ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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発達育児の佳境に入ってきたのかもしれない。

>げんちゃんを育ててきて、この子たちを真に導ける先生がほんとに少ないと感じます。


 療育という名のもとでお仕事をしている方たちにいたっては、普通の先生方より、もっとできていない、とさえ感じるくらい、正しく導ける先生は少ないです。

もちろん、いないわけではないし、あら削りなだけで、よい先生に成長していく予備軍も、たくさんいるんだとは思います・・・。

なかなかいない、そういう先生に、もしめぐり合うことができるなら、ママの苦労が、少しは楽になります。そして、先生との協力のもと、イロイロ試行錯誤もできるでしょう。

療育の典型的な先生というのは、この子たちは、障害者である、というくくりを持って、区別して考えている人たちであるように思います。
こういうタイプの先生に担当されてしまうと、今のげんちゃんなら、成長はほぼ絶望的だと思います。

有名な療育の先生という人の講演を、聞いたことがあります。

「障害者枠の就職につけるためには。」、ということを終始発しておられました。え?それが発達育児の目標なのか? とびっくりしました。

そういう各論的な目標しか、子供に対して持つことができずに、一人の人間を導けるのか・・・とあきれました。

この子たちをどのような人間に育成していきたいのか、人としてどういう人格形成を目標にするのか・・・という大切なマインドが抜け落ちていました。

どういう先生が優れている先生なのか、考えるのにいい例があります。ちょっと、したためてみたいと思います。

S先生は、合宿で陶芸体験などをさせますが、その指導者もピンキリといいます。

何度か、S先生がわざわざ指名して連れて行ったのは、陶芸の人間国宝になっている、ある先生でした。

彼は、げんちゃんが、ろくろを回す時でも、げんちゃんの心が何を捉えているか、ということを見ていました。

その方は、げんちゃんの心が何を見ているか、もしくは、見ていないのか、ということを指先の動きとともに大切に感じ取っていました。
相手が子供であろうが、障害児であろうが、たぶん、指導の味噌は同じなんでしょう。

げんちゃんの心が、体と乖離しているような状態を見つけると、すぐさま、やさしいけど力のある言葉をかけます。
げんちゃんは、”思い”をしっかり出して、目の前の器を、目的のように作るために、集中していくことを求められました。

そして、先生は、いくつかの作品ができると、その中に心の動きを読みました。よい心の状態が、しっかり出た作品は、私が見ても、よいものでした。

しかし、観光地で無作為に行った陶芸体験では、そういう指導は無理なので、S先生が横から声掛けます。
でも、それを拒否されたりして、表面的な指導で終わったりすると、やるだけ無意味になってしまったようです。

そういう時の陶芸体験は、げんちゃんが好き勝手に遊ぶ時間に、成り下がるという有様です。

陶芸家と言っても、ただ器を作っているだけ、というレベルの人、その道をきわめる心を持っていない人、には、げんちゃんは指導できない、とS先生はよく言っていました。


逆をかえせば、一流の陶芸家になるには、心を追及していける人でなくては無理、と言いたいようでした。

自分はできている、自分は先生で専門家なんだ、という心持ちの人には、まったくげんちゃんは教えられない、らしいです。


今、ある程度伸びて、自分自身を克服する、という段階に入ってきたげんちゃんを見ていると、かつて、陶芸に関して、S先生が言っていたそういう話が、なるほどと、胸にせまります。

もはや、表面で先生を翻弄することができてきたげんちゃんは、げんちゃんの芯のところをしっかり見抜く先生以外は伸ばせないと思うようになってきました。

私がげんちゃんに対してのぞんでいる、彼の心を動かし、正しい人の道をしっかりつけていく指導というのは、極めて限られた人にしかできないと感じます。そのお稽古事を通して、げんちゃんの逃げやずる、本質的なものをかえていこうとする指導、それは何と難しいことなんでしょうか。

第一、げんちゃんの今の難しさを理解していないのに、表面だけをいじるような有様では、げんちゃんは、かえって落とされてしまう危険すらあるのです。

とても抽象的なブログになってしまいました。しかし、心の障害ともいえる障害を克服していく、ということは、何かができるようになる、ということを目標にするだけでなく、正しい心のありかたを作っていくということでもあります。精神科医でさえできないことをやろうとしているんだと思います。

ほんとに、発達育児をきわめていくと、心のありかたに真剣に向き合うことになっていくのかもしれませんね~。

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  1. glow-gen より:

    Mさん
    同じ思いと言ってくださって、ありがとうございます。文章にするにもなかな難しいところで、理解してもらえるか、よくわからないな~と思いながら書きました。

  2. robo_223 より:

    確かに発達障害の子の本質的な部分を適切に指導出来る人はなかなかいないと思います。

    もっと言えば、まだ1人も出会ったことがないです。よって変えるためのアプローチは基本的に全て私1人がやって来ました。私以外の人のアプローチは全て私の導きの小道具として使わせていただいたにすぎず、何かが決め手になったということは皆無です。

    それに、誰かがこの深刻な問題にメスを入れられるという風に感じたことは1度もなく、もし、やれるとしたら私しかいないだろうと思っていました。だから、中学1年生くらいまでは24時間付き添って寝てる以外の時間は意識が下がらないように関わっていました。

    そして、中学3年から、やっと不充分ながら自力で意識をいれられるようになって来たので、働き出したというわけです。自分で出来るようになるまでは、親や親と同じくらい一生懸命やれる人がそばにいなければならないと思います。

    だから、そうなる前にroboやげんちゃんのような子を通常の塾に入れても全く意味はないと思います。学習内容を理解することよりも意識の課題を克服する方が重要で、それがある程度出来なければ、なかなか学習も進んでいかないからです。

    逆に人間国宝級の方なら出来るんだなぁと感心しました。親か親並みに一生懸命になっている人以外にも出来る人がいるんだなぁと。

    学校の先生はなかなか出来ないので、私は学校は家庭教育の成果を発表する場、試してみる場だと考えています。最新的には何の圧力もない場所で自力で意識を入れてやっていかなければなりませんので、どれくらい圧力のない場所で意識を自力で入れられるか試す場所です。それしか逆に利用価値がないくらいに考えています。逆に今学校でげんちゃんが出来ていないとすると、まだ自力では難しいということになるわけです。

    親が意識操作をして上げれば何とか入る状態→親の遠隔操作で意識を入れられる状態→自力で入れられる状態、という風に何年も掛けてやって行きます。つまり、親が出来なきゃ誰も出来ないということにもなります。

    ほとんど誰もやり方を知らないのですよね。

  3. robo_223 より:

    ですので、学校の先生であろうが、習い事の先生であろうが、出来ないのが普通で、出来ている人がいれば、それはすごいことだと感じます。少しでもroboの意識改革に役立つようなアプローチをして下さった場合は感謝しかないですね。

    出来ないのが普通で、出来る人がスゴくて感謝です。それ程難しいと私は認識しています。

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
    ありがとうございます。指導できる人は、S先生だけかもしれませんね。げんちゃんの場合。K先生さえ、げんちゃんの重症の意識障害には手が付けられないときが多いです。
    最近特に、すごくて、はっきりとげんちゃんの意志を感じますね~。

    ここまでこれたのも、ほんとに、私一人の力ではありません。私がやれる分のすべてをやっていますが、結局みんなの力の結集です。
    しかし、げんちゃんは、楽な方に逃げて、平気でいますからすごいです。
    人間国宝の方も、焼き物の時だけ力を発しますが、げんちゃんをすべて指導できるわけではないので、Sさんの采配あってのことでしょう~。
    もう一人、体操の先生は安心してまかせられます。彼女も、もと、有名サーカスでプロとしてやっていただけあって、げんちゃんの心を指導してくれます。彼女はごまかせないようです。しかし、げんちゃんの上手な逃げを追い込めるかというと、そう簡単ではないようです。レッスンのあと、悲鳴をあげています。
    まあ、げんちゃんは、怖いものなしですからね~。

    もちろん。、表面反抗的とかいうわけではありません。げんちゃんは、上手にうわべを作っているので、一見問題ないように見えたりしますし、無になってそこに存在していますので、何も害はありません。ただ、覇気がないな~という感じです。
    (でもそれも、彼に好きにさせたら、自分の世界観を、ぼちぼち持ち出してやばいことになるんじゃないかな~と思っています。)
    まあ、げんちゃんのマイナスは、たぶん日本一なんじゃないかな~。笑
    もっともっと反応出来るお子さんの方が多いと思います。
    げんちゃんと対峙したら、能力のあるロボママさんをはじめ、辣腕のママでも、たぶん、この子は無理だから、やめましょう、となるかもしれません。

    しかし、そうなって当たり前だろうな~と、げんちゃんを見てると思います。少なくとも、私が他人なら、そうします。

    こんな子をここまで伸ばせたんだから、もういいんじゃない、ってね~。

    しかし、親はそうはいかないので、あほなチャレンジをするしかないです。与えられた以上やるっきゃない。ほんと!

  5. glow-gen より:

    ロボママさん
    しかし、一見、悪化しているようにさえ見えるげんちゃんでも、実は内面ははっきりと上がっていることだけはわかります。本人のずる、ただそれだけだと見ています。

    もし、この子の魂が、障害なく、もっと別の場所に生まれていたら、やくざの親分くらい、肝がすわっているんじゃないか、と思います。
    それほど、げんちゃんはすごいです。何にも動じませんし、切り捨てますし、めんどくさかったら、自分の世界に入って安泰となります。

    なんか、そういう怪物がいましたっけね~・・・笑
    それに比べて、ロボ君は、天使みたいです。

  6. robo_223 より:

    返信をありがとうございます。

    もちろん私はroboに対しても思い通りに変えることは無理だと最初からあきらめています。しかし、もしかしたら少しだけでも変えられるかもしれないと思ってやっています。

    ですから、変えられたとしても変えられなかったとしても、淡々と試し続けることになると思います。ところが、働きかけによって全く変わらない子はいないので、一生懸命やっていれば、必ず改善はして行きますので、それを励みに続けて行くことになると思います。

    その変化の度合いや速度がその子によって違うだけです。そして、本格的に変わる場合は、本人自体が変わりたい!と思った時です。

    げんちゃんは素晴らしい先生との出会いがあって良かったですよね。S先生がいらしたので、げんちゃんもげんちゃんママさんも良い方向に進んでいると思います。なかなかないことだと思います。

  7. glow-gen より:

    ロボママさん
    ありがとうございます。
    げんちゃんは、かわりたいと言っているけれど、ちょっときついと、すぐに穴に逃げ込みます。
    気持ち入れればいいことなのにきついとすぐにずるをします。本人の変わりたい、がんばるぞ、という気持ちなかなかです。
    ほっておいたら、どんどん意識を下げて、すさまじいことになると思われます。げんちゃんが、本気を出してかわれるなら、ほとんどの発達障害のお子さんに、可能性があるのだと思います。

    それほどやっかいな奴だと思っています。
    ほんとどうなることやらです~。

  8. 夏みかん より:

    有名な療育の先生のお話し、就職がゴールなのでしょうかね、その先には何があるのでしょうか。
    その子らしい人格が確立されなければ仕事についたとしても、その意味も働く喜びもやりがいや生きがいもわからないままとなってしまうでしょう。
    豊かな人生を送る為には、げんちゃんママさんの仰る通り人格形成が大切だと思います。

    子を理解し導くことの出来る指導者というのはなかなか見つからないものですね。

    インサイドヘッドという映画をご存知でしょうか?ディズニーアニメで頭の中の感情が繰り広げる冒険といった感じなのですが、息子に自分の感情にもっと向き合ってほしくて、感情のレパートリーを増やしてほしくて見せました。
    あなたの頭の中はこんな風になっているよ、今、この感情がお留守だよ、今、どの感情のスイッチが入ったの?…などと説明するのに役立ちました。
    また、やりたくない、面倒くさい、やれと言われて嫌な気分、ムカムカするなど…ダークサイドの感情をしっかり表に出すことの大切さを伝える為にもとても活用できました。
    嫌々やるのでは不完全燃焼になりやすいので、一度感情をしっかり自覚させて表現させることが息子には必要です。こちらの映画のおかげで家では出させるけど、外では制御するコントロールも教えやすいと思いました。

    感情と意識や意思決定はとても深く結びついていると思うので、感情のレパートリーを増やして色々な感情表現を身につけさせるアプローチをしてみてます。
    検討違いな話かもしれません。すみません。

  9. glow-gen より:

    夏みかんさん
    いやいや、見当違いなんて、もう、その通りですよ。
    結局、げんちゃんという子は、心が、体から乖離してる子なんですよ。
    先日、珍しく家族で日帰り旅行に行ったあと、どうだった? って聞いたら、
    いつも、遠くに行ったりしないから、楽しかったって答えたんですよ。なんてことない会話でしょ。でも、私は、感動したんです。
    それくらい、げんちゃんは、猫みたいに生きてます。犬の方が、まだ感情豊かだし、私と心が通うんじゃないかしら、と思いました。

    げんちゃんは、魂ってものが、どっか深いところに隠されて、おこるすべての事象を、捨てたり流したりして生きてますね。
    表は人のふりしてますが、ときには、電信柱にもなる。人格が感じられないので、友達からもいじめにさえ会わない。風か水のように、気配がない。

    AIみたい、と思うこともあります。げんちゃんに接する人は、そんなことないですよ、と言います。人っぽいAIは、挨拶する程度なら、けっこう日とっぽいですよね。
    最近は、かなり人の心が出てきたと思いますが、逃げて抜くので、それが極みになってるときは、ほんと、AI相手にしてるか、いや、やはり、動物相手にしてるみたいです。
    映画も、興味ないと言いますよ。お世話になった先生方だって、通りすぎれば、話題にすることもありませんよ。心がない、訳じゃないと思うけど、やはり、変すぎですよ。
    映画見せてみたいです。

  10. glow-gen より:

    夏みかんさん
    感情のレパートリー・・・げんちゃんだけではないんですね~。うちは、ぜんぜんないですから・・・
    げんちゃんほどではないかもですが、同じような悩みがあるんだな~と思いました。
    知的障害のお子さんでも、感情は普通に育っている子たちもたくさんいて、それは発達障害ではないのでしょうね~。

  11. とんまま より:

    んにちは。

    正しく導ける先生に出会えると、本当にママの苦労は減ります。精神的に楽になります。
    そして頑張っていこうという気持ちも持てるようになり、前向きに進むことができるのです。
    一人でやっていかねばならないことが多い中、強力な助っ人です。
    しかしですよ、別れの時がやってくるのです。
    特に学校など異動のある人ですと、必ず直面します。
    ですので、個人的に依頼した教室の先生のように、ずっとお付き合いできる間柄でそのような人と巡り合えればいいのですが…
    巡り合うのも難しい中、そこまで条件の揃った人は出てきませんよね(苦笑)

    良かった分、別れの時のダメージはすさまじいものです。
    強力な助っ人がいなく、また孤独の道を進むのです。
    上記は私の実体験ですが、未だ完全に立ち直ったとは言えないですね。
    でも時は流れるので、前を向いていかねばならないのですが。

    とんちゃんは何故か旦那の実家に行くと落ちます。
    それは旦那も自覚しています。

    昨日はこれまた落ちていましたね。
    やることなすこと適当なのです。
    きつく注意しましたが、心の中まで響いていないだろうなと感じました。

    げんちゃんはかなりコアな部分の調整にきているので、本当に難しいですよ。
    表面だけをいじられては、かえって落ちてしまうのですね。
    そんなレベルでないとんちゃんですら、変な人(こう言っては申し訳ないですが)に対応してもらいたくないのです。
    ですので我が家が放デイに行かない理由はそこにあります。
    支援級のママさんたちみなさん使っています。
    預けられていいよと言いますが、指導者のレベルがね(ホント失礼な言い方でスミマセン。みなさん熱意をもってご指導にあたってくれているのは理解しております)
    結局、自分で対応するしかない→孤独となるのですよね。

  12. ゆうママ より:

    療育はその子自身の成長というよりも、その子が楽に生きていく方法を探していくという側面がありますよね。なので、頑張らせすぎないとが無理させてはいけないみたいな感じになって、おっしゃるように成長のさまたげになると私も感じていました。幼い頃はどうしたらいいのかわからずに療育に通いましたが、成長するに従って結局は一般の子の基準でやってきました。相当無理させたと思います。私も無理してきました笑
    けれどもこれから先は私には難しいと感じています。興味のないこと(勉強ですが)に意識を入れる努力よりも、人としての優しさや真面目さを身につけてほしいし、身の回りのことも自分でできるようになってほしいです。正直、勉強で精一杯であまりお手伝いとかさせてこなかったのでげんちゃんとちがって料理も片付けも全然できないので。
    人として大切なこと、幸せになること、とても抽象的ですが、そんなことを考える最近です。

  13. glow-gen より:

    とんままさん
    ほんとに、発達のお子さんを持つママの、代表として書いて下さったとしか思えない内容です。

    療育ベースで、何も疑問を感じないようなママもいるのでしょうか。支援クラスの時、みんな、あれこれ言っていました。先生がもっとこうしてほしい、ああしてほしい、というより、自分が抱えている課題の大きさに対して、あまりにも、真の理解者がいない、ということなのではないか、と思います。

    しかし、それなら、仲間を作って、なんとか頑張っていこう、というわけでもなく、ただ不安の中、最後は、あきらめていく。そんな感じです。

    あきらめには二通りあると思います。自分の思い通りの世間体など、自我からくるこだわりは、持ち続けるのは無理です。私も捨てました。そういう型通りの未来や理想は、あきらめないといけないと思います。なんたって、へんてこりんなわが子なのだから。そういうものに固執していては、無駄なエネルギーを消耗します。
     しかし、子供の未来そのものをあきらめるのは違うと思います。人として生まれた以上、神様の愛を受けています。今より良い未来。人として人格を作っていくことをあきらめてはいけない。

     私のげんちゃん育児の根底をなす考えはこれです。彼が小学校のうちは、まだまだ自分の理想もあったのかもしれません。でも、今は、げんちゃんが、自分自身に勝って、未来をつかんでほしい、と思います。

     そこをわかって、手を貸してくださる人たちは味方になりますよね。でも、発達障害の特殊性を、聞こうともせず、自分のやりかたは、正しい・・と自信を持ちすぎている人は、ほんとに疲れますけどね~。

     この子たちは、私たちと全く違う捉え方をしてしまう、ってことを真摯に聞いてほしいな、と思います。こっちと同じ前提にたって、熱血指導だけされても、なかなか難しい・・・

  14. glow-gen より:

    ゆうママさん
    お子さんは、グレーゾーンにいらっしゃるので、やはり、普通の基準をしっかり教えるために、普通クラスにいたのは良かったと思います。でも、そのために、ママがしてきた努力は、並大抵のものではなかったと思います。

    しかし、確かに、今から先、高校という話になると、ただ外側をついていかせていくだけでは、お子さんの幸せな未来を描けなくなってきますよね~。うちもまったくそうです。
    げんちゃんは、お子さんより、もっとレベルが低いので、私が昔受けた、高校でのカリキュラムなんて無意味です。
    それより、もっと気持ちを入れて、捉えようとすることを訓練しないとやばいな、と思います。
     げんちゃんは、勉強より家事の方が好きみたいです。でも、その時でさえ、ルーティンだけを追おうとしますから、結果はでたらめの時も多いです。
     今日は、3人分なのに、いつもの二人分だけ用意したり・・・とか。ちょっと気持ち入れたらわかるのに、な~んにも考えない。
     逃げる気持ちが強すぎて、できることもぜんぜんできないということが多い。
     逃げても、どこかでつらい思いをするだけなのに・・・。なんでこうも、くずっぷいがすごいのか、よくわかりませんが、こういう子をもったのも宿命でしょうかね。
     やくざの親分が改心すると、すごい偉業をなしたりします。げんちゃんの改心の先には、おもしろいものがあるだろうに・・・まあ、なかなかそうはいかないところが難儀ですね・・・ほんと~。

     おかたづけも、抜くと、ほんとにできませんよ~。入っていると、かなりできる。でも入れるときがめ~たにない!

  15. robo_223 より:

    私の感覚からすると、今まで自分以外にroboのことを本当に変えるようなアプローチをしてくれた人には出会ったことはないです。

    ですから、習い事には全部ついて行ってサインを送ったりアドバイスをしょっちゅうしていました。学校にもしょっちゅう行ってroboに指示を出したり、先生に関わり方を変えていただけるようにお願いしたりしていました。

    あんまり私が厳しく先生に言うので、ある日私が先生をほめたら、先生は嬉しくて泣いてしまったくらいです。

    roboは変化しやすいタイプの子だったのか、中学3年生辺りから自力が発生して来たので、私はその瞬間を見定めて手を引き始めました。それからは私が付き添ったり鬼のように指示を出した人ではない指導者からも学べるようになって来ています。

    つまり、私が全力で指導体制を作るかrobo自身が自ら何かを吸収できるようになるかのどちらかしか、本格的に意識改革を促すことは出来ませんでした。今もまだroboは不充分ながら、やっと自分の足で歩き出したばかりです。

    まだ意識の課題が大きい子に対して先生が出来ることは、子供が本当に出来る状態に持ち上げることではなくて、子供ができたような気にさせることと、課題が多く預かり先もあまりない私達の子を長時間預かってくれるくらいです。保育園と変わりないと正直考えています。それでも、ありがたいことです。引き受け先は、なかなかないのですから。

    先生方も親の気持ちは少し想像すれば分かるのですが、子供を本質から変える方法が分からないのです。S先生でさえ、サクサク変えられないのに、一般の子の指導でさえ難しいと感じているくらいの先生方が私達の子を変えることは難しいです。

    ですから、せめて出来ることは何かと考えて、将来福祉的な道に進む場合のアドバイスをしているわけです。それしか誰も知らないし、実際、親以上に分かっている人もめったにいないのです。変えられる!なんて軽々しくは言えない状態です。言っている人はむしろ不誠実です。本当には変える方法をしらなのですから。

    心の成長を促すことも、やはり、この子達は難しいです。なかなか進んで行きませんし、理想通りには行かないです。でも、気づけば前進していることもありますので、少しでも良くなって充実した人生を楽しめるように導いて行って上げたいですよね。

  16. glow-gen より:

    ロボママさん
    たくさんのアプローチをされて、ロボ君が、今動き出している、素晴らしいことですね。

    変えられる、と軽々しく言えない・・・そうですよね。私もそう思います。げんちゃんのゴールが、普通の人と同じように、どんな会社でも、働けるようになる、とか、自分の理想の職業につけるようになる、とか、言われたら、やはり、そうかんたんにはいかないよ、と思いますし、ゴールの設定が、普通の人と全く同じ、なんて、ちょっと違うんじゃないかな、と思います。

    Sさんが見られてきたお子さんでかえることができなかった子も見ましたよ。
    それは、親がやる気がない人でしたね~・・・

    Sさんに丸投げ・・・やがて、変わらないと言って、去っていく。私から見ても、他人任せでかわるわけないのにな~・・・って感じでした。

    しかし、やはりやれば変わりますね。その子が、全く変わらなかったなんてことが、万が一あったとしても、取り組んだお母さんや、その家族が変わります。
     だから、私は変えられる、と言っても別段悪くないと思っています。
     変に希望を与えてはいけない、そんなことはないと思っています。
    神様に信頼している人は、希望がありますから。
    やったけど変えられない、ということはないのではないか、と思っています。ただ、自分がイメージしたのと違う、というだけだと思います。
     私もイメージしたげんちゃんとは全然違います~。だって、今頃、もっと普通になっているはずでしたから・・・ははは・・・
    でも、大丈夫、今がんばっている過程こそ、変わっているということなんだと思います。
    自分が変わったこと・・・たとえば、自分には変えられるとかいうおごりもなくなりました。昔はありましたね~。

  17. glow-gen より:

    ロボママさん
    ただね~。やはり、学校の先生が軽々しく、
    「いやあ、大丈夫ですよ~。子供ってそんなもんですから、おかあさんもっと信じてあげて・・・」

    みたいな、ありきたりのきれいごとを言うのは、おっしゃる通り、無責任ですよね~。そのうえ、げんちゃんに、ありきたりの励まし言葉とかかけられて、げんちゃんがのぼせまくったりする。

    ほんとあれはやめてほしい・・・もっと真摯に、この子たちは、そもそも社会に出れない子というスタートなんだから、責任もった声掛けしてほしいな、と思います。

    校長先生とか、そういう立場の人は、すぐそんな風な態度になりますよね。担任は、近くで接しているし、こっちの思いや、今までの経緯など、ある程度分かっているので、そういうことは少ないですが。まあ、自分がもしそういう子を持たなかったら、五十歩百歩だろうから、しかたありませんけどね~。

  18. robo_223 より:

    返信をありがとうございます。

    私も繰り返し言っているように子供はどの子も変わります。しかし、障害のある子が全員働きかけによって福祉的な支援を受けないでいられるような状態に変わると、軽々しく言うことは、むしろ福祉的な道で生きていくことを提案するよりも不誠実だと思っています。

    一時的な慰めとして現実に向き合うことが苦しい場合は、確かにそれが非現実的なことだとしても希望を与えてほしいと思うこともあるかもしれませんが、本当には親御さんの希望を叶える方法を知らない人が公的な立場でそのようなことを言うわけにはいかないということです。

    もちろん、公的な立場でなくても、藁にもすがりたい親をだまして大金を巻き上げるようなことも良くはありませんが、それは親の自己責任とも言えると思います。

    しかし、先生方は何を持って大丈夫と言ってるのでしょうね。全然大丈夫な気がしないのですが。本当に心配しかありませんよね。

  19. glow-gen より:

    roboママさん
    なるほど~。無責任というのは、本気でその子の将来を考えていない、ということなんでしょうね~。
    校長先生の発言も、支援の子の将来なんて、あまりイメージなさそうでしたよ。
    どの子も可能性があって、よいよい! みたいな感じです。
    でも、支援の子一人を責任もって教えようとしたとき、やはり、ゴールは?となるわけで、そうなると、よいよい、ということにはならないですよね~。

    その子ががっつり最初から、福祉の世界、と考えたとしても、じゃあ、その中でも、いかに、最善を尽くすか、となるのか、最初から、未来など考えていないのか。やはり、かける言葉は全然違いますよね。

    げんちゃんのおばあちゃんが、どうしてもも孫を甘やかすので、将来、お姉ちゃんにげんちゃんの責任がいっちゃうんだよ。と言ったら、はっとしたようでした。
     おばあちゃんも、どこか、なんとかなる、と思っていたのではないかと思います。福祉の世界から出られた場合、出られなかった場合、どっちも、想定して、げんちゃんの未来を考えて、最善を尽くす、ことが大事なんでしょうね。

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