ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
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不登校をおこしやすい発達障害のお子さんの意識。ワンパターンのやり方は危険

 > 週1げんちゃんを教えて下さるユリ先生が、面白いことをおっしゃっていました。

ユリ先生の、発達障害のクライアントさんの中には、げんちゃんとはタイプの違う、不登校を起こしているお子さんがけっこういるそうです。
そういえば、支援のママ友のゆうすけ君(仮名)のクラスメート(支援クラス)も、けっこう休む子が多いようです。
ゆうすけ君自体も、けっこう繊細で、普通クラスに行くのをいやがったりすることも多く、支援クラスで勉強する時間が多いようです。

ユリ先生は、そういうお子さんには、けっこうほめて持ち上げて学習すること多いようです。でも、げんちゃんには、絶対に立ち位置より、上に持ち上げないように気をつけてもらっています。立ち位置の高さ分認める。それより上に持ち上げると(いわゆる”ほめる”)、すぐに、げんちゃんは、のぼせて努力をやめますし、こっちにさせて、自分は抜きます。したたかに、こっちを見てます。

不登校をおこしているようなお子さんに、げんちゃんに言うような辛口の調子で言うと、すぐに落ち込むことも多いそうです。

げんちゃんは、ちょっと特殊かも・・・・と言われました。

ユリ先生は、ブログでげんちゃんのことをずっと読んでいてくださって、実際会うまでは、げんママは、厳しいな~、と思っていたそうです。でも、実際げんちゃんに指導するようになって、なるほどな、と思ったと言います。

げんちゃんは、不登校をしたことがありません。小学校から、いじめられる、という不幸に会うことがなかったので不登校をしなかった面があります。でも、それだけではないようです。げんちゃんは、不思議と、どこへ行っても、自分のエリアというのをしっかり持っています。研修旅行で、クラスの問題児の隣に座った時も、聞いてみると、
「何をされるか、ちょっと怖かった。」
と言うのですが、びくびくした様子でもなく、こびるわけでもなく、たんたんと、一言も話さず、平気で隣にいたようです。もし、私がその場にいたら、自分の精神的エリアを侵されそうですが、げんちゃんは、あまり侵されなかったようです。ストレスは感じたけれど、侵されはしない。

周りのことを気にしない、という長所にも短所にもなる性質は、げんちゃんが、横方向の広がりに欠けるということでもあるのでしょう。げんちゃんは、まわりの雑音に振り回されることもあまりありません。
くもんを辞めさせられた、しかも、大好きな先生です。こういうショッキングなことも、少しの違和感くらいで流してしまっています。いまだに、どう思う? と聞くと
「べつに、気にはならない。」
と言います。ほんとに、大きく見積もっても、少しばかり感じているのかどうか、という感じです。もしかしたら、ぜんぜん、かもしれません。

昔英語の教室に行ってた時に、たぶん、発達障害かな?と思われるお子さんが、一人の友達にけんかをふっかけて聞くのもつらいような場面が展開されたことがありました。げんちゃんは、隣に座っていましたが、平然と自分のやるべきことをやっていました。私なら、やるべきことをやりつつも、心が動揺するよな~、と思って見てました。(たまたま見学していた私)

終わってから、
「げんちゃん、今日はすごい子がいたね~。」
と私が言うと、
「うん、お母さんが来る前、先生に外に出されてた。」
と、何の動揺もなく、たんたんと言ってました。うまく言えないけれど、まるで、水みたい。その場の雰囲気にそまりもしないし、自分の雰囲気をまわりに押しつけもしない・・・

しかし、この、まわりを見て、動揺したりすることが少ないげんちゃんは、周りを見ることで、自分を鏡に映すようなことができません。周囲を気にして、自分の態度を振り返ったり、お悩みの中から、何かをフィードバックしたりすることができない。集団の中に入ると、まるで、色なら白、水のような透明ささで、そこにいる。

この透明さは、強さでもあるけれど、そこに訴えることで矯めることが、なかなかできにくいということでもあります。

不登校を起こしてしまうお子さんも大変です。彼らは、たぶん、げんちゃんとは違って、意識を横方向に広げやすい子なのかもしれません。

意識とは、深さ、広さ、高さ・・・奥行・・・とても複雑な広がりを持っているもののようです。その子の意識は、その子その子で空間が違うんだな、と思います。
とても抽象的ですが、げんちゃんのそれが、縦方向に狭く広がっているようなイメージに感じる私です。

発達育児を、十把一絡げに考えるのは危険です。ほめる育児がいい、とか、厳しいのがいい、とか、単純にきめつける指導者は、決して一流ではない・・・そう感じます。その子の意識レベルに、どう働きかけて、どっちの方向に伸ばすか。そういうことができるようになるには、ほんとに、指導する自分自身を開拓する必要があるな~と思います。


S先生からずいぶん学ばせていただきました。

PS
この意識の方向性をイメージすることで、不登校になりやすいお子さんの指導のやりかたのヒントがあるかもしれません。(もちろん、過度にいじめられるとかして、不登校というのは、また話が別ですが。)

げんちゃんなら、横方向に広げる。ちょっとしたことで、不登校を起こしやすい子は、縦方向に広げる。
縦方向とは、自分のやるべきこと、自分の目標、自分のことだけ見つめさせる、ということなのでしょうか。友達のことや周りを気にするな、と言っても、どうしても、そっちにいっちゃうわけで、それなら、縦方向、自分のことについての積み上げていく縦の方向。それらに、極力視点を向かわせることがいいのかもしれませんね~・・・不登校というのも、実際つらいものです。げんちゃんが、もし、将来そうなったら、それは、もしかしたら、すごい成長と意識の広がりなのかもですね~・・・・







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  1. robo_223 より:

    傷つきやすいお子さんで不登校だった場合に、ご相談に乗ったことも多いのですが、私は結局、げんちゃんのようなタイプもそのようなタイプのお子さんも課題になっている部分もアプローチも本質的には、同じだと考えて、ほぼ同じアドバイスをしています。

    違う点といったら、傷つきやすい子の方が、セロトニンが分泌しにくいという点です。ですから、運動をするようにお勧めします。

    でも、げんちゃんタイプも運動によって、脳の働き方が改善するのは同じなので、結局アプローチは同じですね。

    また、傷つきやすいのも、自分の立ち位置を理解していないために、自分が周囲から良く扱われないことを不本意に思ったり、努力の必要性を感じていなかったりするためだったりすることもあるので、ここの認識をまずは親御さんから始めます。つまり、これも同じです。

    さらに、褒め方も同じで、傷つきやすい子も誤学習があるので、出来たこと以上の褒め方をしてはいけないようです。前より出来たことや頑張りについて、事実に基づいてほめることが望ましいと思います。

    ただ、ユリ先生がおっしゃるように、その頻度や声の調子には違いをつけた方が効果的かもしれませんね。

    私もroboをよくほめますが、出来た以上のことは言わず、希望を持たせることも言わないようにしています。おせじだなどと、察することは出来ないからです。

    また、傷つきやすいタイプも、耐性力が足りない場合があるので、毎日コツコツ勉強やお手伝いをするようにとお勧めします。

    つまり、セロトニンが分泌しにくい、というだけで、認知の歪みやマイペースなところ、立ち位置がわかっていないところなどは、結局同じなので、トレーニングやアプローチは、同じになってしまいます。

    おとなしくて優しいと思われていた受動型の子が、後に尊大型になって他責をするようになるケースがあることからもわかると思います。

    でも、げんちゃんママさんがおっしゃる通り、認知の広がりについては、違いがあるのかもしれないと思いました。縦だけだとか、横だけだとかです。

    ですから、両方にバランス良く広がっている方が生きやすいですよね。

  2. glow-gen より:

    ロボママさん
    確かに、どの子も同じ、という部分わかります。
    時々、繊細な子なので、と言われてよく見ると、ただ、親があまやかせていた結果、わがままを表面に押し出しているだけ、と言う子も、中にはいます。もちろん、皆ではないし、そう言う子も、繊細故に、そうなってしまうという一面もあります。

    だめなことはだめだし、その子の評価も、普通の基準というものをもって見れば、ある程度一つに決まります。
    やることは、いっしょなのかもですね。

    ただ、意識の広がりは、子どもによって違うのも確かだな、と思います。
     
    意識の広がりは、広大に、多方面に広がっている方が、人間として深みがあります。発達の子は、その点、どこか、単一的です。
     まだまだ、意識の世界を、よくわかっていませんが、げんちゃんを通して、色々学ぶと、自分の生き方や考え方が広がっていくようで楽しいです。

     やはり、人生は、努力すること、チャレンジすること、あきらめないこと、出会いと人を大切にすること。神様をおそれること。

     これらが大切で、生きることの意味なんだろうな、と思います。このあたりを、しっかりがんばらせることが、発達育児だと思います。普通の子は、そのあたり、漠然としていても、なんとなく、普通の基準の中で、適当にやっていける場合もあります。

     発達育児は、どう生きるか、ということに通じてくるように感じます。

    それから、傷つくということはどういうことなのか、・・・これもなかなか奥が深い様な気がしますね~。

    発達育児は、じぶんを写す鏡のようですね~。

  3. wm より:

    いつも興味深く拝読させて頂いております。私には、注意欠陥と認知が弱い年長の息子がいます。

    今、私が悩んでいる不登校についてのタイムリーな記事が出ていたのでコメントさせて頂きました。
    息子は、少し吃音があり、また語彙の少なさからも友達と楽しむような会話をスラスラと話すことは難しいです。しかし、本人の友達が欲しいという気持ちは強く、たどたどしくも話しかけに行ったりします。しかし、やはり相手にされず幼稚園でも1人で遊んでいる場面が多いようです。

    来年、小学校に入学し、この様な状態が続けば二次障害を起こさないか、今からとても心配しています。このように、言葉も会話の内容も覚束ない割に、友達とのコミュニケーションを欲している息子に対してどのようなアドバイスをすれば良いのか悩んでいます。よく言われる自己肯定感なども関係してくるのでしょうか?

    お忙しいところ申し訳ありませんが、アドバイス頂ければ幸いに存じます。 1

  4. glow-gen より:

    wmさん
    コメントありがとうございます。
    げんちゃんは、今でこそ、友達とは、あまり摩擦をおこさなくなったものの、上学年になるまでは、ほんとトラブルの鬼でした。うっとおしい、自己中、場を読めない、話がかまない。好き勝手する・・・・まあ、ありとあらゆることがありました。
     もちろん学校で友達はできないずくで来てます。
     私の取った対策は、ありのままを伝えてました。
    「あれじゃ~、友達できないよね。」
    というのがスタンスでした。親は、子供が仲間はずれにされたりしたら、自分が傷つくものです。実は、子供ではなく、親が傷ついているのです。
     そこで、これじゃ、友達できるはずないね。ならば、その原因をまずは克服しましょ。あなたもがんばりなさいね。
    今は、あなたは、まだまだ友達ができるには、ほかの子より、成長が遅れているから、できないのはしかたないのよ。友達が欲しい、のなら、まずは、自己開発しましょう! がんばりましょ!
     そっちにエネルギーをもっていかせるのがいいですよね。つまり、横方向に伸びようとしている意識を、たてにもっていてってやる。
     友達は、今は、できなくても、ぜんぜんかまやしないの! 
    母親自身が傷つかないことです。発達育児は、わが子が、いかに、将来、自立して、神様からもらったものを開発できるか、ということが視点です。低いステージの段階で、友達ができた、と思っても、それは、友達ではないです。
    やがて、成長して、自分が自分のチャレンジを乗り越えられたら、そこからは、ほんとの友達ができますからね。
     自己肯定感というのは、まずは、絶対的な親からの愛情があれば、やがてついてくると思います。チャレンジの最中は、そうそうつくものでもないと私は思っています。げんちゃんは、コンプレックスをばねにしていますしね~。いまのとこ。

     神様から見た自分は、絶対的に肯定されています。その部分だけで充分です。
    母親が、そこをしっかり握れば大丈夫です。子供がかわいそう、と言いながら、実は自分がかわいそうになっている・・・けっこう親はそういうものなんですよね~。親が、そういうことは、別に取るに足らないこと、というスタンスでいると、子供も縦方向にいきやすいです。
     まあ、しかし、私も通ってきましたが、胸がちょっと締め付けられるのも確かですよね。
     がんばってくださいね~。 2

  5. あつぞーパパ より:

    げんママさん

    初めに、wmさんのコメントに横入りすることをお許しください。

    私の子供は知的障害、注意欠陥で、吃音があります。ですからアドバイスはおこがましいですが、実際に起きた経験を書かせてください。
    うちの子は小学1年から2年まで普通級に通い、3年から支援級のある学校に転校し、現在は5年生です。私も小学校入学までは、二次障害などを懸念していました。実際に1~2年生の頃は、3、4人のクラスメートにからかわれたり、文具などをとられたりするトラブルもありました。

    このてのトラブルはうちの子の吃音の有無にかかわらず、学力が普通でも遅れていても、起きていたかもしれません。また、このてのトラブルをなくすことはとても難しいので、担任、スクールカウンセラー、親が連携してきちんとウォッチするしか対応方法はないように思われます。月並みですが、、、

    さて少々暗い経験を書きましたが、一番に申し上げたいことは、子供同士の人間関係はポジティブなこともありました。子供たちの中には多少のイジメをする子たちもいれば、仲良くしてくれる子たちがいたのも事実でした。ネガティブなことはどうしても大きく考えてしまいますが、ポジティブなことも存在します。

    最後に吃音について申し上げると、うちの子は自分の吃音をあまり気にしていない様子です。もちろん自分に吃音があることは、本人も承知しています。一方で、もしかするとクラスメートの中には吃音をそれほど気にしない子もいるのかもしれません。もちろん、気にする子もいるでしょうが、、、
    子供同士のコミュニケーションは大人が考えるものとは差異があるようですから、なかなか難しいようですね。 1

  6. glow-gen より:

    あつぞーパパさん
     ありがとうございます。
    この子たちに、一番必要なことは、環境を整えてあげるということですね。
     あつぞーパパさんは、学校にしっかり働きかけて、子供さんをサポートしてもらえるようにされて、普通クラスでの生活を、子供さんのプラスになるようにされたんですね。
    ほんとに大事なことですよね。特別過酷な環境でなければ、どんな環境も、マイナスもあり、プラスもあります。上手にプラスを増幅して絵吸収させたいですよね。そのためには、やはり、まわりの大人たちが、ちょっとだけ手を加えてあげなくてはなりません。そのあたり、親の采配がものを言いますから、頑張る必要があるんですよね~。
    私は、げんちゃんの能力が、まだ集団の中で、学び取るところに至ってない、と判断して、極力、普通クラスには入れないでくれ、と頼んだ時期もありました。集団に入れない、という選択も、レベルによってはありです。

    それもこれも、親の方が、子供からちょっと引いた位置で、子供を見ることが必要です。あつぞーパパさんは、母親より、男性であるぶん、離れて見てやりやすい感覚があるのかもしれませんね~。

    奥さんは幸せですよ~・・・(^^♪ 1

  7. wm より:

    げんちゃんママさん、あつぞーパパさんお忙しい中、的確なアドバイスどうもありがとうございました。

    母親が傷つく、まさにその通りだと思います。遊びの中で勝手にルールを変えられたりしても息子は気づくことができず、ただ流れのままに不利にされて終わってしまいます。万が一気づいたとしてもそれを言葉として上手く表すことも難しいです。
    確かにそんな状況での友達作りは難しいですよね。もっと縦の方向に伸びるように本人の中で頑張らせたいと思います。

    息子には、定型発達の兄と妹がいるのですが、二人がたとえ友達と喧嘩していようともそこまで気になりません。しかし、次男の場合は、必要以上に不利な立場にあることに私の感情が振り回されてしまうことが多いです。恐らく息子の事情を知らない親御さんにはモンスターペアレントに思われているのではないかと思います。

    そして、親からの絶対的な愛情による自己肯定感。ちょっと自信ないです…
    息子のことは、もちろんとても大切です。だからこそ、いろいろと困らないよう頑張っているので。
    しかし、あまりに唖然とするような理解
    のなさに怒りがおさまらないときがあります。怒っても仕方ないのも分かっているし、いつも自己嫌悪で終わってしまいます。自己肯定感も育んであげたいので、まずは私の怒りのコントロールを習得したいです。発達育児、本当にバランスが難しいなと思います。 1

  8. glow-gen より:

    wmさん
    お返事ありがとうございます。
    自分自身が傷つくのを、私もずいぶん体験しました。子どもがかわいそう、と言いつつ、自分がかわいそうだったり。なんせ、げんちゃんは、傷つかないですからね~。笑

    絶対的な親の愛情・・・・~。おまえなんて受け入れられないよ、なんていうのも、愛情のゆえに苦しんでいるわけですから。とにかく、おまえから逃げないよ! ということが、絶対的な愛情だと思います。笑
    親も人間なので、あまりにずれている息子を見ると、オエ~っとなってしまって。こんなん愛せよ、とか言われてもな~、汗 でも、だからといって、逃げませんからね。

     そういうネガティブな思いも、素直に出していいですよ。私は、平気で言っておりました。だって、そんな態度じゃ、誰からも愛されないでしょ。

    でも、たとえ親に愛されなくても、(いや、愛してますけどね)げんちゃんを作られた神ご自身が、げんちゃんを命のように大事に考えて下さっているし、意味があるから、この世に生をうけさせている。これが究極の絶対的な肯定感です。もちろん、親が君を愛せない~いとかいうのも、愛情の裏返しですから、逃げない限り親の愛も受けているんですよ。

    子どものだめなところも、親のだめなところも、すべて、自然体でうけとめて、とにかく、上を向いてがんばろう・・・とやるしかない。でも、そのエネルギーは、神様の応援が得られてくると私は信じているのです。

    嫌悪にまけず、当然ですから・・・
    0 +1

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