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秋ですね~。日曜日、今日は、ついつい朝寝坊してしまいました。毎日夜遅く帰って、それからいろいろやってると、ついつい寝るのが夜中になってしまって、疲れがたまっていたのかな~、と思います。
げんちゃんはやっと次のステージに行ったな、と思います。ピノキオがすこ~し人間になったような感じです。はじめ、木のひごをつなぎ合わせてできていたげんちゃんが、木に人間らしい丸みやへこみができてきて、次には、表面がやや柔らかさを帯びてきた。そんなことをず~っと繰り返していたようなげんちゃんです。進化はしているけど、まだまだ人形であることはかわりない。
ところが、やっと、一見、人形に見えるのだけど、げんちゃんはとりあえず人間の仲間に入った。ある境界線を越えてきた。そんな感じです。
今まで多くの発達障害のお子さんに出会ってきました。ものすごく表面的には大変だけど、げんちゃんよりずっと意識が出ているな、というお子さんは多かったです。逆に、げんちゃんより、意識が外に出てない、と思うお子さんはほとんどいなかったです。50歩100歩というレベルの子でも、げんちゃんより出てない、という子はいなかった。
人は、”思う”という行為を置き忘れてしまったら、人間とは言えない。まるでロボットか人形です。そこまで言うのが厳しかったら、重症の精神疾患だと言ってもいい。
げんちゃんもそうでした。一見素直でおりこうさん、と見えるときもあるけれど、深く彼を見て行けば、だれもがあぜんとするでしょう。
でも、最近やっと、げんちゃんは、まだらにでも、”思う”ということを握りはじめています。
発達育児を始めたころは、げんちゃんのできないことが多すぎて、発達障害とは、能力が低い、ということなのか、と勘違いしていました。もしかしたら、げんちゃんが、もともとできることが多い子供であれば、ある時期からのこの気づきは、もっと早いうちに手に入れていたかもしれません。
あらゆることを努力して、基礎的な能力を伸ばしてきたのに、げんちゃんの発達障害の本質が何もかわらないので、ほんとに当惑してしまいました。
それで、Sさんの登場となるわけですが・・・。
ですから、逆に考えると、いろいろできないことに頭を悩ませる発達ママも、お子さんの意識が表れているレベルが、けっこう高いのなら、年齢とともに、環境や指導をうまくしてあげれば、問題がクリアされやすい、ということもできると思います。
うちの職場に、小学校の時から、時々来ていた発達障害のぼうやがいました。
久しぶりに、先日やってきました。彼は18歳になっていて、今年大学生になるのをきっかけに留学を決めたそうでした。
彼は、小学校のころ多動で、いろんなことがありました。ママもしっかりした人で、子供さんを上手に導いていましたが、注意欠陥、多動、苦手な学習、といろいろ悩ましいことが多かったようです。そのころ、彼と話すと、
「え?それは何? 見せて? なぜ?・・・・・僕はいやだ・・・。え?ちゃんとやってくれるんですか?」
きぜわしいくらい、こっちのすることに反応して、しゃべります。そして、ある時は、大人がむっとするような、失礼な物言いをしたりする。これじゃ学校じゃ嫌われて、トラブルになるよな~、と私はお母さんに同情していました。
そのころげんちゃんは、まだ幼児で、私は、このお子さんより、げんちゃんの方がおとなしく、聞き分けもあって、軽症なんじゃないかって、思いさえしていました。
今考えれば、自分の不理解を思い知ります。
その子は、多動でせわしなげで、つきあっていてほとほと疲れましたが、彼は、外に思いがたくさん出ていたのです。自分が納得できる納得できない、というような感覚で、外に働きかけていたのだと理解できます。
その認知や、ベクトルの出し方が、とても常識外れだったりして、彼はいろんなところでぶつかって、家族ともども苦しい思いもしたのでしょうけど、ベクトルを出しながら、ぶつかっては修正を加えるということを続けて、人格のある程度確立する18歳になれば、それなりに矯められ、一人海外留学できるまでになったということができると思います。
久しぶりに来た彼のお母さんにインタビューしたら、
「私は、あまり特別なことはしなかったのよ~。」
と言いますから、彼自身の学習能力の高さが、げんちゃんなんかより、はるかに高かったということがわかります。
お母さんは、中学を転校させて、彼にあった環境を整えてあげたり、彼から目を離すことなくサポートをしてきました。自分にできることをいつも模索していました。
でも、私がげんちゃんにやってきたような具体的な学習指導やサポートは、そこまでやってないようでした。でも、彼の成長を見ると、意識のベクトルが外に出ていれば、今状況は、悪いように見えても、先につながるものがしっかりあるということの証明だと思いました。
ほんとに、げんちゃんの重症度は、ベクトルのかけらも心から出ていないとこでした。何か、感じられるようになっても、感じたものが何かを探ろうともせず、すっと捨て去るものだから、友達とのトラブルもある時期からまったくおこさないかわりに、成長の度合いがほんとに遅い。こっちの働きかけに対するパフォーマンスは恐ろしいほど低い。
私たちが何をやっても、心のコアなところには届かず、外側を必死でいじくることしかできないからそうなるわけで、私たちのストレスといったらない。おそろしい無駄の連続です。
でも、ほんとに少し、げんちゃんから、ベクトルが出てきたようです。まだ産毛のような状態ですが、ゼロとプラスでは、絶対値が非常に小さくても、まるで別世界です。何もない、というのは恐ろしいことですから。
久しぶりに朝寝してしまった私の中に、どこかに、わずかな安ど感があるのかもしれないな~と思う秋の日曜日です。
まあ、次なるショックの序章ともいえなくはないけれど・・・・笑
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改善しやすそうに見えて改善しにくかったり、改善しにくそうに見えて改善しやすかったりする場合があると思います。また、改善しやすそうで実際に改善しやすかったり、改善しにくそうで実際に改善しにくい場合もあると思います。
要するに、表面的なところでは、なかなか判断しにくいものだと思います。
また、意識がよく出ている子は関わり方を間違えると、よりひどい状態にもなりやすいですし、意識のあまり出ていない子は関わり方にあまり左右されず、一定のレベルをキープする傾向にあり、悪化しにくいという面もあります。
ですから、持って生まれたものに加えて、環境や意識の状態によっても、どれくらい改善するかは、変わってくるので、「発達障害は必ず治ります。」とは、なかなか言えないものだと思います。
診断が外れた場合は、単に障害特性をうまく隠せるようになっただけで、本人は日常生活を送ることに非常な労力を使わざるを得ないという場合すらあります。
ですから、私などは、「必ず治る」とか「必ず大きく改善する」とは決めずに、「少しでも改善させられたら嬉しい。」という思いでやって来ました。roboが改善しやすいか、または改善しにくいかは、小さい時には分からなかったからです。
アスペルガーのお子さんの中には、学習障害や発達性協調運動障害、不安症や感覚過敏はあまりなくて、社会性の問題だけが主な課題だったりする場合があります。その場合は、かなり改善しやすい場合があります。でも、roboなどは学習障害や発達性協調運動障害、不安症や感覚過敏があって、とても改善に手間取りましたし、今もまだ実行機能や学習障害の問題が大きいままです。
げんちゃんは改善しにくいタイプだったのかもしれませんが、着実に階段をのぼり続けているところがスゴいところだと思います。今後どれくらい成長するかは、本当に分かりませんので、このまま一歩一歩の前進を促していくしかないと思います。前進し続ければ、突き抜けたと同じくらいの改善が望めると思います。
とにかく、先のことは全く予想できませんから、私などは、色々な成長のパターンをシュミレーションして、どのパターンになっても対応できるように、本人への言葉の掛け方にも気を付けていますし、情報収集もして来ました。
本当に頭を使う子育てですから、頭が冴えるばかりで、全くボケる気がしません。
ロボママさん
>意識がよく出ている子は関わり方を間違えると、よりひどい状態にもなりやすいですし、意識のあまり出ていない子は関わり方にあまり左右されず、一定のレベルをキープする傾向にあり、悪化しにくいという面もあります
なるほどな~と思って読みました。ロボ君は、げんちゃんとはぜんぜん違うタイプ。私とは違う角度からたくさんのことを経験されて、いろんな分析をされているんだな、と思いました。
私は、繊細、とか、気にする、とか・・・そういうキーワードがぜんぜんない子を育てているので、そっちの苦労をあじわっていません。ただ、こだわりは、形は違えど強い。何かを指導すれば、自分の曲解で理解するので、あとからあぜんとします。変更フィルターが必ずかかっています。同じ認知と思っていたら大間違いです。
生きるための常識感、心の指針・・・・そういうものはすべて塩の柱のように、まったくできていません。一番大事なものがないのだから、どれだけ育児が大変なのか、投げ出さない自分はなんて根気があるのかしら、とさえ思っちゃいます。発達育児というのは、ほんとに大変だな、と思います。
たぶん、当人も成人して社会に出れたとしても、大変な困難が待ち受けるのでしょうね。まだまだ10年くらいは、社会とは遠いように思います。気長に、成長させて、なんとか、人としてまともに生きることができてほしいと思います。
人として生まれた以上、まわりを生かしていける人間になってほしいですね~。それまでは生きていないとな~と思うばかりです。笑 1
返信をありがとうございます。
「回りを生かして行ける人間になってほしい。」と私も強く思っています。障害のあるなし、能力のあるなし、なんて本当は大きな問題ではないと思います。生かす人間は生かされる人間となります。周囲を支えながら、周囲からも支えられる人になってくれれば、私達の発達育児は大成功と言えるのではないでしょうか。
そのための勉強であり、そのための常識感だと思います。
でも、私達の子供には、その素質が誰よりも備わっていると思います。せっかくの素質が生かされるように頑張って行きたいですね。
週末に定期テストが終わって、私もほんの少しほっとしました。期待してるわけではないのだけど、やはり持ち帰るテストには毎回がっくりしてしまいます。今回はどうかなぁ?社会、国語はほぼノータッチでした。
発達障害の子の成長は本当にいろいろですね。私の周りにも優秀な子に成長していく子が多いです。そんな中息子は突き抜けることはなさそうです。やはり学習能力の高さは持って生まれたものによるのだなぁと思います。もちろん生きやすさにつながるわけではないですが、学習能力の高い子は、自分の違和感に気づいて修正したり、補ったりできるようになっています。
学習能力が極めて低いのであれば、方向をがらりと変えることも出来るのですが、時間がかかるものの、サポート次第では身についていくので、サポート頑張っちゃいますよね。でも私にとってはこれが一番大変です。学習サポートをしなくてもいい子はやはり羨ましいと思ってしまいます。
一般の子は、親がなくとも子は育つ、が当てはまりますが、発達の子は、親次第ですよね。プレッシャーのかかる子育てです。
はじめまして、げんちゃんのママのブログ読ませて頂きましたが、私達親子と重なるところがあり、読んでいて苦しくなりました。是非教えて頂きたいことがあります。うちの子も、教えても教えてもザルのような脳で、なかなか勉強を覚えてくれません。辛いほど努力してますが、こんなに頑張ったところで知能指数があと10-20上がり普通の人になることなんてないんだなと思います。苦労して親子ともストレス抱えるより勉強をやめて作業所等で何か役に立つものを作る方が本人も楽しいかもと思い、もう大変すぎるし、私があきらめて、この子の能力の底上げをやめてありのままの能力レベルで公的に支援していただいて生きてもらおうと思いはじめました。げんちゃんのママは本当によくあきらめず努力されていて、すごいと思います。どうしてそんなにあきらめず頑張れるのですか?もう私は頑張れる気がしません。参考にしたいので頑張れる理由を是非教えて下さいませ。
ロボママさん
いや~・・・ほんと、この子の育児は、一人の人格破たんした子供を、どうやって人間として当たり前の人間にしていくか、ということにつきている・・・そんな感じです。学習も教えるのは大変しだし、すべて大変なんですが、人格の破たんというところが、一番大変です。これに失敗すれば、ヤツは、精神病院か福祉の世界にとじこめておかないと、やばい・・・そんなうすらおそろしいとこがあるのがゲンちゃんです。笑
ロボ君は、そこがすでに、できているので、ママはずいぶん、肩の荷がおりているんじゃないか、と思います。
げんちゃんが、豊かな人格をそなえ、人にすばらしい影響さえ与える人生を送れるようになったら、私は、ノーベル賞もんだよ~、と思わず冗談言いたくなりますね。
この子の育児の中心は、まともな人にする、ってことなんでしょうね~・・・
ゆうママさん
お疲れ様です。試験はほんとに疲れますよね。私は今回は、今までの中ではかなり抜いちゃったので、こんなもんかな、って感じですが、それでも毎回ぐったりしますね。
発達のお子さんでも、IQが高く出る子の方が、やはり楽なのでしょうかね。げんちゃんは低いので、いっけん自分より楽かな、と思ってしまいますが、人格が破たんしていたら、IQゆえに、すごく大変になったりしますよね。ただ、確かに、環境を与え、自分がおかしいんだ、と認識できるような状況を作れば、そこから学習をする可能性は高いのかもしれませんね。
げんちゃんは、IQが低く出るぶん、つながりをつけようとする気持ちが弱く、それでずっときてるもんだから、すべて、点がばらばらに存在していますね。
それらの学習能力の低さも、結局、心の問題だから、脳が損傷をうけて、一定の能力が低くなってしまったということとは意味が違うんだな、と思います。それゆえに、できないときめつけて、あきらめるのも口惜しいですよね。
でも、トライすると、めちゃくちゃ大変だし・・・・母親としては、相当なる精神力がいりますね。
下のふたごさんのコメントにありましたが、あきらめずにがんばること、これはほんとに皆課題です。すごい育児をやってますね。ほんと
ふたごさん
ほんとにがんばってこられたんですね~。気持ちがよ~っくわかります。この、ざるで水をくむ感覚。やったことある人しかわかりませんよね。でも、結局、発達障害は、脳の障害はなく、心の障害です。(私はそこにいたったのですが。)脳が損傷されていないのに、記憶できない、理解していない、というこの問題は、記憶や理解は、脳でするものではなく、心でするものだ、ということの証明でもあると思っています。心でとらえようとしていないと、どんなにがんばっても記憶できないのでしょうね。
そして、この心を治すことは、リハビリして脳を治すより、より厄介なとこがあるのです。なぜなら、気持ちがあれば、脳の損傷さえ、ある程度、リハビリで克服できていくことを見てもわかると思います。
まったくその反対なのがわが子たちです。心の用い方をしっかりゲットすれば、能力のところは、どんどん伸びていくということも逆説的に言えるとも思っています。
だから、やはり、可能性をあきらめない・・・というとこにつきます。ありとあらゆる方向性から考え、トライする。
あきらめない理由は、もう一つあって、あきらめたら終わりやな、とも思うからです。げんちゃんは、あきらめれば、どんどん落ちていくのがわかっています。意識が抜けた、自己中でおそろしい大人になっていくでしょう。そしたら、精神病院か福祉施設に入れるしかないです。
それはいやですし、つまらないし・・
ふたごさん
言い忘れました。課題がでっかいということは、祝福やおまけももらってるってことですよ。なんせ平等だからね・・
私が、すべての努力をして、げんちゃんが全く変わらないのなら、責任は神様にあります。もしくはげんちゃんにあります。そこから先はしったこっちゃない。私は私のトライを続けるだけ。だめだったら、神様が不名誉を受けるだけですよ。と私は、神様を、ちょっとおどしておりますが・・・だって、私は、できることのすべてをやってる自信がある! だめでも私のせいじゃないからね。 ははは・・笑・・・
げんちゃんのママさんお返事本当にありがとうございました。
あきらめたら落ちる、そうですよね。
くもんもやりたいと言ってはじめたのに宿題ヤダヤダギャーで続かなかったし、抑肝散も効かなかったです…心を動かす方法まだまだ試していない違う方向性で試してみます。まだ全部はやりきってないな、と思いました。
心を動かすの難しいですね。うちの子、心が幽体離脱してしまうんです。返事だけは『うん、はい、わかった』なんですが、『じゃあやって見て』というと『あ?なんだっけ?』となり、テキトーに返事してたのか(怒)!ガックリです。かなり気合いれないと心で聞けないみたいでかわいそうになります(T_T)
あとげんちゃんのママさんの神様に対する考え方が参考になりました。私は無宗教なので、そういう考え方があるんだなと気づきをいただきました。げんちゃんのママさんとげんちゃんには神様がついていてくれているのだなと思いました。
相談して本当によかったです、ヒントをいただけました。
ブログ参考になることがいっぱいでありがたいです。これからもげんちゃんの成長の様子、見守らせて下さい。私もがんばります。
ふたごさん
幽体離脱・・・ほんと、よくわかります。
うちも幽体離脱、という言葉を頻繁に使いました。でも、最近つかってないな~と思います。幽体離脱しているんですが、外見がそこまで、離脱しているように見えないようになってます。外側だけは、なんとなく、整えるようになっているんでしょうね。まずは、外からですね。
外が整いだして、やっと中なのかな~と思います。
一つ上がるまでの時間は、やはり相当かかりますよね~。
でも、やっぱり、上がっていますよね。
意識の奥から気持ちが出てくるのはなかなかですね。心を動かすためには、心に届く声かけやアクションもいりますね。
そこは、なかなかですよ~。工夫がいるし、がっかりすることも多いですね。
でも、やっぱりトライするしかないですね~。