ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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思考を広げていくための、フィンランド式カルタ

 >  朝起きれないので、時計、というお題で、カルタにしてみました。ぞう、とか12ある・・・とか、汚くて読めませんが、それなりに、出てくることは出てくるげんちゃんです。

発達障害とは、脳と意識の乖離じゃないか・・・と気づいて、私はずいぶん納得がいきました。今までのげんちゃんの行動も、ほとんどそのことで説明がつくような気がします。


 時間のこと。
 土曜日は、朝仕事に行く途中げんちゃんを英語に送ります。ばたばたしているのでいつもぎりぎりです。げんちゃんは、睡眠が浅いのか、なかなか起きれません。今日は、のんびりはできないけど、遅刻ペースでもないような時間の進み方で朝が始まりました。

「げんちゃん、今何時?」
「え~っと、7時50分」
「何時に出かけたらいいのかな?」
「え~っと、8時15分」
「これは、時間がたっぷりあるの? それとも、時間がないの?」
「え~~っと・・・急がなければならない。」(いまいちわかっていない、考えたこともないのだろう。あと何分ある、とかいうことは、彼には、決して当たり前のことではない様子。時計読むことから、難しかったので、仕方ないと言えば仕方ない・・・)
げんちゃんは、チャレンジタッチに無意識に向かって、ゲームを始めていました。
「時間がないって、いうことは?」
と私、
「あ~あ~・・・急ぐ。」
と言いながら、げんちゃんは、段取りがすぱっと組めないようで、とりあえず、チャレンジはやめたけど、ぼ~っとしています。
「裸足だけど、・・」
「あ~・・・靴下・・・」

毎回、いらいらします。でも、こうやって投げかけてみると、彼は、「急ぎなさい!」という声掛けでは、いまいち動けないのがわかります。今、何時で、あと何分あって、それは、用意をするにはちょっと足りないかもしれない。だから、急いて、水筒を満たし、靴下をはき、お稽古バックを持ってきて、中を確認する。

こういう、当然の流れが、時間と対比しながらこなせないのです。やれやれ、6年にもなって・・・・
彼の意識は、時計というものと、行動というもの、それらをつなげたことがない。
何時からおけいこごとがある、というのはわかります。でも、それは、何時という一時点での把握で、きわめてぶつ切りな広がりのないものです。

朝の忙しい現場では、そうそうゆっくり声掛けはできないので、関係のないときに、こういうトレーニングをする必要があるのです。
真ん中に丸を書いて、「土曜日の朝」 と書き込みます。そこから、いくつもの線をひいて、そこから関連するものを書き出させます。
何時に行く、とか、どれだけの時間がかかる、とか、そこから広げられるものを、考えつく限り丸で囲んで伸ばしていきます。

フィンランドではこれを カルタ と言うらしい。

そして、あらゆる思いつくものを書き出したら、

「げんちゃん、今日、朝、どうだった? 」
「だめだった・・・」
「なんで?」
「〇✖▽・・・・・・・(なんかまとまりのないことを言ってます。)」
「そうだね、出かけるまで上手に段取りできなかったよね。じゃあ、来週は、どういう風にやればいいかな?」

まあ、こういうやり取りをしながら、広がったカルタの中から、最もコアになるものを抽出させ、5W1H を意識させた簡潔な文章におこさせます。


なんせ、げんちゃんは、朝、ばたばたして、なんか遅れそう、というので、ママに叱られる・・・そういう思考の広がりしかないわけで、時計、あとどれくらい、自分は何をし残しているのか、自分のやりたいことは何か、やりたいことをやる時間はあるのか、今日の道中での天気はどうか、車の込み具合はどうか・・・

広げようと思えばどれだけでも広がる思考の、ほんの最初の部分でさえ足を踏み込んでいない状態なのです。
 広げれば、すべて、できるはずだ、と、私は、確信します。このことに気づいたおかげで、漠然とした戦いではなく、発達障害はクリアできる、と確信するにいたりました。

昨日は、こんなこともありました。K先生のとこに行かず、テレビを見たい、と思ったげんちゃんは、めずらしくK先生のところに大幅遅刻、行っても、まったくやる気なしの一日でした。

家に帰ってきて、私は、紙の真ん中に「遅刻」と書きました。

「げんちゃん、また、ここからひらめくこと書いてみて。」

そう言うと、げんちゃんは、
「テレビ、塾、宿題・・・・・」けっこうたくさんのことを書きました。しかし、K先生のことがありませんでした。

「ねえ、げんちゃん、自分のことばかりだね。」

と言うと、げんちゃんははっとしたように
「迷惑」
と書きました。広げてやれば、広がる思考なのだ、と思います。

この樹形図、マインドマップ、とか、カルタ、とか言われる図は、発達障害の子にとってもいいです。
こういう手法は、フィンランドで繰り広げられている教育に見られるもので、ノートだって、箇条書きではなく、こういう形態で書くそうです。

早くから、こういう訓練をすることで、発達障害の子供たちの意識が、広がるようになる、と私は信じます。
発達の子に限らず、男の子は、女の子より、情報処理が広がりにくい面があります。こういう学習法、指導法は、応用できるシーンは、多岐にわたるんだろうな、と思います。職場で、トラブルに面した時に、とんでもない方向に対処するスタッフとかも、結局、発想の広がりがないんだと思います。職場訓練にだって応用できると思いました。

ただね~・・・・・ヤツの私に対する横柄な態度は、私に、冷静にカルタづくりをさせない面があって、ノウハウはあっても、なかなか、上手にはできにくい、という問題があるんですけどね~・・・親って、ほんとにむつかしいと思う。

しかたないので、手法を、K先生にも伝授してやってもらうようにしました。カルタ的声かけ、図に書くこと・・・げんちゃんにも、なぜそういうことをするのか、ということを、しっかり伝えて、訓練をするときでさえ、意識をもってやってもらうことで、早く、新しい境地を開いてもらいたい、と思うげんママです。発達育児、佳境に入ってきた気分です。

ファイト!

興味のある方は、フィンランド式教育関係の本をちょっと見るといいかもしれません。

フィンランド式、ですべてやる、ということではないけれど、昔学んでいたことが、今、ここで、私の発達育児にぴたっとフィットしました。
 げんちゃんは、もう、以前とは、まったく違うステージにいるのだと思います。
 

公開コメント 承認後公開

  1. ito より:

    げんちゃんママさま
    いつもありがとうございます。
    本日は公文の先生とお話しする機会があったので、意識させることは難しいとお話したら、苦笑され「年中ですから当たり前ですよ」って言われました。
    確かにそうなんですそうなんですが、意識できないレベルが通常の子と全く違うんですよね。
    たとえば弟は曾おばあちゃんはママのお母さんのお母さんと教えれば自分で頭で描いて理解していますが、彼だと丸暗記して答えるだけで、自分の頭の中で家系図は作れていません。興味があること、好きなこと以外に脳を使わない、脳を無理に動かさないのが息子のルール、条件、もっと言えば反射になっているようです。興味が偏っている子が多いのも納得ですよね。
    幼児の意識レベルを上げるってどうしたらいいのか、、私も障害がわかってからの大きな壁です。
    意識して歩けないから独り言をいう、意識が足りないから言葉を覚えていかない、、、
    幼児の意識はどうしたらよいのか、また多面的にアドバイス頂けたら嬉しいです。
    意識を引くため、勉強嫌いにならないために親が工夫して楽しくお勉強することは多少必要ですが、毎度そんなことでは本人のためにならないので、今はすこし大げさに褒める以外はお菓子や玩具など使わず普通に教えています。

  2. glow-gen より:

    itoさん
    幼稚園児のげんちゃんは、意識どころの話ではなくて・・・ただ、イルカを調教するような感じでした。
    ひたすら、できないことだらけなのを、一つ一つ芸を仕込むようにして取り組んで、その繰り返しでした。
    私がフィンランド式カルタにはまって学んでいた時も、結局、げんちゃんには、たいして使えなくて、ずっと胸にしまっていたわけで・・・

    itoさんのお子さんに、意識改革、ということについて、私は、あまりノウハウを語れる立場にないようです。今度セラピストの彼に会うので、幼稚園児でもできる、という意識改革を聞いてみますね。誰もが知りたいところですもの。

    げんちゃんは、今やっと取り組めていますが、一筋縄じゃいきません。今でもそうなんですよ~。

    勉強嫌い・・・げんちゃんは、算数を「数字の砂漠」と言います。頭を閉じてしまいます。指導者は気楽に、楽しく教えるとか、無理をさせない、とか言いますが、私は、無責任な教えだな・・・と思います。
     必死で差しで向かっていると、そんなにのんびりしたことばかりできないのが本当だし、あのK先生でさえ、時々ブチ切れて、連絡してきます。
    ヤツは、ほんとに、したたかで、隙あらば、甘えて自分から逃げようとしますからね~。今日も戦いでした。本気で、命かけて子供に向かっているのは、親だけです。

    がんばりましょう~。

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