ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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支援クラスの子には、学習は必要ない? 無理させてはいけない、という変な考え方

> げんちゃんの発達障害がわかったとき、私は、まったく、子どものトラブルに無知でした。

支援クラスに通うようなお子さんって、知的なものが低く、お勉強は教えてもできないから、勉強は、申し訳程度で、サポートし続けるんだろうな、くらいに、漠然と感じていました。というか、何も考えていなかった。

 それが、げんちゃん5才で、我が子に発達ショックが、訪れました。自分の意識改革が、その時に最も必要なことでした。まず、発達障害とはなんぞや・・・ということを、徹底的に研究しました。漠然と枝葉の部分から理解していきましたが、ただ1つ、私には、わからないことがありました。

それは、この知的障害を持つ我が息子に、学習をして意味があるのか・・・ということでした。確かに、過去に、支援クラスに行くようなお子さんを見て、学習が普通にできるようになった、なんて話しを聞いたこともなかったし、たとえ、すさまじい訓練をして、テストの結果だけうまくクリアできるようになっても、頭そのものが治っていなければ、結局、普通の社会人なんてなれるわけもないし、何も結果はかわらないんじゃないの? ということでした。

 そういう疑問が残る中、エジソンアインシュタイン協会に出会って、
「改善するのかも・・・根本的に」

という可能性を意識することができました。エジソンアインシュタインのメソッドは、基本的なことだけだったので、あとは、自分で研究してやる必要があったけれど、目標をもらいました。

そこから、今のげんママの実践的研究が始まったのですが、あの頃からすると、ずいぶん、私は色んなことがわかるようになったな、と思います。

 良く聞く、学校の支援クラスのありかたについて、これは、違うな、と思うことがあります。日本の場合の多くは、支援クラスが目標とするとこは何なのか・・・という点が、もっと明確でなくてはならないし、それに対してのノウハウも、国をあげて、しっかり検討される必要があるな、と思います。

 たとえば、よくある、

「 支援の子たちは、勉強はそこそこに、無理をさせない。とにかく、大人になって困らないように、ひたすら、生活におけるノウハウだけを訓練していく。」

こういう考え方はどうでしょう。

 昔の私なら、それでいいと答えたかもしれませんが、今ならはっきり言えます。間違っています。

 学校の勉強は、もっとも有効なリハビリです。この子達は、普通の子以上にやらなければならない、と思います。ごく普通に生まれた子と、何かしらハンデを持って生まれた子は、神様からのチャレンジにおいて、まったく別物です。ハンデキャップの子たちは、欧米では、チャレンジド、とか言うらしいです。人生は、皆チャレンジありきのものだと思っていますが、この子達は、最初から、それを明確に神様にもらった子ども達だと思っています。チャレンジありき。そのチャレンジとともに、普通の人にない、奇跡もちゃんと用意されていると感じています。
 
 だから、むしろ、普通の子の何倍も、学習の時間も取り組みも必要だと思います。
「無理させないで、」
 ということも、よく、現場では耳にします。

 でも、それも間違ってます。子どもはハンデの子だけでなく、限界へチャレンジしてこそ伸びますし、そんなやわなものではありません。だから、げんちゃんには、ずっと当たり前のように、たくさんの課題を与えて、常に取り組むことがあたりまえ、というスタンスできました。絶対に逃げることは許しませんでした。


 ただ、その課題、というものが大切で、今のその子にあったものでなくてはならないのだと思います。学習へ入る前のステージでできあがってない子たちなので、特殊な訓練もたくさんいります。そして、有効な取り組みを見極めたら、普通の子より、何倍もがんばらなければなりません。自分からやらなければ、時には、叱咤激励して、やることを強いなければなりません。誰でも、少し苦しいことはやりたくないからです。

 その点におていは、私は、手加減しなかったかもしれません。私の設計ミス、読み違いで、今はぜんぜん合わないトレーニングという物もありました。しかしそういうのは、やっていて、気づけます。こっちのやらせる手間や、ストレスの加減で、今は早いな、ということがわかってくるからです。

 げんちゃんは、はたから見たら、いつも、無理をさせてきた、ということなのかもしれません。オリンピックの優秀なコーチのような存在であることを、常に、自分も、目指さなければならないんだろうと思います。親も、いっしょに育っていかねばならないのでしょうね。(そこにおいては、まだまだほど遠い私ですが・・・)

 学校の勉強は、ほんとに、伸びました。何もしてなかったら、中学は、支援クラス、それがなければ、支援学校が相当・・・という子どもに育っていたことは間違いないです。彼は、支援クラスの中でも、できることがほんとに少ない子でした。


 「ぼくは、支援クラスはいやだ。」

と最近言います。げんちゃんは、中学は支援クラスに所属したくない、と言います。確かに、今では、全部普通クラスで過ごし、テストもまあまあの点をハンデなしに取ってくるようになってます。しかし、げんちゃんの集団での注意力や生活力は、まだまだ、普通とはほど遠く、

「いやいやいや。げんちゃん、確かにがんばってるけど、授業中ぼ~っとしていたり、連絡帳も書いてなかったり、先生が言ったことも覚えてなかったり、できないことだらけでしょ。今は、支援クラスのげんちゃんだから、みんなが、かばってくれて、うまくいってるだけだよ。

 中学になって、連絡帳ちゃんと書いてない、とか、宿題やってない、とか、普通クラスでは許されませんよ。支援クラスがいやなんだったら、もうちょっと、意識入れて、お友達がちゃんとやるところを、全部ちゃんとやりなさいよ。
 できないのに、見栄だけはってどうするの? ほんとにできるようになったら、いつでも、普通クラスだけにしましょ。」

と、げんちゃんに言いました。
たぶん、こんなことを言ってくるのも、自分がずっとチャレンジし続けた自信という物も手伝っているのだと思います。彼は、チャレンジすることを、もう習慣としています。げんちゃんは、しらずしらずに、ちゃんと自分への使命を受け取っているんだ、と感じてます。確かに、普通の子より、ずいぶんがんばらなければならないけれど、その報酬も、人生でたくさんもらうでしょう。ちっとも、可愛そうとか、無理させなくていい、とか思わないげんママです。
 
 だから、日本の支援クラスのカリキュラムも、普通クラスより、もっと専門的に、みっちり・・・に、なるといいのにな~と思います。伸び白は大の子ども達です。


大きなマイナスは、大きなプラスになると信じています。ママは、決して、立ち位置を変えてはいけないな、と感じてます。

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  1. 無くて七癖 より:

    定型なおもて学業をする、いわんや発達障害をや。
    無理をさせてはいけない、この言葉には諦めが含まれる。
    僕たちはメンタル弱いので、直ぐにオーバーワークになりすぎ、体調を崩す。その意味で右脳全開の一日とかマッサージとか必要なんだけれど、初めから諦めているそんな無責任な言葉に耳を貸す必要はない。
    「障害者枠で働いて援助は受けれるんだから心配はないよ、承認欲求だって満たされるし。」
    これは当事者会で不特定の発達障害者、博士課程の履修中の男性から言われた言葉、
    自分はしっかり博士課程とっておいて、こういうセリフを
    吐くのはADHDも入っているからだと思うけど・・・
    何もしないでいて、+に働くことはない。自閉傾向が強く
    なるとかーにしか働かないだろうと思います。
    勿論、定型の3倍5倍やって、それでも定型より
    理解できていなかったりするから、悲しくなるけれど
    げんちゃん今は周りばかりで、ドーナッツみたいな
    理解かと思うけど。どれか一個。これ簡単やなってのが
    出てくると思います。真の部分からばっちり理解できるみたいな。
    そしたら他のも整理とまとめができるようになるんじゃないかなと踏んでます。
    学校じゃやんないような簿記とか、プログラマーになりたいなら、スクラッチやるとか。探っていくしかないのかなと思います。
    チャレンジドって素敵な言葉だなぁとおもいました。
    自分もチャレンジ奴って感じで頑張ろうと思います。

  2. nanoka より:

    すごくすご〜く久しぶりにコメントさせてもらいます。コメントは久しぶりですが、げんママさんのブログはずっと読ませていただいて、励みになっていました。
    うちもげんちゃんと同じ6年生。教えても教えても身につかない勉強に、手を替え品を替え色々とやってきました。5年生の中盤くらいからやっと努力が点数に表れてきました。今ではうちも結構良い点を取ってきたりします。本当に諦めずにやってきてよかったと思います。
    私も支援級の先生との考えの違いにがっくりすることがあります。幸いにも今年支援担になった先生は支援担が初めてで、でもそんな先生の方が普通に頑張らせてくれたりします。
    今回のげんママさんのブログを読んで本当に共感しました。たくさんのお母さんに読んでいただきたいです。

  3. robo223 より:

    勉強は「目的」という側面と、「手段」という側面があると思います。

    「目的」としては、勉強をすることによって、入りたい高校や大学に合格するという目標を達成するとか、勉強した内容を生かして働いたり資格を取ったりするという側面があると思います。

    「手段」としては、勉強をすることによって、高次な脳を鍛え、論理的な思考をしたり、理性的に物事をとらえたり、体系的に物事を把握する力をつけるという側面があると思います。

    「目的」「手段」両面から見て、私は知的障害のあるお子さんも発達障害のお子さんも、勉強は出来る限りさせるべきだと思っています。

    知的障害のお子さんは、苦手な分野として「知的に理解すること」があるわけですから、体作りや生活訓練と共に、学習に取り組むことによって、少しでも苦手とする知的理解力を向上させられると良いと思います。

    高次な脳を使って、論理的で理性的に物事を理解する力が、少しでもつけばメリットは大きいです。例えば、ある場所にいるとして、この場所はどんな場所で、どんな態度で存在し、何をするべきなのか、ということを自己判断できるようになります。

    また、「目的」という意味でも、小さい頃知的障害だと思っていたら、ADHDのせいで知能指数が低く出ているだけということもあり、ちゃんと勉強させれば、勉強が出来るようになり、進路の幅も広がっていくというケースがあるからです。

    それに、どの子だって、一般のお子さんが知っていることや、やって来たことを少しでも共有していた方が、話題に乗れたりすることもあると思います。

    ですから、私は以前から、知的障害や発達障害があるから、勉強しなくていいとか、努力しなくていいということはないし、無理しなくてもいいということはないと思っています。

    皆、健常な子はそれぞれ「出来る範囲の無理」はしていると思います。でも、障害のある子の中には、自力ではモチベーションが高められず、「できる範囲の無理」が出来ないことが多いです。

    ですから、「できる範囲の無理」がきちんと出来るように導き働きかけることが、まずは必要な支援なのではないかと思っています。出来る範囲の無理をしていない子は、どんどん無理のきかない子になって、少しのことでくじけやすくもなると私は思っています。

  4. robo223 より:

    続きです。

    ですから、「できる範囲の無理」がきちんと出来るように導き働きかけることが、まずは必要な支援なのではないかと思っています。

    出来る範囲の無理をしていない子は、どんどん無理のきかない子になって、少しのことでくじけやすくもなると私は思っています。自分に甘える子にしてしまうと、メンタル面の弱い子になってしまうと思うのです。

    そして、「できる範囲の無理」が出来るようになるには、「必要な場所に意識を入れる」ことが出来るようになることだと考えています。

    なかなか大変なことですね。

  5. 桜色 より:

    うちの息子は体調を崩したのをきっかけに、水泳教室はここ1か月まるで通わず、来月は休会することになりました。
    体操教室は行く!と言ってますが、これも1回しか行ってないので、どうなることやら。

    自宅で宿題や勉強をまるでしなかったのが、七田式の五分間暗示法をやって、ほんの少しだけやるようになりました。
    そこは喜ぶべきところなんでしょうけど、とにかく「できるようになりたい!」とか、「もっと上手になりたい!」といった向上心がまるで感じられません。
    水泳も泳げなくても何とも思わないらしいですorz

    だからといってほっといたら、本当に何もできない子のまま成人になるしかないので、やっぱり運動にしろ勉強にしろ、robo223さんも書いておられますけど、できる範囲の無理は必要ですよね。

    げんちゃんは向上心があり、集中力もすごくて、すばらしいなと思います。
    うちはどうモチベーションを上げるか、が課題です。

  6. ayumin0309 より:

    げんママ様

    勉強は脳のリハビリって、すごい名言ですね!
    自分の子供時代は勉強も生活スキルもダメダメだったので、わからない勉強をするよりも、せめて生活スキルを学んでおくべきだったと思っていました。
    机上の勉強はやる気になれば、人生いつでもできることは自分の経験でわかっていたので、息子もその路線で行こうと思っていました。
    でも、息子は今は漢字の勉強に四苦八苦していますが、書くのが苦手なので一画づつノートと教科書を往復して、一生懸命に目を動かしています。これもビジョントレーニングになっているとおもいます。で、覚えた漢字を、水や小は、下がはねるが、木ははねないとか分類しているわけです
    これも頭の中にたくさんの枠を作ることになるので、リハビリになるとおもいます。
    確かに、勉強は脳のリハビリで発達障害の改善に役立つとおもいました。勉強って知識を得るだけではないのですね、良いことを教えて頂いてありがとうございます!
    あと、子供がヤワではないことも同意します。

  7. ゆうママ より:

    とても興味深い問題提起です。
    おっしゃる通り、「無理をさせない」「あるがままを受け入れる」支援の世界でよく聞く言葉です。
    そして、これを受け入れるのが障害児の親として、評価されたりしています。一方でそれに対抗して頑張ってる親子は、障害需要ができていないと言われたりすることがあるようです。
    でもそんな言葉は耳触りがよいかもしれないけれど、きれいごとだと思っています。
    どの子も持てる力を発揮してこそ、人生が豊かで自由になるんです。一生支援されて生きていくことはとても制限された人生だとおもいます。支援を利用することを否定しているのではありません。

    支援クラスが、本当の意味での「自立を支援」してくれるところであるならば、迷わず選べます。でもどうでしょう?勉強の優先順位は低くて、料理、栽培、生活訓練的な時間が多く、一生支援を受けること前提の教育がされているところも多いです。

    支援教育にはスタンダードがありません。地域差ももちろんのこと、学校間、さらには先生間でも天と地ほどの差があります。こんな賭けのようなクラス選びはあまりにも酷です。げんちゃんママをはじめ、こちらのブログの読者はみな試行錯誤して頑張ってますが、そんなエネルギーのある親ばかりではありません。

  8. ゆうママ より:

    続きです

    おっしゃるように、支援クラスの目標とするところは何なのか、国をあげて議論、検討される必要があると思います。
    現状では、支援クラスという箱は作りました。でも中身はそれぞれの学校で、それぞれの先生が勝手にやってください。という、なんとも曖昧で不安な状態ですよね。
    福祉予算が増加している今、今は支援が必要な子が将来、支援がなくても生きていけるように、またはできるだけ少ない支援で生きていけるようにすることが国にとってもいいことだし、本人にとっても支援は少ない方が、より自由で充実した人生になると思います。
    ちなみにうちの子も地元の公立中学に進学することにしました。中学の学習量とスピードが本当に不安なのですが、こちらの支援クラスは物足りないんです。ほかの子より理解するのに時間がかかるのに学習時間は短い(生活とか自立課題の時間があるので)のですから。

  9. みかんママ より:

    発達障害、関わり、教え方などで、大きく変われる力もある子達で、可能性が無限にあるなとも思います。
    サッカーの個人レッスンの状況ですが、5回行い、明らかに大きく変わってきました。
    悩んでることを相談でき、原因を見つけ、本人にレクチャーしてくれます。例えば、シュート成功率が今年1割位になってしまい、編集動画も見てくれ、原因を教えてくれ、本人に繰り返し繰り返し、言葉と体で入れてくれ、感覚だったものを意識を持てるようにしてくれ、シュート成功率が4割まで上がってきました。
    サッカーが体から頭へと変えていってくれ、みるみる上達しています。
    その影響が普段の生活にでてくるか期待もしていたのですが、先日授業参観へ行ったのですが、今までは手をほとんどあげなかったのに、積極的に挙げて発言してました。
    花まる学習会の宿題に「なぞぺー」という頭の体操のような大人でも悩んでしまったりする問題なのですが、今まではほぼ私が解いていたのを息子が1人でやりたいと取り組み始めるようになりました。
    まだまだ私の補助なしでは解けないので、それとな〜く手助けしていますが。
    キレやすいところや、行きたくない塾を必死に行かないようにするところ、勉強自体、家でやらせようとすると暴れるところなどは変化の兆しもみえず、手こずったままですが。
    息子にとっては、勉強ではなく、サッカーがやはりリハビリかな。

  10. glow-gen より:

    無くて七癖さん
    発達障害だけに限らず、脳梗塞後のトラブルとか、脳のことって、つまるところ、同じようなところがあると思います。
    でも、脳梗塞後の方なら、けっこうリハビリっていう観点で、がんばらせるのに、発達障害は、治らない・・・的な扱いされているような感じがあるんですよね。

    やっぱり、しっかりなおしていけると思います。治らないから何もしなくていい・・・とやっていると、脳は、どんどん萎縮して、何にも考えられないような人になってしまうと思うのです。
    やっぱり、普通の人も、げんちゃんたちも、しっかりがんばって脳を使わなければだめですよね~。
    人の何倍もやっても人並みじゃない・・・・げんちゃんも、そういうところはありますね。でも、こつこつやっていくと、他の人ができないことができたり、気付かないところを気付いたり、意識も、高いレベルに行けそうな感じがしています。できないからこそ、得られる物があるんだな~・・・と思うこの頃です。

    ドーナツという表現は納得しました。穴が埋まってくるタイミングが楽しみです。少なくとも、昔より、穴は小さくなってきていますね・・・

    ありがとうございます。
    前向きな無くて七癖さんのエネルギーが伝わってきてうれしかったです。

  11. glow-gen より:

    nanokaさん
    6年生は、けっこう難しいことやりますよね~。その段階にきて、良い点をとれることが出てきた、というのは、ほんとにすごいことなんだと思います。
    コツコツやってきたことが、蓄積されてきているんだと思います。
    げんちゃんも、先生方には恵まれて、いつもよくしていただきました。今、学校教育の現場は、ほんとに大変になってきている中で、先生方の善意で色々してくださるのはありがたいです。
     でも、支援クラス対象のお子さんは、どんどん増えていっているみたいな印象があります。制度がまず整ったわけで、今度は、中身が充実されていくといいですよね~。

     でも、原則は、やっぱり、親自身が取り組まねば・・と感じます。その上で、できないとこを人にお願いする。
    でも、親自身が、全く放棄しているようなママのお子さんでも、学校に来てれば、かなり上昇する・・・という制度になったら、日本の教育自体が、底上げされるんでしょうね~。

  12. glow-gen より:

    ロボママさん
    解説してくださってありがとうございます~。
    勉強は目的と手段・・・確かにそうですね。手段としての勉強は、この子たちにとっても必要ですね。そしてできてくれば、目的としてのことも果たしますね。

    私がかつてそうだったように、世間一般の人は、先生方も含めて、知的な障害は、人格のようなもので、かわらないから、勉強だって無理だよね・・・という、ばくぜんとした認識があるんだと思います。悪気はないけれど、無理な子に、無理矢理させようというのは無理・・・と。

     でも、脳は、数パーセントしか使ってない、というらしいので、やはり、その認識は可能性をつぶしていますね。

     げんちゃんを実際にやってきて、やはり、かなり変わってくることが証明されました。公的な機関や、病院では、できるだけ、可能性を母親に説明してもらって、希望をもってほしいです。
    ロボ君も今、どんどん伸びてるから、希望だと思います。げんちゃんも後に続きたいです。

  13. glow-gen より:

    桜色さん
    モチベーション低いですよ~・・・なんせ、目の前のことだけで生きているので・・そういう時間軸を考えられないのですよね~。低学年のうちは、私に叱られるからやる、とか、そういう場当たり的なことで動いていました。
     プライドを傷つけるようなことを言ってみて、鼓舞しようとしても、ただ泣くだけだったり、ぼ~っと空をにらんで、遠くの世界へ行ったり・・・普通の子が、こうすれば、こうなる・・・みたいな方程式がぜんぜん通用しなかったです。
     結局、そこも、意識障害だったんでしょうね。まさに、あれは、人の教育というより、動物を訓練しているようなありさまでした。
    最近は、やっと人間らしいところが出てきました。ほんと少しずつです。

     でも、モチベーションがやがて、上がってくると、意識の低い、普通の子より、伸びるかもしれませんよ・・・
    まあ、そう思ってがんばっています。

     運動はほんとに大切ですから、できるお稽古ごとは、何でも取り組むといいですよ~。有料のスポーツ教室の先生は、さすが、教えるのうまい、と思うことが多かったです。

  14. glow-gen より:

    ayuminさん
    机上の勉強はいつでも、やる気になったらできる・・・
    そうなんですね。確かに、それと平行して、実態のある経験を積むのが大事ですね。その二つは、両輪で、両方できれば、改善は早いはずですね。

    実際には、時間がなくて、つい、机上の勉強の方だけに傾きがちなげんちゃんです。それで、学校で、修学旅行とか、文化祭とか、あらゆるイベントや、友達との交流とか、そういうものが、ほんとに役立っていると思います。家で、学習をしっかりやれたら、学校の色んな経験も、益になります。できるかぎり、いいとこ取りでがんばろうと思ってきました。

    頭の中に枠を作る・・という言い方、さすがです。言葉にするとそうなるんだと思います。
    学習は、架空の枠だらけ・・・げんちゃんたちは枠が作りにくいです。

    お子さんの書字ですが、げんちゃんも、いまだに苦労してますよ~。
    一足飛びにはいかないです。1年ごとによくなっていく感じです。運動も取り組みながら、あらゆる機能を伸ばすだんかいで、少しずつ書字に反映してきます。あきれめずに、忍耐強く、少しずつやらせねばならない感じです。
     先日買ったグリップも良かったです。でも、初期の頃は、もっと、太いグリップの方が有効でした。いつかまとめてみたいと思っています。
    投げ出したくなるのを辛抱して、書字は、取り組む必要があります。

  15. glow-gen より:

    ゆうママさん
    支援クラスは、発達の子にとって、今始まったばかり、という感じがしますね。
    なんせ医者が、改善できる、という認識を持ってないので、そこからなのかもしれませんね。
    支援クラスの時間配分は、たしかに、普通クラスより、ずっと学習時間が少ないところもありますよね。
    お友達の学校では、5年になっても、理科社会がなくて、心配して、チャレンジタッチを、私のすすめで、ご家族が取り入れました。げんちゃんは、ちゃんと学校の内容は、習っているのでありがたいです。理科社会が、勉強が開眼しはじめるきっかけになりました。

    知的クラスと、情緒クラスで、違う内容なのでしょうか・・・そういう指針を、学年はじめにミーティングしてもらえるといいですよね~。

  16. glow-gen より:

    ゆうママさん
    子どもさんは、中学の普通クラスですか?
    事前に、学校にお話に行ってくれ、と教育委員会から言われました。一から、また説明するのか、と思うと、ちょっと腰がひけますね。
    またまた、私的には出たとこ勝負ですよ~。

  17. glow-gen より:

    みかんママさん
    いつもながら、サッカーでの活躍すごいですね~。個人のコーチは、ほんとにこの子たちには合ってますね。感覚でとらえていることを、言葉に落とすってすごく大事ですよね。サッカーは大好きだから、意識がばりっとアジャストするのでしょうね。その状態を、ほかのことにも投影すればいい、ということを、彼が、理解できて、意識の動かし方もある程度マスターすれば、いっきに広がる可能性がありますね。
    本人は、そのあたり、漠然と感覚でつかんでいるから、そこを、きちんと理論的に理解できれば、コツをつかめるのではないでしょうか。

    それが、きっかけ、というやつで、あるときを機に花開くことがあるのがそれではないか、と思います。

    地道にやってきたことが、中学に向けて、花開くといいですね~・・・期待したいところですね。

  18. ゆうママ より:

    スタートは普通クラスです。
    凸凹があるものの、平均すると標準域にあるので知的クラスにはならない…というか、地元中学は3学年あわせて知的も情緒もあわせて1クラスしかないんですよね〜。正直よくわからない支援クラスです。そして支援クラスから普通高校への進学は「ない!」と言われました。

    中学校の校長との面談はすでにしました。体験授業も受けて息子曰く「楽しかった」そうです。部活体験もしてきて、コンピュータ部に入りたいらしいです。でも短時間では息子の難しさはわからないと思います。外面がいいというか…だんだんボロが出る子なのです。

    標準域にあるとは言え、学習はしんどいな〜と思っています。頑張らせるつもりですけど、なんというか…理解していないのに点数をとる技術?みたいなもので点数を稼いでる気がしていて、中学では通用しないのでは??と思っています。

  19. ito より:

    げんちゃんママさま
    いつも私のモヤモヤを解決してくださるきっかけのブログを書いてくださり有難うございます。先日は右左の回答もありがとうございました。
    息子の障害がわかってから2年間、誰からも明確な回答をいただけないのが、今回のブログの内容です。
    私はこんなにも頑張るといつか違う精神障害になるかもしれませんよ~って1人のドクターにオブラートに包んで言われています。地方都市なので福祉の療育ではないことをしている人はまだ珍しいようで楽に生きて福祉の道にが通常です。今頑張り過ぎるとそうなってからでは遅いから、、、と遠まわしで。私は脅しのようなその言葉が忘れられなく、ドクターの言うとおりになった時どれだけ今の頑張りを後悔するのだろう、息子に申し訳ないと心痛めるだろうと、それがとても怖くて仕方ありません。自己肯定感が低くなり外へ出る自信がなくなったらどうしようかと悪い方へ考えてしまい、今は少しでも分からないって泣けば今は勉強を止めてしまいます。泣いてしまうのは公文の宿題の時にたまにある程度です。普段は公文や学研や個別や水泳や体操やSSTのトレーニング、OT、ST、カイロなど、フルコースの毎日で、確かに専門家にはギョッとされますが彼は可愛がられる性格もあり、嫌がらず楽しんで通っています。我が家は楽しく能力を伸ばすことが基本で体験も多くさせています。でも就学が近づいてきた今、彼が嫌な時、乗らないときも少しくらいは机上で頑張らせないといけないでしょうか。泣いている理由を聞くと、「いやだから」とは言います。でも泣けば良いと理解してしまうえば、45分も座っていられるか心配です。またお知恵を貸してください。

  20. ito より:

    続き
    今回のブログには関係のないことですが、教育委員会の仕事をしていると支援級に外国人のお子さんが多いことに気づきます。日本で生まれたのではなく、途中からご両親の仕事の都合で日本へ来た子たちです。
    体育や音楽などみていると知能数は低くないはずです。それでも日本の授業についていけないからという理由で支援級に入れられ、のんびりとした授業を受けています。
    これから先の日本は多くの産業で外国人労働者をますます必要としていくのに、この子たちは勉強がわからないまま福祉の道しか生きられなくなります。母国では優秀な子たちですから、土曜日は1日日本語を教えてもらう行政機関があり、平日は普通級で頑張っていくのがベストではないでしょうか。日本語しゃべれない=支援級もまずは考えていかなければいけないですよね。

  21. 桜色 より:

    itoさんが書いておられたのと似たような話なんですが、昨日私は放課後デイサービスの説明を受けに行って、習い事のしすぎがストレスになって二次障害が出ることがある、と言われてしまいました。
    しかも、ちょうどこの日、学校から子どもが他の子に嫌なことを言われて、今までにないぶちキレ方をしたらしいことを聞いて、ちょっと不安に感じてしまいました。
    しかも、最近水泳にどうしても行きたがらないので、ひとまず休会にしました。
    どうしたらいいのか、最近よくわからなくなってきました。

  22. glow-gen より:

    ゆうママさん
    支援クラスの状況、あまり融通がきかないのですね。たしかに、地域によって、まったく違った感じがしますね。支援クラスは。
    法律というか、公の指針はどうなってるのでしょうね。あまり調べたことがありませんが、私も、中学は、ホームスクールがやっぱりいるんじゃないかな、と感じています。普通クラスで勉強している普通のお子さんも、まず時間的な余裕がないですよね。げんちゃんも、ホームスクールありきで伸びただけですもの・・・ゆうママさんのお子さんは、ホームスクールしてないのに、学校の忙しいカリキュラムをこなしながら、なんとか普通クラスについていってるのはすごいことです。
    くもんでさえ、まだ、みんなと同じとはいかないげんちゃん。中学ではどうなることでしょうね~・・
    中学という日本の”わく”も大切にしつつ、オリジナルな教育ができればいいな~、と思います。今の日本は、昔のような学歴にたよる社会ではなくなっていると思います。しっかり社会で自分の価値を保って活躍できる子には、どうやったら育って行けるのでしょうね。道なき道をつけていくような作業なのかもですね。
    同じ学年の同志です。たよりにしています。

  23. glow-gen より:

    itoさん
    itoさんは、ほんとにがんばられていますよね~。私も、幼稚園時代は、かたっぱしらからやってました。もちろん今もですが・・・笑
    げんちゃんは、チックもどもりもあって、尿漏れもあって、(今は完治)まわりからは、やりすぎだ、と非難されてました。私は、私の考えがあってやってるので、言われても、屁とも思わなくて、あまり、悩むこともなかったです。
    そういうことを言う人には、寄り付かなかったのであまりメンタルをゆるがすことはなかったですが、姑をはじめ親戚筋から言われるのは、ちょっと辛かったですよ。でも、今は、姑もまったく言わないです。あれだけやったから今がある、と思っているようです。
    とくに、寄り付かなかったのは、医者です。一度もかかったことはありません。医者って、診断つけるだけで、実践は何も知らない人が多くて、同業者だから普通の人のように、医者に幻想を抱くことはなく、行っても時間の無駄、と思っていました。眼科でも、発達の子の見え方異常は、医者はだめで(そういう話題をふると、これ見よがしにいやな顔されました。知ったかぶりすんな、って感じでね)、視機能検査士さんの方をあてにしてたり・・・発達とは言わないまでも、小児泌尿器の専門家さえ、げんちゃんの尿漏れには、さっぱりお手上げだったので、あ、こりゃだめだ・・・と・・・

    私が考えていたことはこうです。後進国や貧しい国では、げんちゃんたちのような子は、捨てられることすらあります。げんちゃんは、たまたま親がしてやれる家に生まれ、チャンスをもらったのだから、死に物狂いで自分の運命を切り開け、って考えていました。貧しい国の子共たちは、自分の環境から抜け出すために、必死で学びます。それは命がかかっていたりするからです。それに比べれば、げんちゃんなんて、あまあまだよね~・・・とね。日本の甘ったれたほかの子とくらべれば、多少過酷かもしれないけれど、なんということもないよ。と私は思ってます。

  24. glow-gen より:

    itoさん その2
    もし、障害が内蔵の病気だったりした子はどうでしょう。子供の病院で必死で戦っているはずです。げんちゃんは、与えられた課題を必死で頑張ってるにすぎません。親がそういうスタンスでぶれなければ、子供は乗り越えると思います。大丈夫ですよ。二次被害、げんちゃんも出るのかな? へこたれたときに、甘えていく、いろんな大人がいて、色んなバリエーションをたくさん与えていれば、子供は強くなっていくんじゃないか、と思います。

    冷たく突き放して、ただがんばれ、というのではなく、親が、ともに歩いて、一緒にがんばって苦楽を共にしてるのですから、大丈夫ですよ。ママが、少しくらいのことで、ぐらぐらしてはいけません。がんばってください。

    机に座ってする勉強は、細切れにしたらいいですよ。10分やって、10分ボール遊びとか、体操とか、緩急いれて、学習させてました。30分じっとなんて、げんちゃんは無理でしたよ。ほんと・・・

  25. glow-gen より:

    itoさん
    日本語しゃべれないので支援クラスですか~。初めて聞きました。日本も、これから移民の方も増えるかもしれないので、どんどん教育のシステムも変わるのかもですね。どんな時になっても、大切なものは多くはありません。ぶれずにがんばってきたいですね。いろいろ教えてくださってありがとうございます。

  26. glow-gen より:

    桜色さん
    そうですか~。習い事のしすぎで・・・私は、子供の時に、バレーや絵画、いろいろやってみたかったですよ。母が働いていたので、一人で最小限の習い事に行ってました。ママがそばにいて、バレーとか習える子がうらやましかったです。だから、気にしなくていいと思います。
    でも、ほんとに、ストレスでどうかなっていると判断するんだったら、少し、自由な時間を与えてあげたらいいと思うのですが、げんちゃんなど、自由な時間なんて、ただぼ~っと寝そべって、電車を動かすだけだったから、やっぱり、がんがん刺激すべし・・という結論に至ったわけですが。
    子供さんは、それぞれに違うので一概には言えないのですが、いろいろやってみて、ママの確信をしっかりすることが大事かもです。ゆるめたり、して、その結果を見てみたらいいのかもです。心配だったら。外野はいろいろいいます。最終的には、ママが、しっかり判断して、判断したら、ゆるがないことです。最終的には、私が責任をとる。やれ! 私は、こういうかんじだったかな~。

    今も、英語の発表会に出ない、とか、いろいろ拒否しますよ。でも、無視してます。
    「なにいっとんの。英語習ってたら、出ない、なんて、許されないから。」
    「あんな、緊張することはいやだ!」
    「緊張するからいいんだよ。何いってんの」終り
    てな感じです。げんちゃんは、選択の余地なんてないんでしょうね。笑
    あくまでも、我が家流なので、それぞれの確信に従って、やればいいですよ。周りの意見は、あくまで、一つの意見です。いやがっても、やらないなんて、ありえないよ・・・というスタンスでいるか、好みをある程度優先するか。ママのやりかたはさまざまですが、力関係が子供の方が上にならないようにすればいいと思います。時々、親を従えている子供がいますよ。

  27. robo223 より:

    Itoさんや桜色さんが無理のさせすぎかもしれないと悩まれる気持ちは、よくわかります。

    私もroboが保育園生の頃、療育センターの言語療法士や臨床心理士に「無理させてる」というようなことを言われたことがあったからです。

    でも、私はちっともroboに無理をさせている気はありませんでした。小学校中学年の時は週5で習い事をしていましたが、元気モリモリでした。

    なぜなら、発達障害の子は本当に無理なラインまで無理することが自力では出来ない場合があるからです。特に能力系はそうです。必要なポイントに意識を入れられないのです。

    一般のお子さんは、小さい頃から、なにがしかの無理を自分に強いていて、同じ24時間生きていても充実度が違っています。

    つまり、発達障害の子は、まだまだ無理の余地が残されている場合が多く、一人で勝手に過ごさせておくと、余計力を使わずに終わってしまうのです。

    ですから、常に大人が働きかけて意味のある行動が取れるように課題を与え続けることが必要になります。ですから、出来るだけ習い事をさせた方が良いと思いますし、自宅にいる日は、一気に30分以上の自由時間は与えないように気を付けなければなりません。

    ほおっておけば、ボンヤリして感覚遊びをして、低次な脳ばかりを鍛えることになります。また、自分勝手に過ごす傾向がますます強くなって、指示が入りにくくなたり、友達に合わせて遊べなくなったりします。

    ただ、気を付けなければならないことは、習い事にしても家庭での課題にしても、本人のレベルに合ったものをチョイスするということだと思います。

    課題のレベルは高すぎても低すぎても良くないので、そこのところの見極めが難しいです。世間に合わせるより、今の時点の本人の成長度合いに合わせる方が、後々順調な伸びや意欲の維持が期待出来ると思います。

  28. robo223 より:

    課題の途中で泣いてしまうのは、耐性が低くて泣きぐせがついてしまったか、または、課題のレベルの設定が高かったかのどちらかだと思います。

    いずれにしても、「困難→泣く」というパターンは崩さなければならないと思います。それには、しばらくの間は泣く直前で課題を変えて、泣くという行為に至らせないか、課題のレベルを下げるということも必要だと思います。

    そして、泣きぐせがある程度おさまって来たら、課題に取り組む前に「今日も泣かなかったらすごいよー!」などと、「泣かない」ということをあらかじめ意識させて取り組み、泣かなかったら「泣かなかったね。かっこ良かったよ。」とか「半泣きだけで、良くがまんしたね!」などと、成果を確認し、「泣かない」ということを意識して行えるようにするといいと思います。

    「泣くからやめる」よりも、課題や取り組ませ方を見直したり、泣かせない工夫をした方が建設的だし、成長につながると思います。

    少しでも参考になれば嬉しいです。これからも、一緒に頑張って行きましょうね。よろしくお願いします。

  29. glow-gen より:

    ロボママさん
    ありがとうございます。私も、解説していただいて、よくわかりました。私は、漠然と、直感で、どんどんやらせるべし、とおもってやっていたのですが、なるほど、ほっておくと、低次の脳しか使わないというのも、納得がいきました。
    ロボママさんは、怒らず、ソフトに厳しくみちびいているところがすごいと思います。私は、すぐいら~っとするので、怒鳴ったりしますから、よくないですね~。
    ほんと、やつは、こっちの心をすごく、さかなでしてきて、声を荒げまいと思うけど、それをよしとできなくなります。最近では、特に、あほのくせに、わかったような、超なまいきなことを言って、じゃあ、わかっているのか、と思いきや、まったく唖然! もう、時々、軽蔑してしまうくらい、うんざ~りします。
    少し勉強ができるようになったと言っても、教えられた単純なことを、少しはこなせるようにだっただけのことで、あいかわらず、頭が悪いです。
    意識障害ははなはだしく、筆舌につくしがたいほど、目にあまります。しかも、それを、認識するどころか、自分は、わかっている、と思いこんだりして、ちぐはぐもいいとこです。
    ロボ君は、素直で、おだやかで、反抗期もあんまりないみたいだし、うらやましいです。

    もう、ちぐはぐすぎて、狂人みたいに感じるときもあります。発達障害とは、ほんとに、闇の帝王のように、得体がしれないな、と思ったり、中学を前に、得体のしれない怪物のようです。笑

  30. ito より:

    げんちゃんママさま ロボママさま
    今回も温かなお言葉を頂き有難うございます。
    ずっと親子での頑張りに不安がありましたので、適切でわかりやすいエールを送って頂き涙が出ました。
    無理をさせていると聞けば悪いイメージですが、彼との時間を充実させていると考えていきます。
    何もしなければ、これからの社会を生きるための力を自分でつけることは出来ないでしょうし、課題を見つけて解決するなんて夢のまた夢ですもの。目指しているのは頭を良くすることではなく、彼の人生を彩り豊かにしてもらうことだと考え、課題の選択肢には気を配りながら現状継続で頑張っていきます。本当にいつもありがとうございます。
    彼が時折見せる甘えて泣いてしまうときは、恥ずかしながら私の時だけなんです。公文、学研、外での習い事や主人とのお勉強、私の友人の家庭教師の時はかなりお利口です。私だとコンプライアンスが弱くなってしまいます。正直な気持ちを向ける逃げ道なんでしょうか。今後はそのような時もうまく言葉がけして、やりきる力を付けていきたいと思います。
    こちらこそこれからも宜しくお願いいたします。

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