ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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本質改善の旅 あるタイプの子に 好きなことだけさせる怖さ

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げんちゃんの本質改善の旅は、まだまだ続きます。

げんちゃんの、自分勝手に、好きなところだけに気持ちを入れて、やりたくないことは、蝋人形みたいな心で、適当にやってりゃいい、という傲慢さを治すのは大変なことです。

かなり能力が上がっていると思うのに、適当にやってりゃいい、という本質が顔を出すと、能力が上がっているなんてぜん全思えないようなひどいありさまです。

最近は、ちょっとしばらく、日曜日、がっつりついて学習を見ることをやめていました。

げんちゃんはそれをいいことに、自らの日曜学習スタイルを確立しそうになっていました。
さすがにそれでは、ずるいげんちゃんを確立するだけになってしまうので、しかたなく、最近は少し見ています。

げんちゃんが最も抜くのは、算数。ずるくて狡猾で、しかも抜けまくっている狐みたいに、げんちゃんは、算数のプリントに向かいます。

見ていると、げんちゃんは、適当にでっちあげます。

角度を計算する図形の問題がありました。紙を折ってできる角度を踏まえて、聞かれた角度を解く問題でした。折った部位は、もとの形と線対称になるので、その部分の角度が自動的にわかる、まあ、そういう条件を使う問題でした。

ところが、げんちゃんは、折った形が、やや直角三角形に見えたら、適当に60度と書き入れたのです。

また、適当にやってりゃいいや。そこら辺の数字を持ってきて、なんとなく、仕上がった形になればそれでいい。

げんちゃんの、最も愚かでずるい行動が出ます。


私がつぶさないといけない行動や思いは、ひたすらそこです。

彼が間違うのは構いませんが、考えたわけでも、根拠を求めたわけでもなく、ずるさを爆発させた行動は徹底して糾弾します。
私がきつく指導しても、聞いてるふりだけして、その場をやり過ごそうとします。ほんとにあらゆる狡猾な行動をとってきます。

それに対峙するのは、ほんとに魂をすり減らすようなエネルギーです。

しかし、もしそういうことを許すなら、げんちゃんは、ずるくて周りをふりまわす人生にとどまると思っています。こっちも必死です。


先日、親戚が来て、げんちゃんとずいぶん交流しました。げんちゃんは、いつになく、饒舌に話をしていました。中国語はどういう作りになっていて、どのように面白いか、そんなことを話していました。当然のことながら、子供相手で、相手は、げんちゃんをどんどん持ち上げてくれました。

さあ、その翌日の日曜日です。

落ちた落ちた!

げんちゃんは、自分の中で、中国語は自信をもっているようです。別に中国で使えるほどのものでもないし、普通の学校の同級生だったら、少しエネルギーを使えばできること、なのに、すべてのジャンルできてるくらいの気持ちになっていることがわかりました。


S先生曰く、1000個のうち、999個できないのに、1つできたら、それで、すべてやっていけるくらいのメンタルに陥っていたのかもしれません。
算数の問題なんて、別に適当にやっても構わない。げんちゃんの心の奥底の潜在意識が、はじけます。


その結果、絶対ありえないような、意味不明のでっちあげが、真顔で行われました。

私は、渾身の力で指導します。この適当な行き当たりばったりの思い付き行動は、徹底的に排除しないといけません。
抜いているげんちゃんは、ほんと動物みたい。ある時は、動物の調教師みたいなことも必用です。
格闘のすえ、少しげんちゃんが回復します。

「ぜんぜんやる気がないことがわかった。
逃げてばっかりいる。」

げんちゃんが神妙に言います。

ただ前向きにがんばろう、とすればいいことなのに。

普通はここであきらめて、好きなことを気ままにやらせ、一生そのかわり、福祉や、家族のおんぶにだっこの囲いの中で過ごさせる人生を送る,発達障害の方もいるのかもしれません。
そうなると、彼をささえる親兄弟、負担はかなりになりますね。

人としてのずるさだけは、しっかり矯めないと・・・・我が家では、お姉ちゃんが親亡きあと、かぶってくるにちがありません。

算数は、げんちゃんのずるさを知るバロメーターでもあります。

結局、気持ちを入れれば、たどたどしくはあるけれど、段取りも踏めるし、けっこうな知識も入っていることがわかります。まだまだ、げんちゃんとの攻防戦を続けないといけないようです。

私の日曜日はいつ来るのかな~・・・と思います。


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  1. natumikan_123 より:

    サカナくんタイプだと好きなことを追求しながら、そこを切り口に他へ繋げていったり発展させていき、自分の外側の世界へ道を切り拓いていけるのでしょうね。

    以前、働いていた高齢者福祉の世界に60代の知的障害の方がおりました。その方はいつも本人が好きだという歌手の動画を見せられていました。

    文字の読みはできる、書くのは取り組まないけど出来そう、数も数えられる、やる気がないからわからないけど一桁の計算ならできそう。ハサミやのりを使うことができる、タオルやエプロンもたためる、食器洗いなど生活に関することならできそう。

    私は本人が好きか嫌いか関係なく出来る作業を色々提供したりして関わりを探っていたのですが、他の職員は「この作業好き?嫌い?嫌いなんだね!やりたい?やりたくない?やりたくないの〜。」と言って、「嫌いだからやりたくないって〜。」と言ってやめさせてしまうのです。その職員は「楽しみとか達成感とか持ってもらいたいよね。」というのですが、やはりその段階にいないのに、本人の選択に任せるのはまだ早いと思った出来事です。

    嫌いな活動だとしても、心を使って丁寧に集中してハサミを使って線に沿って切ることが出来ていました。終わると「終わった。切った。」とこちらに働きかけてくれます。自分だけの世界で完了する音楽動画を見てるだけより、よほどいいと思うのですが…。ご両親を始め周囲が丁寧に関わりをして本人も努力してきたのだろうなというのが垣間見える方でした。作業の時は仕事が丁寧で気を配っているのがわかります。年齢を重ねたら辛いことをもう積み重ねなくてよいなんてこと、私は思えません。福祉の世界の甘さというか間違った認識を目の当たりにしたことでした。

    げんちゃんママさんは発達育児の先頭を歩いていますね。行き方はそれぞれ違っても、ここを目指していけばいいんだと、後から歩んでいる私などはとても安心感ですし、いつも明るくエネルギッシュな様子にパワーをいただいています。ママさんの素敵な日曜日が、もういらないって言いたくなるくらい後からどっとやってくる日を私も待ってますね。 1

  2. ここあ より:

    娘も似ています。中3なので受験に備えてリモートが多く、進路が決まってしかも特学の娘は自習ばかりなのて、5時間私がついて学習をさせています。基礎的な問題集をさせていますが、適当さにイライラします。できるできないの前に取り組む姿勢ですよね。考える、思い出す。なぜしないのでしょうか。時間も体力も使って教えているので本当にがっかりします。

    楽な事だけをさせて苦手な事、嫌な事はさせないというのが特学の基本です。情緒の子や繊細な子は親に「嫌だったけどさせられた。」と言って、親から先生に「無理はさせないでください。」と連絡がきたりするので、先生も葛藤されながらの対応になります。情緒や繊細な子は中学生くらいから変わってくるのでそれまでは好きな事だけさせていて、学校に来ればよしとしていてもいいのかもしれませんが、私は疑問を感じていました。
    私は支援員を長くしていたので、子どもたちにも「できないとしないは違うよね。」とか「勉強は自分の為にしてるんだよ。」とか「すぐに分からないって言わないで考えてごらん。」とか言ってましたが、毎年変わる先生たちは先生と子どもたちがお互いに慣れるのに時間がかかってしまうので、関係性ができないのもよくないと思います。 1

  3. ここあ より:

    医者の言葉かけや特学、療育の体制や考え方が変わらないと、本当はもっとできる子どもたちが福祉の世界でしか生きれなくなってしまいます。少なくとも私がみてきた子どもたちは娘よりも能力や意識が高い子どもたちでした。タイプは違いますが、その子の本質を変えるような事ができるといいのにと思いますが、今の日本の障害児教育のままでは無理で、そこに気づいた親がやるしかないのですよね。 1

  4. ゆうママ より:

    この子たちに対峙するエネルギーはすさまじいですよね?私の気力、エネルギーがすり減ってしまい、この一年間は本当にゆるゆると過ごさせてしまいました。
    高校の学習はiPadを使ったものが多いのと、課題も全てその中で完結しているようで、私が介入する余地がなくなってしまい学習もほぼ本人任せ。息子の高校の学習内容が簡単なので(それでも三角関数や二次関数なんかもやっていて、数学が1番ましです)なんとかなってます。世間では通用しませんが…。かといって大学を目指す塾に行かせるわけもいかず、適当に流してる毎日です。せっかく二人三脚で頑張ってきた学習なのに、何を目標にしたらいいのか…ちょっと燃え尽きてる感じです。
    学習は意識をいれる練習だと思ってやらせるといいのでしょうか?
    学習の苦手な子たちが通う高校なので、卒業したらみんなどうするのかな?と思います。学力の低い子、発達障害の子たちが自立した生活をできる社会なのでしょうかね? 2

  5. glow-gen より:

    夏みかんさん
    福祉施設のお話、ほんとにそうですよね。知的障害者、イコール、何もできない人・・・可能性のない人たち。そうくくられていますよね。
    私も、最初は、なんとなく、ステレオタイプにそういう感じを持っていました。でも、それぞれの人生のチャレンジ内容が違うだけ、と今は思っています。
    自分のチャレンジテーマから逃げまくるげんちゃんに、しっかり人としての生き方を教えるのが親としての私の務め。そう思っています。
    医者や福祉に携わる人の方が、ステレオタイプに思い込んでいる人も多いのかもしれません。その中で、障害者も全く同じ人間で、銘々のチャレンジをするのがあたりまえ、という考えを推し進めると、案外バッシングされたりするかもですね。
    アメリカなんかの方が、もう少しまともなんじゃ~、と思っちゃいます。どうなんでしょ。

    さかなくん、あれを見て、好きなことだけやらせて伸ばす、と勘違いしたらやばいですよね。さかなくんは、気持ちめちゃくちゃ入れて、追及してますからね。逃げにそれを使わないし。
    普通の子でも、嫌いな教科はやらない、好きな教科に逃げる、ということもあります。最近げんちゃんが週一行きはじめた塾の先生は、そういうのは厳しく指導していました。それが人の道ですよね。

    発達育児の先頭・・・ありがとうございます。道なき道。
    発達の本をあさってみたけれど、思ったような本がなくて、自らやるしかないですよね。
    目指すところは、人の道ですね。 2

  6. glow-gen より:

    ここあさん
    なぜ、でたらめでもへっちゃらなのか、真意がわからなくても平気なのか・・・彼らってほんとに意味不明です。
    的の真ん中をつかみたい、という思いがなぜないんでしょうね。
    外側をつかんで、的の真ん中にいる気になっています。
    気持ち悪くない、ということがほんとに困った問題です。

    気持ち悪い・・・という感覚をつかませたいです。

    うちのスタッフのダウン症のお子さんは、施設にいますが、障害認定を受ける時だけ、しゃきっとなるのだそうです。しゃきっとなって、普段できないことができたりするので、認定レベルがあがって、もらえる支援金が少なるのだとか。
    それを聞いて、ほんらいできることを、日常ではやらないんだな、と思いました。
    日常では、自分に圧をかけないことさえ、自ら気づいていない。それがずっとあたりまえですから、気づけるはずもない。家に帰ったときは、かなりわがままなのだそうです。
     寄り添う、と言う言葉は好んで用いられますが、ほんとの寄り添うとは何なのか、もっと考える必要がありますよね。

     わがままを通すというのと、寄り添うと言うのは違います。人間には、どんな人にも可能性がある、ということを知ってほしいです。
    げんちゃんだって、今の彼は、考えてみれば奇跡ですよ。
    もっともっと伸びると信じています。 1

  7. glow-gen より:

    ここあさん
    支援員さん、今もされているんですか?
    子供たち幸せだと思います。
    親が無理させないで、という人は、私のまわりにもいました。
    中学では、相当落ちていました。
    親が一生面倒を見て、あとは彼の兄弟がそれを続けるのかもしれません。しかし、スタートは、げんちゃんよりできていました。
    人は、障害児も含め、努力を惜しめば落ちます。キープということはありません。普通の人もそうです。そういう、人生に対する指針が希薄なのかもしれません。生きることへの哲学がないと、なかなか障害児は育てられません。 1

  8. glow-gen より:

    ゆうママさん
    高校になって、私も学習はぼちぼちです。
    学校のカリキュラムがゆるいので、げんちゃんのやるべきことを優先してます。
    と言いたいけれど、時間があっという間にすぎて、何をやってんだか、と言うことも多いです。
    友達作りや色んな経験も、できていないように思います。
    やっていることは、とにかく日々の生活で、暮らしの自立を目指しています。
    アイロンかけや、洗濯の一連。服をたたむのも。布団をあげる。料理を作る。キッチンを片付ける。風呂洗い。
    家族は、みんな、げんちゃんに言いつけてやらせるようにしています。あなたは、我が家で、相当みんなのお世話になっているんだから、家事はあなたの仕事・・・そんな感じです。シンデレラげんちゃん。お茶はみんなの分を入れるようにさせています。笑
    アイロンかけは、自分のカッターだけですが、できるようになっています。あれは。気持ち入らないと、めちゃくちゃになりますから、ある程度気持ちを入れられるようになってるんだな、と思います。

    でも、ドアは開けっ放しなど、油断すれば、崩れまくります。それを毎回毎回指導して、そこに気持ちを持って行くようにしています。
    学習はぼちぼちです。ひょんな縁で、土曜日に塾に行きはじめました。そこでは、1対数人の家庭教師みたいなかんじで、色んな学年が自習しながら、見てもらいます。
    小4の課題をやっています。まわりには、同級生もいるので、刺激になります。そこでもよく抜いているので、恥をかかせてもらっています。めずらしく、あずけてもいい芯のある先生。
    学習というより、学習をとおして、心をとにかくまともにさせようとしているのかもです。
    だけど、そう簡単にはいかない。カメ以下の歩みではありますね~。(´;ω;`) 1

  9. glow-gen より:

    Mさん
    確かにプーチンさん、発達なのかもですね~。サイコパスの発想になりやすいですからね。
    それにしても、時代の潮目になりそうでこわいです。ウクライナ問題は・・・
    日本・・他人ごとではない。
    お嬢さんは、友人関係がんばっていますね。ソーシャルは、なかなか教えられるものでもなく、そばで一つ一つ導くわけにもいかないので、なかなかひとっとびで行かない課題ですね。
    グレーのお子さんで、普通っぽくて、友達も普通にいる子がいます。その子は、傍から見たら、苦労していないように見えて、普通の友達関係をきずくためのエネルギーが、はんぱないようで、時々自滅しています。
    まわりからは、嫌われていないのに。それをするためのエネルギーはすごいのだとわかりました。
     また、通信に行っていて、一人で家にいて平気な子も知っています。彼もややグレーかな。母親が、一人で平気でたんたんとして勉強していられるのが不思議、と言っていました。
    友達関係は、うまくないうまい、というのと、気にする気にしない、という二つの枝がありますね。
    げんちゃんは、うまくないですが、気にしない。お嬢さんは気にする。のでしょうか。

    性格の違いでしょうか。気にしない方が楽ですが、なかなか改善もしにくい。マイペースです。それぞれ指導のツボがちがう。繊細でないのはある部分は楽ですが、そもそも気にしないので、改善しようと言うモチベーションがない。

    げんちゃんも、それなりに、話しかけるのを躊躇したり、それなりには気にしている、という感じもします。ずっといっしょにいますが、げんちゃんのまだまだよくわからない謎の部分はたくさんです。 1

  10. ここあ より:

    支援員は辞めました。娘の高校探しをするのと、支援員には資格がいらないので色んな方がいて、発達障害ってなんですか??みたいな方や、自分の好みの子供にだけ親切にしたりとか。。ひたすら言うことを聞いてしまうとか。。そんな新しい人に教えてくださいと言われて色々説明したり、『これって先生の仕事ですよね??』ってことをしていたり。。。でも退職金も昇給もないので『なんだかな。。』と思ってしまって。でも子供達とかかわることは好きなのでこれからもかかわる仕事をしたいと思っています。あと何年働けるか分からないですけど(汗)
    社会福祉士とかの資格があればもっと親御さんともかかわれるのにと思いますが、大学に行かないととれないので。。。

  11. glow-gen より:

    Mさん
    げんちゃんからすると、周りの人の立ち位置になりやすい、ということなのでしょうか。
    発達君のあるお子さんは、相手の立ち位置にはなれない子もいます。そういう子は、向こうからのアクションがあるときに、落ち込んだり、怒ったりしますね。
    それを考えると、意識障害がげんちゃんなんかより少ないのでしょうかね。でも、繊細に反応するのは、とても苦しいでしょうね。
    知り合いの方は、グレーと母親や私は思っていますが、まったく周りに溶け込んでいます。そのぶんきついんでしょうね。反応するように体ががちがちで、すごく苦しいようです。
     繊細なお子さんは、白と黒の黒を見がちなので、白の方を見るようにアドバイスする、とS先生は言ってました。冷静に白の数を数えさせる感じでしょうか。
    げんちゃんの場合は、とにかく、黒を強調して見せるようなあんばいです。理論的にまずは、分解し、白が多いと理解しても、気持ちがおさまらない、と言う部分は、治さないとだめでしょ。とわりに冷たく乗り越えさせる。
    気にしないで、と言ってもきななる部分は、やはり課題ですよね。黒白違っても、ある意味同じ部分がありますよね。

  12. glow-gen より:

    ここあさん
    支援員さんやめられたんですね。
    ほんと、国の緊縮財政は、体よく、教育さえ、切り捨ててますよ~。
    もっと待遇をよくして、子供たちに良い人材が与えられるようにしたらいいですよね。確かに、長く務めるのに、昇給や退職金ないなんてひどいです。
    それに確かに、支援員さんに本来上がする仕事を押し付けるのはよくないです。やらせるんなら、待遇ですね。
    この国のけちけち財政は、あらゆるところに齟齬をきたしてる。ここあさんは、ノウハウがいっぱいあるから、個人塾をして、発達のお母さんやお子さんを助けてあげたらいいですね~。ニーズありと思います。
    困っている人はたくさんです。
    でも、子供にお金をかけて、なんとか改善させたい、と言う人になると、結構少ないのかな、とは思います。知的障害イコール望みがない・・・そう教えられますからね。ほんとに困ったものです。

  13. robo_223 より:

    前回の記事へのコメントにも書かせていただきましたが、げんちゃんママさんは着々と発達育児に取り組み、駒を1つ1つ進めていらっしゃいますね。

    私は最近、自己嫌悪に陥り、発達育児は滞ってしまっていました。しかし、少しずつ回復して来て、通常営業に戻りつつあります。本調子が出るのには、もう少し掛かりそうなんですが。

    げんちゃんママさんが以前も指摘して下さった通りroboの場合はげんちゃんとは逆で、1出来ないと残りの99も出来ないと思い込んで、著しくパフォーマンスが下がる傾向にあります。本当にこの子達の認知の歪みを改善する旅は永遠のようですね。

    私は少し失速してしまっていましたので、また、気持ちを持ち直して改善に至る旅を続けて行きたいと思います。

  14. glow-gen より:

    ロボママさん、
    コメント気づかずすみませんでした。
    前のコメントのレスにも書いたのですが、ロボママさんは、ロボ君が、ある程度進化して、ほんとに、自分のことに目を向けることができてるな、と思いました。
    ロボママさんの記事を読みながら、旦那をはじめ、男性に対する自分の立ち位置というのがありな~と思いました。
    私は、でしゃばってくる男が苦手で、ナイーブで、自分の世界を持って、たんたんとしている人が好みみたいです。パートナーにはってことですが。
    自分でさっさと決断してしまうようです。
    さて、ロボ君は、確かにげんちゃんとは反対、すべて黒に見えちゃうんだと思います。
    黒に見える子、すべて白に見える子、指導は真逆です。
    でも、認知の異常という点では同じマイナスです。
    げんちゃんは、落ちたりしながらも、峰はあがっています。ただ、学習はほんとに進まないです。
    アイロンかけができるようになったり、お洋服たためたり、ちょっと周りの人に気遣いができたり、ぱっと見に、異常がわかりにくくなっています。
    もちろん、深く接すると、とんちんかんは明らかですけど。
    最近はいったスタッフが、どこが障害なんですか?わかりません。と言いました。
    ちょっと表面だけのあいさつや会話ではげんちゃんまぎれているようです。コツコツ教え込んで、挨拶や、多少のマナーは昔よりましになっています。

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