へっちゃらで、できた、と思う、げんちゃんタイプの発達障害
発達障害の人は、普段自信がないような感じであっても、色んなタイミングで、自分はできてると思っている人が多いと思います。
もちろん、げんちゃんはその代表です。
それを表すエピソード
書写の先生に電話をかけるように言いました。
しばらくお休みしたので、プリントがなくなってしまいました。自宅学習のプリントを、先生の家に取りに行くことになりました。
まず、先生に電話をかけなければなりません。
ただ取に行っていいですか? だけなら、げんちゃんもできます。しかし、時間の詳細を交渉する、となると、話は別です。
駅の近くの教室なので、電車を使うデッサン教室のついでに、取りに行くのが合理的です。
デッサン教室の行と帰り。どちらが都合がいいか、電話で調整しなければなりません。
行きの時間に寄るなら、家を早めに出なければなりません。
先生の都合と、自分のスケジュール。AだったらBで、CだったらD・・・・さらに、Bの場合は、Eが発生する。そんな、条件を、瞬時に判断しなければなりません。
普通の人にとっては、簡単ですが、げんちゃんには、やっと今からと言う感じです。
げんちゃんに考えさせて、要点をメモにまとめさせ、その場を離れました。
しばらくして、聞きます。
「電話ちゃんとできたの?」
「うん、できたよ。」
げんちゃんはかなり、誇らしげに言いました。
「え?、それで、いつ取りに行くの?」
「明日はだめだって。来週連絡しますって。」
「は?別にできてないじゃん。時間のことをしっかりできたのか?って聞いてるんだよ。」
普通の子なら、そのポイントを理解して、
「結局、明日はだめだったから、時間の話はしなてないよ。」
と報告するでしょうに。
そこに、事情をあまり知らないパパが来て、
「ちゃんと電話してたぞ。」
と何気に言いました。
すると、げんちゃんは、また、急に誇らしげな顔になりました。
げんちゃんのずれと、自分は問題ない、と思うずうずうしさ。それに加えて、的からずれていても、ざっくりなんとかなれば、家族からもスルーされてしまう”あるある”。
発達の育児が、ほんとにむつかしい点だと思います。
「ただ、取りに行っていいかどうか、聞くだけ」の電話をしたくらいで、自分はすごくできた~と思う。世の中のできる、というレベルが、君とは全く別次元なのに、自分のできる、が、へっちゃらで、世の中のレベルと思い込む世界観。
お前の、異常はそこなんだよ~!
たぶん、私の友達も、自分なりに一生懸命かたづけた(つもり)の汚部屋を、きれいな部屋と思うのに共通します。
彼らは、それをやるのに、自分なりに、けっこうなエネルギーを使うので、すごいことをやった~、という達成感があるのでしょう。
普通の人にとってはあたりまえすぎて、取り立てほめるべきことでもないことを、できた~!って誇るわけです。
パパにも指導を入れ、(細かくできたことを確認して、ほめるか、指導するかしてね。)げんちゃんにも細かく指導する。ここはスルーしてはいけないところだと思っています。
この普通からずれた感覚を、ずれている感覚だ、と認知させることが、発達育児の1丁目1番地と言ってもいい、と思っています。
普通の感覚の人達に説明しても、なかなか、げんちゃん育児の苦労は伝わらないです。
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