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げんちゃんに対して、けっこういろいろできてきた、なんて感じているので、逆に、あまりにひどい、現実を目の当たりにすると、すごい衝撃が走ります。げんちゃんは、ほんとにだめです。
何がだめかって、当然わかっているはず、と思うこと、できるはず、と思うことが、まったくできません。ここまでひどいとは・・・・
とにかく、彼は、すこぶる単純なことしかすぐに理解できません。
言葉が理解できないのです。
「今日、ご飯食べに行く?」とか
「お風呂入ったら髪洗いなさいよ・・」とか、
単純な暮らしに関すること、感情だって、快不快、に関する、単純なこと・・・
そういうことは、言葉に乗せて考えられるようですが、ちょっとでも、抽象的になったり、論理的になったりすると、彼は、まったく適当にスルーしたり、好きなように判断したりして、その場をやりすごしているだけだ、ということがわかります。
本も、けっこうすらすら読めます。だから、わかっているのか、といえば、まったくわかってなくて、自分の興味のあることだけ、まだらに切り取って、理解しているようなところがあります。それに気づいて、時々いっしょに本を読んでいくようにしました。
それも、さらっと読むのではなく、半ページくらい読むと、彼が、理解できているか、これって、どういうこと? とか、こそあど言葉がさすのは、どんなこと? などと、チェックを入れていきます。そうすると、え~~!っという、すさまじいことがおこります。
今日はこうでした。
ある本で、Aさんの可愛がっている猫が行方不明になった、という状況がありました。主人公が推理します。”恋人のBが猫をどこかに連れて行ったかもしれない。Bは、猫がいなくなれば、Aが自分にもっとやさしくなるのではないか、と考えたのではないか・・・” と
げんちゃんに質問をします。
「なぜ、犯人は、Bだと思ったわけ? Bが猫を誘拐すれば、どうなると思ったの?」
げんちゃんは、わかりません。何度か読ませると、わかったように、該当する箇所を読みました。でも、ただ読むだけで、自分の言葉は一切入らないので、本を閉じ、自分の言葉で、好きなように説明してごらん・・・と言いました。
すると、げんちゃんは、まったくだまりこんでしまいます。
ヒントを出していきますが、挙句の果てに、全く違うことを言い出してしまいます。
結論から言うと、彼は、たかがそれくらいの文章からも、人の気持ちの流れや、理論的な段階を読み取ることはできません。最後に、私が、お姉ちゃんを持ち出し、
「お母さんが、げんちゃんとおねえちゃんがいるのに、お姉ちゃんばかりかわいがったらどういう気持ちになるの?」
なんて、実例に落として、何度も説明する羽目になります。
彼が、いつも、自分の言葉で、物事を言い換えたり、自分の気持ちを言葉で適切に解説したり、また、学習したことを、理解したままに、説明したり、
そういうことが、ほとんどできないのが、深いため息をもって、理解できます。
また、こんなこともありました。理科の地層のところを読んでいて、”火山灰でできた地層は、つぶが角ばっていて、川の流れでできた地層は、つぶが丸い”、という解説がありましたが、
「じゃあ、地層のつぶが、角ばっていたら、どういうことなの?」
反対のことを聞いても、「その地層は、火山灰でできているということだ。」
なんて回答は期待するべくもなく、長い沈黙が流れるだけです。
やれやれ・・・この子の頭は、どれほど悪いのかしら・・・情けない。中学支援クラス以外ありえんわな! よくこんなんで、普通クラスに入っているもんだわ! そりゃあ、ぼけ~っとしててもしかたないぞ。
最近、げんちゃんが、どれほど、頭が悪いのか、思い知ってます。この言葉の力のないことが、私が考えていた以上に根深く、くらくらします。
そういえば、軽い知的障害がある、と言っていた、知り合いのお子さんも、どの食べ物が好き、とか、いつ、どこに行く?とか、そういう、生活に密着した話のみ、饒舌です。
抽象的な場面、理論的な世界の言葉は、真空状態なのだとわかります。
これには、ほんとうに、ショックをうけてしまうけれど、考えようによっては、やっと、そこにアプローチすることができ始めた、と、好意的に考える方がいいのかもしれません。なんたって、今までは、
「それって、どういうこと?」
と問うよりも、単純に、こっちからのベクトルのみ、ひたすら入力・・・の世界だったのかもしれませんから。
私は、先日コメントいただいた ayumin0309さんのコメントに、希望を見出して、落ち込みそうになるのを、ふるいたたせて、言葉の学習を続けています。毎回、いらいらし、あぜんとし、この子の、言葉のない世界に忍耐して、つきあっています。
ayuminnさん、勝手にコピーしてすみません。でも、ほんとに、参考になりました。ありがとう!
げんママ様、コメント2のayumin0309です。
私の子ども時代は、とにかくなにも取り柄のない変な子どもでした。普通級でしたが、ひらがなも書けない状態で入学したので、授業なんて全くわかりませんでした。授業中に離席はないものの、いつも自分がお姫様になったような都合の良いありえない空想をして過ごしていました。
学校でも家でも「そういう子」として認識されていて、怒られた記憶もないので、困ってさえいませんでした。自分がクラスメイトよりも劣っているのは知っていましたが、なにか、自分とクラスメイトは違うものだと思っていました。(みんなは先生の言うことを聞かないといけないけれど、自分はきかなくてもいいぐらいに思っていました。自分の傲慢さにびっくりします!)
高学年になると、クラスメイトとの関係を欲するようになりましたが、勉強も、運動もできない上にコミュニケーションもとれませんでした。それからは、劣等感で卑屈になる日々でした。友達がいないので本と漫画ばかり読んでいました。げんママ様も仰っていましたが、おそらく私も自分の中に「言葉がない」ので、本や漫画から言葉を探していたのだと思います。会話も本や漫画のセリフをそのまま喋っていることもありました。
本はたくさん読みましたが、理解も思考もできないので、「面白かった」「かわいそう」「いじめは良くない」「戦争はしてはいけない」等、単純な事しかわかりませんでした。
中学生になって、短歌を作る授業があり、「良かったもの」としてクラスの数人が呼ばれたのですが、その中に私のものも入っていました。
それが学生時代に先生に誉めてもらった唯一の思い出ですが、そのことは自分の意識が目覚める最初のきっかけになったと思います。その後は塾に入れてもらい、個別でわかるまで教えてもらえて勉強の進捗を気にされるようなると、理数系以外は理解できるようになりました。
中3でいろいろなことが繋がるようになりました。高校時代は勉強は普通になったけれど、コミュニケーション能力と運動能力のなさに泣きました。長くなりましたが、私の子ども時代はこんな感じです。
ayuminさんが、げんちゃんと、自分の子供時代は似ている、と言われていましたが、確かに、抽象的なことに内部言語をもたず、本を読んでも、理解も思考も、できない、と、お書きになっている状況が、まさに、今のげんちゃんのような気がします。
それでも、根気よく、言葉をつないであげると、結びついて、いろんなところがつながってくる、という、実例は、発達ママのはげみです。
セラピストの先生も、
「中学卒業するあたりからじゃない、しっかりつながるのは・・・あせらないで・・・そこからだよ。」
と言います。忍耐勝負だと思います。 算数も、ひどいのに、・・・と思うけれど、言葉が突破できれば、なんとかなる・・・そう思ってやるっきゃないですね!
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言葉の真空地帯…とっても我が息子の状況と似ています。
当然わかってると思っていること、当然できると思っていること、これらができない時は衝撃が走りますね。と同時に「もういいか〜」って思いそうにやったりもします。
うちの子も文章を読んで状況や気持ちを把握できませんね。そして同じように、文章から抜き出すことはできても、自分の言葉で表現できないです。なので記述問題は壊滅的です。つまり白紙です。
「十二支のはなし」という低学年向けのお話なんですけど、「どうしてねずみがねこに集まる日を聞かれて、嘘を教えたのか」が答えられなかったんです。こういうことって解説して教えることかなぁ?と思ってしまいます。そもそも言葉多く使って説明してるうちに、より混乱してくるし(わたしの説明が下手なせいもありますが)
ayuminさんのコメントはすごく励みになりますね。げんちゃんママさんはじめ、こちらにコメントされるママさんたちの頑張りに刺激を受けています。まだまだ伸びて行きますよね。がんばろう!
ごめんなさい、いま出先からなので、、、
私もがんばる!って気持ちになれました!
ありがとう!
追伸
げんまま!本買いました!
といってもまだ届いてないですが。
言葉の真空地帯!うちの娘に感じていたことがまさにそうです。今はとにかく本からの吸収をメインにしたいと思って頑張って図書館からドシドシ本を借りてきています。
文章題白紙、、、あります。少しでも変わるようまずは私が変わっていこうと意識しています。
算数(引き算壊滅的)や逆上がり(ようやくタオル使って出来るようになりました)の練習などやること多過ぎてクラクラしてきますが、げんママさんのブログや皆さんのコメントに勇気をもらいます
ゆうママさん
そうですよね~。いっしょの悩みありますね。
げんちゃんは、記述の問題も、前より書けたりしてるんですが・・・これも、意識なのでしょうかね・・・
げんちゃんの出力が、あまりにばらつくので、もう、よくわかりません。毎日、朝から晩まで、がみがみ言ってます。
なんか、ほとほと疲れてます。それくらいもわからないの?それなら、あなたは、一生、ここから抜け出せないよ・・・とか言ったり・・・
そもそも、げんちゃんと対峙していると、この言葉の真空地帯で、すさまじく疲れます。レスポンスが、お姉ちゃんとはまったく違う。レスポンスしろ~・・・と思う。
ただ、だまって、ぽかんと、満たされるのを待ってるような。
ここを絶対突破したいです。がんばりましょう。
アドバイス下さいさん
福嶋先生は、ほんと国語の権威だと思う。
あの新刊は、辞書みたいに、国語の困った問題がられつしてあって、どの項目からでも読めます。目からうろこです。
国語って、おしえにくいですからね~。
Mさん
学校での出来事を話せる、というのはすごいです。げんちゃんは、できません。
いつも、根ほり葉ほり聞いてますが、疲れます。
男の子を持つママたちは、
「男の子ってそんなもんだよ。」
と言いますが、そもそも根底が違います。自分の興味あることなら、聞いてやると話します。記憶にさえ残らないのか、重おきをおいてないのか、友達の名前も覚えませんし。
とにかく、変です。
新聞を読んで、毎日話す。いいですよね~。げんちゃんも、そういうアイテムありますが、なんせ、朝は、ぎりぎりにしか起きれなくて、もう、時間がとれない、の一点張り。
毎日する、ってことが素晴らしいですよ~。
算数地獄をかかえながら、国語の読みまで、学校行く暇ない、と言いたくなります。
二つ同じ物があったので、1つ削除させていただきました。
ところで、英語はどうですか?
くもんの英語教材、国語教材、いいですね~。確かに、げんちゃんも、少しずつ力ついてくるかな?
Hanaさん
言葉、ないんですよね。
そういえば、小さい子も、ないですよね~。
何かについて語り合ったりしないですもんね。げんちゃんは、小さい子の脳から、なかなか進化してないってことでしょうかね。
大きくなると、生活のことだけではなく、会話が広がる、なぜに広がらないのか・・・本を読ませるだけじゃだめ、と、ayuminさんのコメントでわかりましたが、やっぱりそうか~、と思いました。
手強いですね。ほんとに、
一般の子供は特に意識することなく、自然にその場に必要とされていることに、意識を向けられるけれど、発達障害の子は意識しない限りは、自分の興味にませて勝手な方向に意識を向けてしまうのだと思います。
でも、その意識を働かせるということが、roboも中学生になってからやっと少しできるようになって来た気がします。脳が成長して来て、やっと人として必要とされることが何か分かって来た気がします。
まだまだですが、イメージとしては、やっと目が覚めたけれど、まだ寝ぼけている感じです。小学校のときは、まだ半分寝ている感じでしたが、今は一応起きているみたいです。
でも、今までは寝ていたと思えば、ずいぶんな違いがあり、なんだかやっと始まったな、という気持ちです。そういう時期が来るのは、その子によって違うと思いますので、必ず伸びる時期が来ると信じて、今やれることを一つ一つやっていくといいのだと思います。
私もroboはまだまだ伸びる可能性があると思って、親としてできる精一杯を尽くしていきたいと思っています。
げんちゃんもこれからが本番ですから、今の時期を大事にしていきたいですね。
前記事の時間もですが、今回の言葉も娘もそのものです。以前お話ししましたが、娘は言葉が本当に不自由です。(不自由という表現が的確かわかりませんが)幼児向けや低学年向けの本をここ数年間2週間に10冊借りては読み聞かせをしていますが、読み聞かせも息子とは反応が違います。息子は小さい頃から読み聞かせをしていましたが、自分から『これはどういう事?』と質問をし、場面で使われる言葉や情景を自分で獲得していきました。普通に発達している子供さんはそうだと思います。だから読み聞かせが言葉を増やすのにいいと言われているのもわかります。でも娘は違います。本当に小さい頃は読み聞かせをしていても聞かずに何処かへ行ってしまったり、周りが気になって聞いていなかったり、読んでるのにページをめくったりで、読み聞かせをする気持ちにもなりませんでした。最近は5年生ですし読めば聞いてはいますが、絵と言葉を見比べたり、読んだことに対して質問したりはしません。こちらが『何が出てきた?』『何て言った?』と聞けば答えますが、『じゃあどんなことが書いてあったか言ってみて。』というと書いてある文章を読み始めます。娘の書く文章も『今日何処に行って何を食べました。楽しかったです。』というような文しか書けないと以前書きましたが、話すこともそうなんですよね。学校での出来事は話せますが毎朝同級生とその妹さん2年生(娘と同じ支援学級所属)と学校に行っていますが、娘は毎朝妹さんに「今日の洋服はスカート?』『今日はズボンだね。』と洋服の話ばかりしています。興味が少ないというか。。話す話題もないのでしょうけど。。どうすれば言葉を使えるようになるのか、分かるようになるのか私も毎日が試行錯誤です。語彙が少ないので算数にしても社会にしても理科にしても説明するのも難しいですし、本当にまずは言葉なんでしょうけどどうしたらいいのでしょうね。。。
ここあさん
げんちゃんも、会話がぶつっと終わる、というのはよくあります。お姉ちゃんとは、どんどん広がっていきますが、彼は、広がらないのです。
質問もしません。
物語りや、文章の世界は、自分の世界とは、かけ離れた架空のことで、自分の意識を入れられないのだと思います。もちろん、難しすぎる文章の時もあるでしょう。
げんちゃんは、どうして算数がきらいなの?苦手なの? の問に対し、こう答えました。
「社会は、実際のこと。算数はせまい・・・」
「??」説明する能力が低くて、補足が必要なのですが、算数は、実際の生活にリンクしてない、架空の狭い世界で、一つだけの正解を追っている、ということのようでした。
なるほど、げんちゃんに、速度を教えるのに、同じ時間に進む距離・・・とか言っても、ぜんぜんだめだったのが、
「パパの車に、げんちゃんが乗って、ママの車にお姉ちゃんが乗って・・・」
というシチュエーションで説明すると、いつも、私がのろのろ運転なので、すぐさまイメージして、納得しました。原理原則はいっしょなのかもしれません。多くの現実的な体験をたくさんさせて、リンクできる、いろんな体験を蓄積させる。物語も、そういう体験や、身のまわりのことに、落として、説明してやる。そういうことを意識して、根気よく、続けるしかないのかな。と思います。
狭い!、と自分の中で決めたことは、まったく意識を働かせないので、自らぜんぜん広げようとしませんから、何をやってもひろがらないのではないか、と思います。ここあさんは、一生懸命、今まで入力してこられてきたので、それを関連付けていくために、意識に働きかけることができたら、動きだすかも、・・・物語も、身近なことにおきかえて、少し解説したり、経験とリンクさせるような言葉かけをしていくのがいいかもです。
最近、私は、そういうことに気づいて、できるだけ、具体的、身近なこと、というのをスローガンにやり方をちょっと工夫してみることにしました。
普通の子は、そういう誘導をせずとも、そこにリンクさせて、体に落とし込めるんでしょうね。身近なことにリンクできて、あ! あれは、なんか面白かった、とか、感情や意識をゆさぶることができれば、なんか、少しでも、突破できるのかも・・・と、感じてます。実際には、なかなか根気いることですけどね~。がんばりましょう。
mさん
げんちゃん、イルカ合宿のとき、セラピストの彼にいろんなところを開いてもらったようでしたが、その時、3枚も原稿用紙に作文を書きました。3枚書いた、というところが、その時の特記事項で、内容といったら、それこそ、時系列で、何をした・・何をした、・・・というのの連続でした。
その時、私は、彼の頭の中のすべてを見てしまったかのようで、悪寒が走りました。彼の世界は、まったく広がりがなく、ただ事実がそのまま見たまま、何の解釈もされることなく、そこにあるだけの不毛地帯のように思えました。
一つの事象からほかのことへつながらないのは、意識も低く、言葉ももってないからでしょうか。広げるための工夫として、さきほどここあさんへ書いたことのほかに、(よかったら読んでください)フィンランド式ノート、つまり、樹形図を書いていくのもいいかな、と思いつきました。
真ん中に、テーマの言葉を書いて、そこから思いつくものをどんどん、周りに枝を出して書いていく。次に書いたものからまた、思いついたものをさらに、枝を書いて付け足す。一時期、フィンランド式の学習方法の本を読み漁っていた時があって、その時はあまり活用できなかったけど、ふと、コメント書いていて、あ、と思いました。
明日からやってみよう! (すみません。気づかせてくださってありがとう!)
英語すごいですね。中2のくもんプリントに行きましたか、すごいすごい! くもんの英語は、ほんとに素晴らしいと思いますよ。
アウトソーシングする先生ですが、くもんの先生に、空いた日にお願いしてみられました? くもんは、週二回なので、あいた日に見てもらえるかも。げんちゃんは、時々、くもんの先生にマンツーお願いしてます。(K先生が休みの日) おかげで、くもんの日も、げんちゃんには、ちょっと特別に意識をおいていただけるようです。良い方がいらっしゃるといいですね。
kさん
気持ちの表現、なかなかないですよね。
>心に気持ちがあり、それが、表現される
私も、セラピストの先生に解説されるまで、うまく説明できなかったのですが、今は、こんな風に感じてます。
例えば、寒さを体が感じます。でも、それは単に感覚です。それから、
「あ、セーターを着よう」
と思った、となると、その人の気持ちの表れなんじゃないか・・と。つまり、意識の発動です。ただ、体が感じているだけでは、感覚であって、認知ではないのです。
うまく言えないんだけど、感じていないわけではないけど、認知してない。この子たちは、そういう状態が多いのではないか。
意識を入れろ、とげんちゃんが、セラピストの先生に、ずっと指導されていたのは、感じた、それをどう自分が意識につなげていくか、ってことのようでした。
的確なたとえではないかもですが、無意識に鍵をどっかにおくことがあって、あれこれ探すときがあります。鍵を置く場所があって、いつも、無意識にそこにぽんとおくので、たまたま、違うところにおいてしまった時に、まったく意識はいってないので、ぜんぜん置き忘れたところをおぼえていないのです。
無意識で、いろんな行動が展開されているので、訓練したら、鍵を決まった場所にたいがいは、置くように、それなりに、習慣的にできるようになるかもしれません。
しかし、それは、ただ訓練で、習慣づけしただけで、意識は入っていません。
「私は、ここにおいたぞ~。」
みたいな意識を入れることが可能になれば、もっとげんちゃんたちの世界の可能性は広がるのではないかな、と思います。
ayuminnさんのコメントちょっと衝撃的でしたね~。意識が入らない世界から、入ってくると、ほんと飛躍的にのびるんでしょうね~。がんばりましょう。
げんママ様 ayuminです。ブログの本文に以前にコメントさせていただいたものが載っていてびっくりしました。私は自身がおそらく発達障害であるのと、小1の発達障害児の母でもあるので、いつもこちらのブログに勇気をもらっていました。この大好きなブログに自分の文章が載るなんて、こんなこともあるんですね、感激しています。ありがとうございました。つい最近まで自分の子供時代あまり思い出したくはないものでした。なにもできることがなく、自分の言葉もなく、本や漫画のセリフを喋っている子供なんて、周りからみたらさぞ不気味で痛々しかったと思います。でも今思いかえしてみると、言葉を獲得しようと自分なりに努力をしており健気です。子供時代の自分を肯定できたことですべての苦労が明るいものに上書きされて幸せな気持ちになっています。
コメントにも書かせてもらった短歌の授業では、私が作った短歌を先生が黒板に書いて、どこがよかったかを解説してくれました。そのときに感じた「わたし、イケるかも」みたいな感覚は今でも覚えています。こんな小さなことでも人は変わるんですね。先生には感謝しています。
話は変わりますが、私の母は私のことは愛していましたが、私と会話することは嫌いでした。私の会話は意味不明だったので仕方がないと思っています。でも言葉ない分、独自の嗅覚のようなものがあって母が私の話にうんざりしてようと大切にされていることもわかっており、親からの愛情を疑ったことは一度もありません。げんちゃんもげんママ様から小言を言われることも多いようですが、お母さまからの愛情は常に感じとっているので明るく素直でいられるのだと思います。
また、コメントさせてください。
ロボママさん
すみませーん。また、どじってしまいました。
知らせてくださってありがとうございます。
そうなんですよ。さすが、広げていくってことなんですよ。次のブログで
書こうと思っているのですが、とんでもないエピソードがあって、私は、またまた新たなる視点に気づきました。この子たちは、広げてあげる訓練をしたら良かったんですよ。ここで、昔学んでいたフィンランド式学習の真価がやっとわかりました。あのやりかたが、天才を生む意味がー
広げる訓練はできます。きっと。
さっそく始めてみてます。ロボママさんは、すでに、感覚的にされているんじゃないかなー。書いたら、また是非意見をくださいね。いつも楽しみにしてます。
ayuminさん
勝手にコメント採用させていただいて、お気を悪くされてないか、心配してました。ありがとうございます。
小学校の頃のayuminnさんと、今のげんちゃんは、ほんとに同じところが多々あると思います。げんちゃんは、言葉をもっていないし、広がりを持たせていくことができない。
あるテレビ番組で、発達障害の方が会社で、
「この植木に適当に水やっていて。」
と言われたら、適当がわからなくて、あふれるくらいやってしまう・・・それで、コップ一杯とか、ちゃんと指示しなければならない、というえぴそーどがありました。
結局それも、水をやって、という言葉から、広がりが全然ないからだと思います。ふつうは、そこから、
「あ、この植木は、部屋においてるから、そこに水があふれないように皿がおいてあるんだな。」
とか、鉢の大きさはどれくらいだな・・・かれそうだな、とか、みずみずしいな、とか・・・
まあ、さまざまな広がりがあるわけですよ。鉢の水やり程度なら、いちいち言葉で広げないと思うけど、広がった感じ取り方をすると思います。しかし、
文字通り、
「水をやって・・・」という行為じたいにしか、言葉のイメージが広がらないんだと思います。
げんちゃんは、水やりくらいはできますが、何につけても似たようなことがおこってます。
これは、意識の力で、そこからどんどん連想させていく、ってことをやらずにきているから、だと思うのですが、どう思われます?
こんどのブログに書いてみますので、またアドバイスいただけませんか?ほんとに、ayuminnさんの体験は、このブログを読まれているママたちへの応援歌ですよ~。
よろしくお願いします。
それと、親の愛が子供に伝われば、少しくらい、傷つけることがあっても、子供ってわかってる・・・っていうことは、はげみになりますよね。私の母も、口悪かったので、けっこうぼろくそに言われたりしてましたが、自分は、愛されている、っていう自信を失うことはまったくなかったです。
それで、私も、あまり、神経質にならず、げんちゃんに、体当たりしております。誰かに愛されている、という出発点は、教育の原点でしょうね~。
こんにちは。
げんままさんが仰っている「フィンランド式」ですが、しちだの作文プリントを購入したときに、似たような教材がありました。
もちろん、購入しやっていますが、りんご一個からも発想できないんですよ。。。
こんな状態なので、本人もやる気がなく、進みません。
WISCも「わかんない」の連発だったようでした。
ちょっと思考しなければならなくなると、こうやって逃げます。
わが子たち、みんな一緒ですね。
でも、これを乗り越えないと、一生なにも考えを述べることも出来ないんだと思い、心を鬼にして(いつも鬼ですが)やっています。
少し前から、とんちゃんは2歳~幼稚園生レベルの絵本をとにかく読みまくっています。(自主的です)
うさこちゃん(ミッフィ)がとても好きで、そこに出てくる状況と同じ場面になると、「あの本と同じだ」と言い、状況もよくわかっているようです。
こういう時、ようやく、この事象はとんちゃんのモノになったんだなと思えます。
福島先生の本の抜粋を教えてくださり、ありがとうございます。
ちょっとびっくりしました。
私がとんちゃんにやっている事と同じでした。
このまま自信を持って続けて行けます!!
げんママ様
コメントへの返信をありがとうございました。
私は医療関係職ですが、植木に水をあげるエピソードから、自分の新人時代を思い出しました。
高熱のある患者さんに、「水まくらをください」と言われて本当に氷枕に水しかいれない状態で持っていってしまったのです。言葉に通りに捉えて、自分が求められていることがわかっていませんでした。
新人時代はこんな感じで叱られてばかりでした。
注意されたことや、教えてもらって何か気づきがあればその場で走り書きでメモをして、家に帰ってから清書して、自分独自のマニュアルを作って見返すようにしていました。マニュアルも塵も積もれば山となり、仕事にも少しづつ慣れていきました。先程の植木のエピソードならば、Aの植木ならばコップ一杯と教えてもらってマニュアルに書いた。今度はBの植木を頼まれたので、先輩に「Aの植木はコップ一杯ですが、Bのコップはどれくらい水をあげたらいいですか?」と聞けるようになる。Bはコップ2杯と教えてもらいマニュアルに記入。次にCの植木がAとBの中間くらいの大きさなら、やっと1・5杯くらいかな?と想像できるようになる。こうやって成長していく感じです。最初にAの植木はコップ一杯と教えてもらわないと悲惨なことになります。でも仕事をコツコツ続けて経験を積んでいけば、植木の状態をみて必要な量を日々考えられるようになります。
すみません、なにが言いたいのか、わからない文章になってしまいました。今では自分の中には言葉もあり、思考もしていると思うのですが、人に伝えようとすると言葉や文章にするのにものすごく時間がかかります。外国語を辞書で引きながら翻訳している感じです。
とんママさん
そいです。七田のイメージした言葉とかを書き入れる右脳問題、あれですよ。
げんちゃんも、2年の右脳プリントがいまだにたっぷり余っていて、久々にさせてみたら、たった6個くらいのイメージなのに、30分かかったんです。
この子たちって、発想が豊か、とか、思われるのですが、この状態はどういうことなのでしょうね?
たぶん、自分興味のあることに発想が豊かなのでしょうね。つまり、意識を向けたらできる、ってことなんじゃないか、と思ってます。興味のないことは、意識の焦点を合わせないのではないか・・・と。
幼児用の絵本すばらしいですね。こっちが考えるより、言葉と映像や事象がむすびついていない子供たちなので、把握できる具体性のあるものに落として、大量に・・・というのは、素晴らしいと思います。
音読も、すでに、福嶋式でやってたなんて、すごいですね~。さすがです。
ayuminさん
また素晴らしいコメント~。ありがとうございます。
高校では学力は普通になられていても、この、広がっていく思考は、成人しても、苦労なさったのですね。
今、まさに、げんちゃんは、ここにチャレンジしようとしています。
本読みをしました。
こんな感じです。
「Aは、相手の子とどんな話をしたの?」
「・・・」
「とにかく、片っ端らからどんどん言ってみて。」
だまりこむげんちゃんをうながします。
「恐竜の話とか~‥琥珀の話とか~。」
「そう、オーケー。相手の子は、どうだった?」
「・・・・」
「楽しいそうに、恐竜の話をしたのかな?」
「いいや、してない・・・」
「そうだね。げんちゃんが相手の子と話をしているイメージを浮かべて? この子のことどう思う?」
「・・・・」
「楽しい?」
「いいや、楽しくない。」
「この子は、恐竜の話は好きなのかな?」
「きらい・・」
「A君は、B君のことどう思ったのかな?・・・」
「A君ってどんな子だと思う?」
「・・・・ 」
「もう一度読んでみるよ・・・・・」
「自分とは違う子、と思った。」
「げんちゃんは、どう思う? 」
「なんか、頭のいい子・・・」
「??(まあ、いいや。)」
なんか、どんどん、お話の場面から、意識が広がっていくように、片っ端らから質問して、ヒントを出し、誘導していきます。時に、読書が止まりそうになるので、ある程度行くと、また読みすすめていく。
終わると、げんちゃんの理解は、ただすらすら読むより、深く、幅広くなっているようです。とにかく、そこから広げる訓練。何を言い出しても良い、ということにしてます。
こういうトレーニングはどう思います? なんか、コツがあるでしょうか?
たぶん、混乱するんだと思うけど、とにかく、理解する、ということも大事だけど、そこから広げて発想していく、ということにポイントをおいて、意識を揺り動かしたいと思ってます。
ぜひ、アドバイザーになってください。ご自分で、苦労して、広げていっておられるので、ほんとに感心します。広げてつかむと、仕事は、着実で誠実なものになっていると想像できます。意識コントロールを、ご自分で手中におさめられたのですね~。素晴らしいことですよ!
ayuminさん
人に伝えるときは、外国語を翻訳するような・・・という感覚、たぶん、げんちゃんも同じなんでしょうね。もちろん程度は低いものですが。
それは、自分の考えていることを、しっかり自分の意識の中に把握していくという行為だと思います。ふわふわしているものに、きっちり形を与えるという作業でもあります。
私も、ブログに書いていて、初めて、形になって出てくることがあります。誰しも、同じようなところがあると思います。
でも、私も、何年も書いているので、だんだん、形にすることが手早くなりました。これは、げんちゃんにしても、治せないことではなく、訓練で、やりやすくなると、思います。
もちろん、困難さの違いはあると思います。
このあたりのことが、最近、私は言葉にできるようになったことは、げんちゃん教育をしていくうえで、とても大きいのでは、と感じてます。
きっと、ayuminさんも、文に落としていくうちに、どんどんやりやすくなるのではないでしょうか。
そういう意味では、作文は、げんちゃんにとてもいいかもしれませんね~。
ノウハウをまとめられくらいになるといいと思っています。
ぜひ力を貸してくださいね。
以前げんちゃんママは公倍数、公約数の教え方を書こうと思います。。。みたいな記事があったと思うのですが(書いてたらすいません)是非教えてください。娘が今まさにそこで引っかかってます。元々数の概念や量感がないので予想することが難しいです。ひたすら掛けたり、割ったりさせて見つけさせるしかないのかと。。。途方に暮れています。
げんママさん、日々お疲れ様です。
こちらは期末テストが終わり 短い秋休みを経て 明日から後期が始まります。
後期に向けて 息子が なんと ポストイット5枚に 前期の反省と 後期の目標を書いて 担任に見せていたことを教えて頂きました。まあ 内容はたわいのないことの羅列なんですが、小さな紙にびっしり書き込んで 自分の行動を振り返って次につなげようとする姿勢に感動してしまいました。げんママさんのいう「意識」ですかね?
残念ながら、この5枚には勉強に関することは一つもなく、やはり期末テスト勉強は非常に困難で ワタシはクタクタになってしまいました。こちらの意識改革も待たれますね 笑
ところで、フィンランド方式とは、マインドマップのようなものでしょうか?ワーキングメモリーの少ない発達の子でも記憶力の向上や思考整理につながると言われてますね。ワタシも興味があったのですが、そのままになってました💦
今ポストイットを使って箇条書きがかなりできるようになっているので、もう少し大きなノートを与え樹形図にしていくのも出来そうです。
次のブログを楽しみにしています!
ここのコメント欄、すごい情報の宝庫ですね!
どれにコメントしたらいいのかわからないくらいらです。
ayuminさんのコメントは本当には励みになりますね!ayuminさんの成長の仕方ももちろん、お母様に対する気持ちも、読んでいて救われました。
あ、私もフィンランド式ってマインドマップと似てるのかな?と思いました。中学年の頃トライしてみましたが、すっかり忘れ去っていました。また挑戦してみます。
げんママ様 ありがとうございます。
なにかお手伝いできることがあればなんでもします。発達障がいの子は、自分も息子もそうなので親戚の子のような親しみを感じます。発達障がいの改善に役に立てることがあるのなら、とても嬉しいです。
次のブログ、楽しみにしています!
ここあさん
そうでしたね~。公約数、公倍数、書く暇なくて公開してませんでした。簡単ですがまとめてみますね。
まず、実際のお話に落として、消しゴムを使います。K先生が考えて、私も気に入っていたお話は、
「織姫と彦星」です
これは、公倍数に使います。
織姫は3年に一度、彦星は2年ごとに、織姫、彦星は来てるかな~と思って”こうばい”という街にやってきます。消しゴムを積み上げて、
「やった~。6年目に会えました~。 これを2と3の公倍数と言うんだよ。
という感じです。ひたすら2と3を繰り返して、イメージづくりに力を入れます。せいぜい、はじめは、2、3、4、5 くらいの数がいいとこでしょうね~。
公約数は、まず、偶数奇数が入らないと難しかったです。でも、ひたすら2で割る、3で割る、数、12までくらいをやっていきます。 3人乗りのタクシーにお客さんが集まったら、いっしょに出発できます。とか、そういうストーリーを作りましたが、公倍数ほど、すきっとするお話ができなかったですね~。ま、でもお話作ります。
ひたすら、消しゴムです。
公約数は、15くらいまで、方眼紙に線を書いて、約数で均等に分けて、色を塗らせたりもしました。公約数に入る前に、約数を、とにかく、作図して入れようとしました。
ある程度、15くらいまでの約数に慣れたら、(やっても、自分でできるとこまで行くのには、何か月もかかりましたよね・・・)
ある程度したら、因数分解のひっ算を教えました。割り算の記号のひっくり返したヤツです。
感覚づけが、少し進んだら、因数分解を教えてしまうのがいいですよ。2で割る、3で割る。だいたい、それが入りますから、約分が前後して出てきますよね。そこでも、なんとなく、約数がリンクしてやれます。
約分の時は、割れる数をさがさせる前に、4分の2、 6分の4、8文の2・・・とか、を羅列して、あらかじめ、上と下を2で割りなさい・・・・・というところから始めます。2で割るものだけ集めてだ~っとやる。3で割るものを集めて、だ~と指定してやらせる。
ひつじさん
付箋に書きましたか、それは、すごいです。ほんとにすごいことですよ。
意識が入らないと、ほんとだめなんですよ。げんちゃんは、あぜんとすることの連続で、無意識で浮遊している脳、と言ってもいいような感じです。
ひつじさんのお子さんは、げんちゃんより、IQ高いとおききしますが、それでも。テストは四苦八苦ですかね。まあ、クラブ入っているからね。
樹形図は、たぶん、これからが使い時だと思います。私も、またフィンランド方式の本を取り出して読み始めました。
げんちゃんには、毎日ほんとに疲れ果てます。彼と会話していて、ほんとうに消耗します。たぶん、ほかのお子さんが、どんどんできていく時期なので、そのぶん、差が開いているのだと思いますね。これをまきかえすには、相当な覚悟がいるな~と感じてます。
やれやれ今日もくたくたです。
ゆうママさん
ほんとコメント欄まで読まれている方は、本文より、参考になることがいっぱい、ママたちから書き込まれていますよね~。本文に転写したいことだらけなのですが、なかなか、時間もなくて、埋もれたらもったいないものがたくさんありますよ~。
ayuminさんの今後のアドバイスも期待してます。
ayuminさん
ありがとうございます。よろしくお願いします。毎日、げんちゃんにはほとほと疲れ果てていますよ~。
ayuminさんに、げんちゃんがどうしてそうなのか、解説してほしいです。彼の心に浮かんでいるもの、彼が見ているものは何なのか・・・
彼に時々のりうつって、彼が見てる世界を知りたいです。