お料理教室2回目・・・とりあえず、楽しいらしいけど、楽しいことだけに逃げようとするのも問題です。なんか、浮ついてそのあと、なんか落ちます。
げんちゃんの日々のスケジュール
S先生の人間指導中心の塾、学習塾、琴、たけこ先生の会話の教室、体操教室、書写やそろばん、デッサン教室。 本当になんて贅沢に、スケジュールぎっちり暮らしているげんちゃんでしょうか。
発達障害でも、意識障害がそうひどくないのなら、そんなにする必要もないでしょうが、げんちゃんは、こちらからいつも圧をかけていないと、すぐに気持ちを抜いてしまうので、緊密なスケジュールを作らざるを得ないのです。
げんちゃんがぼーっと優待離脱する時間を作らないというのが、彼の指導の大切な軸になっています。
げんちゃんの唯一の取り柄は「潰れないこと」です。なんでもかんでもすぐに切り替えてしまえるので、落ち込むとか不安になって縮こまるなんてことは、彼の辞書にはありません。
最強の圧をかけ続ける日常
ですから、常に最強の圧でげんちゃんが抜けるのを防いでおく。 それが、げんちゃんに対しての正しいマニュアルです。
げんちゃんとは対極のタイプなら、真逆のマニュアルになるでしょうが・・・
とはいえ、げんちゃんに圧をかけ続けるのは本当にストレスです。でも、ちょっと油断をすれば抜きますし、せっかく一生懸命した後でも、今度は妙な達成感がげんちゃんに満ち、「まあ、こんな感じでいいかな」と、初めよりドカンと落ちたりします。この時のスイッチオフは、上げるのが最高に困難です。むやみにほめたりできないのは、これがあるからです。
そして、いろんなことが伸びてはいるものの、つながりというものを相変わらず全く考えようとしないので、本当に厄介です。
行き当たりばったりの行動
例えば、自立訓練の事業所に行くときに、たまたま予定変更があって、その帰りに、歩いて絵画教室まで行かなきゃいけない、なんてことがあったとしても、げんちゃんは、平気で傘もハンカチも持たずに出かけたりします。
その日は大雨警報が出ていても、げんちゃんは何も気にしません。雨が降り出してはじめて、「やばい、傘がない」と思うのです。
心を使わないものに関しては、本当に行き当たりばったり、思いつきの行動だけ。だから失敗の内容も甚だしく、常識を逸脱しています。
「無関心症」という病名を使うとぴったりくる
会話練習のたけ子先生は面白いことを言います。
「げんちゃんは知的障害なんて言い方は似合わない。無関心症だ」と。
何事にも無関心だから、一つ一つの関連性を捉えたり、考えたりすることを放棄するのです。また、過去にも未来にも興味がありませんから、げんちゃんはただ瞬間瞬間を思いつきで生きているだけのように見えます。
将来の夢、何がやりたいのかなどということは、げんちゃんの頭には浮かびません。なんとなく私がお料理をさせたりするので、それを本人も嫌いではないようで「調理師になりたい」と言ったりします。
しかし、心の奥底から出てきた強い思いではないのは分かっています。
ラインでのやりとりがそれなりにできると勘違いしている
さて、琴の先生が、レッスン時間を変更をしたために、その日にある書写の時間が微妙になっているときも、琴の先生に事情を伝えるわけではなく、なんとなく了解してしまっています。
本来なら「その時間だと書写に行けなくなるので、少し変えてもらえませんか」と言うでしょう。
ただ言われれば、なんとも思わずにそれを受けてしまう。やばいですよね。
ただ、その日、少し成長を感じたのは、書写を休んでしまったことを、
「書写の先生にラインで詫びよう」
としたことです。昔ならそんな発想すらなかったでしょう。過ぎてしまえば流してしまうげんちゃんでした。毎日毎日、S先生とやり取りをして、毎回指導されているので、成果は出ているのでしょう。
「ラインを送る」と言うげんちゃんに、
「自分でちゃんとしたラインが送れる自信があるの?」と聞きました。
げんちゃんは、たぶん、何も考えてなかったようですが、私にすごまれると、とりあえず、
「いや、自信がない」と答えました。(表向きだけそう言ってるだけですが・・・)
私はげんちゃんが書いたメッセージを確認しましたが、ひどいものでした。
以下
「今日教室に来れなくて申し訳ありません。最近箏教室の時間が変わったので、行けるかどうかわからなかったのですが、間に合いませんでした。夜分に連絡して申し訳ありませんでした。」
まず、「行く来る」の使い方がでたらめです。「最近時間がかわったので、」というのも、なんか一方的。そもそも、時間をかえられる前に、琴の先生に相談すべきです。それに、その日だけ、変わっただけで、最近変わったので、という、永続的な言い方も変です。
将来への浅い希望
なんか、妙に的をはずし、気持ち悪い、相手に勘違いさせるような言い回し。(ずっとこれから琴の時間が書写にかぶって行けない、と、書写の先生に勘違いさせます)
こんな会話力で果たして専門学校に行けるのかしらと思います。行けたとしても、まともに社会に出れるのか・・・
自分の現状把握がいつも上方修正されている
それなのに「げんちゃんに将来どうしたい?」と聞くと、
「普通の人と同じように働きたい」などと立派な回答をします。
これは意欲に支えられている発言と言うより、全く周りや自分が見えていない状況でしょう。
ふわふわとした夢にすぎません。だったらこうするべきでしょう・・・というところが、ほとんどつながっていない妄想・・・のように感じます。そこへ至る道などは全く考えていないです。やれやれなやつですね~。
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