げんちゃんは、日曜日、朝から晩まで、ず~っとテーブルに座って試験勉強していました。
げんちゃんは、外側だけで、ほとんど内容のないことをするこの頃ですから、私は、時々、
「ちゃんと、覚えようとしないとだめだよ。」
などと、とりあえず声を時々かけます。
最近私は、げんちゃんの日頃の態度だけを見ても、げんちゃんの内部がよくわかりません。この日のげんちゃんの気持ちの入れ方が深いのか浅いのか、あるいは、まったくポーズだけなのか・・・
「T高校に入るためには、何点ぐらいとればいいの?」
そんな、まるで普通の子のような質問まで飛び出すので、まさか、抜きまくっているとは思えません。
しかし・・・
翌日、S先生にげんちゃんは会いました。そして、めちゃくちゃ叱られました。
やはり日曜のそれは、完全ポーズだったようです。私さえ、ほんとにびっくりです。私が最近では勉強を見ないので、それを自立の方向へもっていくのではなく、ただやればいい、という自己都合解釈しているようです。
そして、私が思うよりも、かなり、げんちゃんの能力は上がっているようで、S先生は、あとは、自己の奥底から、がんばるぞ~というやる気さえ出れば、突き抜ける、とまで言います。
しかし、成長の分を、よい方に持っていくのではなく、げんちゃんの最も困った部分、「楽ができれば何でもする、」という価値観に照らし合わせて、行動しているみたいなのです。
昔と違って、自分の気持ちを、かなり把握できるようになっているげんちゃん。自分が抜いているというのも、完全に掌握したうえで、いやなことから、どうやったら逃げられるか、という価値基準で行動を決めているようです。
勉強はしないといけない、でもめんどくさい。だったら、形だけ作って、ごまかせばいい。本気でそう考えているというのですから、びっくりです。
もともと、げんちゃんという子は、
「楽ができれば、人になんて思われようと、どうでもいい。別になんとかなるだろう。頑張らなくても。」
そのような考え、感覚から、抜け出せない子です。表向きは、やってるから、げんちゃんはがんばっている、なんて思ってくださる人は多いのですが、本質は違います。外側を作るだけなら、げんちゃんにとって、何でもないことなのです。気持ちを入れてがんばる、ということこそ、げんちゃんが、最もさけたいことなのでしょう。何と引き換えにしても、そこを死守したい・・・
(S先生の言葉を借りれば。)普通の子は(発達も含め。)ここまで落ちてはだめだ、とか、ある程度のところで、歯止めがかかるし、ここまで追い込まれたら、やはりやるしかないか~、と頑張るところがあるそうです。
しかし、げんちゃんは、心を使ってがんばるくらいなら、なんでもする。そういうおそろしく強情な強さを持っています。
彼にとって、本気で心を動かして、心の底からがんばろう、なんて思ったことは、過去一度もないのではないでしょうか。言われるから、頭の中で、しないといけない、と思ったことはあるかもしれませんが、心の底からそのエネルギーを出したことはない。
中でも、勉強にいたっては、心を相当動かして、頭も使うから、どんなことをしても逃げたい!
でも、やらないといけないということはわかっているから、何時間もポーズだけ続ける。それなら、本人にとっては楽です。
げんちゃんの現在をたとえて言うのなら、”外側をおりこうさんに見せることが、最近の趣味になっている”、らしいです。
「学校は、支援の先生がやってくれるから、それでいい。日曜の勉強は、ただやっとけばいいと思った。」
S先生に見透かされて、白状しました。
その証拠に、今日初日のテストは、めんどくさいので問題さえ読んでいないようです。パッと目について、やれそうなとこだけ回答したようです。ちなみに、ちょっと前の実力テストも、めんどくさくて、問題さえ大して読まなかったようです。気が向くような場所だけ、数問を回答して、悲惨な結果をおさめていました。(2点とか3点とか、今までの経緯を考えればありえない!)
教えているK先生も、あんぐりです。
ほんとに、疲れ果てます。どこまで、こいつは腐っているのか、こんなふてぶてしい性分は、S先生も、見たことない、とあきれる始末。
しかし、学校では、げんちゃんは、上手に芝居をしているので、この子はできないんだ、何度も親切に教えるしかない、と思われてしまっています。そのせいで、げんちゃんは、学校を完全になめきっていて、上手に演技だけしているというありさまです。どんなにそのことを先生に訴えても、先生はぴんと来ない様子。たぶん、おかあさんが厳しすぎるとか、もっとこの子はできると思いたいんだ、とか、思われてしまうようです
それもしかたのないことで、げんちゃんは、巧妙なセリフを言ってそこをしのいでいるのです。
「ぼくは、がんばっているんだけど、勉強のしかたがわからなくて。」
「意識を入れてやるって、どういうことか、わからないんだ~。」
「あ、気づかなかった~。」
「あ。あ・・」と表向きあせるふり。
もっともらしいセリフ、態度を、要所要所、どんどん取り続けています。
彼のそういうセリフが演技であるということは、家に帰る時は、それらをすべて捨て去っているのでわかります。心に残すこともなく、指導のほとんどは、さっさと捨てられるのです。毎日毎日、学校でからっぽですごし、ただぼ~っと、適当に、ごまかすことに、伸びた力を使っているのです。
今まで感じることができなかった、自分の気持ちを、今はよくわかるようになっているので、最近では、自分が抜いていることもとらえています。抜いている自分を、感じるのなら、それをプラスにしむけようとすることが、正しいのに、めんどくさいから、どうやったら回避できるか、ということに、げんちゃんは全力で取り組んでいます。
それにしても、げんちゃんは、障害があるからできなくてもしかたない。この子の能力だ、と、学校では下方に考えられています。
それによって、げんちゃんが、平気で抜きまくり、学校で落とされます。そのことを、学校の先生方は、まったく理解できないようで、ほとほと困り果てます。K先生やS先生が、なんとか、厳しく、修正しても、また学校で落とされる。
ほんとに、どうしたものか。と思います。別に先生方が悪いわけではないでしょう。げんちゃんの状態は、今では、私さえ読めないのだから、しかたのないことかもしれません。
最終的には、げんちゃんが、自分でちゃんと自覚を持ってくれればなんということもないことなのです。ほんとに口惜しい限りです。
これは、裏返せば、げんちゃんの相当な強さなのかもしれませんが、げんちゃんが、平気で楽な方へズルする限りは、底なしのところに落ちていく困った性質だと思います。
この子がプラス転換するためには、本気モードでがんばろう、と思って馬力をだすことが必要です。でも、げんちゃんは、その強さとずるさのために、おそろしい演技力を発揮して、全力で逃げているのです。
この子はできない子だから、どうしましょう。というところにそもそものスタートをおいていると、げんちゃんに上手に逃げ場を提供してしまうのです。
最近は、げんちゃんを、学校にやらない方がいいんじゃないか、と頭をかかえこんでしまいます。
でも、げんちゃんはもはや自覚をして、がんばれるところにいます。もう、ここからは、げんちゃんの人生の選択です。わかっていて、逃げてずるするのなら、この子の人生はほんとに終わりだな、と思って見ています。
私でももう助けられません。親とはいえど、げんちゃんは、自分で人生を選択するしかありません。
まさに、成績どころのさわぎじゃない・・・人としての岐路に立っているげんちゃんだと思います。
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全くもって、おっしゃる通りです。おいおいブログにも書いて行こうと思っていますが、最近のroboはあきれることばかりです。
私のブログを読んで下さっていた方はご存知と思いますが、私はroboが心底球技が苦手と思っていたのに、最近は苦手どころか得意なのかというくらいに上達しています。今からサッカー部かバスケ部に入れようかと思うくらいです。笑
勉強も取り組みが全く変わって来ています。あきれて気が抜けたのか私は体調不良が続いていてブログもあまり書けないくらいです。本当に変わってしまったのですよ。
このノウハウをはっきりさせて、他の方にも伝えたいけれど、色々やりすぎて何が決め手か分かりません。それが残念です。
ただ、まぁ私が4年前くらいに、こちらのコメントにも書かせていただいた通り、発達障害は能力がないのではなく能力を発揮しにくい人達であることが事実だということだけがハッキリしました。
しかし、発揮しにくいのは事実なので、本人を追い詰めても意味はなく、本人の中の動機が生まれるように導くしかないと思います。性格や野心などにもよるので、火が点かなくても、それも生まれ持った性質なので責めることは出来ません。姉などに比べると私などは野心のない人間でぼんやり過ごして来たので、遺伝したのでしょう。
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げんちゃんなかなか手強いですね。
一見勉強している様子だと、あれこれ口出しもしにくいですよね。
息子は勉強になかなかとりかかれないのだけど、どうやら私に干渉されることが本当に嫌なようです。逃げてるのかと思ったら、私のイライラが伝わってそれが息子のやる気をそいでしまうみたいです。なので最近は個別塾の自習室に行って、大学生の先生に教えてもらっています。私からしたら甘くされてるような気がするのですが、息子の意識が入るのは気分よく学習してる時なんです。なので厳しくしすぎるのは逆効果。ついつい私は厳しくなってしまいバトルになってしまいます。それよりは…とお任せしています。点数にはほとんと反映されないのが悲しいですが…。
息子も形だけを整えることを優先するようになりました。ようやく提出物の期限を意識するようになりましたが、そうすると理解しようとするよりも埋めようとするんですね。本質とははなれていってます。けれどもそれが今の中学教育の現状で、提出しなければ評価なし!みたいな感じにしているのは問題だなぁと思っています。
息子の中学はよくも悪くも厳しいです。容赦なく悪い評価もつくし、息子だから仕方ないとは思ってはくれません。放課後学習会にも行かされています。それに参加すると意欲の観点で評価があがるらしいです。それでも点数取れないと評定は上がらないと思いますが。
高校は中学よりも緩くなりそうです。逃げ場になるかもしれません。でもゆったりとした中でやりたいことを自分のペースでできるかもしれません。どちらになるかはわかりませんが、とりあえず合格しなければはじまりません。
とりあえず心がざわついた日々を送っています涙 1
ロボママさん
ロボ君は、げんちゃんの今のステージから、ちゃんと自分で、しっかり気づいて登って行ってますよね。
もともとの能力も、意識障害の程度も、げんちゃんよりは、レベルが全然上ですが、ロボママさんの上手な導きによって、なんとか道を開き始めている、のではないでしょうか。
ロボ君のことを読んで感じるのは、ロボ君とげんちゃんの共通点もありはするけれど、やはり、ロボ君は、プラスの思考をするんだな、と感じます。メタ認知も、げんちゃんのように、基本自分は大丈夫だ、というところになく、謙虚です。
いやなことからは逃げて、気持ちを入れない、と言うことはあるとは思うけれど、やはり、基本が前向きで、謙虚だと、自ら自分を変えていくことができるんじゃないかと思います。
苦手意識がやれることを阻んでいただけだったりすると、何かの拍子で、できるかも、と思えば、急激にロックを外して伸び始める。
しかし、げんちゃんは苦手意識だけでなく、とにかく楽をしたい、というずるさが大きいので、苦手意識克服だけではどうしようもない感じがします。
これは、性質の問題だ、とS先生も言っていました。大着な性質のせいで、ほんとに振り回されてしまいます。
げんちゃんは、もし、従来の、障害だからしかたない、と甘やかすような教育のもとにあったら、今頃、油断もすきもない障害児と言うことになっていたと思います。一見おとなしそうに見えるけど、サイコパスです。それをずっと感じていたので、何が何でもまともにしないといけない、とがんばってきたのです。
しかし、自分の心をつかんだ今、げんちゃんは、それを自分の思い通りに乱用していこうとしてます。
表向きは、まったくそのようには見えません。おだやかだし、よく家事もして表面的にはよく勉強します。
しかし、あるとき、すっとすきをついて、とんでもないことをやらかすと思います。
ここから先が、本との勝負だと思っています。
Mさん
発達のわが子が、グレーゾーンに乗ってくると、もしかしたら、多くのママが、同じ壁に突き当たるのかもしれません。本質をとらえるエネルギーを出そうとしない発達障害の子供たちは、周囲を見て、なんとか、表面だけ形を作り出す。
親は、そこで状況の誤認をしてしまう、ということです。げんちゃんなどは、もとがあまりにもひどかったので、今の外側を見たら、あ~成長したな・・・けっこういろいろわかるようになってるんだろうな、なんて、ゆがんだ捉え方をしてしまいがちです。
こっちの感覚を投影してげんちゃんを見ると、捉え方にゆがみが出てしまいます。
私は、かなり客観的に、親と言う情をあまり入れず、げんちゃんを見ている方だと思いますが、それでも、正しく彼の心の内を見ることは難しいです。今回だって、S先生に解説してもら、その場にいっしょに立ち会わなければ、このブログは、まったく違う味付けのものになっていたに違いありません。
げんちゃんは、げんちゃんなりに頑張っています・・・なんて感じです。
発達障害という障害は、ほんとに普通の人からは、なかなか理解されにくい、複雑な心の障害だと思います。こっちが言った言葉を、当然こうとるだろう、と言う方向には取らず、あえて、歪曲して自分の自己都合で解釈する、ということを、しっかり認識していないと、大変なことになりかねないと思います。
そして、自己をある程度認識することができてきた、このステージからが、まさに、どちらに行くか、厳しい道のりなんだと思います。
ある意味、ほんとの反抗期なのかもしれません。自分のすきにしたい、それで何が悪いの? と悪びれもせず思いこむ性質があるので、普通の子のように、自分で修正していくのがとても難しいです。
普通のお子さんなら、ここからのステージは、ある程度解放して、見守る、というのもいいのかもしれませんが、この子たちは、正しい路線へと、悪い道をしっかりふさいで、導く必要があると思います。
実は、1週間おばあちゃんの家に行くのを禁止しました。おばあちゃんは、げんちゃんにとって、最も御しやすく、だましやすいからです。おばあちゃんも本質をつかめず、つい甘やかすことを、修正してもらわないといけません。互いのためにそうしました。
Mさん
あとは、まったくわかってない学校の先生が問題です。先生は、げんちゃんが、彼女が考えている以上に、能力を持っている、ということを信じません。そえもそのはずです。抜きまくっているのだから・・・
S先生の前で、ばつが悪そうに、告白する姿を見てもらえばいいのでしょうが、もしかしたら、それさえ、言わされていると感じるかもですね~。
お子さんのアマゾンで勝手に買っていた事件は驚きましたね。色んなすきを上手に見抜いていたのでしょうか。親さえ、子供のことを誤認するほど、彼らは、表面ではぜんぜんわかりません。一つ言えることは、繊細に見えて、お人よしのような感じの子でも、どこか、かなりエゴイスティックな部分を持っていて、それを自分で認知していないということでしょうか。自分の世界観の中にいる、と言うことなのだと思います。
そういう身勝手な世界観は、決して通用しない、ということを、どうにかしてしっかり教えていかねばなりません。ほんとに大変なことだと思います。英検不合格も、ショックだったと思います。まさか、というよなびっくりするような想定外がいつもつきまとう子たちですよね。
ゆうママさん
お子さんも、表面を上手に作り出す、というステージに入っているんですね。
そこをグレーゾーンと言うのかもしれませんね。学校でも、提出物や、教材の用意など、なんとなく周りに合わせて、埋没してくれる。しかし、じゃあ、ふつうかと言うと、なんか変。そんな感じでしょうか。
世の中で支援を受けながら働いている発達の方は、そのステージにあるのでしょうか。確かに、グレーゾーンでは、どこの職場でもってわけにはいかないでしょう。
このステージから一歩突き抜けるためには、本人の自覚がどうしても必要です。咬んで含めるように説明してやっても、本人が捉える気持ちがないと、吸収はしないでしょう。
高校選びは決まられたのですか。げんちゃんは、高校1年行かなくてもいいかも・・・と考えたりします。しかし、例の高校に落ちたとしても、その時は、少しは答こたえるでしょうが、数日すれば、また切り替えて平然とするのは目に見えています。障害手帳を取った時でも、ショックは、数日でした。それくらいのインパクトしかないのなら、やはり、受かって、だめなら、行かせない、という方がいいのかな~と思ったり。とらえず、生活が宙ぶらりんになったりするリスクは減ります。
でも、受かっても受からなくてもどうでもいいや、と思っています。
とにかくなんとかなる、とどこかたかをくくって、甘えているげんちゃんが、しっかり反省するように、どうしたものかと思います。T高校は、相当甘いので、もし入学できたとしても、数時間だけ滞在と言う方が無難だと思っています。
ほめたり、認めたりされてしまうだろうから、なんとか、その弊害を防がねばなりません。じゃあ、他の学校と言うことも考えますが、げんちゃんの成績で入学を認めてくれるところは、結局五十歩百歩だと思います。それなら、近くて、素敵なこの高校がいいかな、と思います。
ほんと、これほどに、げんちゃんのために、人、物、環境、そろえてもらっているのに、なんという、罰当たりなんだろう・・・あきれ果てるばかりです。
げんちゃんママさんのリプライの中にある
こっちが言った言葉を、当然こうとるだろう、と言う方向には取らず、あえて、歪曲して自分の自己都合で解釈する
繊細に見えて、お人よしのような感じの子でも、どこか、かなりエゴイスティックな部分を持っていて、それを自分で認知していないということでしょうか。自分の世界観の中にいる、と言うことなのだと思います。
これはそのまま息子に当てはまりそうです。そうなんです。一見人懐っこくてかわいい感じなのですが、実はエゴイスティックな部分を持っている、ぴったりの表現です。
多くの専門家は彼らを理解してあげなくてはならないとか、傷つけられやすいとか言いますよね。私もずっとそう思って育ててきて、学校にも配慮を求めていた時期がありました。でもよーく見てみるとそうではなくて、ズルいところがある。それを見逃してはいけないんですよね。けれどもうちの場合は厳しすぎるとより一層こじれてしまいます。なめられてはいけないけど、かと言って目的を達成できなくなるほどこじれてはいけません。ほんと一筋縄ではいきません。難しいですね。
高校選びは正解かどうかはわかりませんが、本人は行きたがってます。パソコンやiPadを道具として使えるのとeスポーツ部があるからという動機です。落ちたら通信制とかでしょうか。 1
ゆうママさん
ほんとに、ここからは、一歩も油断ができないと思っています。げんちゃんは、今まで自己意識もなく、衝動で生きてきたのですが、自分と言うものをとらえだしました。そうすると、プラスに行くか、マイナスに行くか、どっちかだと思います。自分が目の前の克服すべき課題を、いやだと認識すると、それを克服するか、逃げるかどっちかです。克服する方に行くのは、ほんとに大変なのです。
思考法がどうもエゴイスティックになりやすいので、自己都合で、うまく逃げる方へ行きやすいと思います。気持ちも、自由自在に、好きな時だけ入れますから、え?なぜそっちに行く?? とんでもない方向に平気で行きます。
気持ちを一時も抜くのはタブーです。オンとオフを、平気で使い分けていくし、一つ許せば、二つ三つとマイナスに走り出します。だから、前にもまして、彼の心の状態を監視しています。
強い言葉で圧をかけるばかりではありません。優しく、真綿でゆるりとまきつけるような圧のかけ方もあります。
「○○がしたくないと言っても、社会に出たらどうするの?買い物をするときにはどう?○○ができなくてやれると思うの?」
もう、具体的にばんばんつないでやって、彼らが納得できるように、そこまでつないでしゃべってやるのか?というくらい解説してやることも必要です。
試験のこともそうです。
「げんちゃんは、テストの問題を読むのをめんどくさい、できないからやらなくていい、と思っているようだけど、このテストは、君の将来を決めることになるんだよ。このテストの結果で、高校進学ができる子なのかどうか、先生たちは見ているよ。」
Mさん
ほんとに、そもそもが違ってしまうわが子ですから、解釈はほんとにむつかしいです。げんちゃんも、昔から、周りのことなんて全く意に介さず、恥ずかしいとか、落ち込むとか、そういうことはまったくないので、どっかすごいな、なんて思っていました。今でもすごいと思わないわけではないのですが、それは、単に、考えたり、感じたりして、それを処理するのがめんどくさい、というエゴに由来していました。
でも、そこは、徹底的につぶさないといけないと思っています。気にしない、という長所だけが残れば、ある意味すごい子です。だから徹底的にエゴの部分をつぶさなくてはならない。
この子たちは、一つ許せば、なだれこんでいきます。ゲームにしても、色んな娯楽にしても、ほんとに注意しないと危ないと思っています。アマゾンの買い物事件にしても、お子さんにとっては、え?なんでい叱られるの?というものだったのかもしれませんね。
しかし、こっちが考えている以上に、わかるでしょう、そんなこと、ということが、まったくわかっていない、という、あるあるがあるのかもしれませんね。
ほんとに手ごわすぎますよね。しかし、幼児に1からいれていくような感じで、心した方がいい思春期なのかもしれないと思います。今まで積みあ上げてきている、と思っていることは、ないとはいえないけれど、湖の底に沈んでいるような感じで、ない状態のものばかりなのかもしれません。
みなさんのコメントを読ませていただきながら、私も、もう一度、1からげんちゃんに入れなおす。っていう気持ちでやらないといけないな~と思いました。
お忙しいところ、返信をありがとうございます。
げんちゃんママさんが危惧されていることは良く分かります。げんちゃんは以前公文で小学校1年生の子を叩いたり、お世話になっているK先生のサンダルをポイとしたり、花火でボヤを起こしたりしましたので、表面的に穏やかでも、ふいに突拍子もない問題行動を起こし周囲をギョッとさせるのですよね。確かに、そういう部分がroboにはないので、根っこのところが今はまだ違うように思います。
だからこそ、げんちゃんママさんは、その根っこの部分を直そうとしてらっしゃるのだと思います。そこを直す必要のある子は結構います。根本的な勘違い、誤認があると思います。強い認知の歪みです。roboくらいだと、とんちんかん程度ですが、もう少し深くメスを入れる必要があるケースだと思います。
ロボママさん
そうですそうです。ロボ君とは、そもそものところの重症度が違うと思うんですよね。
ロボ君の問題点とげんちゃんの問題点は、似てるとこもあるけど、ぜんぜん違う、というところも多いと思います。
なんというか、発達と言っても、ケースごとに、かなり持って行き方も違うんだろうな、と思います。
今まで、S先生のところに相談に来られたお子さんを幾人か見ますが、私から見ると、ほんとに、軽いな~と思う子も幾人かいました。実際、○○ちゃんなど、げんちゃんに比べたらかわいいもんだよ。とS先生も時々言ったりします。
でも、げんちゃんに比べたら軽いというだけで、その子特有の問題もあって、そこは、げんちゃんは楽だよね、ということもあります。
花火の問題は、げんちゃん特有の怖さです。どこか怖いもの知らずのところがあって、そこが良い方に出れば、大胆不敵、不動の面白さがあるかもしれませんが、悪い方に出れば、私たち家族もまきこまれて大変な目にあうでしょう。
げんちゃんが、気持ちを入れると、性格のおだやかな、おうようとした雰囲気になります。いつも情緒が安定しているので、能力をちゃんとつけることが可能なら、性格的には、どんなとこでもやっていけるタイプかもしれません。
がしかし、大きなマイナスを反対に一気に持って行くのは、そう簡単ではないですね~。根の部分を治す・・・と思ってトライしていくのと、一般の療育の現場のように、特性と固定化させて対処療法でいくのとでは、育て方は全く違ってくるように思います。
げんちゃんの今は、将来を決める、大切な時期だと思っています。乗り越えさせたいです。ほんと、毎日いまだ格闘です。
返信をありがとうございます。
本当にそうですね。逆にroboの方はメンタル面の課題が大きくて最近は深刻化しています。
英検の2次も積極性などで最低評価がつきましたし、この間の定期試験でも数学で焦って頭が真っ白になって全然出来なくなったりしていました。前もそういうことがあって先生が再試験をして下さったりしていましたが、本番はそうは行きませんので心配です。
それぞれ課題は違うので、アプローチも変わって来ますよね。
ロボママさん
ロボ君のメンタルな問題・・・げんちゃんも、結局メンタルな問題です。
メンタルといっても、性質によって、心配なところはほんとに違いますね。げんちゃんも、必死でやって、焦って、頭が真っ白、というようなことがあるのかな~・・・?
まず、必死でやって、と言うところが、ほんとにレアです。
そういえば、ピアノの
発表会は、そういう場面だったのかな・・・と思います。意識が入っていたように思います。さすがに、抜いてはできませんよね~。げんちゃん、生まれて初めて「緊張した~・・」と言いましたっけね~・・・なんか、げんちゃんの心、わかりません。どうなっているのか・・・凡人には・・・笑
うちの子も今、1つの分岐点に来たようです。
小さい頃は敏感で繊細な面があり、ストレスの感じ方が大きいため常に疲れていて、癇癪を起こすと壁に頭を打ちつけたり、自分の腕を強く吸って内出血を起こしたり、心因性頻尿や自家中毒にも何度かなりました。
指吸いもなかなか止められず、去年小4でようやく止められました。
最近は傷つきやすさが弱まり、打たれ強くなりましたが、その分傲慢に。自分が相手にしたことよりも、相手から受けたストレスに気持ちが集中するので自分を顧みれない。自分の気持ちには敏感なのに相手の気持ちには鈍感。
切り替えの弱さ、衝動的、傲慢さ、こだわりの強さ、自傷行為に繋がりそうな危うさ、相手を怒らせたり不快な思いをさせても何とも思わない心の異常さ、会話の噛み合わなさなど、社会自立に向けて本格的に取り組まなければといった問題山積みです。
積り積もって崩れ落ちそうです。
夏みかんさん
うわ~、大変ですね~。発達のあるお子さんの自己都合解釈は、結構厄介です。ほんと。それに、小学校5年生終盤から始まる自己の炸裂は、げんちゃんも、ほとほと手をやきました。結局、5年近く落ち着くのにかかった計算になりますから。
>自分を変えることは自分を無くすことだから絶対に守らないといけない、自分が無くなることは心が死んでいることと同じ、つまり生きている意味がなくなる、と言います。
ここを読むと、自己意識エネルギーは、げんちゃんよの対極にあると思います。ありすぎというか、エネルギー量多すぎな気がしますよね~。このタイプは、げんちゃんとは全く違うアプローチがいるんだと思います。理解できるように仕向けてやらないといけないんだと思います。
私の無い知恵を絞って考えたら、
「そうなのね。あなたは自分をかえるのが難しいのね。わかった。そしたら、お友達は、○○○○で、とても迷惑でつらくなっちゃうので、あなたと付き合うことができないので、お友達なしでやっていくといいよ。お母さんも、ちょっと迷惑なので、あなたからちょっと離れるね。一人でいるといいよ。」
なんて、言って、ある程度好きにはさせるけど、こっちは、完全シャットアウト、かかわっていませんアピールをするのでしょうか。
自分はかえない、わかりました。それなら、一人で生きていくのがいいね。
と言う感じでしょうかね~。調子のいいとこだけ、相手を利用するということになるので、そこは、やさしく、無視。利用されない。
そうして、感じ取るようにしむけるのでしょうかね~。以前、げんちゃんの野球クラブで、意識エネルギーの強すぎる、ちょっと天才肌の男の子に、先生が手をやいていましたが、あの記事、なんて書いていたかな~。ちょっと探してみます。
相手のエネルギーが強すぎるので、マイナスエネルギーの圧をかける、でしょうかね~。ほんと大変です。
夏みかんさん
ありました。今読んでも、Sさんすごいな~・・・です。げんちゃんには、まったく関係ないアドバイスですが、少し役立つかもしれません。
https://glow-gen.com/239223783/
げんちゃんママさん、ありがとございます。
記事、読ませていただきました。
繊細で気付き過ぎる反面こだわりが強く流せない、感情コントロールが上手く出来ず、結果表現が攻撃的になることがあるなど似ているなぁと思いながら読んでおりました。
かなり小さい頃から理論的に話して納得しないと腑に落ちないところありました。年齢のわりに大人びたことを言う子で、他の子が気にも留めないことやその年齢ではまず気にならないようなことを気にしてストレスを抱えて、外では我慢して溜め込んで家で爆発して…といった幼少期だったことを思い出しました。
エネルギーが多い、無気力で億劫がる様子が多いのでそうとは考えてませんでしたが、もしかしてそうなのかもしれません。
もしかしたら、私が考えているより子供はもっと高いレベルにいるのかもしれません。今の子育てや環境が見合っていないということもあるのかもしれないです。
先生が準備した考えられるだけの方法とは全く違う方法を見つけて、先生に「こんな方法もあるなんて思いつかなかった」と言われたり、気付きや視点が授業の活性化に繋がることがよくあると5年間どの先生にも言われてきました。クラスで1人、2人の正解者がいない問題で正解していたり、それも独自の解き方だったりします。
こういう子は良い方向に出ているとそうですが、悪い方向になるとやはり浮くのでしょうね。
自分を変えないなら1人で生きていくのがいいよ、私もこれまで何度も言ってきました。
最近は「1人でいるからそれでいい。」と言います。一緒にいてくれる人がいないのであれば、それでいいと本気で思っているようです。
なのでこの子が本気で変わりたいと思えるきっかけがない限り難しいのかもしれません。
正しい振る舞いは何かは知っている子なので、意識に働きかけられるような子育ての質を上げられるように、ちょっと考えてみようと思います。
げんちゃんも5年生終盤から自我の炸裂で大変だったのですね。5年間ですか。先が長くてめまいしそうです。でも、自我の目覚めは高度な心の獲得に必要なものだから、それだけ伸びてる、成長の証なんですよね。
げんちゃんママさん、お話し聞いて下さり、どうもありがとうございました。少し元気を取り戻せました。ありがとうございます。
コメント欄活発ですね!! やはり皆さんもそれぞれの分岐点にいることを実感されているのでしょうね。げんままさんのブログ、励みになります。
もちろんウチも本当に本当にここが分岐点なんだと思います。
ここで本人が自覚して心から頑張ろう!となれば上がっていくと思うし、親がここまでやっても気づかないのならここまでなんだらうな、とも思います。本人次第のところまできました。
ここを何とか抜けて出して欲しいので、親としても知恵を絞りますが、それが息子の心に落ちるにはうちの場合は親子関係が良好であることが重要だな、と思っています。
息子だけに「変われ〜」と迫るだけでなく、ワタシ自身も変わらなければと気を引き締めている今日この頃です。
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夏みかんさん
やはり、あの野球の子供さんと似たタイプてしたかー。
だとすると、苦労は、げんちゃんとは真逆になりますね。
一人でいい❗ と開き直ってしまうお子さんに、一人では人間は生きていけない。生きていっているとかってに思っても、いろんな人のおかげで、命を繋いでいるのだ。しかも、あなたがうまれてきた意味は、自分を生かし、さらに、そのことで人も生かす生き方をするためだ。勝手に自分の自己都合の生き方をすれば、神様に罰を受ける。
そういう、絶対的な価値基準を、お母さんが持って、揺らがずに、しかも、たんたんと教えて、身勝手な価値観を切り崩していかねばならないてしょうねー。
相手はかなり、賢いお子さん。理詰めでやってくるかもしれません。表面的にはつじつまがあっているように見えても、よくみれは、人の道からはずれた、自己中理論であったり、偽善であったり、盲点があるてしょう。
小手先の指導ては無理ということでしょうね。
げんちゃんは、頭が悪いですが、それでも、自己都合を通すためには、かなり賢く立ち回りますから、基本的には同じかなと思っています。
上手にごまかして、努力を惜しむなら、それなりのつけを払わねばなりません。ところが、そこは、するりと他人事にしてしまいます。
そんなはずない、と人としての責任をつきつけなければなりません。
結局のところ、発達育児は、ごまかしのきかない、人としての生き方を問われる育児だと思います。
あなたも、天の前に一人、私も同じ。互いに、じぶんの責任を人にとってもらうことはできない、という平等の立ち位置で望むしかありません。決して、子供が背負う分を親が背負っては行けません。
げんちゃんも、なめて、甘えてずるさを克服しないなら、私が死んだあとは、施設やグループホームで、寂しく人生の残りをすごすしかないと思います。
そこを徹底的に突きつけているところです。
しかし、それさえも、彼は、私の脅しくらいにしか思っていないようです。バカじゃないの?と思います。高校どころじゃありません。
ほんとアホですね。げんちゃん。
ひつじさん
ほんと思春期も佳境に入ってくると、次の道がある程度見えてきますよね。ここで、自分の甘えに気づくかどうかで、かなり次の方向性が変わると思います。ままががんばっているお子さんは、能力もそれなりに伸びて、ポジションも最初よりよいとこにいることができるかもしれません。
それで、自分は、あれこれ言われるけど、普通の下の方くらいには、くっついていけてるんだ、くらいの感覚になっている子も多いと思います。
なんとなく、親がやっていってくれてるから、その延長の未来がある、ぼんやりと、なんとかなる感がつきまとうのです。
しかし、ほんとに、ここからは、がんばらないとなんとかは、なりません。自覚こそ、スタートだと思います。がみがみ言う必要はないと思います。
離れた位置から、その子を見守って、ある程度荒波でも、手は貸さず、本人が自覚する環境がいると思います。
親子いっしょにがんばる、というのは、それぞれが、離れた位置で、自分の課題を、それぞれにがんばるということだと思います。
今からこぎだす外海を本番として、もう、仮免許になってもらわないと困るのです。
それなのに、子供はまだ、運転練習場の囲いが永遠に続くくらいに思っています。
自覚を静かに静かに促していく。そういうことかな、と思っています。
母の立つポジションは、とてもナーバスなステージにやってきました。