とうとう来週が定期試験です。全教科・・・。何度となくやってきたこの状況、なんとなくいらいらします。
とはいえ、私は、今ではノータッチですから、昔よりずいぶん楽です。K先生のところで、ウィークデーは勉強してますが、試験に特化してるわけではないので、結果は期待できません。
上から引っ張り上げてあげる、というやり方をしても、今のげんちゃんには無意味ですし。
なんとか30点あたりで下げ止まってくれたら御の字です。
しかし、げんちゃんは、T高校に行けないかも、と圧をかけているので、表面上は、よく勉強しています。見ていると、社会、あとは実技科目・・・がどちらかというと好きみたいです。
実学の方が、心が動かしやすいのでしょうか・・・
外面は、かなり進化してきて、それらしいことも言う。でも、軽ーく、外側がそれらしく見えるところまでの気持ちしか入れなてない。そんな感じです。突き抜けるためには、そんなんじゃだめだめです。
でも、ちょっと見は、げんちゃん、素直で、馬鹿正直で、頑張っている子・・・そんな感じに見えるようです。
まあ、朝ご飯を作ってくれる息子なんて言えば、ほとんどの人は驚くわな~・・・反抗期だとか、会話なし、なんて言ってる時期に、げんちゃんは、こっちの言うことをよく聞く(ように見える)のだから。
最近は、完全に、表面を作って暮らしているげんちゃん。毎日指導されまくってます。その日もK先生に指導されました。
学校の先生から、かなり事前に何度も言いつけられたことが、完全に抜けて、結果的に、大事な提出物が出されていなかったようです。
支援の先生のコメントを受けて、K先生はげんちゃんを家でもう一度指導してくれました。すると、
「○○先生に言われたとき、めんどくさいから、いいや、と思った。」
とげんちゃんは白状しました。
ああ、やっぱり、げんちゃんは、学校では、この程度してればいいや、こうやって、少しそれらしくやれば、叱られない。そういう加減をしながら立ち回っているようです。一生懸命気持ちをいれるのではなく、どの程度の入れ方だったら、なんとか無難に過ごせるか、本能的に立ち回っている。勉強だって、わからない顔をすれば、先生が何度でもやってくれる・・・
そういう処世術のみを、学校で学んでいるのかもしれません。それは、先生のこのようなコメントにも表れます。
「がんばっているのですが、○○のところは理解が難しいようです。」
学校では、げんちゃんが、適当に出し惜しみして暮らしているのを、私たちは見抜いています。
さて、その日、学校の提出物を完全スルーして叱られたので、K先生は、そのことをもう一度説教し、作文を書かせて、さらに、心に落ちるようにしてくれたようです。
家に帰って、私は、さらにげんちゃんと会話しました。
げんちゃん「あの、お母さん、今日ね、僕はだめだったんだよ。」
ママ「学校で抜いていたんでしょ。 どういう状態だったの? 言ってごらん、自分の心の状態。」
私は、聞きました。すると驚くことに、げんちゃんはいきなり、なんと、作文を棒読みし始めたのです。
ママ「何やってんの?!」
私はびっくりしてしまいました。
ママ「あのね、それが外側を作るってことなのよ。なんで、いきなり作文読み始めるの!自分の言葉で言ってちょうだい。普通の中3が、そんなことするの? お母さんにどうだった、って聞かれたら、いきなり書いておいた作文を読みだす。変でしょ!」
げんちゃんは、ぽかんとしています。
ママ「あのね、自分の心にちゃんと反省をを落としているんだったら、自分の言葉で話し始めるはずよ。結局、あなたは、字面、つまり表面で、ただ言葉だけの反省をしているだけだから、作文を読む、なんてばかげたことをやるんですよ。」
このあきれた事件で、私は、ほんとにげんちゃんが、すべてを表面でとらえ、表面で片付けているということを実感しました。
つまり、こういうたとえがわかりやすいかもしれません。
たとえば、駅で切符を買うということを事前に学ぶとします。(例えです)
駅に行ったら、どこどこに改札があって、その左に券売機があって・・・・などと、教えられるとするでしょう。ふつうの子は、その言葉を立体にイメージしながら、自分がその場にいるように展開して捉えていきます。
ですから、その途中で、質問が出るかもしれません。料金はどうやって調べるの?とか、何分前についたら、ちゃんと切符を買えるかな? とか。
そういう心の動かし方をするので、実際に駅に行けば、なんとか切符を買えるというわけです。
しかし、げんちゃんたちは違います。言葉面だけを追います。
何度も説明し覚えさせれば、「ねえねえ、切符どうやって買うんだっけ?」 と質問すれば、もしかしたら、つらつらと説明ができるようになるかもしれません。
でも、駅に行くと、何をしていいのかさっぱりわからないということがおこります。
今回もまさにそれでしょう。言葉面で、反省し、作文を書いたけど、心には落とされていないから、質問されたとき、その文を読むしかない。
なるほどね~。げんちゃんが、抜いていて、まったく本質に近づいていない、ということをK先生がいら立っていたけれど、こういうことだったのね。と思いました。
そのあと、私にかなり厳しく指導されたげんちゃんは、多少はわかったのか、自分の言葉をつむぎはじめます。
「あの、こういうことでしょ。言われたことが、どういうことなのかな?ってちゃんと考えてつかむってことでしょ。ただ、言葉で覚えていてもしょうがないし、動けない。反省もできない。」
私が言った、言葉を組み立てなおして、それらしいことを、どもりながら、たどたどしく言ってきました。(まあ、どれだけ本質をつかんでいるかわかりませんが・・・)
物事の真意をつかむ、具体的にどういうことなのか考える・・・自分を素通りするような聞き方、学び方、思考のしかた。それを続けるなら、一生発達障害という障害は克服できません。
ここから先は、表面だけとらえて、わかったと思い込む、げんちゃんの心の使い方に切り込んでいかなくてはなりません。表面だけは、昔より、ずいぶんでっちあげられるげんちゃんになっているので、それに騙されないように、心を動かしていかなくてはならないようです。
ここは、なかなか、普通の人、普通の教育者には理解されにくいところだとは思いますが。
公開コメント 承認後公開
私も分かる人にしか分からないと思います。本当に出来ないって思わせるものがありますからね。周囲の期待に応えるとか、時代の要請に従うなんてことがないので、気の向かないことは、とことん何もやりませんからね。
時折見せる能力の高さから、これは起きている時間のほとんどが手抜き状態だな、と気付いてはいましたが、興味のないことには余程ヤル気を出せない脳なのだなと思っていましたし、実際そうなのですよね。
だから、やりたくないことはやらない!と突き通すのがスタンダードだと思います。そこを覆す人の方が希だと思いますし、それは本当に大変なことなのだと思います。
それでも、何とかそこを突破させられる良い方法がないかなぁと工夫し働きかけ続けています。でも、結局、動かぬ岩を動かすのは本人の心しかないので、本人の心を育てることが重要だと思います。 1
娘がまだ低学年の頃、娘が通っていたフリースクールの先生に「学習はまだしなくてもいい、会話を増やした方が良い、学習してもどうせ意識の問題になるから。小学生のうちにそこをやらなければいけない」と言われていました。
私はその頃意味が良く分かりませんでした。
高学年になり分かりました汗
すべてはつながっていました。
経験してようやくわかりましたのでこちらのブログに出会えて本当に感謝しています。 1
ロボママさん、
>これは起きている時間のほとんどが手抜き状態だな、と気付いてはいましたが、
ほんとに、ここに気づいていくと、ため息が出ます。げんちゃんは、日曜朝9時から夜8時まで、休憩や食事を入れていますが、基本、ずっと一人で勉強らしきものをやっていました。しかし、今日S先生が見たら、ぜんぜんやる気なく、覚える気もなかったようです。頭では、やらなくちゃ、と思っているので、なんとか、机に座っているんでしょうが、ためにためて、適当にあさーくやっていたらしいです。
もう、私にも、見抜けませんし、何をすることもできません。まさに、本人が、逃げずにやるしかないのです。
この部分は、普通の感覚の人にはわかりません。発達障害の子供たち特有のもので、げんちゃんは、特に、その中でも、逃げとずるがひどいタイプだと思っています。
たとえると、大切な試合をひかえた運動選手みたいです。心臓に負荷のかかるトレーニングをしないと、絶対にうまくならないのに、きついので、そこそこのところで練習をする。やらなきゃいけないし、試合も勝ちたいので、練習を全部さぼることはしません。しかし、楽なメニューに落として、自分がきつくなく、しかも、まあまあ追い込んでるような形になるメニューを組みます。本人は、それで、自分を納得させることができるし、そこそこのきつさで耐えられる。
今のげんちゃんは、そこを絶対に崩そうとしません。もう万策つきそうです。
げんちゃんって、ほんとに、楽ができれば、なんでもする、そんな感じです。まわりをだますのも、相当頭使うだろうに、そっちのエネルギーはどうもないようです。
いつまでここのトンネルにいるんでしょうね~。
困ったものです。
イルカさん
フリースクールの先生はすごい方ですね。普通の療育の先生方は、ほとんどその部分を理解していません。もちろん、先生方もです。発達障害を教えます、というような塾が、最近では、ネットでもよくありますが、果たして、そういうことをわかって声掛けできる人など、いるのでしょうか、といぶかしく思っています。
S先生のおかげで、そのコアな部分を言葉にできるようになりましたが、じゃあ、簡単に導けるのか、というと、まったくです。
げんちゃんの魂の部分の異常というような気がしています。そんなもの治せるわけないじゃん、と言いたくもなります。しかし、昔と比べたら、げんちゃんは、ほんとに上ってきているわけで、この大勝負もなんとか乗り越えられるはずだ、と、戦いをいどんでいますよね~。
ほんと、人の心を変える、なんてこと、医者でもいできていないのだから、(精神科だって、簡単に治らない人だらけです。)そう簡単には行かないと思って、覚悟してやるしかありませんね。
それにしても、良い先生に出会っておられて、素晴らしいことだと思います。そして、それに気づけていらっしゃるイルカさんも、すばらしいお母様だと思います。がんばりましょう!!
返信ありがとうございます。
>最近では、ネットでもよくありますが、果たして、そういうことをわかって声掛けできる人など、いるのでしょうか、といぶかしく思っています。
私もそう思います。この先生何か違うと思ったらやっぱり家族に発達の方がいらっしゃる事が何件かありました。
やはり経験に勝るものはないと改めて思いました。
>S先生のおかげで、そのコアな部分を言葉にできるようになりましたが、じゃあ、簡単に導けるのか、というと、まったくです。
私も娘を導けているとは全く思っていません。ただげんママさんと同じように振り返ってみるとステージ上がってた!みたいな感じです。やはり心の問題はそう簡単には動かないという事ですよね。
見えない糸をずーっとたぐりよせているような感覚です泣
たまに見えるんだけどすぐ見えなくなって夢かとおもいきやでもかすかに感触ある!でも夫に触らせても全然分かんないと言われ(笑)
かすかな感触をかき集めているの毎日です。
1
こんにちは。
げんちゃんママさんの記事やコメント、皆さんのコメントがとても参考になり、勉強させていただいてます。
車に例えるなら、エンジンの掛け方がわからない、かかってもドライブに入らないのが発達の子たちなのかなと思いました。
それでも入ったと思ったらアクセルの加減が多すぎたり少な過ぎたり、ブレーキとバランス悪かったり、ハンドル操作がちぐはぐとか…シュミレーションで運転したよ、運転できるよと言ってたり。
その子によって段階は色々ですね。
我が子は小学5年の男の子ですが、エンジンかけてドライブに入れれるけど、アクセルをなかなか踏めません。と思ったら、いきなり全開でスピードメーター振り切ってぶっ飛ばす。そしてハンドル操作が蛇行運転になってます。
自動車学校の車の助手席に座って車酔いしながら、方向の修正したり、助手席のブレーキ踏んだりしながら場内を教習しているイメージです。早く路上に出たいなぁ。
書字に少し困難さがみられるのですが、書字障害の検査では問題なしどころか1、2学年上のレベルとの結果の項目もあり…結局、発達の特性が書字に影響しているとのことでした。自分で意識入れたら出来る能力があるはずですがやろうとしないので、板書も写しきれず、字も汚いです。
高校受験で時間がネックになりますが、発達も書字もどちらも診断つけてもらえないため、時間配慮受けたかったのですが駄目なようです。
イルカさん
ほんとに、発達障害の本質のところが、ざっくりとでもわかると、一般の療育の先生方が、外側しか見れていないことに気づきます。
たとえば、IQ,たとえば、受け答えや行動。そういうものは、ほんとに外側にしかすぎず、この子たちの障害は、意識、つまり、その子の存在そのものにかかわる、心の障害なんだということに気づきます。そういうと、精神疾患ということになりますが、そう言われてもしかたのない障害だと思います。
とにかく、ものごとの目的をとらえられない。捉えようとしない。普通の心の動きができない。
ほんとに厄介です。
今、コアな部分の改革に取り組んでいるのだと思いますが、ほんとに考えている以上に難しく。げんちゃん障害の重さを思い知っています。
しかし、外側がかわっているように見えなくても、中が変わって行っているということもあります。そこも私はなかなか見えなくて、混とんとします。
意識障害がげんちゃんよりも軽く、グレーゾーンというなら、目的をとらえるように、外堀から、それはどういうこと?なぜ?どうして○○なの?
そういう質問攻めがいいと思います。焦点をしぼってやれば、何に焦点をあてたらいいか、わかりやすくなります。
たとえば、いやだ・・・というのなら、何がいや?どうしていや? と。そしてまたその答えてきた答えに対して、さらに問う。そうすると、本人も焦点が絞れるし、道をつけやすくなるのだと思います。
たぶん、げんちゃんは、や~っと、グレーゾーンに近づいてきているので、そういうことが、すごく役にたつようになってきています。最初からグレーにいるお子さんは、げんちゃんの今と有効な策が似てるのかもしれません。
夏みかんさん
ほんとに、この子たちの安定性のなさといったらないですよね。普通なら積み重ねていけば、できるようになったりするのに、できたりできなかったり、翻弄されます。
コアなところを見ると、ステージがあって、げんちゃんなどは、目の前の今の事象さえ、まともにしっかりとらえられないというステージが長かったです。今さえ捉えられないのだから、過去未来、とらえられるはずもなく、感情や衝動、おもいつき、あやういもので動いていました。
何かを話したりするときも、聞いているようでまったくスルーと言うのも多い。
それをなくすには、やはり、何かを伝えるときは、まず、
「いい、今から大切なことを話すから、ちゃんと聞きなさいよ。」
と言ってから話すと、全然違うようです。ただそんなこと、と思うのですが、その一言があると、彼らには、どこに注意をむけるべきかわかりやすいようです。
試験でも、その前にちょっと誰かにそのような声掛けをしてもらえると違うのだと思います。ほんとにやっかいだけど。
とにかく、そんなことまでちょっと声掛けするの?というちょっとが、結果に大きく響くというわけですよね。
君は、それができなくてどうでもいいと思っているようだけど、○○ができなければ、社会に出て、△△することもできないよ。
Sさんは、聞いてると、当たり前と思うようなことを、よくわざわざ言っています。なるほどな~と思います。とにかく心を動かすことが大事だし、色んな言葉の演出を使ってます。
げんちゃんは、たぶん、今をつかむことができるようになってきてます。それゆえ、つかんで、めんどくさいと捨てる、という確信犯をやるようになってきました。同じできない、でも、中身がかわってきている。
なかなか手ごわいんです・・・ほんと路上に出て、どんどん進化させたいですよね~。