ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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感情と思いは違う。”思い”でてこ~い!

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前回のブログを書いて、もう一度見て、
は~、げんちゃんは、かわってきてるんだろうな~と思いました。

ブログでげんちゃんがこう言った、と何気に書いていますが、自分のことをこんなに内省的な言葉で表したのは、たぶん、生まれて何度目かのことなんではないだろうか。初めてかもしれない・・・・・・・(少なくとも、前回のような言い回しは、絶対初めて!)


もしかしたら、○○と言った、と書いてある過去のブログはたくさんあるのかもしれませんが、トピックになるほどのものだから書いたのだと思います。それほど、げんちゃんは、何も自分を表現しなかったです。
もちろん、物心ついた頃からです。衝動はありましたけど。

しかし、ごくまれに、ぱっと気持ちが入って、びっくりするような気の利いたことを言うことがありました。なんかの拍子に、ぱっと意識が覚醒するような感じです。
そういう言葉がまれに出ると、感心して、ブログに書いているので、げんちゃんは、常にそういうことを言っていると思われているのかもと、ふと思いました。

残念ながら、一瞬の稲妻です。

稲妻のあとは、また深い沼に落ちていきます。

落ちれば、その気の利いた短い言葉は、空に消え、何かを次に紡いでくることはありません。

普段は、

「今日は天気いいね。」
とかそういうたぐいの、単純な会話を、ぼそっとして終わりです。

心をかたく封じ込めた鉄の壁は、少しずつは溶けていると、S先生が言ってくれるます。確かに、稲妻の頻度は、少しは増え、光も強くなっている。

ただ、その溶けるスピードはたまねぎの皮が、外側かわいて、ぺらっと薄くむけるようなもので、気の遠くなるような悠久の時をかけて・・・そんな感じですね。

よくもまあ、一つ皮をむくために、絶望もせず、コツコツ働きかけを繰り返してきたものだと思います。



ブログを読んでくださる方は、私が書く、げんちゃんの言葉を、普段すらすら出てきてる言葉の一つと思うかもしれません。
しかし、
~と思う、なんていうげんちゃんの言葉は、1年に何度聞けるかわかりません。

物事をつなげようとする気持ちも弱く、流麗に自分の心を表現するなんて、まったくなかったです。

私が厳しく育てたから、げんちゃんには、あ~したい、こうしたいがない、と、げんちゃんと接する人が思っても、それはむしろ、当たり前だと思います。
そもそも、あ~したいこうしたい、がない子なんていないからです。

しかし、げんちゃんは、それがなかった。彼にあるのは、ただその場の思い付きと衝動だけでした。

今更ながら、げんちゃんの障害のひどさを思い知ります。

なんとなく、ぼんやり、存在している世界。この世界をげんちゃんは、そのようにとらえていたのではないでしょうか。
何をしたい、あーしたい、こうしたい、というのは、そもそも、何をすればよいか、と言うことの判断があるから起こることなんだろうと思います。こうすれば楽しい、あーすればこうなるからうれしい。

そういう判断の材料があるから言えることだと思います。しかし、なんとなくぼんやり存在している世界に、そんな明確なリアルな存在物はない。そういうことではなかったかと思います。

深く深く湖の底に眠る”思う”を探して、どれだけ刺激したことか。

なぜ強く言わざる得ないか。心を動かすことができなかったからです。

刺激が強くても、げんちゃんは全く動かないですから、少々の圧ではだめなのです。ぼんやりただよっている人に、大声でよびかけないと、気づいてくれないのです。

そして、放置すれば、沼の底で、静かに、何もない世界にもぐり、沈黙と死と同様の世界に自分を同化させる。げんちゃんがいるのはそんな世界だったと思っています。

好きなことをさせたらよかった・・・?

残念ながら、彼を放置すれば、その世界に落ちていく。彼の”好き”は、”思う”を紡ぐ世界ではなかった。

好きなこと・・・そういう世界を作るための足掛かりさえないのだから。ただ、ぼ~っと意識低下した世界で、彼のもとにあるのは、ただ、楽なこと、快不快・・・それがあるだけ。好きなことというのは、もっと、心を使う世界です。思うがなくて、快不快、情動だけをふくらませていけば、取り返しがつかないことになります。そこを、明確に判断するようにしてきました。

IQ低かろうが、体の不自由さがあろうが、あーしたい、こうしたい、という”思う” という明確な意思。それがあるお子さんは、私からしたら、エリートでした。
支援学校に行っていたひさし君も、支援学校で不当な扱いを受け、その理不尽さに、怒っていました。その理由や意味をつかもうとしていました。

勉強はげんちゃんの方ができましたが、そんなの関係ない。彼には、立派な”思う”がありました。

げんちゃんが、6年生の時に、おくら納豆に対して、
「この食べ方好きじゃない。新しいのを持ってくる。」

と言ったのが、初めての、こころの言葉でした。自分の好みを意識してつなげました。そんなこと、3歳児でも毎日のように言うでしょうに。このげんちゃんに対するそもそも論がない違和感。普通の人に言っても、わかってもらえないのはよくわかるのです。

「何言ってるの? げんちゃんだって、○○と思っているわよ!」

ママ友が何気に言う言葉に、説明するのがめんどくさくて、笑っていました。
人格のある、血の通った、”思う” を、少し感じてきたのは、ここ1年くらいのことと思います。しかも、気持ちが入っているレアな時。落ちれば、また、かれは、心を沼に沈めます。

は~・・・なんかな~。

小学校上学年から、反抗期もどきのような時期もありましたが、思うというより、自分の情動、感情が炸裂していました。”思う”というのは、表面的な感情とは違います。感情はその場限りの表面の思いです。”思う”は深いところから出てくる理性です。(表現が微妙に違うかもしれません。言葉が見つかりません)


げんちゃん育児をして、

心の何層にもなる構造・・・時々S先生が説明してくれるのですが、(難しくてここに書くほど理解できていないです)そういうものがなんとなく、ぼんやりわかるような気がします。

”思う”は、感情や情動ではなく、魂のしっかりした部分から出てくるものだと感じています。

げんちゃんの発達育児は、感情や情動ではなく、”思う”を育てる育児なんだと思います。


げんちゃんの”思う”が、強く、しっかりしたものになってくれたら、げんちゃんは、大きく変わると思っています。

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  1. glow-gen より:

    Mさん
    いえいえそんな、・・・私は大きな気づきがいただけました。
    それに、今からは、少しずつ好きなことをさせる、というステージが出てくると期待しているんですよ。
    やっと、そのスタートにはいるな~と。
    今日も、来年の体験型選択授業を私に聞いてきたので、
    「自分で決めたら。」
    と投げました。そしたら、凄く困ったような顔をしたけど、
    料理の種類が増えたいから、レストラン体験」
    とか口走っていましたから、あ~やっと、自分の気持ちをとらえられるようになったんだな~、と思いました。(気持ちを入れているときだけですが・・・)

    好きなことをさせることができるお子さんは、伸びしろが大きいです。ただ、見ていると、感情で快不快の好きなことに走らせている親御さんもいるので、ちょっとあぶないな、と思うことがあります。
    それは、好き勝手させる、ということにつながるからです。げんちゃんも、あるステージまでは、それでしたから、とにかく、正しいことをこっちが選んで与える、と言うことに徹しました。

    ”思う”が出てきたら、げんちゃんが選んでいけばいいです。そのためのアドバイスを与えたり、なんか楽しそうですね~。
    お嬢さんは、そこに来てると思います。だから、ぐっと伸びた。すばらしいことですよ。
    それまで、好き勝手させず、しっかりお母さんが導いてこられたことが良い結果につながっていると思います。

    このあたりは、S先生のレクチャーがなかったら、たぶん、明確に言葉にできなかったと思います。
    彼にかかわってもらうようになって、色々言われることが、今になってそういうことだったんだな~とわかることも多いです。
     子供さんの意志を尊重して、ということが、わが子にできるのは、正しい思うができるお子さんです。
    この見極め、しっかりすることは大事だと思っています。できると思っている子でも、感情快不快、の主張だけしているときもあります。
    まあ、これは、普通の子も同じところがありますよね~。
    お友達のお子さん、IQは高いけれど、落ちてしまう意識の低さがあったのかもしれませんね。
    単なる知的障害と違うのが、発達障害だと思います。医学的にも、まったく本質がとらえられていない、と感じています。

  2. とんまま より:

    こんにちは。

    >今日も、心臓が痛くなるほど、疲れました。

    長年ブログを拝見しておりますが、今までで一番苦しまれていると感じました。
    16年間命を削って向き合われていて、もう削れないぐらいまで疲弊していらっしゃる。
    ママさんのお身体心配です。

    本当に一人では、やれませんよね。
    S先生はじめ支えてくださるチームがいてここまで来れたのですよね。
    私たち親の相談相手になる方、重要ですよね。
    長く伴走してもらいたいのですが、なかなか。

    とんちゃん、どうやら卒業することを実感してきたようです。
    (レベル低いですが…)
    慣れ親しんだ先生お友達と離れるのが寂しいという気持ちになっているようです。
    そういう感情は持っているのだなと。
    人間に対しては、そういう気持ちが持てるのかもしれません。

    「鏡を見る」ということを最近させていますが、直視しませんね。
    見て、身なりが整っていないことを指摘します。
    髪にブラシをかけることすら、嫌がりますね。
    そもそも、ブラシをどう扱えばいいのかわかっていない…
    そこからかよ…本当に日が暮れますね。
    げんちゃんのように、本当に字面だけの行動ということが、我が家でも見られます。

    ママさん現在きついですが、踏ん張りどころなのかもしれません。
    本当にわずかながらも本当の気持ちが芽を出している、そんな風に思いました。
    心は存在しているとS先生が仰ってくださっているのですから、あるのですよね。

  3. とんまま より:

    最近、親戚の子のサクラサイタ便りを聞きました。
    〇〇になりたいとか、A大学の入試に落ちたらB大学を受験するから、塾の△講座を取らせてほしいとか、お友達たちと一緒に勉強漬けの毎日を送っていたとかなんとか。
    (長く会っていないので、とんちゃんが障害児とは知りません)
    キラキラ眩しく別の世界だなぁと思いながら聞いていました(普通の世界の話は久しぶりです 笑)
    普通の子って、すごいな。

    この子たちって、何を目的に生きているのだろうと。(普通の子も目標を持てない世の中になっていますが…)
    前回こちらのブログでそんな話をさせていただいたのをふと思い出しました。
    目的すら持てないというか、考えられないと。
    目的は持てない、じゃあ、何のために生まれてきたのか。
    何も感じようとしない、脳を使おうとしない、そんな状態なのに、なぜこの世に送り出されてきたのか、今を生かされているのか。
    そんなことを問答するここ数日です。 1

  4. glow-gen より:

    Mさん
    小学校の時に、乗馬をやりたいと言って、やらせなかったというお話、お子さんのモチベーションは、単に、馬がかわいい、とか、そういう表面的なことだったかもしれませんね。
    普通のお子さんは、そういう浅いきっかけでも、やりだすとどんどん深まったりしますよね。やってみると、そう生易しいものでもなく、最初のおもしろそうなんていうきっかけは、吹き飛ぶくらい、大変なものだったとしても、どこかで切り替えて、自分をアジャストできるんです。
    できない子はやめますが、無理してやろうとすればできないことはない。
    でも、その頃のお子さんは、そういう力がまだそなわっていなかったので、お母さんが、させなかったのは、正しかったのでしょうね。
    でも、大きくなって、やっぱりやりたいと思った時は、ベースの能力が上がっていて、やらせてもいいと判断で来たんでしょうね。

    それにしても、自分からこれをやりた~い、なんて、今までげんちゃんはなかったので、すごいな、と思います。
    絵画教室だって、別に行きたいわけでもなく、こっちが無理に入れているし、その中でま、いいんじゃない、程度のくいつきですしね。

    高校になって中国語の勉強は、はまるほどではないけど、自分で前のめりにやっていました。でもこれだって、アルゴリズムを深めるとこまではいかず、ちょっと好きだな、程度のエネルギーに見えます。
    これに似たことがあって、ロシア人の先生に体操を習っているのですが、そのせいで、片言のロシア語を知ったかぶりで言っていることがありました。
    これは興味があるからというより、人が知らないことを自分が知っているという、優位性に心を揺さぶられていました。
    どうも、中国語もそのきらいがあります。
    自分を高く見せたい、という気持ちのうらはら。
    S先生は、それを見透かして、「そんなのさっと終わらせて、○○しなさい。」
    と平気で切っておりました。
    まだまだ、こちらが目指している、深いとこからの探求心が出てきませんね。
    お料理あたりが、一番先に出てくるのかな~・・・

  5. glow-gen より:

    とんままさん
    ありがとうございます。ほんと最近は、心臓が痛くなるんですよ~。単に、年取って高血圧になったので、循環器系に興奮状態がよくないんっだと思います。
    げんちゃんに殺されないようにしないとと思います。昔より、物理的には楽になっているのですが、気持ちを抜いた時が、とにかくひどいです。たとえば、なんとか、小学校上学年雰囲気になっていたのに、行動だけ、いっきに3歳児くらいまで落ちたりします。
    上がってきているだけに、こっちのパニック状態はひどいです。

    普通の子はすごいですよね~。小学校6年のスタッフのお子さんの話を聞くと、ため息が出ますね~。
    でも、全く無の状態だったげんちゃんの内面を、一から作り上げているのなら、適当に仕上がっている普通の子もいるわけで、完成させられたら、本来のげんちゃんが輝くはず。

    そういう親ばか力でやっているところがあります。それを見てみたい、その一心かもしれませんね。
    ひっくり返せば、げんちゃんの一番のファンなのかもしれません。タレント発掘みたいな感じで、今は、イモ男だけど、磨けば、すごいものがある。どこかにわくわくがある。
    最近は、時々わくわくを忘れるときがあります。いろんなことが現実的になってきていますからね。
    でも、たまに、意識がびしっと入って、ほんとのげんちゃんが出てくると、おっと思うこともあって、あきらめず、やっていく原動力になっています。ただ、その頻度が少なすぎますよ・・・
    とんちゃんは、学校のこと寂しがっているんですね。げんちゃんと違うのは、この情緒的な感情ですよね。げんちゃんは、まったくなかったです。びっくりするくらい。昔の友達の話なんて、一度もしませんし。こっちが言うと、
    ああ、と言って、古~い箱から、そんなのあったっけ、くらいの感覚で取り出しますが、取り出し不能のことさえあります。
    その執着のなさは、うらやましいくらいです。

  6. glow-gen より:

    とんままさん
    そもそも論のないような子を送り込んできて、やれ、人として立派に育てろよ、なんて、神様は何を言っとるの!
    私は、神様にすごく怒っていました。あまりに、怒っていたら、S先生が与えられました。神様の回答なんだな、と思いました。
    自分がやれることはすべてやった、あとは、神様の責任ですよ~。と迫りました。自分がすべてやったと言い切れるので、神様にせまりました。ほんと、私はやれることをすべてやった感があるので、過去にもどっても、違うことはできないと思います。
    発達育児は、神との格闘でもあると思っています。 2

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