げんちゃんのケースを、たけこ先生の新著 「意識を高めて子供の可能性を引き出す方法」を用いて解説したら、よくわかるのかもしれない。
発達障害の異常の本質
長年発達障害と向き合い、最近のげんちゃんの成長を観察する中で、発達障害の本質とは「意識の障害」だな、と改めて強く実感しています。ここで言う「意識」とは、脳の物理的な場所とか物ではなく、人間が行動を起こすための根本的なエンジンであり、「思い」や「心・魂」の領域に近いものだと思っています。日常の行動に、この”意識”が伴っていない場合、ただのルーティンに従って身体を動かしているだけの「抜け殻」のような人になってしまいます。
視線と行動から見える「意識の欠如」
げんちゃんの日常行動には、この「意識が伴っていない」典型的な兆候がつきまといます。
例えば、1食分ずつ包んだ3~4個の御飯を、冷凍庫にストックするように頼むと、げんちゃんはそれを抱えて冷蔵庫の前に立ちます。そして引き出しをスッと開けたかと思うと、次の瞬間に、投げつけるように中へ放り込みます。恐ろしいのは、ご飯を放り投げる寸前に、彼の視線は、次の行動の方へ、離れてしまうのです。驚くことに、手が離れた時、すでに視線は、ご飯にはありません。
普通の人であれば、せめて着地点を見届けるあたりまでは、雑な人であっても、視線は、そこにとどまっているでしょう。
丁寧な人であれば、冷蔵庫に入れ終わっても、取り出しやすく並んでいるか、といった思考を巡らせながら、さらに視線はとどまり、周囲を気遣います。
しかし、げんちゃんは着地点を見ることなく行動を終え、引き出しを閉める動作すら無意識のルーティンに過ぎないため、開けっぱなしで放置することもしょっちゅうです。
この「雑さ」は、動作の渦中に意識が存在せず、結果として自分が何を行ったかさえ覚えていないという結果をもたらします。
「やりたい」という思いが開いた最初の小窓
日常では雑な行動が目立つげんちゃんですが、近年少し、正しい意識の使い方を自ら発動しました。その背景には、「自発的な意欲」の芽生えがあります。
指導者の元を離れて自立を迫られたこと、そして介護研修やフォークリフトといった課題を通じて、「自分でやりたい」という気持ちが動き出しました。これまでのげんちゃんは興味のあることにすら意識を向けられませんでしたが、特定のジャンルにおいて初めて「正しい意識の使い方」を習得したのです。
心にたくさんある小窓のうち、まずは「ほんの少数の窓」が開きました。一つでも意識の使い方を覚えれば、それを他の場面へ応用していく一筋の希望となります。
日常生活に潜むうっかりと「心の小窓」
わずかな窓が開いたとはいえ、日常のあらゆる場面ではまだまだ意識の途切れだらけです。
もやし一袋全部味噌汁に入れた
「味噌汁にもやしも入れたら。」と、アドバイスすると、なんと、袋ごと全部投入してしまったり、「オクラを付け合わせに」と頼むと、全員分でたった2本分しか使わなかったりと、全体量や仕上がりを想像する意識が働きません。ひどい時には、姉が帰省して、パパもいる朝ごはん、ルーティンになっている自分と私の2人分だけしか料理を作らないことすらあります。
単発のアルバイトのように「その瞬間だけ集中して窓を開ける」ことはできても、継続して働くとなるとトラブルにつながります。まだまだ、げんちゃんは、本質改善の、わずかな最初の一歩を踏み出したにすぎないのです。
日常の作業を通じた「自己自覚」のトレーニング
家庭内での日々の作業は、げんちゃんが意識の使い方を学ぶ絶好の機会です。
特に洗濯物を畳む作業は、服の一箇所しか見ずに引っ張ると全体がよれてしまうため、「全体に意識を配る」良い練習になります。
気持ちを全開にして、周囲全体から、詳細に至るまで、情報をしっかり取って、認知する。そして、取った情報の本質に思いを巡らす。つまり、意識とは、言葉でもあるんだろうと思います。見ていても、言語化して情報を体に入れる努力なしには、ぼんやりしか物事は見えません。
意識を使うということは、つまり、言語化でもある側面があるのです。
洗濯ものならば、
「あ、こっちを引っ張ると、右下が上がっちゃってずれちゃう。」
とか詳細に自分の意識が、物事を翻訳する動機を与えることなのだと思います。それなしのぼんやりであれば、物事は、げんちゃんの横をすべて素通りしてしまうのです。
この素通りする生き方こそ、重症の意識障害とも言うもので、げんちゃんのような人間が、最も克服すべきコアなところだと思っているのです。
意識について言及した本多健子さんの新著
ここに関して、最近、げんちゃんにズームで、国語のレッスンをしてくれている、たけこ先生が、新たな本、「意識を高めて、子供の可能性を引き出す方法」を書かれました。本質だけさささっと書かれているので、一気に読むというより、少しずつ、辞書のようにそばにおいて、何度も反復して確認するような本かなと思っています。
この本は、この意識の本質について書いてあります。げんちゃんと対比して読むと、すごく納得してしまいます。私も、げんちゃんの実例を通してしか、わからなかったことを、よく、こうやって、本にできたなと感心します。一般の本は、注意欠陥とか、IQとか、外側の話が多いですが、まさに、ここは本丸なんじゃないかと思うのです。
著者であり、げんちゃんをズームで指導してもらっている、たけこさんのコメントも是非読んでみてください!
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本の紹介をしていただき、ありがとうございます。
書いてらっしゃる通り、げんちゃんの成長過程は意識について具体的に学ぶ教科書のようだと思います。
というのも本の中で4段階で示している意識レベルを普通は下から順番に辿って行くのに、あろうことか、げんちゃんは2段階目の感情(知力)のステージをすっ飛ばして3段階目の気持ち(価値判断能力)に行ってしまっているからです。
そのおかげで、2段階目をすっ飛ばすと、どんなことが起きるのかがハッキリと見えて、意識の働きがどういうものなのか捉えやすくなるからです。
ちなみに、2段階目をすっ飛ばしたげんちゃんは、感情に揺さぶられることが少なく、勉強などの理解に課題がありながらも、わりと物事の本質を見極める力がある、という状態です。
実は皆、2段階目を重視しがちななのですが、げんちゃんは人として、より大切な意識の方を先に獲得しています。2段階目の意識は後から自分でその必要性を見出すことが出来れば、身に付けられるからです。
げんちゃんは最近、この逆流現象が起きつつあり、急にアカデミックな分野にもチャレンジできるようになって来ましたね。
しかし、書いていらっしゃる通り、まだ自分の気分で開いた小窓から見える景色しか見ていませんので、開いていない部分に気付かせないといけません。言語化することも、その一つの方法です。言葉にするためには、まだ開いていない窓も無理矢理こじ開けて、きちんと捉えないと、言葉を紡いで行くことが出来ないからです。
今のげんちゃんは外側だけ見れば、また踊り場にいるようですが、内側ではものすごいマグマがうごめいています。何かキッカケがあれば、マグマが一気に噴き出て、また噴火するかもしれません。楽しみですね!
Takekoさん
コメントありがとうございます。
げんちゃんは、IQが低い所から始まった子供なので、IQを何とか上げることができれば、この子の障害が治るんじゃないか、と思って、発達育児が始まりました。
まったく何もできない子が、血のにじむようなリードを通して、できることが増えました。
しかし、彼の異常の本質は全く変わりませんでした。昔も書いたことがあるのですが、○○ができない発達障害が、○○ができる発達障害になった・・・という変化しかもたらさなかったのです。
これはどういうことか、と行き詰ったところで、S先生が登場し、彼によって、意識の異常、というヒントが与えられました。おぼろげながら異状の本質あたりが、少し見えたものの、じゃあどうすればいいのか、という点については、ほんとに思考錯誤で、内面に対する指導はなかなか困難を極めました。
しかし、外側に対してのアプローチは、コツコツ継続しました。内面に対しては、とにかく、環境、言葉、心を突き動かす演出を数限りなく行う。作文、という外側の手段をもって、なんとか本人に、心の状態に言語を与える。そういうことを細々続けました。
作文は、がっちりできたわけではありませんが、S先生を中心に、少しずつ継続していただきました。
ある程度、外側の能力がついてくると、内面を言語化する力も上がり、やりたい、とかがんばってみよう、とかいう心の起爆剤がきっかけになって、今までつけてきた能力を自ら使って、長い冬眠から覚めるように、げんちゃんの心が動き出した・・・そんな感じかな、と思っています。
しかし、今まで出会ったお子さんの中には、重度の自閉症にもかかわらず、げんちゃんより、ずっと意識レベルが高い子もいて、外側の能力は、絶対的にいるわけではないかも、とも思います。
そのあたりは、まだ私にはよくわかりません。つまり、IQと、意識レベルは、必ずしも比例しないな、と思います。
Takekoさんがお書きになった、二段階目の意識・・・IQが関係するところ、というあたりは、なかなか難しいです。
げんちゃんの成長がある意味特殊なパターンだ、と書かれていますが、確かに、不思議くんですよね~。まだまだ、自分の子ながら言語化するのが難しいので、時々本を再度開いて、読んでみる必要があります。
ありがとうございます!