>コロナ下で、なんとか半日の体育祭がありました。
げんちゃんは、去年としたらずいぶん変化していました。またまた今年もスウェーデンリレー100メートルを走りました。
去年は、なんとか、抜かれず、前からの流れを守りましたが、今年は、3位でバトンをもらって、6位(全部で7チーム)になってしまいました。昨年は、自分が何位でバトンをもらったのかわかってないし、抜かれたのか、抜かれていないのか、とういことも把握できていませんでした。
今年は、一変、しっかり把握できていました。ついでに言うなら、バトンのもらい方も、ほぼ完ぺき、他のお子さんの方が、へんてこりんな受け渡しをしていたくらいです。
支援の先生は、バトンのポイントに感動していたようで、バトンの受け渡しを写真にとってくれていました。(去年はでたらめ)
まあしかし、あれこれ、問題点も多発です。
「げんちゃん、明日は何個出場するの?」
「え?二つ。スウェーデンリレーと○○という競技。」
私はそう聞いていたのですが、実際は、クラス対抗リレーも出ていました。これは、全員で走るので、当然出ます。
ほんとあきれました。
それから、○○という競技はどこに出ているの? と私が聞くと、もっともらしいことをげんちゃんは説明しました。
がしかし、その競技は、全員でトラックの中をぐるぐる移動するので、ダンスのように決まったところなどなく、げんちゃんの説明はへんてこりんでした。
Sさんに言うと、
「それはつまり、説明できないんじゃなくて、わかってないんだよ。」
ということでした。時々、げんちゃんの説明がまったくへんてこりんであったり、説明しようとしない、ということがおこるのですが、それって、説明をオミットしているのではなく、そもそもわかっていないときのようです。
げんちゃんの物事の理解は、以前より、ましになってきていますが、ことがらによって、20パーセントくいらいから70パーセントあたり、相当幅があるようです。(100パーセントはなかなかないよね)
70パーセントに至るときは、それなりに説明できますが、30パーセントくらいしかわかっていないときは、ぜんぜんできないというわけです。
普通は、30パーセントの時は、もっとわかりたい、という思いが出てくるのが普通ですが、げんちゃんのような意識障害タイプは、そこで、”べつに~”となるようです。
このことが、学習をはじめすべての成長を阻みます。どんな時でも、しっかり思いを出す。ここをどのように教育していくのか・・・・ほんとにエネルギーがいるところです。
そして、連休が終わってみれば、げんちゃんすっかり抜いていたようで、Sさんに相当叱られてました。(Sさんは、会ったらすぐさま顔を見て、わかってしまうようです。)
実は、表面ではなかなか私も見抜けていませんでした。なんせ、しょっちゅう問題集を自分でやっていたし、家事もよくしてくれていました。
まあ、私が油断したのをいいことに、捉えようとする気持ちを上手に抜いて、物事の表面だけを適当につなぎ合わせていたげんちゃんだったようです。普通の人ならありえないようなへんてこりんな失敗がおこってくるので、なんか変だな~と思っておりました。日常生活のあらゆる場面で、普通の人はそうはならない・・・ということが続出です。
ここからのステージは、わたしさえもだまされる・・・・注意して圧をかけ続けないとやばいです! げんちゃんの場合。
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普通は、30パーセントの時は、もっとわかりたい、という思いが出てくるのが普通ですが、げんちゃんのような意識障害タイプは、そこで、”べつに~”となるようです。
とてもよくわかります!ほんとおっしゃる通りです。わからなければ確認すればいいのにそのまま放置してしまいますね。うちももうすぐ体育大会があるのですが、その時に団体種目で黒のシャツが必要だと言ってきたのですが、用意しなければならないので、半袖か長袖かを尋ねるとやはりわからなかったです。先生が言った時に「どちらかな?」とは思わないんですね。もしくは誰かが質問したかもしれないけど拾えてないのでしょうね。
それでも体育大会、小学校の頃のように重たい気持ちにはならなくなり、むしろ楽しみにしています。走るのは遅いし、いいところなしなのですが、皆も競技している意識があるのがわかるので安心して見ていられます。
問題集をしょっちゅう自分でやってるなんてすごいですね。息子は開けっぱなしで全然進んでないことばかりです。ちらっと目をやるとやってるふりをしてるし、しょっちゅう答えを見ていますよ。そもそもなかなかやらないですし(涙)
ゆうママさん
この意識のところの悩みは、発達障害をかかえているからこそ、ほんとによくわかりますよね。
普通の人に言っても、なかなか理解していただけません。
というか、私さえ、時々、あぜんとします。ありえない行動パターンが出てくるので・・・
意識を抜いて上の空で何かをやると、ありえないことがおこります。あの状態がこの子の定常状態なのです。おそろしいことです。
「あ~ぼ~っとしてた~」って、我に返る時ってありますが、我に返らせないといけないんですよ。
そのためには、始終声掛けです。
そして今は、しゃべれ~・・て命令しています。
何をするにも、自分で実況中継させると、なんとか意識が飛びにくいです。
なんせ、10秒おきに抜けたり、少しはいったりしているようです。
そのオンオフスイッチの切り替わりは、横で見ていてもよくわからず、結構入っているかのように見えます。
それが進歩したってことでしょうね~。昔は、入っているときなんて皆無だったので、完全抜けてるか、普通に抜けているか、のどっちかだったです。
何をやるにも、ただやった、というだけです。
お子さんは、一人でなかなか取り組みませんか~。きついですよね~。やらなくちゃいけない・・・と言う思いが強くなると、とりあえず取り組むようになるかもですが、げんちゃんは、ただ取り組んだ、それだけのことです。
内容をわかりたいとか、どういうことか、掘り下げたり、つかもうとしたりする心は、まったくです。今からそこにアタックするわけですが、相当な圧をかけないといけないです。
学校では、圧がかかってないので、上手に抜いています。
ゆうママさん
Tシャツのこと、げんちゃんなら、それそのものを把握していないかもです。
休み明け、明日の用意をしているのを横で見ていたら、宿題らしきプリントが出てきました。
なんと、まったく把握していませんでした~。
油断すれば、何にもなくなってしまうげんちゃんです。
本当にだまされますよねー!私も球技に関してはコロッとだまされていました。あんなに気の毒だと胸を痛めていたのがバカバカしいくらいです。
しかし、ここが、自閉症スペクトラム以外の障害と自閉症スペクトラム障害の大きな違いだと思います。例えば視覚障害の人は思いを入れれば見えるようになるわけでもありませんし、聴覚障害の人も思いを入れれば聴こえるわけでもありません。
そこが本当に難しいなとずっと思って育てて来ましたが、結局、今も同じ壁が繰り返し繰り返し訪れています。乗り越えたかと思うと、また別の壁が立ちはだかります。
その気になれば、見えるし聴こえるのに、見る気も聴く気もないわけです。そこを何とか見よう!聴こう!という気持ちにさせようと毎日毎日働きかけ続けています。
良くなったかと思うと、やっぱり、まだまだだなぁと思う日々です。今は中間試験に向けて、気持ちを入れて準備させようと四苦八苦です。
やはり、必要なことに、思いを入れることが難しいのが中核的な課題だと、つくづく感じます。
ただし、私達が自動的に出来ることを力業で行うので、能力がないわけではなくても、精神的な疲労感は相当なものですから、そこは気遣いながらです。本人も、あまり攻められると、僕はどうして出来ないんだろうと落ち込みます。落ち込むくらいなら、やればいいのですが、そこをスッとやれないのも、脳の特徴なので、配慮をしなが、工夫し心を砕く毎日です。
ロボママさん
ロボ君のボール事件は驚きますよね。
彼がげんちゃんと違うのは、自分で自制したり、一歩踏み出したり、メタ認知して、自分をある程度操作できるところですよね~。どれに、考え方自体がプラスというところも大きな~。
げんちゃんとは、スタート時点が大きく違っているな~と思います。
げんちゃんは、最近、適当に外側を作ることで、そこに安定しようとしています。
勉強も、常にこっちが圧をかけていないと、上手に抜いて、らく~に、うまくやっているように見せます。それが、自分のスタイル、とばかりに完成しようとしています。
おそろしいことです。自分はこれで、なんとかやっていけるんだ、と勘違いしているようです。
ですから、生活面で、どかんとできないことで、やばい状況を味わうことをさせたり、とにかく、こんなんではやばい、と強く思わせないとだめだと感じます。
げんちゃんのずるさは、半端ないので、ここに安定していまえば、おそろしいです。たとえて言うなら、ルーティンだけの仕事しか絶対しない、なまけもののサラリーマンみたいな感じのメンタルです。
仕事には遅れずに行くけれど、型どおりの仕事を何も考えずにすることしか、絶対しない・・・外から見たらちゃんと仕事しているように見えるけど、客の応対もおざなり、すべて適当・・・そんな感じです。
もちろん、これはたとえで、彼がサラリーマンができる、という話ではありません。
形作って、給料もらったらそれでいい。それ以上のことは、ばかばかしいのでやらない・・・・そういう路線です。
その仕事スタイルは、朝だけはしっかり早めに来たりするので、ちょっと見ただけの人にはわかりにくい。
しかし、中身腐ってる・・・・・
精神的な疲労が大きいから、そうしているのかもしれませんが、それでやれる、と、なめているげんちゃんは、ほんとにもともとがずるい人間だな~と思います。
性根が腐ってる・・・なんて、S先生に言われたりしています。
こんな性根をなおさないと、彼の将来は絶対に開けないでしょう。
やっかいな障害と思います。
げんちゃんが、ずるいなら、人類のほとんど全ての人がずるいと思います。実際、人類のほとんどが自分の力の半分も出し切らずに一生を終えて行っていると思います。
そんな中にあって、むしろ、げんちゃんは努力をしている方なのだと思います。目に見える結果としては不充分に感じるかもしれませんが、おっしゃる通り、げんちゃんは意識の面で厳しいところからスタートしていると思いますので、今の状態でも、障害のない人がオリンピックに出るくらいは頑張っている可能性があると思います。
持って生まれたものが、それぞれ違うので、誰しも、その人なりにしか成長しては行けないと思います。スタートの条件がそれぞれ違うのですから。
ただ、誰にでも言えることは、それぞれが特別な物を持っているということだと思います。特別な使命のようなものです。その価値に上も下もないと思います。皆、価値があると思います。
生きて色々な体験をし、その時々、自分に出来ることを自分なりにやって行くことに価値があると思います。劇的ではなくても、少しずつ少しずつ魂が磨かれて行っていると思います。
その結果、人生が開けなかったとしても、ひっそりとではありますが、何かしらの痕跡を残していくものと思います。開けた人だけが痕跡を残すわけではないと思います。 1
障害者として生きていくか、普通の人として生きて行くか、という基準は結果でしかないと思います。
障害者として生きて行くなら、どんな風に生きて行くのか、普通の人として生きて行くなら、どんな風に生きて行くのかという中身が大事なのだと思います。
げんちゃんママさんの息子さんなので、げんちゃんは、どっちみち立派に生きて行くと思います。周囲に良いものを与える存在になると思います。げんちゃんママさんが、そうであるように。 1
ロボママさん
ほんと、いつもうまいことおっしゃいます~。
>人類のほとんどが、自分の力の半分も出し切らず一生を終えている・・・
確かにその通りですよ~。げんちゃんにやらせようとしていることは、この世で、どのように自分の限界に挑戦し、能力の100パーセントを出し尽くす、ということですからね。
だから、まわりの人は、いやいや、その程度で充分。げんちゃんなりにやっているよ・・・
という感想が生まれやすいです。たしかに。
しかし、この子たちは、そのレベルでは、絶対に障害克服はできません。大きなマイナスか、大きなプラスしかないと思っています。
普通の人のように、なんとなくプラマイ0というスタンスは、ぜったい慣れないのだと思います。
げんちゃんが、ある程度自分の特性を克服したときは、完全に普通の人を超えます。具体的に成績が超えるイメージは持てないけれど、そういう奇跡もありうる。神のなさるわざは、人知をこえています。
中心は、人としてのありかたが、絶対超えるのではないか、と思います。努力する力とか、なみはずれた鈍感力とか~。彼の性質に由来する才能 笑
がしかし、そこまでいくには、相当な根性を出す必要があります。
今は一見まったく克服していないように見えますが、確実にステージは上がってきているような気がします。
それも、コアな部分があがってきているのがうれしい・・
あともう一超えしたら、なんとかちょっと形になるような・・・(まだまだ到達点ではないけど)。
以前ロボママさんがおっしゃったように、げんちゃんは、ほんと、ちょっとずつちょっとずつ上がり、そして落ちて、また上がる・・・
たんたんと、彼は、図太い神経をすり減らすこともなく、海の底にただようごとく、ほんのちょっと浮いてくるような感じですよ。
浮いては、またちょっと沈み・・のほほんとしばらく漂い、またちょっと浮く
こっちは相当タフになってきますね~。
ロボママさん
しかし、中三になっているときには、もっとましになっていると思っていたので、外に現れているところは、下方修正なのかもしれません。
それでも、3年生の伸びは、外側に現れる部分が大きかったように思います。内部のためがそこまでに、相当必要だったのでしょうね