げんちゃんは、日々とんちんかんです。エピソードを挙げれば限りない。
朝食を作ってくれるのはいいけれど、だしをとるみそ汁と、スクランブルエッグ、食パン、そんなメニューを作っていても、あきれることが続出します。
食材をどんな形に切るのか、普通なら絶対しないな~というような切り方をする。
また、みそ汁もエッグもまったく手をつけていないのに、まずパンを焼いたり。
そして、他が出来上がった時には、冷たくなったパン! 私が指摘すると、げんちゃん気を利かせて、レンジオーブンにもう一度パンを入れました。
上からだけ熱が来るレンジオーブンなので、2度焼きするなら、焼いてない方を上にすればいいじゃないですか~。しかし、何も考えず、すでに焦げかかった方を上に入れ、丸焦げ。反対側は真っ白。
ちょっと頭を使えば、わかるだろということを、ことごとくオミットして、決してだれもしないような、あきれることを、毎日毎日繰り返しております。
こんなこともありました。
パソコン教室の予約を入れてやっていたのですが、夜私が帰って、げんちゃんから学校の時間を聞いて、行けないとわかりました。それで、ラインで翌日に変更の依頼をしました。
当然、パソコン教室は営業時間外。ラインの返事は明日になります。
「ねえねえ、明日は、学校が終わってから、お母さんに電話して。明日の4時にパソコン教室を変更してもらうようにラインしたけど、明日になってみないとわからないから。」
うん、と生返事するげんちゃん。
あ、こいつ、何も考えていない、と、すぐにわかった私。即座に
「何で、明日にならないと、パソコン教室の予定がわからないわけ?」
と聞いてみると、案の定げんちゃんは、いきさつをまったく把握できてません。というかしようとしない。
げんちゃんの予定を、お母さんが知ったのは夜。変更のラインをしたけれど、時間外。明日営業時間になって返事が来るだろうから、明日にならないと予定がわからない。
まあ、よくあるいきさつです。
さもわかっているように返事だけはしますが、頭の中は空っぽです。彼は、「明日になったら電話して、」という部分だけを、自分の中に入れて、何の疑問も持たないようです。
普通の人は、まさか、げんちゃんが、なぜ明日にならないとパソコン教室の予定がわからないのか、理解していないなんて、絶対に思わないでしょう。普通になんとなく日々の生活を送っているげんちゃんは、普通の人が普通に理解していることを、理解しているもんだ、と思う。
しかし、つながりを把握しようとしないげんちゃんは、ただ”電話して”、というとこだけをつかんで、なんとなくできた、というだけ。
彼の行動パターン、思考パターンが、ある程度分かっている私は、そこをスルーさせず、なぜ?と必ず問い詰める。
なんせ、「なぜなんだろう、」とか、「なるほど、そういうことか、」なんて体験を必要とすることなく、ただぼんやりと、霧の中にいるようにして過ごしてきているげんちゃんです。
「なぜ、今日、明日のパソコン教室があるかどうか、わからないわけ?」
まあ、こんなしょうもない問答を、こつこつこつこつ繰り返すわけです。
ぼんやりとした霧の中にいるげんちゃんの霧をはらい、焦点の合わないレンズの前に補正レンズをおき、的の真ん中を見せていく、と言う作業をするのです。
普通の先生に預けられない、というのはそれです。わかっているものだ、として、追及してくれません。その中で、ルーティンだけ覚えて、なんとなくできているような塩梅になって、先生の方も、ルーティンから外に出させることなく、同じようなお稽古ごとのパターンをくりかえす。わかっているものとして、ちょっとした齟齬が出ても、なんとなく、先生がフォローしてしまう。
さらに、普通の先生が、丁寧なマンツー指導だったりすると、そのルーティンは、頑丈なビルのようになり、霧の中から出られない。
せめて、マンツー指導ではなく、その他大勢の中の一人であれば、できていないこともスルーされはするけれど、細かいフォローがないぶん、齟齬が表に出やすい、というわけです。
げんちゃんと言う子は、昔から、つながりというものを考えません。自分の学校の予定を私に話したこと。パソコン教室の予約。自分が帰る時間。そういうものが、つながりなくばらばらで存在する。そこへ、ぐっと、気持ちの圧をかけて、つなげていく作業。それを、長年放棄してきたのです。
私が思うに、圧をかけられなかった脳味噌の中で、海馬の血流が滞り、今のげんちゃんができているのではないかと思います。
脳は、図書館に過ぎない。そこから何を取り出し、どうつなげるか、それは、意識だよ。
S先生がよく言います。つまり、脳を使いこなすのは、そもそも心なんだという。やっと、少しは真摯に取り組みたい、と思ってきたげんちゃんの脳は、赤さびに油をさし、少しずつ溶かすように、動かそうとしているようです。
私の不毛な作業が、少しずつ意味を成すようになってきている感じはします。賽の河原で石を積むような作業。それも、少しずつ錆がきれいになっていく様子を見れば、なんとか耐えられますね~。
的をしぼる。大事なことをつなげていく・・・やっとそこにターゲットを定めて指導できてきたかな~。
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さっきまで娘と国語の問題をしてました。本文を読ませながら質問をします。「だれが何をしたの?」「これってどういう意味?」「このそれって何のこと?」等。もうガッカリする位答えられません。何度も主語と述語。修飾語、指示語などはしています。でも文章になるとやったことが使えないのです。これは算数も数学も同じ。覚えたこと、やったことが繋がらないのです。これは知的の支援学級にいる子たちに共通しています。娘には「これってどうするんだっかっけ?」って考えて。覚えてる事をちゃんと使ってと声を掛けますが、難しいです。今年度の支援学級の担任はまだ講師でしかも初めての担任で支援学級です。今まで仕事で何人もそういう先生を見てきましたが、やはり支援学級の先生は経験があって、気が利いていてオールマイティな先生じゃないと難しいです。コロナ感染者がでると休校や学級閉鎖にもなりますし、高校決定もですが家庭でしっかりやっていかないといけないと思っています。 2
本当にコツコツ、コツコツですよね。
ただうちもそうなんですけど、こうやって繋げられない子って一定割合いますよね。一般的には鈍臭い子と言われるのでしょうか?でも私たちがそういう人に接する時ってなんとなく詳しく説明したりすると思うんです。勘がよくて察してくれる人とそうではない人がいますからね。
数ヶ月前スマホの機種変更したんですが、お客さんの理解度によって説明の仕方や詳しさを変えてますよね?
うちの子やげんちゃんのように繋げることが苦手なら、確認することや紙に書いてもらったり、メールやラインで送ってもらったり、なんらかの補う方法を身につけることも大切なことだと最近思うようになりました。
マンツーマンでサポートしてもらっていたら、そんな方法も身につかないので、やはりできないことをあぶり出すのは大切なことだと思います。
とにかく、サポートが必要ならその方法と自分からお願いできるようになることも大事ですよね。こんな不確かな世の中を生き延びなければならないですもんね。
ここあさん
やっぱりそうですか~。つながりつけませんよね。
げんちゃんも、少しつけようと努力しているかな~と思って、ちょっと優しく対応していたら、
「あ、これくらいやってればいいってことか、」
って感じで、するすると抜いていきます。私が圧をかけないと、こいつはこれくらいでオーケー出すな。だったら、そろそろ抜こう。
そしてドカンと落ちます。最近よくわかります。こっちがやつはいい感じになってきた、と思ってやさしくすると、あ、じゃあ、もういいか・・・ですよ。
つながりをつけて考えないことは、人としてやばいことだ、って自分が自覚しようとしない。つながりをつけないのは、まるで、動物が刹那刹那のことをとらえて生きているのと似てるんだ、ってことを把握しようとしない。別に何が悪い!
って感じなので、ほんとに頭きます。圧をかけて、考えさせたらできることでも、めんどくさい。
ほんとに、いつも思いますが、発達障害って、厄介な障害だな~と思ってしまいます。
こういう子を普通の感覚の教師が教えられるはずもなく、親は一人で孤軍奮闘になってしまいますね。
今学校は、教師の人手が足りないようです。学校から、教師募集というビラさえ家庭にくるくらいです。(中学)
それというのも、日本が、極度の緊縮財政を続けまくっているからなんでしょうが、ほんとに、教育現場は気の毒なくらい、疲弊していますよね。普通の子だって、ちゃんと教えられるような体制になっていないのに、発達なんてましてや、ですね。
家庭でなんとかやるしかありませんが、コロナでその環境さえ奪われているご家庭もあると思います。
ほんと、心配の種はつきません~・・・
ゆうママさん
ほんとにそうです。げんちゃん、アイパッドが気に入って、そこにスケジュールを入力するようになりました。多少は進歩です。しかし、今日発覚したのですが、いまだに電車の時刻を把握せず、何時に出ればいいかも、なんとなくぼんやり。いくつもの行き先があるようなところではないので、行って下り上り間違いなかったら、とりあえず学校に行けますから、適当ですましていたのでしょう。あきれました。
繋げない、つなげられないわけではない、必死でつなげようとしたらつなげられる。でもしない。しないといけない、と感じることができれば、メモにとるとか、必死さも出てくるでしょうね~。
自分を客観的に見て、よわいところを補っていく。ほんとに大事ですが、そもそも、自分を客観的に見ていないので、まだそれも、これからの目標にしかなっていません。
つなげられない子の普通のは、意識が低い子だなと思います。
たとえば、優秀で、目標設定もしっかりしているようなお子さんって、つなげよう、っていいう思いが強いな、と思います。普通の子でも、ぼんやり生きている子は、つなげるのが弱い気がします。
心のもんだいなんでしょうね。平易な言葉でいえば、やる気とか、目標ある、とか、そういうものが強くなれば、げんちゃんたちでも、少しはつなげてくるんだと思います。
モチベーション自分でつける必要がありますね。環境がそれをうながすように、私たちは備えて行くということでしょうね~。