校長先生に電話しました。
げんちゃんのズーム授業も今日までになりました。
最後の日は、世界史が2時間。
先生が出てきて、
「みんな、試験対策したい? したくないでしょ。
今日は、三国志のビデオを見ましょう。」
そう言うと、三国志のビデオをズームの向こうで流し始めました。げんちゃんの小さなタブレットで見る映像は、聞こえにくく、何の学習効果も生みそうにありません。試験前の授業なら、簡単なまとめでも、問題でもすべきです。ただの、教師の授業怠慢としか思えない。
この先生は、昨年も、げんちゃんの担当で、しょっちゅう、適当にビデオを流すだけの授業をしていました。
彼は、去年のテスト、教科書をコピーして、キーワードを隠し、そこに文字入れさせるだけ、というびっくりのテストを展開した先生です。
数日前、ウクライナのことについて、評論家が数人話していユーチューブを流しているだけ、という日本史の教師もひどかった。
私は人生長く生きてくるにしたがって、ほんとに歴史と言うのは大切だと実感することが多いです。私も、歴史は得意とは言えないけれど、自分の立ち位置を探るうえで、自分のいる国、自分が連なる先祖、そういう過去の歴史を知ることは大切だと思います。せめてベースとなるささやかな基礎くらいは、持たないといけないな、と実感する時があります。
ほんとに我慢していましたが、とうとう、校長先生名指しで電話しました。
明らかに、教師の怠慢。授業は、相手が生徒だから、誰からも咎められない。適当に授業をやってるふりして、給料がもらえれば、楽でしょう。ひどすぎる!
本気で、落ちこぼれ君たちの未来を開きたい、と思えば、その授業の工夫度は、賢いお子さんのそれより、ある意味ものすごいものになるでしょう。そういうものからほど遠い手抜きは、げんちゃんの低いメンタルさえ、さらに落としてしまう。
それは、発達のわが子に勉強を教えてきた親たちなら理解できると思います。
校長先生は、名物先生で、聞き上手です。よく聞いていくださいましたし、意図する意味をくみ取っていただいたように感じました。
それがどう今後、消化されるのか、私にはわかりませんが、少なくとも、そのあとにあった、二こま目の授業は、動画はなしになっていました。
でも、動画のかわりに、板書もメモもない、何も準備されていない、しゃべりだけの授業でした。
その後、担任から、”指導しました”、という旨の校長の伝言を伝える電話がありました。
まあ、その時だけ指導しても、なんか本質から変わるようには感じませんが、やらないよりは、という感じです。
ここの校長先生の、学校に対するコンセプトはすばらしいものです。どんな子も、取りこぼさず、愛を持って教育する。
しかし、個々の各論は、まだまだ詰めが甘い。もっと個々の先生が、自覚を持ってがんばっていってくださるのを望みます。良い学校だけにもったいない。
第一、落ちこぼれの教育こそ、真のスキルの高い教育の神髄があると思います。
校長先生が、
「また、言ってください。」
と、言われました。外交辞令なのかもしれません。しかし、学校を統括する人にとって、親から言われた方が、部下を指導しやすいでしょう。やはり、言ってあげたほうがいいと思います。
立ち位置が違うげんちゃん
ただ、げんちゃんには、
「あんた。先生に対して上から目線なんて許さないからね。この先生だって、あなたと違って、大学行って、教員資格とっていらっしゃるのよ。げんちゃんに、そんなことできますか~。」
そう言って、立ち位置認識をさせました。すぐに、自分が上、なんて、先生を見下しかねないから注意です。
この日も、げんちゃん、授業が終わって昼からあった、ズームの終業式は、忘れて出てません。あきれかえるばかり。こんなの相手に教えるのは、私じゃなくても、疲れるだろうことは、想像できますけどね~。
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