> げんちゃんの定期試験は、結果は捨てるとしても、定期試験に向かう、普通の人たちの気持ちや行動は、しっかり感じさせる必要があると思います。
まったく間に合わないこの状況で、どういうかんじでやるのか、というのは、私も悩みます。
がしかし、ほんとに、1週間にせまってしまったので、気持ち合わせ、英語、社会、理科の、提出義務のドリルくらいしかできなくなってしまいました。(いや、それさえ、出来上がらないだろう!)
なんせ、げんちゃんは、処理スピードがあまりに遅いし、まだまだ逃げる気持ちばかりで、こっちとモチベーションが乖離しています。
逃げる、という気持ちは、Sさんからも離れておきたい、という気持ちになって現れます。
先生がうちの門にいるのを、帰宅中のげんちゃんが遠目に見つけ、徒歩のスピードをいきなり、遅くする・・・・なんていう行動が出現します。
S先生は、全部お見通しのようで、上手にげんちゃんを指導します。
圧というのは、外から、マヨネーズを絞るようにかけるだけではなく、中に、あるものをぐぐぐっと引き出すようにかける圧もあるということらしく、今は、後者の圧をがんがんかけています。
つまり、げんちゃんの逃げたい、でも、それではだめかも・・・・そんなところでゆれているげんちゃんに
「君はもうできるんだよ。逃げていたら、低いところに落ちちゃうよ。そうなりたいの?」
「普通なら、もう相手にしないよ。でも、僕がげんちゃんを指導しているのは、げんちゃんを愛しているからだよ。」
etc・・・全部録音して、書きたいくらい、計算されているようです。
まあ、こういう感じで、げんちゃんの中にあるプラスの気持ちを大きくしてもらうように圧をかけるるのでしょう。
確かに、外からどかんと力をかけるやりかたは、マヨネーズにたとえれば、中のマヨネーズが、びよんと、変なところに飛び出して、使い物にならなくなるような具合なんでしょう。
「はいはい、わかったわかった。」
も、私に対して、相変わらず飛び出します。
「”はいはい、わかったわかった”、なんて言って、君ができていないから言ってるんじゃない。」
「それとも、ちゃんとできているの?」
「できているんなら、言わないよ。できていないから言っているんじゃない。何言ってんの。」
「言われたくないなら、ちゃんとやりなさいよ。」
まあ、特別なことを言ってるわけではないけれど、これも、S先生に教えてもらった言い方で、
あらゆる方向性から、なぜそう指導しているのか、という理由を、しっかり、細かく落としてやる言い方を付け加えるといいようですね。
「お母さんは、そういう子にするために、あなたを生んだんじゃないよ。。ちゃんとした人間になるために、産んだんだからね。」
まあ、あらゆる言葉を駆使して、言葉かけをしないといけないようです。
つーと言って、カーとぜんぜん行かない子供たちです。ほんとに疲れます。
日々、成長したようで、あぜんとするような失敗をしてくれるげんちゃん。もう、そろそろ観念して、プラス方向へ、エネルギーをなだれこませてほしいです。
それから、前回のブログで書きましたが、げんちゃんをコンサートのあと、清塚さんのサイン会に参加させたことは、失敗だった、とS先生に教えられました。
げんちゃんは、素晴らしい演奏を、意識にとらえて、あれこれ考えるレベルから、オーバーランしてしまって、ただ、感情でつかんで、舞い上がって終わり、となったそうです。
もし、サイン会なしだったら、もっと演奏会のことが、細かく心に落ちてくれて、持続性もあったのだとか。
この子たちは、なんにおいても、”いきすぎたらだめ、”なようです。冷静さを失わせないことが大事なようです。
自分の世界観につっぱしりやすいし、感情に走りやすいし、げんちゃんに関しては、すぐに捨て去りやすいし・・・・
何事も寸止め・・・・・そういう感じのようですね~。
確かに、先日テレビで見た、発達障害のピアニスト、野田明日香さんも、ご飯の時間も思い出せないほど、ピアノを弾いてしまう・・・と言ってました。普通の世界で生きていくためには、やはり、寸止めして、ちょっと自分を見つめるたり、冷静にフィードバックしたりすることが大事なのかもですね。第一、やれてるからいい、と思ってみても、やりすぎて、あとにどか~んとマイナスがくることも多いはずです。
げんちゃんは、コンサートのあと、二日間は、ややプラスに暴走し、その次の日、今までにないような、へんな放心状態がやってきて、前二日を帳消しにするような感覚でした。
人生は、たんたんと、がんばっていかねばならないわけで、落ちたり上がったり、ジェットコースターのような極端なところに走りやすいわが子たちには、ほんとに、限りない知恵と技がいるんだな~と思います。
まさに、私の発達育児は、ほんと佳境にはいってきたな~・・・・です。発達育児の奥義・・
秘伝の技のかずかず。マスターして、公開できるといいですが~・・・なんせ、道は険しい!(笑)
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言葉掛けは、とても大切だと私も感じていて、roboには小さい頃から気を付けて声掛けをして来ました。
厳しく反省を促しながら、ヤル気を引き出す。気持ちを鼓舞しながら、自信を持たせる。などなど常に脳をフル回転させて、効果的な言葉を選んで声掛けをして来ました。
なんとなく、感情的に、ということは、この子達には許されないな、という気がしています。
言葉の背後の意味が理解できなくて、言葉の意味をそのまま受け取ってしまうからです。また、言霊ということが言われるようにネガティブな言葉を浴びせ掛けて育ててしまうと、その子の精神世界に暗い影を落としてしまうと考えていたからです。
親子の信頼関係を築くためにも、どんな言葉を掛けるかは、とても重要で、特に思春期以降の関係において、その真価を発揮して来ると思います。
ただほめる、というだけではなく、S先生がされているような子供を納得させるような言葉掛けは、より大切だと思っています。
その根底には、子供を一人の人間として認め、尊重する精神があると私は考えています。その人格を大切にされて育った子は、気持ちが安定し、自分を正しい方向に生かして行こうとするようになると思います。
そのことの方が、定期試験の取り組みよりも、まず優先されるべきで、その後に定期試験や習い事などの取り組みをのせていくと、より効果的に子供を成長させられると思います。
ロボママさん
ロボママさんの声かけは、いつもお上手ですよね~。
私は、あまり上手ではありません。でも、ノウハウだけでもなくて、やはり、心の波動というのは、人に伝わるので、パーフェクトでなくても、お互い育っていってるんだな、と思うとこもあります。
神さまは、足りない私にいろんな人を備えてくださっているんでしょうね~。ロボママさんはも含めて。
いつも感謝してます。
しっかし、こいつは、ほんと頭きますよ。
ただ、前向きなエネルギーをちょこっと出すだけでいいのに、なんで、ここまで逃げるのかな~と思います。
逃げる態度というのは、目に見えるものは、減ってきてますが、心が逃げてる。
私も、Sさんもだまされません。
いけよ~。いけ!いけ!
ってかんじ。
なんか、逃げ腰で言い訳ばかりで生きてる選手に、かついれる監督みたいな気分ですね。
ほめるだけでも、すぐにのぼせる。叱れば、蓋をしめる・・・
げんちゃんは、この大物ぶりを、良い方に発揮すれば、こわいものなしだろうに・・・と思います。
まあ、確かに、テスト勉強は、形としてやはり、やるってことにしないと、そこでまた、逃げ込むことに味をしめますから、それなりの形だけはさせてます。でも、確かに、優先順位の低いところにもっていっていいんだと思います。
こっちもめんどくさいので、基本どうでもいいや・・・というとこにいます。身が持たない・・・
この、一見わからないけど、はげしい”いやいや”は、げんちゃんの強さの裏返しでもあるように思ってます。
プラス転換したら、・・・という親バカな期待感もあるんですよね~。
親って面白いと思います
言葉掛け、本当に難しいです。
よく、長いお説教は良くないと言われますが、
げんちゃんのオーバーランの記事を読んで、お説教もやり過ぎずに余韻が残る位で止め、心を動かすように働きかける事が肝なんだと気付けました。ありがとうございます😊
でも、それが本当に難しい…。
我が子ながら、まだまだ何がどうなっているのかよくわからない事があります。
意識メーターのようなものを感じ取る事の出来る、S先生のような方は何という能力なのでしょうか。本当に凄いです。
いつも貴重な話を記事にして頂き、ありがたいです。
これ以上はオーバーラン!という何か目安になるようなものがあれば良いのですが。。。
かめちゃんの場合、話が始まると3秒もせず、ガサゴソし始め、ブツブツと自分の世界へ逃避する事もあります。
そもそも聞きたくないという事のあらわれなんでしょうね^_^;
かめちゃんママさん
そうなんですよ~。まさか、サイン会が、すべてを台無しにしたなんてこと、誰も想像できませんよね~。しかし、のちの行動を見てると、なんとなく、そうなんだ~、と思えました。
残念ながら、私は、S先生曰く、大筋では間違ってないよ、と言って下さったので、詳細を、こまめに先生に聞いています。
できるだけ、記事にしていこうと思って、時々録音させていただいていますが、なんせ、ちゃんと理解して書けるまでになるには、私の能力が未熟すぎます。すみません。
子供の行動が何に由来するか、しっかりわかれば、おのずと言葉かけも上手になるんでしょうけど、ほんと難しいですね~。
なんたって、生態が、げんちゃんは、ぜんぜん違いますもの~。
それと、本能的なものが、どうしても優先しますから、そこを、理性で動けるようになるためには、あらゆる働きかけがいりますね~。 1
こちらは学年末テスト10日前くらいです。
上がったり下がったり、ほんと大変ですよね。私の気持ちも上がったり下がったりしています。小学校とは比べ物にならないくらいのプレッシャーです。
このまま苦手な勉強を無理やりさせることの意味を考え始めたりしています。
年に5回の定期テスト、長期休暇の宿題、長期休暇明けのテスト、市主催の実力テスト…
これらの度に、好きではない勉強をさせ続けるわけです。
逃げだと思ってたんですが、泣いてしまったんです。なんだか追い詰めていたんですかね。
S先生だったらなんておっしゃるでしょう?
狡猾な逃げではないような…。
点数とか評価とか気にしてはダメなんでしょうね。評価のための勉強ではなく、本当の意味での勉強を改めて考えなくては…と感じました。勉強させればさせるほど嫌いにさせてるような気がします。どうしたらいいのかなぁ?
ゆうママさん
中学のテストは、目的ではなく、一つの手段と思っているんですよね。
げんちゃんが、がんばることを覚えたり、忍耐することを覚えたり・・・etcいろいろあります。
でも、時に、目的になってしまいがちですね。ほんと。
今回のテストは、一応、取り組ませてみてますが、げんちゃんの精神状態が、あまりに自己中で、わがまま、逃げ逃げ逃げ・・・なので、手段として使うのは、ちょっと厳しいな、と思い、ほんとに、どうでもいいや、という気持ちです。
まったく結果など求めるだんじゃない~。これを、どういう風に手段として使うのか・・・、あと1週間ですが、日々、格闘でした。でも、ここまできて、今回は、それ以前の問題が相当手ごわいので、テストを手段として用いる前に、日々、あれこれ、げんちゃんにふりまわされたり、こっちが戦ったり・・・と、大変です。
テストをどんな風に用いるか、というのを、しっかりすえていないと、そこの部分で、すごくふりまわされやすくなりますね~。
私は、内申とか、点数とか、どうでもいい、と思っているのですが、意識をいれず、抜いて、がんばらず、それでいて、私や先生に依存して、それなりの結果だけ、享受しようとする、(つまり、自分は、普通クラスにいるんだ、支援の子ではない。とかいうばかばかしいプライド)それは、許さない、と思っています。立ち向かわず、逃げ続けた結果で、テストがわるいのであれば、やはり、頭に来ますよね。できるはずのものを、あえて、逃げて気持ちを入れない・・・ここだけは、誰しもが、頭にきます。
泣いてしまった・・・これは、どこに由来するのか、っていうところですよね。げんちゃんも、やっと昨日泣きごました。うちの場合は、”やっと泣く”、そんな感じで、泣くことさえ、思いつかないほど、今までは、心が動きませんでした。やっとその気持ちを握った、というところです。やらなきゃ、という気持ちと逃げたい、という気持ちが錯綜しているのでしょう。でも、そろそろ、やってみるか~くらいになるべきなのに、まだ逃げている。
人として、ほんとに育ってほしいです。
S先生にお子さんのことを聞いたので、もしよかったらメルアドください。