> 2学期もとうとう終わります。
げんちゃんは、なんとも言えないステージを通っています。
進化した部分もあって、一見、誰が見ても普通の子に見えますし、ちょっと話したくらいでは、げんちゃんが支援クラスに所属しているなんて、誰も思わないようです。
が、しかし、ちょっとした生活の当たり前のことさえ、時に、とんでもないことになるげんちゃんは、少しつきあえば、その異常さが、逆に際だつように感じるでしょう。
私も、平穏に、げんちゃんが普通っぽく暮らしていると思われる風景と、次にやってくる、”こんなことさえ”落としてくるげんちゃんに、疲れまくる日々です。
昨日はこんなことがありました。
野球から帰ったげんちゃんに、洋服を着替えさせて、少し指導して片付けさせた時のことです。終わってふと見ると、野球の帽子が居間に放り出しているのに気付きました。
玄関で、先に出かけようとしていたげんちゃんに、
「げんちゃん、ちゃんとかたづけないと、無くしてしまいますよ。」
と声をかけました。げんちゃんは、もどって取りに来ました。私は、当然玄関のいつもの場所に帽子をかけたのだろうと思いました。
そのすぐあと、私も外に出て、車でおばあちゃんのとこに向かいました。ふと見ると、助手席のげんちゃんは、夜というのに、さっきの帽子をかぶっているではありませんか。
「げんちゃん、何で帽子をかぶっているの?」
げんちゃんは、鬼の首をとったみたいに、答えました。
「お母さん。覚えていないの? お母さんが、帽子を無くしてはいけない、と言ったでしょ。」
私はビックリしてしまいました。
「無くしてはいけないから、かぶっているの? もう夜で日は出てないし、しかも、あなたは、なくさないために、今日からずっと帽子をかぶり続けるってわけ?」
「え?」
「あなたは、さっきどこにいたの?」
「玄関のとこ。」
「帽子はいつも、どこにおいているの?」
「・・・玄関。・・・・ああ、そういうこと? 玄関においておくってことだったの?」
「・・・・(たら~・・・汗)」
「あ~、ぼく、気付かなかった。」
こんな、当たり前すぎてマークさえしないようなことで、こっちの意図することが伝わらないことがおこります。それがずっと続くというわけではないのですが、そこそこできていることもあるかと思うと、油断すると、こういう出来事が勃発します。
なまじ、げんちゃんが、一見普通っぽくなっているだけに、その違和感はすごくて、落胆します。
また、学習も、まあまあ意識入れてるな、って感じる日があると思えば、時々意識レベルが、がくんと落ちて、幽体離脱(0%)はしてないけれど、20%くらいしか、意識が入ってない状態も出現します。
その時は、まるで、何かに憑依(ひょうい)されているかのごとく、ふてぶてしく、マイナス思考で、口から出任せのような解答を羅列するひどいげんちゃんになります。
発達障害とは、ほんとに意識障害なんだな~・・・と思います。重症のげんちゃんは、もともと、100%に近い状態で意識が抜けていて、今は40~50%くらいが平均といったところなのかな、と感じます。
時々、パフォーマンスがぐっと上がって、やる気むんむんで絵を描いたりしている時は、70%くらい意識をしっかり肉体とフィッティングさせているのかもしれません。
ひどいときは、今でも、20%まで落ちたりするげんちゃんです。だから、改善してる、って、現在完了形でなかなか感じることができません。
学校から電話がありました。支援の先生は、
「げんちゃんは、がんばっていますよね~。1学期とは全然違います。学習のパフォーマンスもとてもよくなっています。」
そううれしそうに伝えて下さいました。そういうはげましは、せめてもの救いです。
「ところで、1学期までは、国語と数学は、支援の評価でつけていましたが、げんちゃんが、がんばっているので、2学期は、すべて、普通クラスの評価で付けています。それで、数学と国語は、点数が下がりますので、すみませんが覚悟していてくださいね。」
すまなさそうに先生が付け加えます。
なるほど、国語数学が1学期2がついていたのは、下駄を履かせてくれていた、ってことなんですね。つまり、2学期は、1になるということなんでしょうね~。まあ、当然ですね。
げんちゃんは、勉強に関しては、ほとほと改善しません。(いや、改善しているのかもしれませんが、相変わらず、覚えない、わかっていない、きれいに書けない・・・三重苦はかわりません。)これも、意識レベルを考えれば、しかたのないことかもしれませんよね。
それに、小学校低学年レベルの人格形成がやっとこさなされたげんちゃんが、一生懸命がんばっても、中学のカリキュラムは、そもそもオーバースペックなのかもしれませんね~。
なんか、まだまだ突き抜けることができないげんちゃんに、ため息混じりのママです。
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roboも言葉だけの指示だと、とんでもない認識違いをしていたりします。唖然としますよ。イメージ力がやはり弱いのですよね😔
やはり、あえて言葉だけの指示を出して実行させる機会を作っていかなければなりませんね。私も心掛けてみようと思いました。ありがとうございます。
数学と国語の成績についてですが、やはり授業に参加していないので、かなり不利ですよね。国語は、確か試験範囲の単元のほとんどを勉強してなかったのですよね。また、提出物や発表やノートのポイントなど、授業に参加していなくてはつかないものもあると思います。ですから、本来なら、もっといい成績がつくと思います。
ただし、げんちゃんママさんのお考えとして、内申よりも、実質的にげんちゃんが力をつけることの方が大事ということがありますので、数学と国語をじっくり個別指導していただく意義は大きいと思います。成績を1つ上げることより、時は金なり、時間の有効利用も大切だと思います。
私も本当に意識の重要性をひしひしと感じています。意識が入った時とそうでない時の差が歴然としているからです。
能力だけでなく、人格面にも関わって来てしまうので、無視できない問題だと思います。
意識レベルが下がっている時は本能のままに行動したり発言したりしてしまうので、周囲に誤解されてしまったり、信頼を得られなくなってしまいますからね。トランス状態のように思います。
やはり、結局は意識に働きかけることが、1番大切なような気がしています。 1
ロボママさん
ロボ君も、まだまだ意識レベルが低下して、それが、人格にも影響及ぼすようなことがおこるんですね。
ロボ君は、勉強もできるし、色んなことがつながってきているので、そこも、かなり改善してるのだろうな、と勝手に思っていましたが、なかなか発達障害の、このコアな部分は手強いのですね。
げんちゃんは、この翌日後日談がありました。
学校の道具をほとんど全部K先生のところに持っていっていたようでした。中に、体育で使う帽子が入っていたそうです。帰りに、荷物を整理したら、帽子が入らなくなったので、先生が
「かぶって帰れば、」
とアドバイスしたようです。そうすると、げんちゃんは、
「夜だから、帽子はかぶらないよ。」
と言って抵抗したようです。前日私の言ったことを受けてのレスポンスだったようです。何を優先するか、ということがまったく関連づけられてなくて、根深いおかしな思考パターンをつきつけられるようです。
私は、ここを、しっかり治していきたい、と考えているわけですから、壮大な計画だと思いますね~。げんちゃんは、目の前の点はやっと見えることも多くなったけれど、その点が、すべてばらばらなんですよね。それをうまくつなげられなくては生活者として、困難を極めますものね。
意識が高い人というのは、結局、点をたくさんつなげられる人のことなのでしょう。人間の幅にも通じます。
げんちゃんの場合は、勉強でもつなげてないから、もっと深刻なのですが、ロボ君は、そこはよくつなげていますよね。もともとつなげられる能力がありそうだから、それを、一歩、生活全般に応用すればいいのかな、と思うけれど、そう単純じゃないんでしょうね。
なかなかやっかいなものです。
意識レベルを改善させるために、合宿や日々のかかわりを通して、何度も何度も、S先生にはたらきかけてもらっても、なかなか一足飛びにはいかないですね~・・・
トランスする、というのは、ほんとに言い得て妙だと思います。憑依されているかのごとくです。
だから、ある方向にいってしまうと、多重人格のような精神疾患になってしまうのかもしれません・・・
ロボママさん
数学と国語ですが、授業に参加しても、たぶん、ぜんぜんだめです~。笑
まだまだ、聞くことを処理していくスピードがないし、聞けてないことも多いです。
ただ昔より、周りを見て、自分がやることの修正をしたりすることができてきてますよね。
5年生くらいのクラスで特訓してもらうのが能力相応だと思います。
でも、昔は、学年を落としても、そもそもが違うという感じでしたが、今は、学年を落とせば、少しは近くなってるかな~と、多少は思えます。
げんちゃんとの やりとりを伺って、やはりげんちゃんは伸びているなーとワタシは思いますよ。「あー、そういうこと、玄関に置いておくって意味だったの。…あー、ぼく気づかなかったよ。」こんなに自分の気持ちをスラスラって表現できるなんてすごいです!! しかも 玄関に置いておくってしっかり入ってますよね。
しかもげんママさんの言葉が入っているからこその、翌日の「夜には 帽子は被らない」になったのではないでしょうか? そこを 再度 「夜には帽子は普通は被らないけど、今はカバンに入らないから頭にかぶって持ち帰るんだよ」と教えてあげれば、げんちゃんには また入るのでしょうね。
間違えるたびに、その理由を説明し続けることで、げんちゃんの引き出しも増えて、場面に即した行動がとれるようになっていきそうです。
息子もここ最近成長したと言われることが増えましたが、ワタシもちっとも変わった感じがしません 笑 やはりトンチンカンな行動をみているからですかね 笑
お互い 忍耐ですね〜
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ひつじさん
そうですよね。確かに、前だったら、そんなに流麗に言葉は出てきませんよね。
とにかく、自分の考え言えないの? そこで止まってましたね。
しかし、次の段階に行けば、またそこで、大きくトラブルのがこの子たちですよね~。普通の子なら、すべて、するすると、こっちが把握するまもなく、進んでいくのでしょうけどね。
意識が抜けている、ってことは、ほんとに、知的な物もすべて、滞ってしまう。体の使い方さえ。
先日、S先生のところに来られたクライアントさんは、脳に何も異状がないのに、まるで小児麻痺のお子さんのように、小学生なのに、一人で歩くこともできず、しゃべることもできず・・・・
診断は、何も異状はわからない。”発達障害” という診断名をもらってました。
S先生いわく、まさに、意識が完全に肉体と離れてしまっているんだ、とおっしゃっていました。S先生の指導で、意識が少しずつげんちゃんのように改善してほしいです。
・・・ほんとに重症なんでしょうね。
でも、Sさんいわく、げんちゃんは、ある意味、このお子さんと、意識レベルは同じようなものだった・・・そうです。
今考えれば、ほんとに、改善したんだね~・・・としみじみされていました。笑
ひつじさん
ほんと、引き出しを、一個一個増やしていかねばならないんでしょうね。
地道ですが、いままでも伸びてきたんですから、あきらめずにやっていかねばね~。
2学期終わりましたね。
お互い頑張りました!
おっしゃる通り、成長した!と思う反面、まだまだだなぁと思うこともあったりして、喜んだりがっかりしたり私の感情も忙しかったです。
でもこれは親だからなのでしょうね。客観的にみたら、げんちゃんも息子も一年前とは比べものにならないくらいの成長をしていると思います。前年同月と比べるくらいがちょうどいい感じですね(笑)
学習面もパフォーマンスにムラがありすぎて、本当の実力がとらえにくいのですが、定期テストよりも市がやってる実力テストの結果の方がはるかによくて、地道にコツコツとやったことは身についているのだなあと思いました。
定期テストは最後は詰め込もうとしてしまうので息子にとっては苦痛しかなく、なかなか結果には結びつきません。
生活面はげんちゃんは前からしっかりしていて、鍵をもたせて習い事に行くこともされてますよね。息子はごくたまに鍵で開けて帰ることがあるのですが、昨日は終業式。私は用があって出かけていたので、昼ごはんも自分で食べなければならないシチュエーションでした。お弁当用意しようか?と聞いたらカップラーメンが食べたいとのことだったので、置いておいたら、勝手にお湯入れて食べてました。
反面、今朝は朝から財布がなくなって大騒ぎ。いくら探しても出てこなくて。いつからないかも把握してないので、これはもう見つからないかなと思っています。生活面もムラだらけです。
普通の子っぽくなってくると、こちらの期待値もあがってしまうので、成長してるのに素直に喜べなかったり、複雑ですね。
パフォーマンスのムラは意識のムラなんでしょうか?意識が入る時と入らない時の違いはなんなのでしょうね?この辺りがわかって自分でコントロールできるようにしてあげたいです。
ゆうママさん
職場のクリスマ会、教会のクリスマス礼拝・・・と、ばたばたして、すっかりレス遅くなってすみません。
コメントありがとうございます。今年一年、確かに成長していますよね~。ゆうママさんとは、同学年の息子なので、ほんとに、励まされてここまでやってこれました~ありがとうございます。
息子さんは、実力テストの方が、力を出せたんですね~。すばらしいです。げんちゃんはどうかな~。年明けあります。あまり期待はできないな~・・・いつも、数学は楽しいとか言いながら、ぜんぜんできるようにならないので、ほんとわけわかりません。
パフォーマンスのすさまじいばらつきに、まだまだ、学習までいきつかないげんちゃんです。まずは、心の成長を期待するので精一杯の感があります。
カップラーメン、成長です。げんちゃんも、家で一人で過ごすことが多いし、おばあちゃんのとこは、ご飯を食べたらすぐに帰りたがるようになりました。ひとりっきりで、家で好きなことをしているのが大好きみたいです。
ただ、ことごとく、すさまじいやりっぱなしで、日々、ぞっとしています。食べたものの空き箱は放り投げ、カギはいまだに床にほうりっぱなし、冗談抜きに、げんちゃんが一人で暮らしたあとは、泥棒が入ったあとの家の中のように、おそろしい様子になっています。普通に片づけない、とかいうレベルではなく、ほんとに、投げ散らかすような雰囲気です。
この部分については背筋が凍るような気持ちがするときがあります。
価値観をおかないものは、抜けるというよりも、世界に存在していないかのごとくですよ。
でも、ピアノは、最近は、自分からはまったように練習したりします。このむらがこっちを混乱に陥れます。あまりにもギャップがひといです。
子の冬休み、もう少しいろんなこことが総合的にあがってほしいものです。