げんちゃんのデッサン。変だけど、丸さえ描けないところから始まっていると思うと、進化です。外側だけは進化してます。
いつも疲れまくる実家への帰省
先日実家に久しぶりに帰りました。
実家の母には、げんちゃんの育児は、まったく理解されないと言ってもいいでしょう。
何か愚痴を言うと、
「息子のことをちゃんと認めてあげなきゃ!
子供のことをそんなに悪く言うのはおかしいでしょ!
そう言うことが障害なんでしょう。認めてあげないと。」
と畳みかけられます。
挙句の果てに、
私の必死の取り組みで改善したことさえ、げんちゃんはこんなにできるのよ、と、諭される。
抗うのもめんどくさい。
うちも、上の子は健常で、見守って、要所要所で声掛けすれば、自然としっかり育って行きました。そういう子しか育てたことのない人間には、この発達障害という怪物(失礼!)は理解できません。
とくに、げんちゃんのように、まったく心も動かず、母親が死んでも絶対に泣かない! と断言できるような子供のことなど、理解できるはずもないでしょう。
ですが、実の親に、げんちゃんとの格闘を、全く理解されない、というのは、けっこうきついです。
知的障害児を持ってかわいそう
さらに、今度は反対に、私のがんばりなどを焦点に話すときは、
「あなたもかわいそう! あなたも苦しいよね・・・・」
とか、今度はやけにセンチメンタルになって、浸っている。は~!
とにかく、こんな子を育てたこともないんだから、とりあえず、そうなの?なんて聞いてくれればいいのにな~と、思います。
発達障害児の親は、家族からも孤立する場合がある
今回久しぶりの帰省だったので、ついうっかり愚痴が出てしまって、地雷を踏む結果となりました。やれやれ。
幸い、近くに住む、妹夫婦は、旅行に出ていたので、攻撃は母だけだったので、これでもラッキーです。
もし妹がいれば、
「「あのね~。子供ってもっと聞いてあげたり、認めてあげないと、だめなんだよ。ねえ、げんちゃん。お母さんの言うことなんか聞かなくていいからね~。」
なんて、恐ろしい悪魔のセリフが続出します。彼女の子供たちは、無事大学に入学したので、自分の育児は正解だったと思っているんでしょう。
彼女の育児に対する自信は、ゆるぎないものがあるようです。
妹がげんちゃんに接すれば、妹に持ち上げられてのぼせたげんちゃんは、家に帰ったら、どかんと急降下。スイッチ抜いて、もぬけの殻になります。
私に言わせれば、妹は、単に授かった子供の素材が良かっただけで、決して褒められた育児なんてしてないよな~と思います。
私の母親や、我が妹が、げんちゃんを育てていたら、絶対に、今のげんちゃんさえなかった、と、私は断言できます。
育児の失敗も、自分で乗り越えていくことができる健常児
私自身、母親の育児の欠点、たくさんありました。成長する中で、私自身が、自分で気づいて修正した部分、染まらなかった部分、自覚しています。
普通の子って、少しくらいその子にふさわしい育児じゃなかったとしても、覚悟と向上心があれば、自分で修正していくこともできます。
発達育児をがんばってきて思いますが、みんな大した育児はしていないです。笑
今だ刹那な生き方しかしようとしないげんちゃん
私が実家に帰り、家を空ければ、げんちゃんは、しめしめ、とばかりに、スイッチを切ります。いまだに自分を律したり、目標をしっかり持ったりすることはなく、日々、圧をかけられるから、なんとか落ちずに済んでるだけのげんちゃん。放置すれば、急降下です。
もういいかげん、自分に圧をかけたり、心を出して、自分の目標を定めたりしてくれればいいのですが、あいかわらず、その場になって場当たり的に行動する、いわば、瞬間を生きる暮らしを営むげんちゃん。
彼は、血のにじむような周りの努力で、能力をつけ、人の心をつけてやってきたのに、それらを自ら使いこなすことから逃げます。やる気出す時は皆無じゃないけど、1か月のうち何度あるだろう・・・
こんなげんちゃん相手に、私は、気持ちさわやかに、遠出なんてできませんね~。(´;ω;`)
帰ったら、どこまで落ちていることか・・・・
健常児の親には、発達育児の愚痴は、さらっと表面にとどめるのがコツ
そう考えると、つい愚痴も出る。
「やれやれ、どこまでクズを貫くのかね~?もう疲れた!(溜息)」
私はつい漏らしてしまった。
すると、しまった、母がすごんできた~
ここではげんちゃんの”本音話”はご法度です。適当なお飾り言葉でやりすごすことが大切!と再学習するのでした。
友達にも、深い話は禁物
しかも、今回の帰省は久しぶりに同級生にも合いました。
みんなで話していて、息子の話題になりました。
「いやあ・・・もう大変よ。人間になってないの。心がおかしいのよ・・・」
とつい愚痴が出ます・・・すると、そこでも、
「自分の子供のことをそんなに言うべきじゃない。いいところがあるんだよ。認めてあげなきゃ・・・」
と、子供さんがすこぶるいい子の男性同級生!
人間の心を持っていない、そもそもの前提から違う、げんちゃんのようなガキの存在を、かつての私だって想像でききなかったので、彼がそう言ってもしかたないとあきらめました。
彼のお子さんは、そっと見守り、がんばってる親の背中見せるだけで、ちゃんと育っている。やれやれ!
カサンドラ症候群なんて言葉があるのも、発達障害のパートナーと格闘する人が、一定数いるからなんだろうな~・・・
発達のパートナー相手に疲弊してるのに、まったく理解されないストレスは大きいと思います。
では、理解されない親のストレスをさす言葉、げんまま症候群と命名したくなりました(笑)・・
ほんと疲れるよ。
「ちょっと、神様よ~。人間を子供にくださいって! 親が死んでも心が動かないような人間を預けられても、できることとできないことがあると思うよ!
神様、何やってんだか・・・」
天につぶやいてしまいました。
毎日100パーセント真剣に向き合ってるからこそ出る愚痴、ここに吐き出させていただきやす~!
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げんちゃんの状態はなかなか理解されにくいと思います。
げんちゃんは自閉度が薄いので、佇まいが自然であまり違和感がありません。それに、理解出来ることや実際に出来ることがとても多くて、一見大して困っているようには見えません。
つまり、表面的なことについては、発達障害の人にしては珍しくまんべんなく様々な分野をカバーしているわけです。もちろん、薄〜くカバーしているだけかもしれませんが、それは、他の人にとっては、なかなか難しいことです。
しかし、その一方で、内面的なことについては大きな問題を抱えています。通常当たり前に存在するはずの感情の中に全く存在しない分野があることです。例えば、感謝、同情、自責の念などです。
発達障害の人はこういった感情を自己の内部に有しにくいとはいえ、ほんのわずかぐらいは存在していて、それを活性化させることを私は促して行っているのですが、なんとげんちゃんは、それらがゼロなのです。
他のたいていの発達障害の人は1は持っていることが多いのに、げんちゃんは0なのです。1を2や3にするのは、それ程大変なことではありませんが0を1にする生みの苦労は並大抵のものではありません。
そこの部分でげんちゃんママさんが苦労されていることは、周囲に理解してもらうことは、なかなか難しいことだと思います。
この部分が0であれば、親子であっても心の交流は難しく、げんちゃんママさんも虚しく感じることも多いと思います。
しかし、こういった感情の欠落も言語能力がある程度ついて来ると、言葉を通して徐々に獲得して行くことが出来る可能性があります。げんちゃんも、だんだん言語能力などの認知能力が上がって来ているだけに、これから変わって行けると思います。
そもそも、私はそのお手伝いをしたいと思っていたのですから。
Takeko先生
ありがとうございます。
げんちゃんの異常さを的確に表現してくださってありがとうございます。
ほんと、普通の親御さんだけでなく、発達障害の親御さんにさえ、私の苦闘はなかなか分かってもらえない時があります。
他の発達のお子さんは、げんちゃんより、心が動きます。まず、親が死んでもこの子は泣かないよな~とは、思わない人が大半だと思います。
げんちゃんは、小さいころから、私が死んでも泣かない、絶対泣かない。と確信している子でした。どんなに働きかけても、心は動かず、なんとか心に波紋を起こしても、びっくりすることに、波紋を消します。そんなことがあるのか、と思われるけれど、あるのです。
しかも、IQも低く、何もできなかったのに、よくここまで芸をしこむように、やれることを増やしてやったものだと、自分に痛々しくなるほどです。
今は、この子は、知的障害とかいうより、精神疾患だな、と確信します。気持ちを抜いてしまえば、夢遊病者のように、驚くことをやります。料理に味をつけなくてもへっちゃら、なんて言うのもその一つだし、テーブルを拭いてもあまりに汚いので見たら、手元をまったく見ずに、平気で拭ける、と言う始末。
心のある普通の人なら、絶対にありえないことを日常茶飯事にやります。こっちが能力をあげてあげたので、傍から軽くちょっと見ると、普通にできるように見えたりします。でも、内容はなく、目的もなく、ただそれらしいことをやった。そう言うことが多いです。
たまに気持ちが入れば、まったく変わります。それも、こっちの努力で、気持ちの0から、0.00001くらい出てきたわけです。でもその0.00001を、拾い上げません。平気で捨てます。
0.00001を拾い上げるようにするには、本人のやる気がいりますが、そもそも、性質がマイナスなので、遅々として進みませんね。見てのとおりです。(´;ω;`)
されないです、本当に理解されないです。同じ発達育児をしている親御さんでもわかり合える方というのはなかなか出会えません。
あるがままの姿を認めていこう、その子本来の姿でそのままでいいんだと認めようというのは、ある意味そうなのですが、だからといって全て本人の価値、基準で判断して任せてよいかというと、また別の話だと思います。
ハイハイの赤ちゃんにどこに行って何をしようが自由だと目を離す人はいないと思います。ここまでは自由にしてよい、ここからは大人と一緒ならOK、ここから先は駄目、など線引きされるはずです。そして、ヨチヨチ歩きになったら、ここまで駄目だったのが、ここまでならOKと幅が広がってくる。そうやって、少しずつ、大人主導から本人へと手渡していき、自立へと向かっていくのだと思います。
それが目に見えるものならわかりやすいけど、精神の世界だと理解できないというより、そもそもそういう世界が存在することも知らないのだろうなと思います。
2歳3歳の子どもに「あなたは保育園に行きたい?幼稚園に行きたい?何歳から行く?」なんて聞いてもわからないし、仮に言えたとしても判断力など未熟過ぎると誰もが思うし、体験させたとしても、その様子を見て判断するのは最終的には大人ですよね。幼いうちはわかりやすいけど、それが年齢が高くなってくると途端に子どもの意見優先…だけど、そもそもそこまで精神面が到達していなければできない話ですよね。本人の到達点はどこかというのを差し置いて、一般論で話されることって案外多いものですよね。そして、それにウンザリしちゃうのですよね。
私も含めて多くの人は育てられたというより、そういうふうに育っていっただけなのだと思います。たまたま子どもが優秀で問題なくスムーズに育ってくれた人は、自分の育て方に自信があるようで、自分の手柄のように話すことがありますね。私も長男を育てなければ知らなかった世界です。
孤軍奮闘となりやすい育児ですが、こちらにはげんママさんもげんママさんのブログに集まっている皆さんも、げんママさんと一緒に理解を深め、それぞれお子さんと向き合ってる素晴らしい方ばかりです。自分と同じ考え、価値観の方がいるってすごく安心します。雑音には耳を貸さずスルーしていきましょう!
夏みかんさん
コメントありがとうございます。
そうですよね~。ここで交流させていただいている発達ママパパは、子供がそのままでいいとは思っていないですよね。なんとか、子供が成長し、今より、できることが増え、人として、あるべき姿の人生を送ってほしいと思っていると思います。
あるべき姿とは、普通の人と同じことをする、という外側のことではなく、心の成長が軸にあります。発達障害は、ほんとに心の成長を導くのがどれだけ難しいことかと思います。
ただ、計算ができるようになる、とか、そういうことも、知的な障害があると難しいのですが、心が破損したような状態の子供たちですから、それを人として正しく生きていけるように、精神を育てていくのは、不可能に近いです。
それでもやろうとがんばっている発達ママパパは、そもそも向上心の塊なのかな、と思います。
人生とは自分の向上を楽しむ道だと思います。死ぬときは、がんばれたかな~。神様何というかな~・・・って感じでしょうか。子供もそうあってほしいと思います。
まあ、そこがそもそもまったくない、というのがげんちゃん・・・・わかるでしょうか・・・
おそろしいです~。泣
おっしゃるように、歴齢と精神面の成長は、まったく乖離しています。どっちを優先するべきかというと、やはり、精神面だと思います。20歳になっても、こつこつこつこつ、成長をうながし、成長できる環境を作り、導かなければなりません。それを継続してやり続けることは、ほんとに至難の業ですね。
げんちゃんの年齢になってくると、ゴールのようになってしまっている人もいます。
そこまでは必死にやってきたのに、環境がないからなのかもしれませんね。
一生進化し続けることをどんな子供にも望みますよね。
こんにちは。
発達ママたちにも色々な考え方がありますよね。
しかし、中学生ともなると、もうどうこうしようと働きかけている人にはなかなか出会いません。
やはり熱心なのは未就学児ぐらいまでかな。
小学校入学という大きな目標がありますものね。
先日学校の面談で担任より、私のような人は珍しいと言われました。
多くの親は「かわいそうだといってありのままを受け入れる(出来るようにするという発想はない)
過保護になってしまうのに、とんままはしっかり線を引いて(母子分離)取り組んでいる」と。
担任は「出来ないままにしておくのは、その子のためにならない。
少しでも出来るようにと促していく方がよっぽど子供のためだ」と。
一歩引いて俯瞰してますからね、担任は。
私がこのように対応できているのも、3歳ぐらいの時からこちらのブログを拝見しているからです。
そして必死に向き合っている多くの親御さんたちのお話を聞いているから、それが当たり前だと思っていました(笑)
感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてこれからもよろしくお願いします。
なんか締めみたいになってしまいましたが…
帰省されたのですね。
ストレス解消し、癒され活力を得たいところですが、どうやらそうではなかったようですね。
同級生との会話、困りますよね。(私障害児しか育ててないですし…)
子育て愚痴ると相手が気を遣いますし…
健常の子たちの話を聞くとやっぱり空しくなりますね。
昔ほどではないですが。
頑張っている親の姿を見せるだけ、要所要所で声掛けするだけで育ってしまうなんてね。
何と羨ましい事か。
夢のようです。
げんままさんのように、成長過程で自分で修正していくことも出来る。
自分で成長していこうとする力って、凄いですよね。
とんちゃんも一人時間に勝手ばかりしています。(どうしても下校後に一人時間が出来てしまう)
ホント建設的に時間を使って欲しいのですが、そんなこと出来たらもはや普通の子ですからね。
抜くのもそうですが、好きなことしかやらず、自分勝手モードから戻すのが大変ですね。
私が戻ってきて、「さあ、取り組みしましょう」となると自分勝手モードですからね、そこから取り組むモードにするのに何時間もかかってしまう。
なかなか気持ちが入らず、適当にやったところでもう23:00過ぎになってしまい、身にならずに就寝。
そんなことが繰り返される毎日です…
よくないと思いながら日だけが過ぎていき、もう11月ですもんね…
とんままさん
ありがとうございます。いやあ、ほんと、そうですよ。子供を今日より明日、明日より明後日、できることも、精神年齢も進化してもらおう、とがんばるおやごさんは、ほんとに少ないです。
そういう気持ちはあれど、多くの親は、やはり、子供を障害者と言う枠の中でとらえているように感じます。
障害があるということは、アクセサリーみたいなもの、魂の本幹にはあまり関係ない。魂を磨いて努力していくという、人生のわたりかたは、皆同じ。
そういう感触を持っている親は少ないのかもしれません。
偏見を持っている、なんて言ってくる人の方が、障害者を枠の中でとらえている気がします。
ですが、うちのげんちゃんは、その魂が残念な状態ですから、ほとほと困っているんですよね~。
発達障害というより、知的障害と言える人の方は、育児は楽しいと思います。心の交流がしっかりありますから。
とんちゃんも、意識低下おこすと、そこから持ち直すのがとても大変なんですね。
放課後、何らかの刺激を加えてくれるところがあるといいですね~。
一般の塾だと、レベルが高いし、家庭教師だとお高いし、わかってやってくれる人に出会えるとはかぎりませんし・・・
福祉だとだれるし・・・
成長させれるものも、みすみすできませんね。親は働かないといけませんし、たとえできても、中学くらいからは、そろそろこっちの精神も限界に近づきますし・・・笑
自分で、と言うのが難しいわけだから、どうしても他の手を患いますが、その手がなかなかうまく見つからないんですよ。
そのうち子供もなんとなく固定化されてしまったり、親も、なんとなくあきらめたりして、ルーティンの中で暮らしていくのだと思います。
わかりますよね。
とんちゃんに、ママががんばっているのを、担任の先生がちゃんと見てくださっているのはうれしいですね。担任からさえ理解されない時もありますから。
1日1日、意識低下を起こした時間を減らして積み上げるしかないです。うまく色んな縁がつながって、福祉でもなんでも、とんちゃんを向上させていくところとマッチングしていければいいですよね~。