> 試験勉強も宴たけなわになってきたのに、げんちゃんの落ち方はひどかったです。
週末から、げんちゃんは、言うことをまったく聞かなくなり、それどころか、自分の好きかってしたいモードに入ってしまいました。これまでも、良かったり悪かったりと、安定していなかったので、この週末こそは、試験勉強に打ち込みたかったのに、・・・
どうも、力関係が上になったような口の利き方で、そういうとき特有の蝋人形ばりの、不感冷徹な態度になっています。私はとうとうあきれて
「あ、そうなの。じゃあ、自分だけで勉強するといいよ。もう試験勉強は手伝わない!」
げんちゃんが寝付いてから始めるテスト準備は、時に、朝5時までかかったりして、もう私もくたくたです。そこを押して、勉強見てやろうと思っていた気持ちはすっかり萎えました。
寝る前に、どうせげんちゃんの共感なんて得られないのはわかりつつ、
「お母さん、あなたの準備で、全然寝てないのよ。そういうのどう思うの?ママ死にそう・・・」
「はあ?別にそういうことは何も思わない。」
冷徹な蝋人形モードのげんちゃん。やれやれです。このモードに入ると、めんどくさいことは、いつにもまして感じないことにする、という特技を、目いっぱい働かせます。もともと感情は動きにくく、それをうごかすために、いつもへとへとになる私とK先生・・・これは、心が動きやすい繊細なお子さんを持つママにはわからないだろうな~と思う、げんちゃんの手ごわさです。
S先生によると、それというのも、げんちゃんは、ほんとに意識が、奥深くに眠っていた子で、やっとそれが、なんとか外に出るようになったものの、意識の中の、浅い部分にあたる感情と、深い部分の理性的な意識がぶつかりあっている状況にあるのだそうです。さらに、空間認知がだめなげんちゃんは、相手の立場になることも、もし、というシュミレーションにたった発想も、なかなかできないと言います。
(以前から私は、ママが死んでもこの子は泣かないだろうな、と感じてしまうのもしかりだそうで、実際ママが死んでみないと、シュミレーションは無理なんだとか・・・ため息)
それに、今までは自分の感情さえ、自分で捉えられなかったのが、多少とらえられるようになって、それが楽しくて、暴走するのだとか。正しい方へ行かねばならない、というのも、少しはつかんでいるけれど、感情が低い方に引っ張っていくのを止められない。感じようとすれば、少しは感じられることでも、めんどくさいことは、感じないことにする。感じたいことだけを感じてにぎっていく行動パターンが暴走していきそうになっています。
意識を目覚めさせたばかりのげんちゃんは、方向性が決まるまでの不安定なステージにいて、どっちにも転がる、危険な状況なのだそうです。
S先生は、私に言いました。
「今が一番大変な時期。ママのつらさわかるよ。この時期に正しい方向に導かないと、感情を優先させる行動パターンを確立していまう。げんちゃんに甘い身内、げんちゃんのそのままを肯定して、寄り添ってしまうような指導者は、今は、さけてほしい。」
なるほど、私が旅行中に、姑に諫言してくれたのも、そういうことだったようです。
まあ、K先生も私も、げんちゃんのしたたかさ、ずるさは、熟知しているので、肯定感むんむんなんて、できるはずもないので大丈夫ですが、時々ヤツは、人を見て、上手に態度を変えてくるので、相手がつい、げんちゃんを図に乗らせてしまうこともありうるのです。
まあ、そういうわけで、土曜日は、げんちゃんをほっといて寝ました。疲れて爆睡です。
さて、朝になると、げんちゃんは、勝ち誇ったような態度で言い放ちました。
「僕、ちゃんと勉強したよ!」
私が寝た後、しばらく、一人でテスト勉強した様子でした。 ほう・・・・それは今までにはないことかも・・・
でも、チェックすると、なんと、範囲も確認せずに、まったく関係ないとこをやっていたことがわかりました。
にもかかわらず、げんちゃんの顔には、おまえがいなくても、これだけできるんだ・・・という高慢さがあふれています。私は、冷ややかに言いました。
「あのさ~。テスト範囲見たの? 付箋のとこをやったんだろうけど、付箋は、1学期のテスト範囲だよ。あなたは、ぜんぜん違うとこやってますけど。」
とたんに、げんちゃんは、びっくりした表情になりました。すかさず私はつっこみます。
「げんちゃん、自分一人で勉強しても、ぜんぜんまともなことできてないじゃん。普通の子なら、テスト範囲も把握してなくて、やみくもに勉強することなんてないけどね。」
「あー・・・」
その瞬間、先日からの力関係が逆転しました。
「一人で勉強できたって言うけれど、げんちゃんは、今のところ、ぜんぜん一人でできてないわけだよね!」
私は、げんちゃんを横目でにらみつつ、ここぞとばかりに一撃を加えます。
「それなのに、私に偉そうな態度とって、あなた、それで、まともになれるなんて思ってるの? ずれてるよね~。普通と、ぜんぜんずれていることがわかるでしょ・・・」
とうとうげんちゃんは、ここんとこ続く、暴走した態度を収束させました。
私は、ゆっくり間をとりつつ、静かに紙を出して、マインドマップをしてみます。
「テスト。・・・これって、いつ? ・・・じゃあ、今何考えないといけないのかしら?」
「時間・・」
「それで・・・・?」
しばらくして、範囲、という言葉が出てきました。それから、試験前の状況ではどういう風に過ごすべきなのか、また、ママの力あってのテストということをたんたんと教えてやりました。げんちゃんは、平気で、自分はできてる、と勘違いする。またメンタルも強く、暴走すれば止められない・・・しっかり、立ち位置の確認と、歯止めというくぎを打った次第です。
さらに、教会でこういう出来事が重なったのもタイムリーでした。
「うちの家は、狭くてぼろだけど、げんちゃん今度ママとおいで。」
と言ってくれた友人に
「あ、そうだね。犬小屋みたいだよね。」
と言って、みんなに矯められました。実は、教会のみんなに、げんちゃんに、絶対甘くしないでくれ、と頼んだばかりでした。よかったよかった。
げんちゃんは、言っていいこと悪いこと、まだぜんぜんとらえきれてません。普通の子が甘えからやることとわけが違う。目こぼしして、ジョークの部類に笑ってしまえば、それを、そのまま誤認識してとってしまう。みんなしっかり、細かく指導してほしい・・・と。
この二つの事件がエポックになって、げんちゃんは、なんか、一つ階段を上ったようです。まだ不安定ですが、下に落ちていくのが止まった…そんな感じ。私への態度が、ぐっと改善したのです。
試験前ぎりぎりで、底を打って上昇・・・・時間切れ感はありますが、なんとか、試験スタイルをとって試験に突入することができました。
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げんちゃんは、小学校の終わり頃、自分の感情を強く認識出来るようになってきました。そして、自分を認めてほしいという感情が特に強くなったと思います。
普通級に行きたい!というのも、その感情の一種で、自分を向上させたい!という気持ちからではなく、周囲にカッコいい自分を見せて、認めてもらいたい!という気持ちからだったと思います。
だから、普通級に行きたい=勉強や自己管理を頑張る、という構造にはなりにくかったのだと思います。
また、ママさんにも、自分を認めてもらいたくて、しばらくの間、ママさんに靴を並べていることをアピールしたり、自主的に勉強して見せたりしてアピールする時期がありましたよね。
でも、そのアピールもむなしく、自分が思うようには肯定してもらえなかったので、自分は皆に認めてもらえないんだ、と判断してしまい、余計態度を固くしてしまったのではないかな、と思います。
本当は、げんちゃんのことを全否定しているわけではなく、もっと、こうした方がいいよ!と教えて上げているだけなのに、共感性や状況判断能力にまだ課題のあるげんちゃんは、理解できていないのだと思います。
込み入った努力をするよりは、手っ取り早く承認を得たい!と思っているのですが、うまくいかないので、それならもういいよ!という態度を取っているのだと思います。
ですから、普段は、そのような誤解に基づいた、感情を殺したような態度を取るけれど、今回のように、「自分は1人では勉強出来ないのだ。」という正しい認識が出来た時は、急に目が覚めたようにちゃんとした態度が取れるのだと思います。
このような誤解が解け、しかも、げんちゃんが面倒なことも厭わず、本当の意味で自分を向上させたいと思うようになれば、今のような上がったり下がったりする学習態度が改まって来ると思います。
それには、やはり、もう、しばらく時間がかかるのかもしれませんね。
そんなにすぐに、誰だって、周囲の感情を正解に把握出来るわけではありませんし、意識の力が感情を上回ることも簡単なことではないですものね。
でも、出来るだけ、げんちゃんが周囲の人がげんちゃんを否定しているのではなく、良くして上げようとしているのだということを理解させたり、意識の力が強くなるように働きかけていきたいですよね。
そのために、皆さんで一丸となって、げんちゃんを導いていらっしゃるので、すでに充分、努力はされていると思います。
1番大変な時期ですから、ママさんも体調に気をつけて下さいね。
げんちゃんの幼少期からの飛躍的な学力向上には、ひたすら感心させられます。勉強のように毎日積み上げるられものは、有効に行えば結果が付いてくるんだろうなぁと希望を感じます。
一方で、経験に基づくものは勉強のように毎日積み上げるられものではなく、経験したその都度、説明して指導するより方法はないので、勉強に比べ緩やかな向上になるんでしょうね。
げんちゃんが自分で勉強したけど試験範囲ではなかったことは、自主的に勉強したことは素晴らしかったけど、範囲に対して注意が少し不足していたわけですよね。こういった経験をその都度、説明して積み上げるしかないわけですね。
(自主的に勉強してくれたことだけでも、充分に羨ましいですが、、、)
では「人の死」に対する感情はどう説明したら良いか?、げんママさんのコメントの中で考えてしまいました。
>以前から私は、ママが死んでも〜~~~
うちの子供も「人の死」に対しての理解が曖昧です。自閉症傾向がみられる発達の子供の中には、死の理解が難しい場合があると本で読んだことがあり、私も頭を悩ませています。月並みですがペットを実際に飼って、避けられない死というものを経験させるしかないのですかねぇ。
うちはペット禁止のマンションなので困っているのですが、とほほ、、、
ロボママさん
意識が出てからの変遷、解説なるほどです。
げんちゃんは、やっとこっちの言おうとしていることを、少しずつ取り始めたように思います。
私にひたすら反発していたのに、今週は、反発しつつも、どこか聞いてるところを感じます。K先生の時も、話を聞いてる、らしいです。
げんちゃんは、不感症のところがある反面強いです。自分が納得すれば、突き進んでくれるのかな、と期待します。
でも、そこまで行くには、まだまだ超えなければならないところがたくさんあるのでしょうね。
できてないのに、一部できているところを取り出して過大に褒めると、げんちゃんは、全体ができている、これでいいんだ、とすぐに勘違いします。
くもんの先生も、それで大失敗したわけです。
やれたところまでは、軽く認める、その程度がげんちゃんには合っています。
しかし、普通の基準でほんとにやれた時は、ちゃんと褒めまくります。たとえば英語の10問テストを10問正解したとか・・(普通の子でもちょっとした快挙なわけですからね・・・まだないですが・・・笑)
げんちゃんのような手強い子、S先生のアドバイスがなかったら、私も、ほんとに手を焼きまくっていただろう、と思います。
ロボママさん
げんちゃんを否定しているわけではないということは、先日こういうできごとがありました。
「げんちゃん、お母さんは、あなたを、障害児の基準では見てないよ。その基準で見れば、げんちゃんはすごいと思うよ。支援クラスで普通クラスのテストを受けてるのあなただけだし、それだって、障害児の基準では、すごいことなんじゃないの?
あなたは、どっちの基準で見てもらいたいの?」
げんちゃんは、ぶすっとして、
「普通の基準!」
と叫びました。げんちゃん自身に目標はある程度設定できているけれど、それにつながる目の前の目的は、まだまだぶれぶれ、そこがテーマです。
あつぞーパパさん
中学に入ってから、まだまだとはいえ、昔のげんちゃんからすれば、学習能力は飛躍的に伸びているといってもいいかもです。
でもそれは、こつこつやらせてきたから、というのもありますが、意識が働きだしたせいが大きいように思います。
とくに、好きな社会理科は、以前なら、問題の意味をとれるのかさえ、心配していましたが、そういう心配は少なくなりつつあります。げんちゃんは、社会理科は好きなので、少し動き出した意識を合わせやすいようです。
そうなると、進化が、目に見えて感じます。
意識が出ても、数学英語は、あまり好きではないようで、(どうも、数学英語は、頭の使い方が似ているように思います。)苦戦します。
昨日、英語があまりにわかってないのであきれて、基礎にもどって、文法を図にして教えてやったら、
「あ、考えながら勉強すればいいんだ!」
と、あぜんとすることを言いました。つまり、今まで、考えず、つねにぼ~っとやってたにすぎない、ということでしょう。
この子たちは、意識が出てきて、考えようとしながら勉強すれば、飛躍的にIQは伸びるのだと思います。
ただしかし、意識を出させて、普通の子のように、考えながら学習させる・・・というのは、言うはやすし、実際には、どうすればいいのか、ほんとに難しいですよ!
感じようとする働きがにぶいげんちゃんは、感受性を育てるのは、ほんとに至難の業です。げんちゃんに限って言えば、感じることをめんどくさい・・・・と思っています。
頭を使うことを、とにかく逃げるのです。
ここは、ほんとに苦戦してます。
先日ある発達ママが主催する勉強会に出席し、たくさんのママと交流する機会がありました。
思春期の発達育児、みなさんもれなく大変な苦労や心配をされていますね。
特に印象に残ったのは、頭の良い 障害の軽いと思われる子などは (ワタシからすると羨ましいくらい)こじらせると もっと大変なのかな、ということです。
頭がいいだけに 障害の受容も難しく、親、先生の言うことさえバカにして聞かず、自分の感情の赴くままに マイナス方向に突っ走ってしまうところもあるようです。
ワタシも げんママさんと同じく息子に思うところは多々ありますが、それでもげんちゃんも息子も 素直で健気で頑張り屋なんだと思います。最近はトップダウン方式もきかないし、生意気な口の聞き方もありますが、まだまだ会話も多く 親の話に納得すれば 耳を傾けてくれますもんね。
げんちゃん、今回のテストもよく努力しましたね。げんちゃんのこれからが楽しみです😃
ひつじさん
おっしゃるとおり、発達障害の思春期は、ある意味、これからの一生を左右する大切なステージだと感じています。
今まで、なんとなく、療育をしてきた先生やお母さん方は、そこで、大きく悩みます。
どこにこの子たちを持っていきたいのか・・・そういうことがつきつけられるんじゃないか、と思います。
障害者施設にかかわらせつつ将来を送る、というイメージを持っているママでも、そう甘いものではなかった・・・と感じることも出てくると思います。
この子たちが、どう生きていくべきなのか、という指針をしっかり持って、それにそぐわない方向性のものからは、遠ざけ、良いものでできるだけ満たしてあげる。
厳しいこともある程度必要になってくるような気がします。
うまく書けませんが、普通の子の思春期のように、ただ放置して、育つのを待つ、というのは、ちょっと危険になることもたくさんあると思います。
げんちゃんも、大変ですが、絶対に負けられない。そんな気迫がいるな、と思います。