大豆もやしから、大きくして畑に植えてみました。枝豆・・・無理かな~・・
常識がない発達障害児
前々回のブログの、割り勘すっ飛ばし事件から、ずいぶん経ちました。
同年齢の人間からすると、はなはだしく常識にかけているげんちゃんは、まだまだ、教え込んでいくことが、山ほどあります。
この件については、ほんとに、あらゆる方向から指導していって、心に落とすことができるように努力しました。
こういう時に、山となるのは、親だけでは、心に落ちないということです。
親というのは、普段から、最も近くで指導しているので、単なる口うるさい人間、という扱いになりやすいです。それが、社会の普遍的なタブーなんだ、とういうことを心に深く落とし込むには、他人という、ふんどしを借りる必要があります。
今回は、塾の先生がた、職場の人、私がかかわる色んな人に演出をお願いして、圧をかけてもらいました。
S先生が最も強力ですが、私と彼だけでも、いつものメンバーということで、軽くなることも想像できます。
色々工夫しました。(前々回ブログ)
こういう対応は、ほんとにママだけでは難しいというのを、つくづく思い知ります。
親だけが敵になりやすい、発達障害
というのも、タイムリーに、発達障害(診断されてないけど、母親いわく)、とある30代の女性が、職場の医院に来ました。
彼女は、いろんな体の不調をかかえているようですが、どこの医院でも治してもらえず、うちの病院に来たようでした。
紆余曲折あったのですが、結論を書きます。
彼女は、いわゆる不定愁訴(原因がわからない頭痛や不快症状)に苦しんでいたのですが、どの病院でも、ぱっと治らないので、次々に病院をかえていました。
それも、MRIの撮影が3週間先で遅すぎる、と言って、撮影だけ、他の病院にしてもらうように頼んでみたり・・・
実は、今かかっている病院があって、治療の予定も組んでいるのに、気に入らなかったのか、うちの職場の病院を受診してきたようです。
そのことがわかったのは、たまたま親御さんにコンタクトすることがあり、話を聞くことができたからです。
今受けている治療も妥当で、かなり色んなわがままを聞いてもらっていることもわかりました。でも、彼女の主張だけ聞いていると、
「親が横暴で、理解してくれず、医者もちゃんと診てくれない。」
という感じです。
そして、特質するべきところは、母親を敵視していて、自分は正しいことをしているのに、母親は、まったく理解せず、口うるさく自分の邪魔をしてくる、と、訴えてくるのです。
でも、親御さんは、なんと、飛び出していって、どこかの男との間にできた子供を、彼女に代わって育てていたり(育児能力がない)、栄養士から指導されていた食事を、彼女のために毎日作ってやったりしていました。
仕事をもって、彼女を養いつつ、献身的な暮らしをしていたのです。
しかし、母親は、主治医を無視して、ドクターショッピングする娘をたしなめて、常識をさとすけれど、敵あつかいです。お子さんまでいるというのに、まるで、反抗期の娘のよう・・・
世間は、発達障害の人に、丁寧に教えてはやらない
世間は無責任です。この人はちょっと問題だな、と思えば、その場の外交辞令で、上手に彼女から手を引く。彼女は、美しい外交辞令をそのまま信じて、いろんなことの責任は自分にはない、と思う。
そこで正論を言ってたしなめようとする親は、ひたすら敵となるのです。
「もう、娘は、言っても全く聞かないんです。」
お母さんは、一番親身にしてやっているのに、ひたすら尻ぬぐい役と、かたき役になっているようです。
げんちゃんの将来、絶対にこうなってはいけない、というモデルを見るようでした。
色んな失敗の経験も、その指導の仕方、事後処理のしかたいかんで、親だけが悪者、ということになりかねないのです。
つまり、こうなってしまう前に、世間一般に、あなたの常識感は通用しないんだよということを、しっかり体に入れていかねばならない、と思いました。とくに、げんちゃんのように、失敗の体験も、軽く棄てて行くようなタイプはなおさらです。
発達障害のご迷惑な認知のずれは、客観的に見て、世間に通用するものではない。なんか、自分は、ちょっとずれている、だから、謙虚になって、人の意見を聞かねばならない。そういう姿勢を、10代のうちに、しっかり持つ必要があるのです。
そのために、無責任な外交辞令を言って、彼らへ、まやかしの常識感を付けてしまう人たちは、徹底的にまわりから遠ざけないといけない、と言うことでもあるのです。療育と称する世界にいる指導者たちも、例外ではありません。
正しい常識感、人としてどうあるべきか、ということを、しっかり軸において、指導していくのが大事だし、親しい人なら、理由を言って、協力してもらうのも大事だと思います。
思春期は、このように、親だけが悪者になってしまう、という場面が多くなってきます。
行動範囲が広がり、自分勝手に動けるようになる前に、心をしっかり育てる必要がある。
改めて、気をひき締めました。
公開コメント 承認後公開
非公開Mさん
世の中には、昔より、発達障害を疑う人が増えているような気がしますね。
発達障害と、日々向き合っている私たちには、普通のお子さんを育てている人には見えないものが見えます。
色んな事件の裏に、たぶん、こういう感じだったんじゃないだろうか・・・・みたいな、ことがおぼろげに読めたり。
今回のブログ記事も、思春期になってきて、陥りがちなパターンだと思います。
それまで、障害児として、赤ちゃん扱いして、ハードルをぐんと下げて育ててきた家庭は、とくに、対応をかえていく時期なんだと思います。
世間の基準、常識。げんちゃんたちの自己中な価値認識は、通らないと言うことを、しっかり教えて行かないと、人格形成がかたまったあとに修正するのは、とても難しことだと思います。
世間で、ニートしていた中年の子が、親を刺し殺すなんていう、悲しい事件がおきますが、力関係が、親の方が弱くきてしまい、まるで、召使か奴隷のような関係になってしまう場合におきやすいように思います。
母親はたまったもんじゃありません。しかし、世間には、昔のように、一本通った人が少なく、塾教師といえども、任せられる人は多くはありません。
タイプが、暴走しやすいタイプだと、このあたりは、ほんとにエネルギーを注がねばなりません。
お友達の発達のお子さんの話も、危うさを感じますよね。どんな将来が待っているのか・・・
人のお子さんながら、ひやひやしてしまうようです。
認知が歪んでいることを自覚できたら、その後は著しく成長できると感じています。けれど歪みを自覚するには「時間」とか「環境」とか「歪みの度合い」などが関係しそうですね。
30代で未だ他責思考であっても改善の余地はあるのか…心配ですね。本当に子育てにはセンスが必要ですね。小さい時から、目の前の我が子をしっかり見てその子にあった対応してくことが本当に大事だったなと後悔と共に思います。
ゼンツァーノさん
ほんとにそうですよね~。
もともと、繊細で、過剰に、自分はだめだ、と思い込むような子もいます。こういうお子さんの方が修正しやすい気もするけれど、それはそれで、自信のなさとか、うつ体質とか、厄介な問題も共存したりします。
今までおつきあいしてきた発達のお子さんを見たら、お母さんのお子さんに対する認知が、どうしても、実際より、良く設定されていることが多いと思います。
私も例外ではなく、たとえば、アルバイトがなんとかできた、なんてことがあると、そこでちょっとほっとして、油断したりします。
その後、どかんとこういうことがあって、いかんいかん、と下方修正。下方修正してるくらいがちょうどいいな~、と思うふしがあります。
やばい、と思って、とにかく、がっちり見て、がっちりやり続ける。これしかないのかな~と思います。
そうすれば、何かあっても、フォローできるくらいの小さな火で済むように思います。
油断大敵ですし、25歳くらいまでは、ほんとしっかり見ないと、と思っています。
こんにちは。
ここ数日、九州は酷い大雨でしたね。
今日はお天気よさそうですが、梅雨明けまで気が抜けませんね。
職場にいらっしゃった彼女のように捉えていては恐ろしいです。
小さいころからの積み重ねが今の彼女を作っているのですよね。
お母様、必死でやってこられただろうに。
>親というのは、単なる口うるさい人間、という扱い
そうですよね。
言われても何も響かない。
息子もスルーです。
タクシー事件はランキング上位の事件でしたが、どれだけ本人の心に刻み込まれているかわかりませんよね。
鋼のメンタルですからね、刻み込むのは相当労力が必要ですね。
先日、学校で怒られたらしいです。
担任より、「最近、怒られ慣れてきているようです。注意してもニヤッとするだけ」と。
げんママさんが仰るように、本当にいろいろなところから指導してもらわないと効き目がないですね。
こんな采配まで手を尽くしているのに、刻まれないなんて何なんだと呆れてしまいますね。
庇護を受けられるのは高校までですよね。
それ以降は大人扱い。
外見からは常識外れている子なんてわかりませんからね。
接してみて「なんだこの子」となるわけで。
常識がないから文章を読んでもわからないというのは、私も感じています。
小学校低学年向けの本でもわかっていません。
ひたすら国語をやっているとのことですが、同感です。
やっぱりそこですよね。
息子も本を読んでも理解できていませんし、要旨を話すこともできません。
やっぱりそこの訓練ですよね。
先月末に漢検も終わったことですし、この夏は息子もその点を課題にしようかなと。
お話うかがってそう思いました。
昨日も職員室へ普通級の先生に提出する書類があったそうです。
提出にあたって、支援級担任から「職員室には生徒用の入口があって~要件はこう言う」など」ほと細かい説明があったようでしたが、全くダメだったそうです。
ひたすら○○先生と提出する先生の名前を連呼していたそうです。
用件も言えず、自分の名前も名乗れなかったと。
(担任が職員室に先回りして様子見していたそうです)
支援級担任からの説明を聞いて理解する力がないということですよね。
先の国語力ですよね。
余談ですが、息子は漢検受験しました。(3回目です)
本当に親が必死になってやりましたよ。
級が上がるごとに、親が必死です。
やりながら何かおかしいとは感じましたが…
問題集をやる範囲も弱点の把握、学習事項一式、私がかかりきりでした。
本人は問題を解いたり覚えたりするだけ。
中学生なら勉強の仕方コツをちょっと教えて、あとは自分でやってくれるのが本当だよなと。
障害児なんでね、そこまでは無理かもしれませんが、親に丸投げはないだろう…
きっとげんママさんが中学の定期テストのとき、こんな感じだったのだろうなと思っていました。
試験後、迎えに行くと車に乗るや否や、問題集を出してきて、「精神の「しん」は神だった~」と答え合わせをするじゃありませんか。
その他、いくつかの漢字を見て「できた」「できなかった」と言っていました。
びっくりしましたね。
今までテスト後に答え合わせをしたことなんか一度もありませんでした。
終わったら速攻で切り捨てていましたので。
少しは成長したのかなと感じました。
昨日は息子とお父さん二人で高校見学に行きました。
そこでも資料をしっかり見ているポーズだけは取っていたそうですよ。
最後に一人一人感想を言わねばならず、息子だけが何も言えなかったそうです。
他の子は内容はともかく、何か発言をしたとのことでした。
見学に行っても右から左。
資料に載っていた学校のファックス番号を覚えていました(怒)
すみません、長々と。
あっという間に夏休みがやってきます。
ぞっとする時期がやってきました…
とんままさん
コメントありがとうございます。
中学時代のげんちゃんを思い出しながら読みました。
何も聞いてない、メモもとれない、あらゆることに注意を払い、学習もおんぶにだっこ・・・
忘れていますが、ほんとにきつかったですよね。
あの時代にとんままさんいるわけで、その苦労がしのばれます。
あらゆる事件(とんちんかん)をおこし、おこしすぎて、こっちも忘れちゃう。
ブログにあるから、あとから読んで、そうだった~となりますけど、次から次へ、あらたなる問題がおこるので、過去のことは忘れ去ってしまいますよ。ほんと
しかし、テストの朝、暗記物のプリントをテスト前に見返したりすることがおこったり、少しずつ、変化し、高校につながっています。
高校は、げんちゃんに合った学校を選び、彼のプログラムで進んでいってるので、私はずいぶん楽になりました。
また書こうと思っていましたが、今は、障害のある息子と、普通にそれなりの暮らし・・・そういう踊り場にたどりついています。
社会に無条件で出すには、まだまだ相当高い壁はあれども、日々のきまった枠の生活圏の中では、そこそこ自立して、いないよりは、家事全般役に立っている・・・
もともと軽い障害のお子さんなら、何もしなくても、このあたりに落ち着いているのでしょうかね~・・・
しかし、また、この踊り場から、次がなかなかの難易度ですね。
言葉の問題、とんちゃんも、どちらかというと、数字の方が得意みたいなので、困難をきわめるかもしれませんよね~。
S先生の指導を見ていると、行間を1ミリ単位で、言葉にしてやったりしているようです。
当たり前のことをやってるようで、私たちがやると、もっとすっとばして進んでいるんだろうな、と思います。
飛び石を飛ぶようにはいけず、ビーズを一つ一つつなげてやるように進んでいく子たちですよね~・・・
ファックス番号が覚えられるんだから、気持ちさえいけば、捉えられるんですよ。
ただ、どっかで気持ちのズルをする。ここがなかなか治せないところです。