なかなか字はきれいになりませんが、ましになってはいます。
目上の人への言葉遣いとか、いろんなことがやはり常識がないです。
自宅で丁寧な日常を送りたい
お休みになりました。
毎年、年老いた姑を、年末は旅行に連れて行こうと、2泊で、温泉などに出かけていました。
しかし、年末旅行は、私にとっては、あまりうれしくありません。
もともと、私は旅行に興味がないのに加え、オフのリラックスムードの中で、げんちゃんが、完全ふぬけになるので、それを阻止するために、私だけ必死でげんちゃんに働きかけるので、ちっとも気が休まらないのです。
休みくらい家でゆっくり、片付けをしたり、好きなことをしたいです。
でも、今年はパラダイス! 親戚が旅行に加わるのをいいことに、私とげんちゃんだけお留守番することになりました。
げんちゃんと私、静かな家の中で、いつもはできない所を、一つ一つ片付けていきます。げんちゃんは、結構役に立ちます。洗濯はすっかりげんちゃんの仕事になって、キッチンも、へたくそながら、洗い物はさっさとしてくれます。エアコンのフィルターを掃除したり、掃除機をかけたり。やったあとは、ゴミがけっこう残っていたりするので、細かく指導します。年末の家事を通して、こつこつと、気持ちを動かして、丁寧にやることを教えていきます。
パスタを作って、人にもてなしたげんちゃん
知り合いのおじさんが来て、
「げんちゃん、腹減った。なんかない?」
とげんちゃんに言いました。
気づくと、初めてげんちゃんは、ユーチューブで見たという簡単なスープスパゲッティを作っていました。パスタ麺をゆでるのは初めてです。
とりあえずおいしそうに、おじさんは食べてくれました。げんちゃんは、基本的に人を喜ばせることは好きだな、と感じます。
ただ、困るのは、そういう行為を、勝手にやります。まず私に確認してやるべきです。
確認をおこたる発達障害げんちゃん
あらゆることを、なかなか確認しません。自分の判断はおかしいかも、という思いはなかなか生まれないようです。思いついたら勝手にやることが多く、普通の人が、ここは言葉にするよね、という所をスルーします。
成長はあるものの、発達障害特有の、世の中とずれている常識感がなかなか治りません。
”ちゃんと聞いてやって”、とか、”ちゃんと言いなさい”としょっちゅう、私は言わなくてはなりません。
自分から思いを出して探らない、という、発達障害の本質的な問題
家事も、目的をしっかり考えてやらないために、ただやったという仕上がりも多いです。
なぜこれをやるのだろう。
どうやったらうまくできるだろう。
今おこっていること、目の前にあることは、何なんだろう。
自分のやったことは、目的にかなっているだろうか。
これは、自分の内から出る、思いです。探査用レーザーみたいなものです。げんちゃんは、そのレーザー光線が極めて弱い。だから、常に、横で、こっちがそれを出させる必要があります。
探査用レーザー(思い)のないげんちゃんは、家事や日々の暮らしに唖然とするずれを生じます。それを常に常に修正し続ける必要があります。
しかし、年末二人で家にいて、掃除や料理、年賀状を書いたり、丁寧な暮らしをしていると、私もゆったり構えて、細かく修正し続けてやる余裕ができます。そして、もっともっとこの息子に、たくさんのことを伝え、教えていきたいものだと思ってきます。
やはり、発達育児、余裕と言うのが大事なんだよな~、と思ってしまう。日ごろのあわただしさが恨めしい!
丁寧な暮らし、丁寧な育児 正しい生き方
世の中は、どんどん悪くなっていってるような気がします。その中で、丁寧に暮らし、一つ一つ正しく生きていく。発達育児の中で見失ってはいけないテーマを、改めて認識しました。
高校卒業して、周りの人とはずいぶん違うスケジュールで、育てていってるげんちゃんですが、私が人生で得たものを、すみずみ伝え教えていきたいものだ、なんてふと思う年末です。
年賀状を楽しんで書いている
年賀状も、昨年より、楽しそうに書いています。字も、うまくなっている。おばあちゃんへの気遣いも文からにじみ出る。やる気を出せば、気持ちを乗せれば、相当げんちゃんは成長してるんだな、と気づきます。去年までは、横でがみがみ言ってやらされていました。
高校卒業後を振り返る年末
4月のホームスクールスタートから、下がったり上がったりしながらも、やはり少しずつ上昇しているのかな、と思う年末です。
お正月は、お琴の弾き初めをさせよう・・・
気持ちが昔より、確実に出てきている。遠くから眺めたら、やっぱり、確実に成長しているようです。
皆様今年も、ほんとにお世話になりました。良いお年をお迎えください!
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