学校で習ってきたパスタ。もう一度家で作るように言ったら、ほとんど覚えていない。結局私がリードして作ることに・・・
料理が好きとか言ったりするけど、それだって、まったく深堀しない。内容が常に薄いのがげんちゃんです。一つことに集中、深堀り、そんなタイプの発達の子がうらやましい・・・
発達障害、一般的な書籍には、あまり期待してない。
げんちゃんの発達に気づいたのは、5歳の秋でした。
12年前ということになります。
そのころの記憶はずいぶん薄れていますが、真っ先にしたことは、関連本を読み漁るということでした。
ユーチューブなども、なかったような気がしますが、どうなんでしょう。そのころは、私の頭の中も、とりあえず、書籍で情報を、という感じでした。
しかし、書籍をあさる前から、あまり期待していない自分を感じていました。
知的障害は一生背負っていく障害です。〇〇などの特徴があるので、それを理解して、どうやって寄り添っていきましょうか・・という切り口の本が主流であることを想像していましたから。
すぱっと、原因と治療法が書いてるような、一般的な病気のようなわけにはいかないだろうな、と思いました。
それでも、発達障害について、一般的に言われていることを知ることは、右も左もわからなかった当時の私には、とても大切なことだったのです。
知的障害、病院に連れて行くなんて考えなかった私
そして、病院に行くなんてことも、まったく考えませんでした。
発達障害の専門外来は、予約が何か月も先で、なかなか受けることができず、受けても、どうせ、これは治りません、と言われるのが落ちだな、と、期待もしていませんでした。
なんせ、医療現場にいると、逆に、医療に期待していないことも多いです。
お医者さんというものは、受験エリート。案外、習ってきたことからなかなか飛び出すことができない人が多いです。
知的障害イコール治りません、て終わりになるのが関の山だろうと、期待すらなかったのです。
たとえば、癌で余命宣告された人が、医者に叱られるからと、こっそり民間代替療法をやって、生還するなんてことも、よくあることです。
実際、先日も、ある勉強会で、某大学が開発したあるサプリと、食事療法を使って、径5センチもある大腸がんがすっかり消えているのを見ました。人工肛門にするしかない、と数件の病院で言われたにもかかわらず、です。・・・
(まあ、こういうのに携わっている、頭の柔らかいお医者さんは、業界ではかなり少数派で、表に出にくいです。・・・・)
まあ、とにかく、医者の言うことは神の言葉ではありません。
でも、病院に行って
「お母さん、この子は治りませんから、これからこの子の人生を背負って行ってください。」
なんて言われて、すっかりその気になっている母親は多いものです。癌の現場で言えば、医者の言葉に縛られて、余命宣告をしっかり守って死んでいく人に似ています。
思いが、体を支配していく典型でしょう。
まあ、そんなこんなで、病院に行くのは、時間がもったいない、と私は、思っていました。
そんな時間は取れない! と言い切れるほど、私は、げんちゃんの改善に一分一秒をささげていたあの頃・・・・
げんちゃんの広範性発達障害という診断名も、病院ではなく、市の療育センターに来られた、小児精神科の先生に、入学前に診断がいるからと、ただ一度診てもらって、つけてもらった診断名でした。
さて、書籍をあさった話にもどします。
子供の人生をなんとか良い方に突破していくには、まずは現状認識です。
そのために、読み漁った本に書いてあることは、おおむね似たようなことが多かったです。
多動があります。融通が利きません。一つのことに固執しやすい・・・癇癪をおこす・・・etc
そういう表面上の症状を提示して、その表面的な(根源的なではない)、対処法を論じる本。
こういうものがほとんどでした。
そして、その対処法というものには、疑問符が付くものも多かったです。寄り添いましょうとか、苦手なことはしなくていい・・・とか、色々ありました。
製本された本だから100%信じるというのは、医者がそう言うんだから100%うのみにする、というのに似ています。
結局、私は、20冊以上あさった本からいきついたのは、
医学や療育は、発達障害に対して明確に治す手段を持っていない。
結局、自分で研究しながらやるしかない、という結論でした。
いろんな本の局所局所には、ぴんとくる細かい改善策がありました。そういうものを上手に拾ってきて、自分がコーディネートしながら、試行錯誤でやっていくしかない、と感じました。
解決策がクリアーではない、ということは、ある意味、げんちゃんの改善育児は、パイオニアにならなくてはいけない、と言うことでもあります。
私は軽いショックを覚えましたが、チャレンジ精神がわいてくるのを覚えました。
たぶん、私は、癌で余命どれだけ、とか言われても、あらゆる情報をあさり、ピンときたものをかたっぱしらからやって、余命を伸ばそうとするタイプなんだろうな~
楽観的というか、神様の方を信じる・・・ということなんだろうと思います。
人がわかっていることなんて、神様が支配する世界のほんの一部にすぎません。
まだまだ分からない世界の中に、宝物が山ほどあるはずです。
あ、イントロに書くことが長くなって本題にいきつかなくなってしまいました。本題はまた次に・・・すみません。
PS
数ある書籍の中で、最近は、”ケーキの切れない非行少年たち”
は、よかったですね~。この著者の先生の観察眼は、今までのものとはほんとに違って、すばらしかったです。
本を読むひまもなく、これは久しぶりにオーディブルで耳読書しました。
表面に出てくることだけではなく、その中にあるものを、必死で探ろうとする視点が、素敵なお医者さんだな、とおもいました。
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初めてコメントさせていただきます。ずいぶん前からブログを読ませていただいています。わが子はげんちゃんの2歳下、発達障害なしの軽度知的障害です。
げんちゃん育児はずっと参考にさせていただいております。
私も「寄り添いましょう」「現状をそのまま受け入れて」ではなく、少しでも成長を促し改善を目指して頑張ってきました。このブログは大きな励みです。
なんだかんだ、ここまで頑張ってきましたが、親のフォローはいつまで続くのか、成人後は一人立ちができるのが、今になって私の子育ては間違いだったかと悩みます。
知的障害、どこまで改善できれば私は満足するのか。
親の悩みは尽きませんね。
これからも学ばせていただきます。
stairsさん
コメントありがとうございます。
お子さんは中3でしょうか。
発達障害なし、ということは、お子さんは、げんちゃんより常識感が付きやすいお子さんなのでしょうか。
ずっと改善のためにがんばってこられたんですね~。
正に同志ですね~。これからもよろしくお願いします。
人として正しい生き方、つまり、障害があろうがなかろうが、可能性に向かって、最大の努力を積み重ねる。
その過程が人生だと思います。
だから育児は、その姿勢をつけさせることが第一だと思っています。
細かいことは、お母さんの性格や環境や、お子さんのタイプなどさまざまで、どれが正しくどれが間違いと言うことはないと思っています。
大きな軸さえしっかりしていれば、少しの失敗なども何とかなると思います。
なぜなら、その過程で親も成長しているので、完璧な100点育児はないと思うのです。
お子さんの成長のために努力を積み重ねていらっしゃったstairsさんの育児は、素晴らしいものだと思います。
しかし、福祉の環境や、一般的な障害児の扱いは、かなり私たちの感覚とずれます。
そういう中にいると、ちょっと迷いが出ることもありますよね。
まさに、私たちがしていることは、パイオニアですから、しかたないですね。
その子その子で多少違いますが、普通のお子さんだって、人生のアドバイスをし続けないといけないので、げんちゃんも、死ぬまで、手が完全に離れることはないのかな~と、思っています。
要所要所のアドバイスで済むくらいになったら、ほんとにいいな~と思います。
そこまでなれば、げんちゃんの生き方も普通を超えるんだと信じています。
まだまだ、遠い道のりです~‥笑
しかし、中学生の頃は、とても苦しいことが多いですね。正念場なのかな~と振り返って感じています。
いっしょにがんばっていきましょうね。
以前、と言ってもだいぶ前にコメントさせていただいたはなです。
昔、エジソンでげんママさんのことを伺い、それ以来、時々読ませていただき、参考にさせていただいています。
うちの子も、あまり深掘りしないタイプです。何と言うか、淡々としていて、全体的に何事にも興味関心がない、ぼーっとした感じです…。
あれこれ模索しながら、改善に取り組んでいますが、最近は、宮口先生の考案したコグトレをこつこつ毎日五分ほどやっています。
認知力の底上げになればと思ってやっています。
宮口先生の「ケーキの切れない〜」のことが書かれていたので、コメントさせていただきました。
はなさん
こんにちわ~。コメントありがとうございます。
宮口先生は、少年院で、そもそも、反省というものの前提にある、認知力のない子供たちにびっくりしたんですよね。
それで、罪を反省するとか以前の問題を解決する方が先、ということで、コグレトのような訓練を考えたとありました。
私も、げんちゃんのそもそも論的な、問題にびっくりした一人です。
コグレト、普通の学校の勉強と並行して、少しずつ取り組むのはいいですよね。
毎日5分というのは、続けやすくていいですね。
げんちゃんは、ある程度、単純な課題をクリアすると、気持ちを入れず、浅~く取り組んでいくので、教材はほんとにむつかしいです。コグレト的なものも、5分というのは、そういう点でもいいですね。
深く考え、広げて行く訓練、というのは、なかなかできないです。
お子さんは、げんちゃんに少し似てますね。浅くぼ~っとしています。げんちゃん。
こういうタイプは、ほんとに引きあげるのが得るのに苦労します。
私はげんちゃんのこういうところを、爬虫類ライフとか、昆虫ライフとか読んでしまします。
人間と生まれた以上、もっと心をつかってほしいです。
嬉しいお返事をありがとうございます
いま人間関係も勉強も、まさに正念場です。ここをうまく乗り越えたいです。
8年前、子どもの障害が発覚したときに必死に情報を求めていた時に、最初に辿り着いたのがこちらのブログでした。子どもの伸びしろを信じて何とか成長させよう、それが出来るのは親だけと頑張ってきました。いつもこちらのブログが私の指針であり支えでした。
同志と言って下さり心強いです。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
stairsさん
こちらこそ、指針で支えなんて、過分なお言葉、感謝です。
発達障害、知的障害、普通のお子さんとは違う、壮絶な苦労がありますよね。
子供の改善にトライすれば、またそこで苦労があるし、しないで、寄り添うに徹しても、また苦労があります。
同じ苦労なら、トライする苦労の方がいいな~と思う私ですが、人それぞれなんでしょうね。
実際成長する喜びもありますが、こっちのかけたエネルギーロスといったらないです。
手をかけているだけに、甘えも大きく、すぐにパラサイト気質に陥ってくるげんちゃんです。
親とはいえど、ずべっと100パーセントしなだれかかってくるのは、ズルでしかない、と私は思うのですが、油断すると、すぐにその立ち位置をとろうとして画策するげんちゃんです。
中学の時も今も、かわらずそことたたかっています。
お子さんによっては、人生は努力し続けて行くもの、という概念がもともとあるお子さんもいますよね。
そうだと、苦労は少し減ってくるんじゃないでしょうかね・・
お子さんはどんなタイプなんでしょうね~。
でも、中学の大変なステージ、がんばってください!