ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
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人として、破綻している発達障害げんちゃん その指導


衣類をたたむのも、すぐにオミット。目を離せば、すぐにでたらめ適当。やればできるのに、とにかくめんどくさい。発達君が汚部屋になるのはよくわかるな~。。

やる気もなく、やらないといけないという感覚も希薄

毎日が、ほんといっぱいいっぱいで、私早死にしそうだわ!
仕事も、どんどん忙しくなる感じだし、実家の母も、体があまりぱっとせず、気になります。
そしてなんといっても、今年1年で、なんとか、最低限、人としてボーダーラインに乗せたいと願うげんちゃんの教育が、重く私の背中にのしかかります。

そうはいっても、平日は、遅く帰るので、がっつりはかかわれません。
せいぜい、昼休みや仕事の空き時間、げんちゃんが家にいる時間を狙って、ラインのテレビ電話をかけて指導するくらいのことしかできません。

げんちゃんは、卒業式から2週間くらいは、ほんとにやる気もなく、やらないといけないという気もさらさらなく、ただのパラサイトとして生きていました。
S先生にほぼ毎日、徹底的にしごかれて、心をいじられ、ここまでやられりゃ、変わらない人のほうがおかしいわというレベルにいたっても、まだエンジンがかからずといった感じでした。

異常です。発達のお子さんでも、一般の進路を何とか進ませた子であるなら、どこにも所属するところがない、となれば、少しはあせります。しかし、げんちゃんという子は、一瞬あせったかもしれませんが、次の瞬間、「あ、そう!」と簡単に受け入れ、楽な方に流れていきました。(びっくり!)

人としてどうなってるのよ。ほんと!

“表面だけちょっと普通に見られたい”、”かっこつけたい”
はあるにしても、本質のところで、心動かし本気でやるなんてことから、永遠に逃げられればラッキーと思うのがげんちゃんです。

私が、げんちゃんに対して、小さいころからずっとあきれ果て続けている性質です。

あれだけS先生が働きかければ、他のお子さんなら、あっというまに方向性が変わります。それほど、S先生はすごい方だと思います。

でも、いつもそばにいてあたりまえの関係が続いているので、甘えがすごいのと、もともと持つげんちゃんのずるい性格があいまって、かけたエネルギーは、ほとんど捨てられる始末です。

休みの日は、私の担当です。私は、細かくげんちゃんを見て、ほんとに細かく指導します。

勉強にはぜんぜん行きつかない。その前

残念ながら、勉強なんてものにはいきつきません。げんちゃんの人間としての欠落と、常識のなさは甚だしく、毎日毎日あきもせず、同じことを繰り返し繰り返し指導されます。

朝起きると、カーテンも開けず、何十分もぼけっとします。鏡を見ずに適当に身づくろいをし、朝ごはんづくりは、だいたい、何らかのとんちんかんが入ります。一度失敗したことも何度も繰り返し、かと思うと、頼んでもいない突飛なことをしたりします。

ぱっと思い付き、やってみたいと思うと、え!と思うことを勝手にやったりもします。

とにかく人に尋ねない

たとえば、今朝も、我が家は、捨ててしまう水をバケツにためて花壇の水やりに使うのですが、たまに、私は、その中にEM菌を入れたりします。げんちゃんは勝手にその薬品を入れていました。それだけならまだしも、今までそんなことやったこともない、畑に使うハーブの瓶を勝手に開けて、水に加えていました。

もちろん私に聞くこともなく、その薬品が何のためにあるかもよくわからず、思い付きで、畑の栄養だろう、くらいの感覚で突発的にです。
動機は、なんか突然考え付いてやってみたかった。それだけでしょう。

普段は何のつながりも考えないくせに、ぱっと何かを思いつくのでしょう。そういう時は、勝手につながりをつけて、自分で判断します。家事のことくらいなので、失敗は、大事にはならないですが、この性質を直さないと、決して社会になんて出せないと思います。

この性質は、さかのぼれば、6年生だったか、花火をしているときに、テレビで見たのでしょう。制汗スプレーを花火に振りかけて、火を爆発的に大きくしました。事故はおこらなかったのですが、げんちゃんという子の、おぞましい一面を見ました。

とにかく、人に聞かないのです。自分で勝手に判断し、勝手にやる。自分の内部にある情報だけで、自分はやれると思ったりするし、自分は正しいと誤認したりするのです。

何度やっても、さっさと流すから、記憶に残らない

また、週に1~2度職場に連れていき、近くの塾に行かせますが、そこから帰りの電車も、いまだに、電車賃を覚えていません。

お小遣い帳も、入出金があれば書くように言っていても、叱らなくなればやらない。
行き当たりばったり、その場を適当にしのげれば、それで終わり、次へつなげる努力はしません。

注意すれば
「あ、わかってるよ。」
とか、
「あれ、そうだった?」
などと、ずるいかわし方をするのはお手のもの。そういうところを、徹底してつぶしていくのです。

「通用しないよ。そんなこと。もう何度も説明したし、やってることでしょ。すっとぼけるなっての!」
と私が手厳しく指導しても、何度も何度も同じ方向性を出してきます。
それを飽きもせず、何度も何度も、全員で徹底的につぶす。

学校に行っている間は、逃げ場だらけだったんだろうな~。と今更ながら思います。表面、適当に飾っておけば、許される。

まあ、こんな人間を、とにかく、まともな人間にするためには、勉強までは到底行きつかない。幼児の指導のように、箸の上げ下げから、すべてにおいて指導を入れないといけないという感じです。これは、アルバイトでも学校でも、すぐに逃げ場になり、そこでは絶対にできない指導です。そして恐ろしくエネルギーのいる作業です!!!

ほんとにそこに立ち戻って、1から1つもこぼさずに、徹底的に正しい道に押し上げる作業です。

まあ、こんなことがやれるのも、S先生の存在があるからですね~。
私一人なら、天の神様に、どうぞこいつを天に召し上げてくださいませ。と祈祷して暮らす毎日になっていたに違いないです。
それほど、人として破綻している生き物、げんちゃんです。

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  1. 夏みかん より:

    どこにも所属する場所がないというのは、本当なら相当不安になるはずですよね。習い事とS先生の指導へ通う毎日に疑問がわきにくかったり、この先どうやって生きていこうかと思考を巡らせることをしようとしないのですね。
    これは相当な手強さですね(>_<)

    このたび妹の診断が出ました。自閉症スペクトラム、不安神経症です。40代で知的がない発達障害というのは、子ども時代に支援や理解に繋がらず、このように二次障害が発症し発覚するパターンも多いですね。

    働くことは一生困難かもしれないくらいこじれてしまってますが、私自身は不安も負担もあまりありません。60、70才などとなってきたらわかりませんけど(^^;

    うちの両親は子どもは勝手に育つ!というスタイルでまるっきり本人任せなので、もっと関わりを持っていたらちがったのかなぁという思いはあります。
    親にしかできないことというのがあって、いくら姉妹が働きかけたところで全く足りないんです。子どもが親を変えていくことも、それも本当に難しいです。
    両親自身が何か抱えている可能性もありますしね。

    この家族の異常性がわかる人がほぼいない状況で(発達が多数派という)腐らずよくやってるなぁとどこか他人事のように自分をみているときがあります。

    親が状況をわかっており、必要な関わりを持ってしっかりアプローチが成り立っている家庭は必ず良い方向へ向かうと思います。げんちゃんは本当に幸せな環境なので、あぐらをかかず気合いを入れてもらいたいですね〜

    • げんちゃんママ げんちゃんママ より:

      夏みかんさん
      コメントありがとうございます。
      なんか、げんちゃんの大変さ、文面からだけでもわかっていただけてうれしいです。
      げんちゃんの特性は、ちょっと普通の発達の子と違うとこがあります。
      それぞれの特徴の一つ一つをばらすと、みんなうちの子にもあります、と言ってくださいますが、なんというか、外をめちゃくちゃ作ろうとするところが強いです。

      一般的な発達のお子さんなら、普通の中に入れると、圧が強すぎて、逃げだすか、そこでふんばろうとするか、どっちかに振るような気がします。
      しかし、げんちゃんは、へっちゃらでそこに居座りながら、へっちゃらで努力しない、ということをやります。
      表面だけ、上座にいることを望みますが、そこでストレスも感じず、かといって、ギャップを埋めようともしません。

      なんというか、あつかましいです。
      生きにくさ、なんて、普通感じるところを感じず、自分がずれていることも認識しようとしません。
      ショッキングなことがあって、認識せざるを得ないときでも、一瞬認識しうろたえますが、すぐに捨ててリセットできるのです。すごすぎます。白が一つでもあると、全部白と思うし、黒の上に白い布をかぶせて、へっちゃらでいるのですよ。

      この感触は、他の発達のお子さんに多少はあっても、ここまではないと思います。その性質が私や周りの努力に、平然とあぐらをかくという結果で出ていますね。

      妹さんの件、そうでしたか~。私も周りに発達っぽい身内や知り合いがいます。本人たちは気づいていないし、家族も、かわってるよね、で終わっています。
      周りと軋轢が生じても、結構強気の人は、最後まで周りを振り回して生きていくのかも。
      気のやさしいとこがあると、こもってしまうでしょうが。

      人生の後半で気づくより、もっと早く気づけていたら、色々ちがったのかもですね。
      まずは、自分のずれを本人がしっかり気づくことからがスタートですよ。
      まあ、げんちゃんは、そこのスタートに立てないわけですよね・・・

      立てたようなポーズはしますが、めんどくさいから逃げますね。

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