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げんちゃんは、ダイヤモンド・・・・削りだすのに、ものすごくエネルギーがいる。研磨工具も、何個も何個もすり減らして磨いているのに、まだまだまわりのごみさえ取れない。
新しいステージにいったものの、先が見えない混とんぶりに、Sさんがこうはげましてくれました。
は~・・・・ダイヤモンドね~。
でも、このぱっとしなさすぎる息子を前に、私はどこかダイヤモンドと思っている節がある・・確かに、考えてみると私は、げんちゃんのことを周りに対して、低いものと思ったことがないようなところがあります。
小学校からずっといっしょのクラスメートは、げんちゃんのことを、ものの数にも数えていないようです。支援クラスに所属しているし、”自分の所属する世界の外にいる子”の感覚なんでしょうね。
まあ、当たり前と言えばあたりまえです。小学校の頃は、クラスに行くと、
「あ、げんちゃんのおばちゃん。」
と声をかけてくれてましたが、中学になったら、そういうこともなくなり、自分の住んでいる世界に没頭している様子。
どの子も、げんちゃんより、ほーんとにできがいい!その子たちよりげんちゃんは、超見劣りするとこだらけなんだけど、私はどこか、そもそも彼らとは、種(しゅ)が違う、みたいな感覚があります。
醜いアヒルの子 という感じ。種が違うんだから、違っててあたりまえじゃん。 だからカミングアウトだって、別になんということもない。笑
そもそも、普通の子とげんちゃんはすべてが違うんだから、比べてもしかたない。だからといって、周りの子が当たり前にできることができなくてどうする、とは思っていて、そこの能力がつかなければ、君の才能だって湖の下に沈んだまま、人生もかなり制約されるぞ! という危機感はある。
げんちゃんがご乱行の数々をしまくっているときでも、げんちゃんからごくたま~にこぼれてくる、とってもおもしろいものを、ちょっとわくわくして見ている自分がいるのに気づきます。確かに、このとんでもないヤツの中に、とんでもない光がある、勝手に確信しているから、発達育児が苦楽しいと思えるのかもしれません。
さて、日々苦労している私に、時々ちらっと神様の励ましか、げんちゃんの光がぽろっと漏れるときがあります。
今日は、支援の先生からげんちゃんの詩のコピーをいただきました。今学校でやっている枕草紙の、げんちゃんバージョンを書いたそうです。それがイケていたというのでわざわざ持たせてくれました。汚い字で一気に書いたというそれは、ほんとに、私のどこかにいつもあるけれど、普段は、すっかり忘れている ”わくわく” を、ひさびさに思い出させてくれました。(改行は私が適当にしました。ばばばっと書きなぐっていたので。)
げんちゃんの枕草子
春はお花見
下から見上げる桜が、
日に当たりますます美しくなる様子
夏はセミの声
聞こえてくると夏の合図だ
秋は紅葉
山がオレンジ色になってくる様子と
日が落ちる様子は
あわれなり。
冬は雪
草木が雪の下で寝て
次の日を待っている
すげ~・・・
んで、げんちゃんを家族でべた褒めしてしまった翌日、げんちゃんは、またどかんと落ちてました。立ち位置をぐんと高いところに持ってきた様子。やれやれ。ほんとほめるのは要注意でした~。でもね~、意識を入れたら、ちゃんとこんなにつなげられるのに、なんで、普段はしようとしないか~! (/・ω・)/
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げんちゃんの枕草子、素敵ですね。日本の四季が豊かに表現され、情景が目に浮かぶような随筆だと思います。
げんちゃんのこういう才能は、絵画にも見られますから、ママさんも楽しいことでしょうね。本当に光を放っていると思います。
大いにほめるたくなっちゃいますよね。でも、きっと、ほめた後に、バッチリ現実に引き戻して上げなきゃならないのでしょうね。「あらっ、でも、こんなに上手に書いている人とは思えないくらい、これこれは忘れているわねぇ。別人かしら。おかしいわねぇ。」なんて言って。私も、ほめた後に、結構「あれー、こんなに出来ている人がおかしいわねぇ。こっちはぐちゃぐちゃよー。」なんて言ってました。
ママさんもイチイチ油断できなくて疲れますよね。ただほめたり、ただ叱ってる方が楽だと思います。
ロボママさん
すごい
>あらっ、でも、こんなに上手に書いている人とは思えないくらい、これこれは忘れているわねぇ。別人かしら。おかしいわねぇ。」
これいただきます。
私は、なかなか声掛けむつかしいです。
やさし~く聞こえるけど、厳しい、というのはけっこうむつかしい。
単純にきつい・・・わたしの声掛けはすぐにそうなります。
でも、ほんと、なんでこんなにまったくつなげない君から、こんな詩が出てくるのか不思議ですよ。
一つ一つばらばらげんちゃんですからね。能力が幼児並みのところも多くて、ほんとちぐはぐ。まさにロボママさんの声掛けどおりです。
げんちゃんの枕草子、素敵です。
こんなに気持ちのこもった、きれいな表現をするのですね。
心が綺麗なんですね。
芯の部分は本当にダイヤモンドですね。
これだけ書けたら、べた褒めも当然ですよ。
他のお子さんがこの子達を物の数にも数えていないという事実、私も現場を見ました。
とんちゃんに対してではないのですが、子ども会行事の時、普通級にいるグレーな子が同様の扱いを受けていました。
その子は超多動だと言われていて(数年前、走って逃げる所を目撃したことあります)、要チェックリストに上がっていました。
その子の学年を私が担当することになり、行事中ずっと一緒でした。
本当に文字通りの扱いで、何か変なやつ、関わらないでおこう感がよくわかりました。
彼が不憫で仕方なかったです。
当日、彼は別人のようにとても落ち着いていました。
その様子から、多分、薬を飲んでいるのだろうなと思いました。
薬って決まったわけじゃないですが、あの落ち着きぶり、自然にそうなったとはとても思えなくて。
彼について色々思い巡らせていましたが…
とんちゃんのこと考えなさいって言われそうですが、他人事とは思えなくて。
ちなみにその時、とんちゃんは同級生の力を借りながら、行事に参加していました。
支援級にいるので、周囲も「お手伝いの必要な子」という認識があるのかな?普通級で頑張っている彼と違うのはその部分なのかな?と。
とんままさん
げんちゃんにかぎらず、障害を持って生まれたということは、それだけ、かくされた宝もちゃんと神様に与えられている、と私は思っているのですが、げんちゃんは、そういうものは、小さなころまったく見えませんでしたよ。
絵が描けない、勉強できない、自己中(今もだけど) 歌うたえない・・・工作できない。
洋服さえ自分で着れるようになるイメージもわかず・・・運動も超苦手。
ほかのお子さんは、絵だけは上手、とか、絶対音感がある、とか、一部の学習にめっぽう強いとか、スペクトルは狭いかもしれないけど、ちょっとした光がある子が多いでしょう。ほんと情けなかったですよね~。
でも、やっぱり、あるんですよ。みんな。守られている・・・というのも感じます。神様が目的をもって作っているので、踏み出せば、それらが動き出すんだと思っています。
しかしね~。ジキルとハイド。げんちゃんは、今また落ちて奈落の底にいますよ(涙)
そうなると、横柄自己中。そのくずっぷりはすごいですよ~・・・目はぼ~っとして、背中は曲がり・・・げんちゃんだけなのかしら??
もうどうしようもない!
こういうくずっぷり(屑ですよ。人間の屑!)が上がると、数に入らないのも、当然だし、自業自得だよ! と思います。
でも、小さなころはちょっと胸が痛みますよね。でも、そこは、しっかり客観的になって、そりゃそうやろう!と思います。笑
でも、先日教室にちらっと見に行ったとき、小学校からいっしょのT君に
「ちょっと、技術家庭のプリント見せてくんない。げんちゃん、例のごとく、書き残してるから。」
と頼んだら、気前よく見せてくれましたよ。みんな、意地悪ではないんだよね。ただ、自分とは違うものには、無頓着で関心がないんだろうね。まあ、種(しゅ)が違うと思っていればいいのかもね。
3年までは、あまりにうっとおしいげんちゃんだったので、支援クラスから出さないで、とお願いしてました。ソーシャルなんて、自分で学べるレベルになかったので、普通クラスに入ったって無駄だから・・・・
まあ、それ考えると、成長はしてるよね~。