暗い部屋の中でも、光がさせば、途端に明るい。どんな時でも光を描きたいです。
IQ低めの発達障害、18歳過ぎると、所属する学校がない
18歳になって、いずれかの学校を卒業すると、(普通高校、もしくは支援学校高等部など)知的障害の子供たちは、いわゆる学習を中心にした教育は終わりになるようです。
IQ高めのお子さんは、専門学校や大学など、行くところはあります。(その子を伸ばせるかどうかは別です。)
しかし、げんちゃんのように、”普通”というシステムの学校に行くには、まだまだハードルが高すぎる、というレベルの子供は、そこで打ち止めになります。
学校は選べても、欠落した能力の穴埋めができるわけではない
げんちゃんも、試験もなく入れるような専門学校なら、ごまかして、入ることはできたかもしれません。しかし、卒業はできないか、問題をかなり残したまま、形だけそこを出ていくことになるでしょう。
げんちゃんの卒業したT高校のように、ある程度下駄をはかせて、げんちゃんの足並みに少しは、よりそってもらえるけれど、普通の子を対象にした専門学校は、そうはいきません。
いまだに、時間の感覚も、今一つ普通とはいえない、スケジュール管理だって、いまだ成長過程。
なんたって、甚だしく常識から逸脱し、普通の子が、普通にする行動さえ、とんちんかんなげんちゃんです。専門学校で学習する内容以前の問題が、いまだ多すぎて、カリキュラムに行きつく前に撃沈ではないでしょうか。
しかし、高校卒業するまでに、こつこつ成長を促してきたおかげで、確実にできることが増え、学習も習得内容は、進化しています。昔に比べれば、ずいぶん改善したげんちゃんがいます。
成長はすれども、なかなか同年代のお子さんにキャッチアップしないげんちゃんとはいえ、彼のペースで確実に成長しているのです。
だったら、そのペースで、今にあった学習、教育の場所が継続して存在し続ければ、げんちゃんは成長を続けると思います。
しかし、現実には、そんな場所はありません。
今の自立支援の事業所は、成長に役立っているように感じない
今日もげんちゃんは行きましたが、帰って内容を聞くと、
封筒貼り
塗り絵
なんてことを言っていました。何が目標なんでしょう。
学習より厄介なのは、心の成長
げんちゃんは、学習能力だけでなく、精神年齢も、ほんとに低いです。
幼いというのもあるけれど、まったく心が動かない性質なので、単純に月日が経って、経験を積めば、精神年齢が上がるというわけでもありません。これは、発達障害全般に言えることかもしれません。
それで、今更のように、最近では、人の心というのを、一から学んで、入力していっているところです。
ありがとう、と、様々な場面で言うところを、ほんとに言えないげんちゃんですが、結局、感謝と言う気持ちがまったくない、感謝と言う心が理解できない。そういう唖然とする原因が横たわっているのです。
今S先生やTakeko先生にそのあたりを、一つ一つ指導してもらっているのですが、今ごろそんなことをしているのは、やっとそれをする最も良い時期がきたからともいえます。
発達障害の本質 心の改善のためには、最低限の外部能力がいる
それは、言語能力をはじめ、心(発達障害の本質の異常はここだと思っています。)を学ぶにあたってのさまざまなツールが手に入ってきた、ということなのです。私がこつこつチームを作って、げんちゃんにつけてやってきた、外側の能力開発ができてきたということです!
ある程度言語能力や、空間認知など、さまざまな基礎能力が開発されなければ、欠落している心の問題も入力できないのです。
言語を持たず、数や人の常識が全く入っていない動物に、高度な感情を理解するのはむつかしいでしょう。それと同じかもしれません。
げんちゃんには、すべて、今まででも入力を試みていましたが、言語能力がある程度上がった今、もう一度、それらのツールを使って、再入力が必要なのです。
薄く塗り重ねるように、何度も何度も、同じところを教育する
過去にも、ブログに書いたように思いますが、げんちゃんのような子は、塗り絵に例えると、すべての場所を何度も何度も、薄塗を繰りかえし、濃い色にしていかねばなりません。
今回は、心の深いところにメスを入れて改革するような感じでしょうか。
S先生とたけこ先生のチームでの取り組み
S先生は、心におぼろげに浮かんだ感情、気持ち、それらをげんちゃんがぽいと捨てないように、いちいち拾わせて、それが何であるか、細かく分解させて、言語を持ってとらえさせると言います。
S先生が、S先生にしかできない方法で、入力し、たけこ先生が、言葉の教室で(ズームでレッスン)、成果を出力させる、と言った具合です。
なんてありがたいことでしょう・・・
たけこ先生も会話や作文を使います。
前回のたけこ先生のコメントがとても、げんちゃんを言い表していると思います。
たけこ先生の、コメント
注*たけこ先生は、小学校のころから、私のブログを読んでくださっていた、ロボママさんというブロガーでした。もと支援教育の先生をされていた関係で、発達のお子さんを専門に、言葉の教室を始められました。げんちゃんは高校卒業と同時に、ズームで、教えていただくようになりました。
以下たけこ先生のコメント
げんちゃんの状態はなかなか理解されにくいと思います。
げんちゃんは自閉度が薄いので、佇まいが自然であまり違和感がありません。それに、理解出来ることや実際に出来ることがとても多くて、一見大して困っているようには見えません。
つまり、表面的なことについては、発達障害の人にしては珍しくまんべんなく様々な分野をカバーしているわけです。もちろん、薄〜くカバーしているだけかもしれませんが、それは、他の人にとっては、なかなか難しいことです。
しかし、その一方で、内面的なことについては大きな問題を抱えています。通常当たり前に存在するはずの感情の中に全く存在しない分野があることです。例えば、感謝、同情、自責の念などです。
発達障害の人はこういった感情を自己の内部に有しにくいとはいえ、ほんのわずかぐらいは存在していて、それを活性化させることを私は促して行っているのですが、なんとげんちゃんは、それらがゼロなのです。
他のたいていの発達障害の人は1は持っていることが多いのに、げんちゃんは0なのです。1を2や3にするのは、それ程大変なことではありませんが0を1にする生みの苦労は並大抵のものではありません。
そこの部分でげんちゃんママさんが苦労されていることは、周囲に理解してもらうことは、なかなか難しいことだと思います。
この部分が0であれば、親子であっても心の交流は難しく、げんちゃんママさんも虚しく感じることも多いと思います。
しかし、こういった感情の欠落も言語能力がある程度ついて来ると、言葉を通して徐々に獲得して行くことが出来る可能性があります。げんちゃんも、だんだん言語能力などの認知能力が上がって来ているだけに、これから変わって行けると思います。
そもそも、私はそのお手伝いをしたいと思っていたのですから
以上
公開コメント 承認後公開
先日、げんちゃんが私の教室のオンラインイベントに参加してくれました。小学生から大学生のお友達と一緒の活動はげんちゃんの心を少しだけ動かしたようでした。
そのせいか、イベントの後のレッスンで、げんちゃんが私に、オータムフェスタはありがとうございました!と言ってくれました。実はげんちゃんにお礼を言われたのは、これが初めてでした。
しかし、私はすぐにピンと来たのですが、げんちゃんは、私がイベントの最後に、げんちゃん、今日は参加してくれてありがとう!と言ったことをただマネしただけでした。というのも、何に感謝してお礼を言ってくれたのか聞いてみたところ、メチャクチャな答えを言ったからです。さらに、つっこんで聞いてみると、今まで生まれて一度も誰かに感謝した(ありがたいと思った)ことはないと言うのです。
しかし、例えばげんちゃんが感謝するとしたら、何に対してか聞いてみると、いつも夕飯を作ってくれるおばあちゃんに対してだと言うことが出来ました。自分はありがたいと思ったことはないけれど、おぼろげながら感謝すべき対象がどんなものかは理解しているようでした。
ということは、今なら、げんちゃんも、このような抽象的な概念を本格的に学ぶことの出来る段階に来ているということになります。少し前なら例さえも挙げられなかったことでしょう。
しかし、仰る通り、せっかく本格的な学びをスタートさせられる段階に来ているのに、もう学びを継続する場がないのですよね。これでは、子供達の可能性を閉ざしてしまうことにもなりかねないと思います。
私もこういったことへの対策が急務だと思っています。
Takeko先生コメントありがとうございます。
げんちゃんの、心の欠落は、ほんとにひどいですね~。
小さな頃から、感謝するとか、ありがとうを言うとか、普通のお母さん以上に心掛けて指導してきたつもりなんですが、ほんとにするりと抜けてしまうかんじでした。
割り勘踏み倒し事件とか、驚くことが時々、おこってしまうのも、相手に対する感謝のような気持ちがまったくわからないからだと思います。
イベントのあとにありがとう、と言えたのは進歩です。
とはいえ、恰好から入ったのでしょうね。
でも、心が動いていたら、教えたことが少しは心に留まります。
いつも、彼の心を動かすために、さまざまなことをしてきました。ほんとにどれだけエネルギーを使ってきたか・・・
これからは、少しは、心が動いて、少しずつでも進化してほしいです。放置すれば、あっというまに奈落の底ですね~・・
やっとここからと言うときに、いい学校なり成長させるところがない、というのは、ほんとに残念ですね~。
今中1に入れたいです。忙しいカリキュラムでふりまわし、それを少しはこなすために、がんばる・・・・そうできたらな~と思います。
こんなことを書くと、げんちゃんがまるで酷い人なのかのような印象を持つかもしれませんが、それが全く違うところが、またややこしいのですよね。
感謝、同情、自責の念がないと言っても、げんちゃんはとても優しくて親切なのですよね。共感力や思いやりの気持ちはゼロではないと思います。
あとは、意識のエネルギーが弱くて心がふにゃふにゃしているために、自分に対して意地をはれない部分があるので、逃げ、ズル、誤魔化しといったことが起こっているように感じられるのだと思います。
これらのことを学びによって改善して行く余地が生まれている今こそ、より成長を促して行くことが望まれると思います。
Takeko先生
ありがとうございます。
そうなんです。サイコパスなのに、なんか親切なところがあって、家事もよくしてくれて、人を喜ばすことが好きみたいな感じです。
でも自分を主張するわけでもなく、会話にも入り込んでくることもしない、というかできない。
どれが意識で、どれが性格で、どれが異常な障害なのか・・・親の私でもよくわからないです。
ただ言えることは、確かに、先生方のおかげ、今までの積み重ね・・・・それらが、や~~っと、今礎石としてある程度確立して、これから建設が始まる、という予感はしています。
しかし、それとは逆に歴齢は、すでに二十歳を前にして、体も大人・・・所属するところの、ぴったりの所もない。
なんだか困ったものだな、というのが正直なところです。
こういう状態になっていると、一般的には、成長打ち止め・・・となりやすいと思います。
でも、これからもそれにめけず、今からの成長をうながしていきたいです。
いろんなところに、小さな兆しが出てきてるのですからね~・・・