彼らは、確かに、特別にもらってきてるものが、それぞれにあると思います。
    それが花開くのを目標にしたいですね。
    酸素は、先日久々に行きました。めずらしく、中でぐっすり寝てました。すると、スタッフの方が、ここの中で寝ると、1時間で5時間分以上寝た効果があるんだよ、と言ってました。それはいいな~と思いました。

    まだ、親がついていかなければうけさせてもらえないので、私が仕事でつけない日が多く、もっとうけさせたいのに、ぼちぼちです。
     アメリカは日本より進んでいるんでしょうかね。わかりませんが、日本は遅れているのは確かかもですね。

    ゲームはほんと親の管理の下に与えるべきだと思います。パチンコ狂と同じ方程式のような気がします。普通の子も、危ういなと思います。普通のお子さんでも、親が、手をかけてる家庭の子は、ゲームやってない子も、たくさんいますね。現代の大きな課題ですね。

  8. glow-gen より:

    ゆうママさん
    そうなんですね~。障害と言いつつ、まったく障害と思ってない母親の心理わかりますよ~。

    だから、ついかえって、
    「発達障害の子って、汚部屋になりやすいんだから、ちゃんとかたずける癖つけるよ!」
    とか平気で言ってしまってます。あんた普通でしょ、じゃあ、ちゃんとできるでしょ・・・みたいな心理が底にあるんだよね~。

    居場所造り・・これが、一番悩むところかもしれませんね。親と子が、集団から孤立すること、これは、ほんとに怖いですね。
    学校以外でも、たくさんコミュニティーを持っていきたいとこです。ママの社交性も必要になるのかもですね。
    がんがんいきましょうかね~。打たれ強くなっていきましょう。笑

  9. とんまま より:

    今回の記事、ものすごーーく心当たりがあります。
    確かに、わからないなりの質問がない。
    それは、抽象に関して言語を持っていないというのが原因だったんですか。
    全く知らなかったです。

    トランプのスピード、いいですね。
    ちょうどこちらはカルタ(ことわざカルタ)やらせていますよ。
    とんちゃんに読ませて、本人も含め、みんなで取る。
    あとは、後出しじゃんけんで「負け」てもらう。

    やっぱり、頭の回転が遅いというか、動いていないと思うことがしばしばですのでね。
    どうやって、錆付いた頭を動かすか?
    いつも課題です。

  10. glow-gen より:

    とんままさん
    そうですよね~。やっぱり、どの子も、ポイントをついた質問がきわめて苦手ですよね。
    でも、たとえば、
    「今日どこ行くの?」
    とか、そういう現実的な質問はけっこうできたりします。
    だから、頭の中で、シュミレーションするような抽象的な世界は、言語におこせないんじゃないかな、って思うのです。
    そう言われて、すとんと納得できました。
    最近、算数も、理科も社会も、もちろん国語も、たどたどしくても、言葉を紡がせることに着目して学習してみてるのですが、本人のストレスは大きいようです。

    でも、つながりはじめる時期にきているのか、少し進んでいくような感覚があります。抽象を言葉にする前に、たぶん、まず、実体験をしっかり言葉にする、というステージがいると思います。
     少しずつ少しずつ、下ごしらえをして、やがて、料理~となっていくようです。
    地道ですが、5年の今、低学年とは違ってきたことを感じてますよ。めげずにがんばってくださいね~。

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