ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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的の真ん中に誘導してやる指導を、コツコツしています。

問題点の本質はいつも同じです。
そこの部分をほんとに理解して、指導できる人は少ないと思います。的の真ん中をつかもうとしない。それらしいことをなんとなくやって、自分ができていると勘違いする。

昨日こんなことがありました。
げんちゃんは、いつもお風呂を洗うので、洗剤がなくなったと言ってきました。

そして、いきなり、おばあちゃんに電話をかけました。
「おばあちゃん、お風呂の洗剤がなくなったので、買ってきて。名前は○○と言うやつ。」

え?

げんちゃんは、また私の頭越しに、勝手にやりました。
「ちょっと、待ちなさい。なんで、あなたが、勝手におばあちゃんに頼むの?」
「洗剤がなくなったから」
「いやいやいや。洗剤を管理して、買うためのお金を出すのは、誰なの?」

「あ、お母さん。」
おばあちゃんの行くスーパーにしか、カメの餌がないので、それは頼みます。しかし、私の頭越しにするのはおかしいです。洗剤はいつも私が買ってきているし、今までそんなことやったことはありません。
大学生のお姉ちゃんでも、おばあちゃんに頼むのなら、まず、私に、こう言うでしょう。

「お母さん、買う暇ないんだったら、おばあちゃんに頼んどこうか・・」
と。

げんちゃんは、自分がずれていて、すべての判断が、ちぐはぐだ、ということの自覚が少ないです。自分の世界観が別におかしいと思わないのです。だから、いつも、勝手に判断して、勝手なことを突然やらかします。今回は、ささいなことかもしれませんが、本質はいつも同じです。
そういえば、昔職場にもいました。
いつもずれていて、ほんとに周りが困ってしまう発達系のスタッフです。彼女は、いつも自信をもって、平気で自分の思ったことをどんどんやって、大迷惑をかけていました。

ピントがずれているので、指摘しても、的を捉えることができません。
とらえるどころか、表面的な言葉尻をとって、悪びれることもなく言い訳をしてきました。結局、的にはいきつかず、的はずれな質問をしてきて、最後は、指摘した人がすっかり疲れてしまうという有様です。

自覚がないのです。究極の天然。指導の仕方にポイントがあるのですが、周りのスタッフでそれをやってのける人はいません。

他にも失敗の多いスタッフというのは誰彼いるのものですが、その人たちの場合、的はあってるけど、勘違いしたとか、うっかり忘れたとか、本質が違います。

が、発達系のげんちゃんタイプは、自分の判断がそう悪いと思っていないので、その失敗の的をつかむことなく、失敗の外側だけ、インデックスしてきて、平気で、何度も似たようなパターンを繰り返します。

そういうパターンを抜け出すには、本質を改善する努力と並行して、とりあえず、自分はずれているから、人に聞こうという態度も重要です。確認した方がいいな、という慎重さ、謙虚さを身に着ける必要があるのです。
げんちゃんには、そう思って、いつも徹底的に、勝手なことをさせないように指導しています。
もちろん、まだ、主導権も持たせません。気持ちは聞いてあげますが、それはそれとして、優先するときは少ないです。彼らの気持ちというのは、まだ表面上の感情に過ぎず、理性で判断された安心できる選択肢ではないからです。

「なぜ、あなたは叱られたの?」

こういうことがあった日の終わりには、必ず検証です。よく的ずれしているので、後から聞いて、全く真意をつかんでいないことも多いです。何度も何度も質問して、指導されたコアなところをつかませないといけません。

そういう時は、以前の失敗とも関連させます。
以前、げんちゃんは、自転車のチェーンを買いに行ったときに、向こうに勧められた商品を勝手に予約してきました。翌日から使わないといけなかったのに、そんなことをすれば1週間鍵なしですし、お店の人との勝手な契約など、普通の子でも、勝手にやってはいけません。それを、勧められるままに勝手にやって、悪いとも思っていません。

「また、あの時と同じでしょ。げんちゃんは、いつも勝手に判断して、大人の許可をとることなしに、勝手なことをするでしょ。それは何に由来するの?あなたのどういう考えに由来するの?」
「え? あ、自分はできていると思っていること。」
「だよね。あなたは、まったく、まともなことはできていません。今、まともになるために、一つ一つ学んでいるとこでしょ。だったら、勝手に行動する前に、何事も、お母さんや家族、先生に尋ねるべきでしょ。お風呂の洗剤は、私のお金で買っているのよ。あなたが私の許可も得ず、おばあちゃんに頼むなんてやってはいけないでしょ。」
「うん・・・」

「じゃあ、どうするべきだったの?」
「それはなぜ?」
「なぜそのような行動をしたの?」
……etc

発達系のスタッフにしても、指導するときのコツは、質問することです。的の真ん中に行ってないことを自分で気づけるように、とにかく、答えを言って、そういうことをしたらだめよ。・・・ではいけません。(昔は、言葉を紡げないから、質問しても答えは出ませんでした。質問して、こっちが答えるパターンですよね。)

「なぜそうしたの? なんのため? 私は何をあなたに駄目だと言っているの? なぜあなたはそういうことをしてしまうのかしら? なぜだめだというわけ?」

そうしないと、すぐに、彼らは、問題を的の外に持っていきます。
職場のスタッフであれば、
「じゃあ、○○はしてはいけないってことなんですか?」
などと、的からずれたことで反論してきます。いや、そういうことは言ってない、などと、いらいらする議論が始まるかもしれません。

本質とはかけはなれたところで、話を始めるのは、そもそも何のためにするのか、とか、何がポイントなのか、とかの的がつかめずやっているからです。それらしいことをそれらしくすることで、本人は、やっている、と思っているのですから、かみあわないことはなはだしくなるのです。

まあ、しつこいくらいこうやって、的の真ん中に、彼を誘導するのです。普通のお子さんなら、考えられないような根気のいる作業です。

まだまだ、げんちゃんを手元においておかねばならないのは、彼を的の真ん中に誘導できる指導者がそうそういないからです。色んな経験を踏んでも、その声掛け、指導がなければ、経験が水に流されてしまうのです。
自ら、的の真ん中をつかめるようになってほしいです・・・

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  1. 夏みかん より:

    学んだことと自分が生きている世界と繋げて結びつけることが難しく、結果、学んだことが生かされない。トライ&エラーで何度も振り返り、繰り返し正しいことをインプットしての気の遠くなる作業ですよね。

    毎年ですが今年も夏休みの宿題を終えきれず、始業から10日たってようやくやり終わりました。
    毎日の宿題もなかなか取り掛かれませんし、スピードも遅いです。
    中学に入ったら課題が増えるので間違いなくやりきれないでしょう。精神力も体力もないので上滑りなことばかりやって、伸ばせるところも余裕がなくて伸ばせなさそうだなと感じています。
    そこで不登校を選択してフリースクール等利用するか特別支援学級に変更してもらうかなど今、検討しています。
    高校は色んな学科があったり学び方も通信制や定時制、行かなくても高卒の検定などありますし、もっと年齢が上がればもっと多様な選択肢があると思いますが、中学3年間が1番居場所に困るなと感じています。
    害のない存在なら良いけど、目につく、鼻につく、嫌悪を抱かれやすい特性を持っているので、いじめのターゲットになりやすいと思っています。
    何が息子にとって1番良い環境か考えているところです。 1

  2. とんまま より:

    こんにちは。

    自分ではまだ不完全だから、確認しようという慎重さや謙虚さは必要ですね。
    「なぜ○○なのか」という質問は本当にキツイようですね。
    普段から自分の内側の事を表出することを徹底して避けてきていますので、このような結果になるのでしょう。
    息子もまだまだこういったやり取りが必要です。
    昔のげんちゃんの言葉を紡げない状態です。

    職場のスタッフさんのように、的外れな質問すら、浮かんでこないようです。
    言葉にできるだけいいのかなと思ったりしましたが、変な捉え方をされても厄介ですものね。

    前回記事のダンスの話で申し訳ありませんが…
    げんちゃん、楽しそうですね。
    左右のずれを修正しようと自分で動いているなんて、凄いですよ。
    バイトの件もそうですが、げんちゃんは社会(というか大勢の他人がいるところ)に出て、研鑽を積む方が合っているのですかね。
    その方が早い気がしました。
    ジムですと、しくじった時の周囲への影響はあまりありませんものね。
    バイトはやはりお金を頂戴しているわけですからね。

    音痴というレベルにも達しないという状態、わかります!!
    ホント、そんな感じですよ。
    音痴になってもらいたいと思うほどです(笑)

    モーツアルトをはじめとするクラシックではなく、今風の曲を弾きたいのですね。
    ギラギラを弾きこなせるようになった時が楽しみですね。
    今風の曲にシフトチェンジするのかな?? 1

  3. glow-gen より:

    夏みかんさん
    そろそろ中学の選択を迫られますね。
    げんちゃんは、そのころ、ほんとに、どうなるのか、全くイメージがつきませんでした。
    とにかく、情緒のクラスができてくれてほっとしましたが、スケジュール管理など、小学校よりハードルがぐんと上がって、毎日がやきもきです。
    げんちゃんは、空気感は読むのか、とにかく、電信柱みたいに、普通クラスでは暮らしていたようです。支援の子ということで、他の子も、相手にしないけど、まあ、時には助けてくれる・・・
    でも、こっちのストレスの多い時代でした。
    でも、あの頃、完全に福祉の道に向かってどんどん進んでいたような支援の同級生も多かったです。普通の子とどんどん差がついていく時期でもあるんでしょう。
    げんちゃんは、そこを無理無理なんとか突破したのかな~。
    今の底辺高校でも、げんちゃんは、やはり下の方だと思います。成績とかもですが、余裕でついていってるわけではありません。
    普通の不登校の子たちからしたら、やっぱり、やっとかっとです。
    中学はある意味、勝負どころなのかもしれません。うまくサポートし、学校の合わない部分は、思い切ってオミットしたり、戦略がいるのかもですね。しかも、いじめにあいそうなファクターがあるのなら、うまく、かばったり、また、自分のそういう部分を認識できるようになっていくようにサポートしたり、課題はたくさんですね。
    でも、ママのサポートがあるので、やはり、心強いですね。
    宿題、課題・・・支援クラスを選べば、少し多めに見てもらえますが、普通クラスになると、なかなか大変ですよね~。あと少し、小学校時代に、少しキャッチアップしてくるといいですね。 1

  4. glow-gen より:

    とんままさん
    やはり、言葉ですよ。自閉症スペクトラムなんていうくらいだから、言葉が的をとらえきれないのでしょうね。
    先日びっくりしたのですが、来週という言葉がなかなか出てこなかったのです。今週、先週、再来週・・・じゃあ今週の次は・・・再来週・・・え?
    まだまだこの子は今を生きているだけ。時系列の言葉なんて、知ってはいるけど、使いこなすほど、感覚ないんじゃないでしょうか。おそろし~。
    朝、朝食を作るとき、
    「食べやすいように玉ねぎを切ります。その間に、お湯を沸かします。。。」
    こんな感じで、目的実況中継をしろ、と言っても、まだできませんね~。言葉にしながら行動できるようになると、もう普通なのかもしれません。やってはいるけど、ただルーティンにそれらしいことをやっているんでしょうね。
    とにかく、なんでできないの?と言いたいくらい、ずれていますよね~。

    ダンス考えてみれば、小4くらいでも、右上げて、左上げないで、右下す・・・なんている旗あげゲーム、いまいちうまくできなかったですよ。

    それ考えたら、確かにすごいのかもです。できてしまえばあたりまえですが、振り返れば、ここまでお前はできなかったのか~、と叫びたいくらい、何もかもできなかったですよね~。
    げんちゃんは、体を動かすことは好きですね。お手伝いも言えばいとわずよくやります。クオリティーはひどかったり、ピンとずれだったりしますが。

    確かに、社会でもまれた方がいいタイプなのかもですね。なんせ、どこの集団でも、電信柱みたいに存在しています。不思議。だけど、ちょっとでも難しいところだったら、できなさすぎて、いじめられると思います。

    ステップアップさせていく環境選びは、よく考えないといけませんよね。
    ギラギラは、難しすぎて却下。それに、ハイテンポの曲は、かっこつけたいという気持ちの表れ、自己内省的になるべきなのに、まだはやい、とS先生に言われたし。
    そうなると、もう気持ちが薄れたようです。やはり、弾きたいといったのも、つかの間の感情だったようです。
    心のそこからやりたい、という真摯なものではなかった様子。
    S先生は良く見抜きます。
    音楽や絵は、ほんとに、その子の心の状態を的確に表すようですね~。

  5. robo_223 より:

    マニュアル仕様タイプが意識を高める習慣を上手く身に付けるためには、言語能力が大きな助けになります。それをコメントしようと思っていたら、すでに言語化をターゲットにトレーニングしてらっしゃるようで、さすが!と思いました。

    一般の子は自動的に必要なことに着目し必要な努力をする力があります。それに対してマニュアル仕様タイプは、自ら意識して着目と努力をしなければなりません。その際、鍵になるのが言語能力です。

    これこれだからこれこれの努力が必要だ!これこれで自分は不充分だから、これこれに気を付けなければならない!と論理的に考えることによって自らの脳に意識を入れ改善して行くことが可能です。

    そして、論理的に思考して獲得した行動様式は、なんとなく自動的に動いている人達の動きより精度が高くなることが良くあります。それで、むしろパフォーマンスが高くなることがあるようです。

    言動能力が高いアスペルガーの人達が改善しやすい場合があるのは、そのためです。しかし、アスペルガーの人達には言語能力が高いだけにリスクも大きいです。自らの勝手な論理でとんでもない方向に突っ走りがちだからです。その際に大事なことは、常に自らの論理に破綻がないか内省する態度です。

    つまり、今げんちゃんママさんがげんちゃんに行っているトレーニングそのものが大切だということになります。自己過信せず、まずは周囲に相談して自己の言動を調整して行く力を養うことです。主導権を与えて暴君にしてしまってはいけませんよね。

    的確なアプローチをされていますので、げんちゃんは更に伸びて行くと思います。楽しみですね。
    4

  6. ここあ より:

    げんちゃんママが書かれているスタッフさんの事ですが、少し前に支援員で一緒に働いていた方がそうでした。支援の的が外れていて、自分の考えでやってしまうので、話をするとまず言い訳でした。間違ってるから説明しても「そうなんですね。」ではなく「そうですよね。」って言うんですよ。「そうですよね。って言ってるけど、間違ってるから話してるんですよ!」と何度言いそうになったか。私がおかしいのかと思っていましたが、主任の先生や他の先生、支援員の人も同じ様に感じていたので、その方の特性なんだと思います。今の娘もげんちゃんママや他の方がコメントされている事に当てはまりまくっています。小学生の頃かりですが、割り算を教えても好き勝手にする事があったので、手順を言葉にして言わせながらやらせていました。今も数学の方程式を解くのもいきなり好き勝手にするので言わせています。言わせると娘なりに考えるからか間違いが減ります。療育の先生が行動を言葉にする様にと言われていたので気をつけてきたので、話す言葉は大分色々出てきますが、自分の頭の中で考えるのにどんな風にできているのか謎です。国語の文章読解も今リモートなのでついていますが相変わらずです。高校は通信制にして週4で通うようにしようと思っていますが、支援級の子たちの為の通信制なので、あまあまな事になると困ります。でも偏差値が高くない、不登校の子たちも受け入れている私立高校の見学に行きましたが、当たり前ですが、やはり知的の娘とはみんな違いました。ただいるだけならいれるかもしれないですし、もしかしたら揉まれて成長するかもしれないですけど、分からないですし。高校を決めるのも悩みます。 3

  7. ゆうママ より:

    げんちゃんママからの質問に面倒がらずに応えるのがすごいと思いました。うちの息子も論点外し、あまりにも自然にやりますね。身に染み付いている感じです。質問すると「わからない」や逆質問してきます。げんちゃんは質問からは逃げる事はしないですか?

    それらしいことをそれらしくすることで、本人は、やっている、と思っている。
    まさにそんな感じです。時々やることが芝居じみているのです。例えば遅刻しそうな時、「やばい、遅れそう」と言いながら肝心な事はせずにばたばたと慌ててるふりだけをしています。そんな時も冷静に、今は何を優先させるの?と考えさせなければいけませんね。 1

  8. glow-gen より:

    ロボママさん
    ありがとうございます。アスペルガーのお子さんと違って、言葉をあやつる技術はもっていないので、自分で的をとらえようにも、言語にできないんでしょう。
    それで、とにかく、そういう基礎能力をあげつつ、目的日行くための指導をしながら、コツコツ・・・

    毎日こっちはいらつきますね。24時間コツコツ言わないといけないので、しんどくなります。
    しかし、それをやらなければ、げんちゃんは、ただ生きているだけの人間になってます。今朝も、コンビニで買ったおにぎりを、車で二人で食べようとして、ふと見ると、げんちゃんは、私が選んだものを食べていました、そして、真ん中の辛子めんたいにいきついて、「あ~ごめ~ん、お母さんのだった。」と言う始末。
    こういうことを日々やります。つまり、ただ目の前にあるからやってる。そういう感覚です。誰のだろう、とか、これで大丈夫かな・・・とか、考えず、ただ目の前にあるから展開している。
     犬猫以下・・・まだ友達の家のペットの方がましやん、と言いたくなります。

    重症な男だな・・・と思います。注意欠陥とか言ってかたずけている学者って、レベル低いな、と、そっちまでいらついてきます。そういう失敗に直面しまくっているので、学者は呑気でいいわね~・・・ってね。笑
    こういう、人ともよべないような人間が息子なんだから、ほんとにきついですよ。
    しかし、そういうげんちゃんでも、多少は言語を扱い、私の質問に多少は答えるようになってきているので、浜辺に打ちあがった人形くらいのところにはきてるのかな~。今から浜にあがって・・・鱗を一つ一つ落としていくのでしょうか・・・
     愚痴の一つも言いたくなります。

    げんちゃんは伸びていくと思います。
    なんて書いてもらうと、ほんとにうれしいです。伸びる気がしない時も多いですから・・・
    げんちゃんは、ほんとに伸び量が、普通のお子さんより、少しずつです。こんなん、普通ならとうにあきらめていると思います。あきらめて将来なんとかなるのなら、あきらめるけど、どうもならんのでがんばります。
    よそにやれるんだったらのしつけて差し上げたいです。笑 4

  9. glow-gen より:

    ここあさん
    ほんとに、的をとらえようとしないので、スタイルだけそれらしいことをしますよね。
    ほんとにそのことで、こっちはどれだけ疲れるか・・・
    計算もそうです。げんちゃんは、いまだに、桁を入れたいところに入れる、と言うときがあります。その傲慢さと言ったらすごいです。そろばんも、S先生が直々に時々教えています。普通のそろばんの先生では、コアなところまで治せないように感じています。
     形を形としてとらえて、スタイルを覚える結果になりそうです。そうならないために、いまさら、実体物安曇野的な教え方がいるんでしょうが、もう私には根気がありません。
    私も、算数においては、トラウマがすごすぎて、げんちゃんを教えることは難しいです。いらだちと、憎しみさえこみあげますよ・・・算数やってると・・・他人は教えられるんですが・・・
    取り換えっこして教えるといいんではないでしょうかね~。ほんと・・・
    あまりにひどいので、親と言えども、この子たちを指導するのは、難儀なことです。
    もっと、この子たちの本質が理解され、うまく、的にもっていってやる技術をもった指導者が生まれるといいです。そのスキルは、普通の人にもっていけば、天才を排出するのではないでしょうかね~。
     高校は週4の出席、ちょうどいいですね~。普通と言う環境も必要だし、特別にピックアップする時間も必要だし、色んな場が必要です。それらを、高校のプラットフォーム一つではなかなか難しいでしょう。
    そうなると、また親の肩に重荷もきます。
    でも、お子さんも、昔と比べたら、伸びていますから、げんちゃんのように、いまこそ、くもんとか、様々なお稽古事とか、良いサポーターが見つかるといいですね。応援しています。 1

  10. glow-gen より:

    ここあさん
    あと職場にいる、発達さんは、色々な気付きをくれますよね~。ただし、自分の直々の関係者だと、職場でも疲れ、家でも疲れ・・・とカサンドラ状態が深くなりそうです。
    でも、的をはずしていることを指導するやりかたは、なんかいっしょだな、と思います。
    自分が的確に的をつかんでいると、相手にも言いやすいですが、たまに、自分も、明確に的をまだとらえきれていない時があり、そういうときは、相手の思うつぼになります。
     試金石ですかね~。職場にも、どこにも、発達さん、発達君は、結構多いのかもしれません。味噌をつかめば、自分の仕事にも応用できますよね~。

  11. glow-gen より:

    ゆうままさん
    げんちゃんの論点ずらし、逃げ、よくあります。
    そもそも、考えなくて楽できれば、それでいい。
    そんな生き方がベースなので、そのための、最低限のスキルだけつけようという感じです。知能犯というより、野生動物みたいな感じで、やってきます。
    でも動物でも犬猫ではありません。
    S先生はクモと表現しましたよ。
    ぼや~っと動かずに、目の前に獲物が来た時だけ、ぱっと、何も考えず食いつく・・
    上手いこと言うな~と思います。
     犬猫なら、ご主人様に気に入られるように動いたり、まだまだ高等です。
     げんちゃんは、いくらスイッチを入れても、自分が勝手に抜いて、何にも思わない、というところがほんとに厄介。
    電信柱状態で、思いついたことだけぱっとやる。ましになってても、言葉にしてみたら、まだまだまったく本質が同じだな、と思います。
    ゆうママさんのお子さんは、心の交流感あるのかな~。うちは、なんか、人間相手にしている感じが少ないです。 1

  12. robo_223 より:

    私も注意欠陥と言って片付けるのは違うと感じています。

    roboが小学生ぐらいまでは、どの部分が一般的の子と違って困難が生じているのかよく観察をしていました。そうすると、roboの状態が良く理解できて来て、どういうアプローチをすれば効果があるのかということが少しずつ分かって行きました。よく観察すれば、注意欠陥というだけの問題ではないことが分かったのです。

    それと同時に根本的な脳機能の違いがあって、本人や周囲の努力だけでは簡単に解消できない問題を抱えていることも分かりました。よく観察すればする程、事の深刻さが分かります。血を吐くような努力をしても、そう簡単に前進は出来ないと分かるものです。

    そこが分かっていないと親は辛いばかりです。思い通りの速度や期待通りの変化を得られるという願いを一旦あきらめる必要があると思います。

    しかし、一旦あきらめてみると、いつの間にか期待しなかった方向で伸びていたり、意外なところで力を発揮できることに気付いたりもします。

    げんちゃんも、3年間で卒業できる可能性が出て来て上方修正することになったり、出来っこないと思われていたバイトが出来たりと、様々な面が見えてきましたよね。

    親の勤めとして、我が子がどんな子であれ、その幸せのために努力するのは当たり前だと思います。しかし、それが辛すぎることに感じてしまう場合は、何か無理をし過ぎていたり、合っていない方向性を目指している場合があります。

    案外うまく行くことは、スンナリ行くものですから、お互い前向きな気持ちになれる努力をして行くと実を結びやすいと思います。 4

  13. robo_223 より:

    ところで、当たり前のことを当たり前にやることこそ、難しいのも事実です。難しい子供を、その幸福のために心を尽くして行くことが時として難しい場合もあるでしょう。それを当たり前にこなして行くためには、やはり私達親の心を整える努力が必要です。

    子供を何とかしようという前に親が自らの心に向き合い、意識レベルの高い部分で思考する必要があります。低次な脳で思考すれば、快不快で判断し、途端に面倒に感じてしまったり、愉快な結果ばかりを求めてコツコツとした努力が途絶えてしまったりすることでしょう。

    私も時々、自分の心を高い位置に持って行くように努力を繰り返しています。 5

  14. glow-gen より:

    ロボママさん
    コメントありがとうございます。
    障害児を持つとよく言われるのは、かわりませんよ。あきらめてください、受け入れましょう・・というようなことでしょうか。

    あきらめてください・・・これは、げんちゃんに関して言えば、彼がたとえば、進学校に行くような優れた子になったり、進学校と言わずとも、普通の子が行くような高校に行って、世間的にも普通・・・とみなされていくこと・・・
    そういうことかもしれません。もちろん私の好みはありますよ~。(優秀な子で、社会をかえていくような精神性を持ち、人のためにひと肌脱げるようなリーダー的存在。・・・)でも、そんなことげんちゃんにのぞんでも、自分がストレスなだけ。あきらめたほうがいいでしょう。
     世間体がいいように、なんて、こともしっかりあきらめたほうがいい。
    ただ、あきらめてはいけないのは、人として、間違った生き方をすることです。
    そこはあきらめません。神様がくれた命、魂は、自分で責任を持って管理していくべきです。げんちゃんのように、自分のことさえめんどくさく捨てている。
    恵まれた環境で、つけてもらった能力を、ひたすらずるい方向に持って行くような生き方はだめです。そういう生き方をつらぬいているげんちゃんは、あきらめて放置するわけにはいきません。
    げんちゃんが、ぎらぎらを弾きたい、と言ったのも、なんか、弾けるとまわりにかっこつけられる、と感じたからのようです。何か指導されると、その圧からどうやったら逃げられるか、ということが考える目的になり、自分から平気で逃げます。
    1

  15. glow-gen より:

    ロボママさん
    ロボ君は、見ていると、人としての部分がついているし、そこを感じ取る真摯な態度がありますが、げんちゃんは、もともとの性質で、どこまでもずるいです。できないのではなく、めんどくさいと、あの手この手で逃げます。最近では、ちょっとした指導者なら、平気で表面をつくろって、楽をする確信犯です。
     やっと心で感じたりすることができてきたのに、放棄します。よく見ると、できないのではなくて、めんどくさい、ということのようです。
     自分から逃げる、でも、かっこよく見せたいから、とんちんかんなのに、へんなことをする。
     自分のことなのに、”関係ない”と心を動かさない。
    なんとか能力をつけてあげても、それをルーティンに落として、考えないようにぼんやり生きる。人がしてくれるのはあたりまえ。
     どんなに他人が心をこめて導いても、終われば捨てる。
    なかなか見たことのない発達君です。自分の心を持っている発達障害のお子さんがうらやましいです。 1

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